そうだ、ローマへ行こう! 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
ローマに来たらもちろんヴァチカンを訪問する予定ではいたが、まさかベネディクト16世が帰天されるとは思ってもいなかった。
 
2012年ミラノで開催されたカトリック教会の「第7回世界家庭大会」では、ボランティアで参加。大会は、前半期間に司牧神学会議、円卓会議、子どもたちの会議、ワークショップ、家庭をテーマにした見本市、ベネディクト16世司式によるミサや祈りの集い、ミラノの小教区の堅信者との交流...全てに参加した思い出深い機会であった。
 

 

話は基、葬儀は、ミラノへ帰る日。葬儀ミサに出てテルミニ駅に行くには時間的にリスクがありすぎる。昨日からサン・ピエトロのお御堂にベネディクト16世のご遺体が安置されておられると言うので、弔問に一人で出かけてきた。
 
数時間待ちは覚悟の上で出かけたが、朝9時にホテルを出て、ヴァチカンへ向かう64番バスもスムーズに、そして何よりも奇跡的に列もなくお御堂に入ることができた。
 

 

 

ラテン語のSalve Reginaが聴こえる中、進んでいくと、またまた知り合いの顔が...!!
 
サン・ピエトロ大聖堂で警備兼案内をしたり、営繕部的な仕事についておられる方で2016年のマザーテレサの列聖式でローマへ出かけた際、サン・ピエトロ大聖堂での見学では彼に祭服やその他の教会の備品、聖餐用の道具や教区の記録などを保管する部屋である聖具室を見せていただいたり、迷路のような通り道を抜けてパパ様が住んでおられるサンタマルタの前まで行かせて頂いた。「あのー、もしやLさんでは?」と声をかけると驚かれた様子。「あのー、私はミラノ在住なのですが、マザーの列聖式の際、日本の巡礼団と合流しLさんに案内していただいたものなんです。」などなどと話をするとベネディクト16世のご遺体の後ろのお御堂でミサが行われているから参列するといいですよ。」と教えてくれた。教えてもらわなければわからなかったことだ。
 

 

 

ご遺体の前で立ち止まることは許されず、瞬間的に画像をとらえたくらいだ。

 

その後、ミサに参列するための列に並ぶこと5分後あたりに列が動き始め奥のお御堂の席に着くことができた。

 

 

 

追悼ミサの司式は枢機卿ではなく、教区のアフリカ系の司祭が行われた。

 

 

ところで、「サン・ピエトロ大聖堂」の礎が築かれたのは324年、キリスト教を公認した「コンスタンティヌス帝」の命によって「聖ペトロ」の墓の上に建設された聖堂が元になっている。

 

約1200年後の1506年、教皇ユリウス2世によって、老巧化した聖堂の建て替えが開始された。設計や監修には、ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど、時代の寵児と言われる天才芸術家が10人以上も携わり、建設工事は1世紀以上の長期に渡る。

 

そして、工事着工から実に120年後の1626年、ついに「サン・ピエトロ大聖堂」は完成を迎え、その完成後も、ベルニーニ設計の大天蓋など様々な芸術品が追加され、その美しい姿を今に伝えている。

 

 

 

 

既に辞任はされてはいたものの、第265代ローマ教皇でおられた名誉教皇ベネデイクト16世が天に帰られた。


それでもローマは変わらない。永遠の都、ローマ。

 

Salve, Regina,
madre di misericordia,
vita, dolcezza e speranza nostra, salve.
A te ricorriamo,
esuli figli di Eva;
a te sospiriamo, gementi e
piangenti in questa valle di lacrime.
Orsù dunque, avvocata nostra,
rivolgi a noi gli occhi
tuoi misericordiosi.
E mostraci, dopo questo esilio, Gesù,
il frutto benedetto del tuo Seno.
O clemente, o pia,
o dolce Vergine Maria!    

 

元后あわれみの母

われらのいのち、喜び、希望。

旅路からあなたに叫ぶエバの子。

嘆きながら泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。

われらのために執り成す方。

あわれみの目をわれらに注ぎ、

とうといあなたの子イエスを旅路の果てに示してください。

おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア

「カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)」