そうだ、ローマへ行こう! 〜 その3 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ローマ滞在3日目。

 

友人母子がなかなか起きてこないので、一人で朝食を済まし、散歩に出た。

 

24、5年前に参加していた聖書研究会が行われていたレデンプトール会の本部訪問。

 

 

 

「絶えざる御助けの聖母」

 

2017年に既に帰天されたカナダ人のブドロー神父様についていた。神父様は1950年来日。36年にわたり教会、幼稚園等を通し宣教。レデンプトール会東京準管区長、日本カトリック管区長協議会会長などを歴任。1989年より在ローマ日本カトリック中央協議会事務所初代事務所長、また1996年より10年にわたり在バチカン日本大使館宗教顧問を歴任されていた。

 

また40年前、現在私が所属している在ミラノカトリック日本人会に司祭がいなかったりするとローマから駆けつけてくださっていたようだ。聖書のクラスに通っていた当時、私はまだ未洗礼であったが、既にミラノのグループと繋がりのあった方だったと思うと、み摂理を感じてしまう。

 

 

 

 

話は基、その後何気にふらっと入ったサンタ・プラッセーデ聖堂。ローマで見られるビザンチンモザイクの中でも代表的な教会。現在の構造は9世紀のものだと言う。

 

 

 

ネロ皇帝のキリスト教迫害時代に、人々をかくまった元老院議員プデンテには2人の娘、聖女プラッセーデと聖女プデンツィアーナがいたが、2000人の信者と共にこの教会下にあった井戸に葬られたと言う。

 

こちらはサンタ・マリア・マッジョー大聖堂。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、バチカンの四大教会のうちの一つで最後に建てられた教会。西暦356年のある日、教皇リベリウスは聖母マリアが「雪の降るところに私のための教会を建てなさい」と告げる夢を見た。同時に貴族のジョヴァンニという男の夢にも聖母マリアが現れた、という。次の日の朝、実際にエスクイリーノの丘の上に雪が降ったというのだ。しかもそれは真夏の8月5日のこと。

教皇リベリウスはその奇跡の場所に聖母マリア教会を建てたと言われている。

 

 

 

 



ちなみに、実際には西暦431年のエフェソスの公会議により、マリアが神の母「テオトコス」として崇敬の対象となる事が宣言され、シクストゥス3世により初めて聖母マリア教会が建立されたのだそうだ。

 

午後からは友人と思い出巡り。28年前友人夫妻はローマ・サン・ジョヴァンニ近辺、私はフリオ・カミッロ、と同じアッピア・ノーヴァ街道沿いに住んでおり、お互いに住んでいた家やその近辺を散策。あっここベビーカーで歩いたわ、ここにスーパー無かった?などと言いながら何気に記憶が甦ってきた。

 
あの頃はお互い新婚で、何も分からず新鮮だったよねー、と笑う。今やお互い酸いも甘いも噛み分け?器の大きさはわからないが強かになったよなーと思う。爆
 
途中ホテルに戻っては休憩し、お酒を飲んではダラダラしていたが、それでも今日は9.9キロ、昨日は8.8キロ歩いていた。
 
お風呂にゆっくり浸かりよく寝ているので、疲れも残さず。あー来週から通常の生活が出来るのだろうか?
 
画像を撮り忘れいたが、ずっとローマ料理とワインを堪能。しばらくイタリアンはいいかも...