私、自閉症です。 -86ページ目

震災

3月11日の震災から1週間が過ぎました。遅くなりましたが、被災地の皆さまへ心よりお見舞いを申し上げます。


何人かの方から、私の安否を尋ねる連絡や、「繰り返し流れる震災の映像にショックを受けて寝込んでいるんじゃないか」というお気遣いを頂きました。

気にかけて頂いたことがとても嬉しく、心が温かくなりました。ありがとうございました。


私は関西に住んでいて直接の被害はなく、地震時は外出中でしたが揺れには全く気が付きませんでした。

地震を知ったのは夜19時、息子がドラえもんを見ようとテレビをつけた時です。

私は突然の衝撃的な映像に驚き、息子はドラえもんが放映されないことに驚いてパニックでした。

息子にとってテレビはかなり強い興味関心の一つなので、突然断ち切られた時のショックはすさまじいものです。

パニック時は、「地震だから仕方がないよ」、「今はもっと苦しんでいる人がいるから我慢しよう」といった言葉は届かないので、「楽しみにしていたのに、残念だったね。」と共感しながら、嵐が過ぎるのをひたすら待ちました。

こういった時のパニックは「変更」を受け入れるためのプロセスでもあるので、ひとしきり騒ぐと、変更を受け入れて自分の力で立ち直ることも多いです。

翌朝もテレビが見られずパニックでしたが、日曜日には諦めて、ぶつぶつ文句を言いながら受け入れていました。


息子のテレビに対する興味関心(執着)はとても強く、家のテレビは完全に息子の物です。

私が見たい番組があっても、息子にとって興味がなければ番組を見させてもらえません。

こういった行動は、よその家や祖父母宅ではあまりないので、家の外では本人なりに我慢しているようです。

まぁ私はパソコンさえあればそれでいいので、普段は特に問題なく過ごしています。


今回、息子は震災の番組を恐がって見たがらなかったので、我が家のテレビはいつも通り、息子のお気に入りのDVDが流れているだけでしたが、これは私が情緒不安定に陥るのを防いでくれたのかもしれません。

私は映像で記憶する力が強いので、20年前に観た映画の殺人シーンを未だに鮮明に覚えていたりします。

上述の「繰り返し流れる震災の映像にショックを受けて寝込んでいるんじゃないか」と心配してくれたのは、10年以上の付き合いになる友人ですが、もし息子がいなかったら、震災が気になってテレビに釘付けになってしまい、ショックが心のキャパを超えて精神が不安定になっていたかもしれないなと思います。


先日ツイッターで、香山リカさん(精神科医・立教大学現代心理学部映像身体学科教授)の以下のツイートを見ました。


・心のキャパシティを超える体験に遭遇すると、「覚醒亢進」「躁的防衛」などで「何かしなきゃ」と居ても立ってもいられなくなったりすることもありますが、それは危険。とくに被災地以外の人は、まず落ち着いて自分の日常の維持を。


・いまはこの国の全員が「急性ストレス障害」という状態です。これは地震に直接遭遇してなくても、映像や情報から起きます。これが回復せずに長引けば、本格的な「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に移行します。私たちができることは、自分をPTSDにしないこと。


・被災者に思いを寄せることはとても大切ですが、救援者が「共感疲労」と呼ばれる疲弊状態に陥りやすいことが知られています。これはテレビやネットを介しても起きる可能性があります。


映像から受ける衝撃は、何度も繰り返し見れば見るほど、じわじわと精神エネルギーを消耗させていきます。

余震情報や安否情報など、映像情報を頼りにされている方もたくさんいらっしゃいますので、このツイートには批判もあったようですが、映像記憶が残りやすく、感受性が強すぎる私にとって忘れてはならないことだと思いました。

震災に限らず、映像は刺激が強いため、メディアの情報におぼれると、心の安定を失ってしまうことがあります。

今回は息子の特性上、テレビを自由に見られない環境だったので、地震の情報はネットと新聞で得るのみでしたが、それでも度々心の均衡が崩れそうになるのを感じました。

映像情報に触れ続けた結果、私が精神のバランスを崩しても、何の意味もありません。

このツイートを読んでからは、心身の安定を保つために、いつも通りの日常生活の維持を目標にして過ごしましたが、バランスを保ち続けていられているのは、映像から離れていることも大きいのだろうなと思います


