江戸時代の食生活「今も江戸時代も変わらない?秋の味覚といえばサンマ?」でした | 劇団岬一家みんなのDODODO

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『キャベツ寛太郎卒業まであと9記事』

 

今月からいよいよ僕キャベツ寛太郎卒業の

カウントダウンがはじまってしまいました。

 

残りも一生懸命書かせていただきます。

【号外】キャベツ寛太郎アメブロ卒業のお知らせ

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございます。

感謝しています ^ ^

 

今日一日みなさんが

少しでも笑顔で

ありますように ^ ^

 

こんにちは。。。

キャベツ寛太郎です ^ ^

 

 

今回は江戸時代の食生活について

現在と江戸時代の秋の味覚として

共通しているものがありました。

 

それは「サンマ」です ^ ^

 

 

江戸時代も今も秋の味覚はサンマだった?

 

サンマが秋の味覚として庶民から

親しまれるようになったのは

18世紀後半、1780年頃とされています。

 

庶民から人気のあった理由として

やはり価格です。

 

サンマは庶民でも買えるほど

安価であったとされており、味と価格、

いわゆるコスパに優れた魚でした。

 

またサンマは庶民だけに限らず

上流階級にも好まれたようです。

 

その理由として上げられる

エピソードはこのようなものでした。。。

 

 

農家で食べた味が忘れられない

 

家臣を連れ目黒まで遠乗りに出た殿様。

休憩をとるため一軒の農家へ

入ったそうです。

 

そこでふるまわれたのが

焼いたサンマでした。

 

すっかりサンマにドハマリした

殿様でしたが、当時サンマは

庶民が食べる物、階級が低いものが

食べる物とさえており、殿様の膳に

上がることはありませんでした。

 

その後殿様はどうしても

焼きサンマを諦めることができず

親戚の家でサンマをリクエストしたそうです。

 

しかし、そこで食べたサンマは

農家で食べたサンマと味が違いました。

 

そこで殿様は親戚に

 

「このサンマはどこから取り寄せたのだ?」

 

と聞くと、親戚は

 

「日本橋の魚河岸」

 

と答えます。

 

殿様はそれを聞いて、

「サンマは目黒に限る」

と答えたそうです。

 

 

 

さて、ここまで聞いて

落語のお好きな方はピンときたのでは

ないでしょうか。。。

 

そうです。

これは落語「目黒のさんま」です。

 

江戸時代当時、落語になってしまうほど

サンマは庶民から愛されていたようですね。

 

 

 

ということで今回は

「江戸時代の食生活「今も江戸時代も変わらない?秋の味覚といえばサンマ?」でした」

でした

 

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また載せますね ^ ^

 

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それでは今日はこのへんで

最後まで読んでいただき

ありがとうございます ^ ^

 

今日もこうして読んで

いただけたことに感謝しています

また次回お会いしましょう ^ ^

 

キャベツ寛太郎でした ^ ^

 

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