次郎誕生 それから・・・ | 次郎とマーマの なんじゃこりゃ日記

次郎とマーマの なんじゃこりゃ日記

知的しょうがいA1判定=次郎 
その次郎がマーマと呼ぶ私とのなんじゃこりゃな日々

ゆっくりと、陣痛が始まったのは、朝だった。


寝ている子どもたちを起こして、


なぜか、私は、寝起きの太郎に「今日お兄ちゃんになるから、よろしくね」と言った。


まだ1才と10か月の太郎は、はっきりとした声で「わかった」と言った。


まだ、ろくにしゃべれない太郎が「わかった」と言ったことに驚きながら、とても励まされた。



さて、落ち着け私!



幸いなことに、子らの父が、仕事がおやすみで別室で寝ていた。


私が起して用事を頼むと、とんでもなくイヤそうな顔をするので、


花子に「おとうちゃん起して、公園連れて行ってもらって」と言った。


花子3才10か月。


かわいい花子の頼みを聞いて、父は、公園に花子と太郎を連れて行ってくれた。


やれやれ、これで落ち着いて、陣痛と向き合える。



まず、お風呂を沸かして、入った。


花子と太郎のときの陣痛と少し様子が違った。


上二人の時の陣痛ときたら、もう逃れようのない痛みというか、我慢できないイキミが襲ってきて、


あれよあれよと、ポロリと生まれてきた。



ところが、今回の陣痛は、なんとなく我慢できる痛みだった。


そっと、そっと、準備しているような陣痛というか?


お腹だって、下がりきっていない感じがしたし、陣痛だってゆっくりだった。



さすがに、ひとりで家にいるのは、不安だなーと思った頃に、


公衆電話から電話がある(当時は携帯なんてないからね~)


「二人がお腹減ったって言うから、どうしよう?」


「それなら、帰って来て、お弁当買ってもらおうかな?


それから、今、赤ちゃん生まれそうなんだ。病院連れて行ってほしんだけど」


「なんで、それを早く言わない!」



そうして、連れて行ってもらった病院で、


診察すると「子宮口全開」 と言われ、車いすに乗せられ分娩室に急いだ。


初めて乗せてもらった車いすから、


「太郎~おとうちゃんと一緒に居ないと、迷子なるよ!」


「花子、太郎をよろしくね」


『ああ、おとうちゃん、入院申込みの書類に書いた私の生年月日間違っとる』


それは、まあ、いいか・・・


居合わせた見知らぬママに「頑張ってくださいね」と、声をかけられる。




分娩室では、出迎えてくれた看護師さんに、「よく、ここまで、ひとりでがんばったわね」


と言ってもらい、一気に、気が緩む。



あとは、産むだけ!


痛いは痛いのだけど、やっぱり、なんだか、ゆっくりなのだ。


そおっと、そおっと、降りてくるような。


そうして、そおっと次郎は、産まれてきた。



会韻を傷つけることもなく


そおっと、産まれてきてくれた。


「羊水が多めでした。」と言われた以外は、全くもって、大安産だった。



産後の体は、ポロポロで、しゃべる元気などないはずなのに、


次郎を産んだ後の私は、元気すぎた。


ハイテンションでしゃべったあとに、自分で『あれ?』と思ったことを覚えている。


それほどに、私の体にダメージを与えない出産だった。



なんて、優しい子なんだろう。


それが、一番最初に私の抱いた次郎に対する思いだった。



ところが、優しすぎるのだ。


どの子も、ママをヘトヘトにするほど、おっぱいを要求し、


泣き、暴れている傍らで、



次郎は、大人し過ぎた。


泣き声は小さく、おっぱいを飲みながら、すぐに寝てしまう。


おっぱいの飲みもよくないのではないか?


黄疸も、引いていかない気がする。


体重が減っている。



モヤモヤした心配が、はっきりとした心配に変わったのは3日目の夜だった。


新生児黄疸は3日目には引き、一時減った体重も増え始めるはずの4日目の朝、


私は、小児科医に言った。


「おっぱいが飲めてないような気がするんです」



小児科医は言った。



「私もお母さんと同じ心配をしていました」