*******

ここでもう一つ、ツイッターで流れていた言葉をご紹介させて頂きます。

歌手の松山千春さんが、震災に関しておっしゃっていた言葉だそうです。


知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。

「自分はなんにも出せないよ・・・」っていう奴は元気出せ


なんだか良い言葉だなぁって思いました。

もし日本中のみんなが元気を失ってしまったら、日本は体力がもたなくなってしまうでしょう。

先ほど、母から「余震が怖いし、こんな時だから4月に予定していた旅行は中止しよう」と電話がありました。

もちろん母の気持ちは分かりますし、旅行の中止は了承しました。

でももし、誰もが同じように自粛してしまったら、西日本、南日本の経済は大打撃を受けるだろうなと感じました。

元気を出していつも通り動くこと、経済を回し続けること、それが日本の体力となり、巡り巡って復興の力や復興資金にもつながるのだと思います。

私にできることは微力です。募金以外の行動は起こせていません。

でも「何も出せない」と沈んでしまうのではなく、被災地に思いを馳せながら、せめて元気を出して今日一日を大切に過ごしていきたいなと思います。


被災地の皆さまに少しでも早く、暖かい場所と、暖かい食べ物が届きますように。



≪ブログランキングに参加しています。ぽちっと応援クリックして頂けると嬉しいです≫にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村



自閉症と出合うまで・1 ~赤ちゃんの頃~

小さい頃の息子は、歩いたり、話したりといった発達はゆっくりでしたが、ギリギリ基準値の範囲内でした。

そのため、保健所の検診では、「個性の範囲内だから何も問題ないですよ」と言われていました。

今思えば、かんしゃくなど多少の扱いにくさはありましたが、1~2歳頃は一般的に扱いにくい年齢ですし、初めての子だったので「子どもなんてみんなこんなものだろう」と思って子育てしていました。

今でこそ自閉特性の濃い息子ですが、小さいころは特性の薄い子だったなぁと思います。

(13歳までは脳が変化するので、本人の特性も変化しやすいのだそうです)


一つ特徴的だった出来事は、2歳頃に異食をするようになったことです。

家では絵本や新聞を食べ、公園に行くと石や砂を食べるようになりました。

異食をする度に「食べないでね」と伝えましたが、息子はニコニコしながら食べるばかりです。

そのうち、周囲から「きつく叱らないから子どもになめられてる(親の言うことを聞かない)んじゃないか」と言われるようになりました。


私は、「石や砂を食べないように叱るべき」と言われても、どうやって叱るのか、”叱り方”が分かりませんでした。

イライラが我慢の限界を超えて「もう!うるさい!」とか「いい加減にしてよ!!」と声を荒げることはあるのですが、これは私の感情コントロールが未熟なだけで、決して、叱って社会性を教えているわけではありません(爆)

無理に叱ろうとすればするほどぎこちなく、”叱らなければ”という思いがプレッシャーにもなり、息子の異食はかえってひどくなる一方でした。


ある時、ヨガの先生に相談すると、「異食は、子どもだけじゃなくて老人にもあるんだけど、自分の気持ちがうまく伝えられない時に出てくることが多いのよ」と言われました。

それからは、異食の度に「何か伝えたいことがあるんやね。分かってあげられなくてごめんね」と伝えるようにすると、異食の回数は目に見えて減り、数か月続いた異食は2週間ほどで完全におさまりました。

当時の日記を読み返すと、「物を投げないでね」「人を叩かないでね」「順番ね」とひたすら試行錯誤しながら伝える日々が書いてあるので、異食に限らず”叱って教える”ことはできなかったんだなぁと思います。

その代わり、見知らぬ人から「躾もできへんのか!」と私が怒鳴られたことはありましたが・・・(´д`lll) 。


今でも、叱って教えることはできないままですが、息子が自閉症の診断を受けたことで、”叱り方”ではなく、発達障害児に適した子育ての方法を学ぶことができたので、少し救われました。

