ミラノ、レオナルド 500 〜 最後の晩餐 タペストリー | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

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天才レオナルド•ダ•ヴィンチが亡くなり500年。(1519年5月2日死没)没500年を記念し、彼の命日5月2日から記念イベント”ミラノ、レオナルド500"が始まり年明け1月まで行われているが、今月に新たな展示会が開催となった。

 

 
ヴァチカン美術館に眠っていた?ダヴィンチの「最後の晩餐」のタペストリーが修復され、パラッツォ•レアーレ(王宮)で11月17日までなんと無料で公開されている。
 
まず、世界遺産となったミラノのSanta Maria delle Grazie教会にある「最後の晩餐」は、ダ•ヴィンチのパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で上記教会の壁画として描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なものである。(製作は1945年 - 1498年完成)
 
その後、ヴァロワ朝第9代のフランス王(1515 - 1547年)のフランシス1世(1494年9月12日 - 1547年3月31日)は2代前のフランス王シャルル8世が始めたイタリア戦争を継続した。1515年にマリニャーノの戦いに勝利、ミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放。スフォルツァ家に仕えていたダ・ヴィンチは、翌年フランスへ移りフランソワ1世が宮殿としていたアンボワーズ城界隈のクロ・リュセ城に居住し、ルネサンス文化を伝えることになったのだそうだ。
 

今回展示されているタペストリーは1516年より1525年にかけて織られたと言われている。ちなみにダヴィンチは1519年に永眠している。

 

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こちらはオリジナルに弟子の名前をつけたもの。見るだけでもオリジナルに忠実だと思うが、下絵だけはダヴィンチがしたのだろうか?

 

何れにしても、このタペストリーは1533年にフランシス1世からクレメンス7世に譲渡され、それから門外不出の身としてヴァチカン美術館に保存されていた。

 

今回のダヴィンチ没後500周年に、修復してくれるのなら貸す!という条件で、ミラノ市とフランスのアンボワーズのクロ・リュセ城がお金出しあい、2年間の修復が行われたのだそうだ。その後、6-9月までアンボワーズで公開され、今回ミラノでも公開されることになった。

 

修復の様子はこちら。

 

 

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ところで、このタペストリーが展示されている王宮の「カリアティディの間」(女人像柱)は王宮が第二次大戦の時に空襲受けた部屋だそうだが、その傷跡は今もわざと残しているという。意外にも並ばず簡単に入ることができた。

 

また、奥の間では、「最後の晩餐」の活人画の動画が流れていた。BGMはロッシーニの”Stabat Mater"。

 

 
「最後の晩餐」の翌日、イエス•キリストは拷問を受け十字架にかけられるのだが、弟子たちは何も知らない。”Stabat Mater"を聞き、母、聖母マリアの苦しみを思い涙が止まらなくなった。9分のビデオを思わず2度も観てしまった。

 

 

撮影禁止だったので、綺麗な画像はこちら。

https://www.flickr.com/photos/comune_milano/sets/72157711230140497/

 

11月17日まで公開。在ミラノの方、旅行で来られる方は是非観て置かれることをお勧めします。

 

https://www.palazzorealemilano.it/mostre/ispirazione-senza-tempo


ミラノの日常「ミラノ、レオナルド500」

https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12452265823.html