今から丁度30年前の今日、東京・日比谷野外音楽堂でコンサートを行っていたキャンディーズ が、突然ステージで「九月いっぱいで解散します」と宣言して、コンサートに詰めかけていたファンはもちろんのこと、全国の多くの人々を驚かせましたね。


このニュースはスポーツ新聞だけではなく、一般紙の社会面にも取り上げられるなど、芸能ニュースとしては異例ともいえる扱い方で、いかに多くの方に関心を持たれていたかを示すものでもあるようです。


当時、春のヒット曲「やさしい悪魔 」に続いて、「暑中お見舞い申し上げます 」もヒット中でしたし、キャンディーズが看板といってよいバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」 もたくさんの視聴者の方の支持を得て、人気絶頂といっていいぐらいの順調ぶりだっただけに、この「解散宣言」は衝撃的でした。


17日のコンサートでは、所属の「渡辺プロ」をはじめとして、関係者にも全く知らされない状態で「解散宣言」を行ったせいか、翌18日の午後には渡辺プロの松下制作部長とともに公式の記者会見を開いています。


新聞記事によるとその会見では以下のコメントが出されたようです。


「四年前、グループを宣言したときから、三年くらいたったら解散しようと三人でかたく約束しあっていた。渡辺プロは今年いっぱい活動してほしいといっているけれど、私たちとしては、秋にお別れコンサートを開いて芸能界を引退したい。これからは普通の女の子にもどり、普通の女の子がやっているようなことをして生きていきたい。」


「三年」というのは、17日のコンサートでもスーちゃんが口にしています。


「解散宣言」を象徴する言葉として「普通の女の子にもどりたい」というフレーズがクローズアップされて、これが流行語のようにもなりましたね。


コンサートでもこの記者会見でも「九月に解散」と口にしていますが、これはちょっと注目です。


キャンディーズとしては解散を決意したけれど、一方でお別れコンサートを開いてファンに感謝をしたいという気持ちもあり、現実として「解散宣言」をしてからお別れコンサートを開いていたらとても「九月に解散」は出来な
かったということでしょうか。


実際には1978年の4月4日の後楽園球場のコンサートを持って解散ということになりましたね。


人気絶頂の彼女たちがなぜ解散するのか、ということはいろいろな人が評していましたが、日比谷でのコンサートの時にミキちゃんが口にした「ひとりひとり旅立ちたい」というのが大きな理由の一つではないかと思っています。


一度、普通の女の子にもどってみつけたそれぞれの道。それは女優の道だったり様々ですが、結局キャンディーズとしての活動を再開することはありませんでした。


それはキャンディーズが特別な存在として多くのファンの心の中に結晶化されることに作用したようです。

思えば山口百恵さんの引退のカウントダウン、そして引退後の動向とも共通するものがありますね。


多くのファンの方には、この「解散宣言」の事実を受け入れるのが辛かったことと思われますが、彼女たちの決意が極めて固いと判断するや、今度は解散に向けて彼女たちを精一杯応援しようという方向で盛り上がりを
見せました。


「解散宣言」をしてから、ファイナルコンサートまでの約8カ月。

この時の気持ちを、ついこの前のことのように思い出されますが、数えてみれば30年。

でもイメージは今もみずみずしく、30年前のそのままの形で残っています。

キャンディーズ