1971年12月 共同軍事訓練 その1・概要 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

 赤軍派と革命左派の共同軍事訓練は12月3日から7日まで行われた。実質的にここから連合赤軍の活動が始まったといっていいだろう。

 共同軍事訓練は、12名の同志殺害に大変重要な意味を持つ。数回に渡るので、予習として、全体概要を紹介しておく。キーワードは「水筒問題」「遠山批判」「共産主義化」である。


■共同軍事訓練 あらすじ

 まず「水筒問題」。赤軍派の新倉ベースに向かう革命左派のメンバーが水筒を持参しなかったことを、赤軍派が批判した。もともと革命左派を吸収しようとしていた森恒夫は、ここで主導権を握ろうとして、先制パンチを放ったのである。繰り返される批判に永田洋子が自己批判してようやく収まった。


 しかしそれで引き下がる永田ではなかった。永田は、獄中の幹部・高原の夫人として赤軍派内で特別扱いされていた遠山美枝子を批判しはじめる。指輪をしているとか、会議中に髪をとかしたとか、ささいなことから始まって、ついには「赤軍派とはやっていけない」と、涙を流して赤軍派の批判に拡大させた。「水筒問題」に対する強烈なカウンターパンチだった。


 赤軍派メンバーは何で遠山が批判されているのかさっぱりわからなかったが、遠山が圧倒され沈黙すると、遠山に対する批判的な気持ちが芽生えてきた。森は遠山を一切守ろうとせず、台所に引っ込んで坂東国男、山田孝と何か話し合っていた。これがその後も続く一連の「遠山批判」の発端となる。


 森は遠山への批判を受け入れた。そして永田に、「遠山が総括するまで山から下ろさない」と約束する。永田は「なるべく早く総括させてほしい」と要求した。この日を境に、今度は赤軍派メンバーが主体となって遠山の過去の活動をつるしあげ始めた。それまで遠山を幹部婦人として特別扱いしてきたことの反動であった。


 最終日の訓練を終えた両派は皆、軍事訓練の総括を感激の面持ちで語った。最後に森が「共産主義化」について語り、感激のあまり涙する。メンバーも胸がじーんとなり、最後は両派で肩を組んでインターナショナルを歌った。最初のときとはうってかわって友好ムードに包まれていた。革命左派は永田と坂口を残して榛名山へ戻っていった。しかし、森が語った「共産主義化」の理論は、誰も理解できなかった。


 共同軍事訓練のあと、森は、遠山美枝子のほか、進藤隆三郎、行方正時へも批判を拡大した。そして、「3人には連合赤軍の資格がない」とし、3名にに銃の訓練を強要した。永田と坂口が帰るとき、森は永田に、「共産主義化の獲得の必要性をはっきりさせられた」といって、永田を天まで持ち上げた。永田は嬉しくなり、森の理論に疑いを持たなくなった。


■「共産主義化」のイデオロギーの登場
 共同軍事訓練以降、森のイデオロギーが重要な役目を果たすようになるので、これも予習としてさわりだけ紹介する。


 当時の森恒夫の頭の中には、塩見孝也の提唱した「共産主義化」にどう応えるか、という問題意識があった。


 国家ではなくて、個人の「共産主義化」とはどういうことかわかりにくいが、「革命戦士化」と同じ意味で使っているようだ。連合赤軍の「総括」の過程からわかってくるのだが、内面のブルジョア性を排除し、殲滅戦を闘うにふさわしい、攻撃性、能動性を兼ね備えた戦士に成長する、というような意味で使われている。


 森は革命左派による遠山批判を聞いていて、批判の内容ではなくて、批判の方法にヒントを得た。革命左派の自己批判・相互批判の方法こそ「共産主義化」を実現する方法ではないか、とひらめいたのである。この方法は連合赤軍において、「総括」と称して、より強力になっていく。


 もうひとつ、森はこの頃、「銃の物神化」といわれる理論を構築している。この理論は、銃に超自然的な力が備わっているようで、銃が人を成長させると、今度は人が銃を成長させる・・・というような奇妙な理論である。この理論で、遠山、進藤、行方の3名はひたすら銃の訓練を強いられることになる。


 理論の詳細はともかくとして、まずは、この時期に森が頭の中で強力な理論を構築し、その理論をものさしとして、メンバーに変革(森流にいえば「飛躍」)を求めるようになった、ということを押さえておきたい。


 連合赤軍においては、権力との闘いの前に「共産主義化」のものさしと闘わなければならなかった。そして、森の頭の中にある「共産主義化」のものさしは、逮捕された後に『自己批判書』が書かれるまで、メンバーも一様に「わからなかった」と述べている。


 それでは、ここまでを予習として、次回からは共同軍事訓練中の出来事を紹介する。それは「水筒問題」から始まる。



1971年12月 共同軍事訓練 その1・概要

1971年12月 共同軍事訓練 その2・水筒問題

1971年12月 共同軍事訓練 その3・革命左派による遠山批判

1971年12月 共同軍事訓練 その4・赤軍派による遠山批判

1971年12月 共同軍事訓練 その5・最終日「諸君!この日を忘れるな!」

1971年12月 共同軍事訓練 その6・植垣康博の恋