1996年6月15日次郎は誕生した。
去年は、二十歳の誕生日だというのに、成人したという実感もなく、
次郎の取り扱いが、成人になることへの、事務手続きに翻弄され、
疲労の中で、誕生日を迎えた。
なので、さして、次郎の誕生に関して感慨もなかったのだが、今年は「21歳か~」と思っていたら、
様々なことを思い出して、止まらなくなってしまった。
今現在、日付が15日に替わってしまったので、誕生日当日なのだけれど、
21年前の今は、まだ、次郎はお腹の中に居た。
次郎の誕生の前日は、3才の花子と1才の太郎を連れて公園に行った。
まさか、明日生まれるなどと、思ってもおらず、
ただ、大きくなったお腹で、もうしばらくは二人を公園に連れて行くことが難しくなるかも?
と思ってのことだった。
次郎の妊娠中は、どこもかしこも痛くて、辛かった。
特に、妊娠後期になると、胸の痛みで、起き上がれないこともあるくらいだった。
あまりの痛みに、整形外科に行ったけれど、レントゲンが撮れないので、
「出産してから、レントゲン検査をしましょう。」ということになっていた。
息をするのも、痛かった。
後に、肋間神経痛とわかるのだが、その時は、肋骨が折れているんじゃないか?と思うほどの痛みに、
とても、不安な日々だった。
そんな中だからこそ、もう、いつ花子と太郎を公園に連れていけるかわからないから、
天気がよく、調子も少しよかったこの日、公園で二人を遊ばせたのだった。
しかし、さすがに、子どもの体力にはついていけなくて、
まだ、遊びたがる太郎を、公園から引きずるように連れて帰った。
二人にご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけて、
やれやれ、、、、と、縁側に座りこんで、私は、お腹の子どもに話しかけていた。
「あぁ~くたびれた~
あなたも、くたびれたよね~
ごめんね~
お母さんね~
もうあなたを、お腹に居させてあげられないかもしれない?
とっても、しんどいんだ~
ごめんね~」
まだ、出産予定日まで日にちがあるといのに、
そんな弱音を吐いてしまった。
まさか、その声を、お腹の子どもが聞いているとは、思いもしなかった。
その翌日の朝、予定日よりずいぶん早く
陣痛がゆっくり始まった。