通常、小説の新人賞を取るためには、
「描写力(文章)」
「構成力(物語)」
「扱っている素材の斬新さ(着眼点)」
「自己洞察と、それを表現する技術(内省力)」
そして、
「若干の運」
が、必要となる。
運についてはどうしようもないが、ともかく他の要素を高めるべく、作家志望者は、日夜(執筆という)修練を積み重ねる。
どうして彼らは、出版される保証のない(原稿用紙数百枚にも及ぶ)作品を、日々を費やして最後まで書き上げられるのか。
それは彼らが、
「出版社による、応募作に対する審査は、公正に行なわれる」
という前提を、信じているからだ。
「ちゃんと読まれたうえで、正しい評価を下してもらえる」
そう思っているからこそ、作品を完成させ、自分の子と同じくらい大切に思うそれを、選考する者の手へと委ねることができるのだ。
今回、ポプラ社の賞に応募した人たち。
彼ら1200人の全てとは言わないが、その多くが、先に述べたような「審査する側の良心」を信じていたことだろう。
だが、それは裏切られた。
水嶋某の小説、『KAGEROU』は、1200作品の頂点に立つような要素を、(運を除いて)何一つ持っていない。
普通に応募したならば、一次選考通過さえ危ういだろう、稚拙なしろものだ。
(「読みやすい」などという言葉を使って必死で彼の「小説」を褒めようとする者も少なからずいるようだ。しかし通常の選考で考えた場合、リーダビリティしか売りのない作品など、一次選考を通過することすらままならない。それくらい厳しい世界なのだ)
くだらない出来レース。
仕組まれた八百長。
編集者によるリライト。
踏みにじられた、コネを持たない人々の努力。
穢いオトナの考えた、穢い商売。
これが今回の受賞劇の真相だと思う。
突如現れた「天才」(笑)への嫉妬?
あるいは、負け組による、根拠のない言いがかり?
まあいい。
どう思ってもらっても構わないよ。
俺はね、
話題一杯印税一杯幸せ一杯の水嶋某および、会社が潰れずに済んでホクホク顔のポプラ社社員になんかよりも、
今回落選になった1200人のほうに、共感を覚える。
腐ったシステムなんかよりも、システムが腐っていることも知らずに頑張り抜いた挙げ句、馬鹿を見た人たちのほうに、共感を覚えてしまうんだ。
それにしても。
ポプラ社の中には、俺のような思考をする人は、いないんだろうか。
1200作に込められた努力や想いを、あっさりと踏みにじった自分たちに、嫌悪や罪悪感を覚える人は、一人もいないんだろうか。
現れて欲しい。
この悪逆無道な行いを告発してくれる人物が現れることを、切に願う。
出て来い、正義の味方。