よど号ハイジャックっ事件は、赤軍派による日本初のハイジャック事件であり、新聞各紙はハイジャックの記事で埋め尽くされた。この投稿では新聞画像を掲載するにとどめ、次の投稿でエピソードを掲載する。
午前7時33分、羽田空港発板付空港(現在の福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727、乗員7名、乗客131名)を赤軍派9人がハイジャックし平壌行きを命じた。機長は「燃料不足」を理由にいったん福岡空港へ着陸する。午後1時59分、北朝鮮に向かうべく離陸するが、韓国当局の誘導により午後3時16分、ソウル近郊にある金浦国際空港に着陸する。しかし、タラップを降りようとしたまさにそのとき、シェル石油のトラックを発見し、北朝鮮でなく韓国であることがばれてしまう。
北朝鮮入りを阻止したい韓国当局と犯人たちの交渉が続くが平行線のまま時は流れる。
交渉は難航。北朝鮮が「乗客・乗員はすぐ返す」と表明。
■4月3日
運輸政務次官・山村新治郎が乗客の身代わりとなることで決着。乗客と客室乗務員が解放された。午後6時5分によど号は金浦国際空港を離陸、平壌国際空港が見つからなかったため、平壌郊外にある朝鮮戦争当時に使用されていた美林飛行場跡地に強引に着陸した。犯人グループ9名、乗員3名、人質の山村の計13名は北朝鮮当局によって確保された。
■4月4日
北朝鮮は「人道主義的観点からとして機体と乗員の返還を行う」と発表。同時に犯人グループの亡命を受け入れる姿勢を示す。
■4月5日
乗務員たちは美林飛行場へと連れて行かれ、よど号は日本へ向けて離陸。
機長、副操縦士、航空機関士、山村次官の4人は無事帰国した。
■北朝鮮へ渡った赤軍派メンバー
【田宮高麿】 1995年、不審な急死。直前まで元気だったことが確認されている。
【吉田金太郎】 1985年、急性肝萎縮症で死亡。強制収容所に送られて死亡したという説もある。
【岡本武】 1996年になってから1988年に土砂崩れで事故死と発表される。メンバーとの路線の対立で隔離されて死亡という説もある。テルアビブ空港乱射事件の岡本公三の兄。
【柴田泰弘】 ハイジャック事件時は高校生。日本潜伏中の1988年に偽造旅券で逮捕され懲役5年の判決。1994年に出所。2002年自宅で病死した。
【田中義三】 1996年タイで拘束され、ドル偽造で起訴されるが無罪となる。強制送還された日本で懲役12年の刑が確定したが、服役中の2007年1月1日に死亡した。
【小西隆裕】(現在も北朝鮮)
【魚本公博】(現在も北朝鮮)
【若林盛亮】(現在も北朝鮮)
【赤木志郎】(現在も北朝鮮)