(しつこいですが、私の心にゆとりがない時は、息子のパニックに我慢の限界を超えて声を荒げてしまうことがあるので、この感情コントロールは今後の私の課題です~(;´▽`A``)


*******


余談ですが、息子は冬休み明けから学校に登校していません。

冬休み明けに、時間割の準備を促した時、息子がぽつりと言いました。


息子「ねぇお母さん。僕どうしても学校に行かなきゃダメ?」

私 「あなたはどうしたいの?行きたいの?行きたくないの?」

息子「・・・あんまり行きたくない」

私 「じゃあ行かなくていいよ。今まで良く頑張ったんだから、しばらくゆっくり休んだら?」


このエピソードを話すと、「さすがももこ」(←さすがって(笑))と言われる一方、「叱らないの?私なら絶対、何言ってんの!病気でもないんだから行きなさい!って叱ってしまうわ~。」と、私の対応に驚かれることも多いです。

私は、自分が不登校を経験したせいか、”学校に絶対行かなければならない”と思っていないのかもしれません。

自立してほしいとは思っていますが、自立までのルートはたくさんありますし、学校はたくさんあるルートの一つにすぎません。

学校に行けるなら行けばいいし、行けないなら無理に行かなくてもOKです。

子どもが学校に行かないと言った時、その選択をなぜ叱らなければならないのか、私にはよく分からないのです。

(もちろん、それまでのいきさつから、怠けや甘えではないという確信があってのことですが(;^_^A)


過去の記事で何度かご紹介させていただいた、ハワイとシロクマのお話。

自分にとって楽な道を選ぶことは後ろめたいことではないの。

シロクマが、ハワイで暮らすことよりも北極で暮らすことを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか?

(「西の魔女が死んだ (新潮文庫) 」より)


学童期を、多数の人が暮らすハワイ(学校)で過ごしても、少数の人が暮らす北極(学校以外の場所)で過ごしても、どちらでもいいのです。

ただ、シロクマやペンギン、アザラシなど、寒い環境でこそ生きられる動物がいるだけのことなのだと思います。


この息子の話は長くなるので、また別の機会に記事にできればと思いますが、主治医からは「対処が早かったので心の傷は浅くすんでいるし、傷の回復も早いと思いますよ」と言われました。

担任の先生にも良くして頂いているので、学校に対する負のイメージは消えつつあります(^^)


もしこの先、息子が人に暴力をふるうことがあったら?

多分、”息子に適した感情コントロールの方法を考えること”に必死で、叱れないだろうなと思います。


もし、息子が法に触れることをしたら?

多分、”その水面下にある原因と、対応方法を考えること”に必死で、叱れないだろうなと思います。


もし、息子が自らの体を傷つけるようなことをしたら?

確実に、「お母さんはあなたがいなければ生きていけない」と泣いて取り乱します(私がパニックです(爆))。


私がこの先、息子に対して、”叱る”という表現方法を身に付けることがあるのか?

・・・う~ん、ないような気がします・・・

叱り方を身に付けようとすることは、多分私にとってものすごくハードルが高いことです。

叱り方が分からない分、支援の方法と自分の感情コントロールを、これからも勉強し続けていこうと思います(^-^)



≪ブログランキングに参加しています♪ぽちっと応援クリックして頂けると嬉しいです♪≫にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村

もうすぐ大学2回生です。

今日はお知らせ記事です。

昨年4月に大学の通信教育課程に入学したのを機に、ブログの記事を毎週金曜日16時に更新していましたが、今月から毎月9のつく日(9日、19日、29日)に記事をUPさせて頂こうかなと思います。

記事の更新頻度を減らす理由は、大学のレポートに追われているからです~(^▽^;)


大学の勉強、家事、子育ての両立はなかなか難しく、ブログは1つの記事を書くのに5~6時間かかっているので、一時はブログをやめようかなと考えたこともありました。

でも、せめて自分の生い立ち記事が現在のことにたどり着くまでは記事を書き続けようと思ったのは、こうして記事を書くことによって、自分の心の傷が癒されていることに気が付いたからです。


ブログを始める前は、たび重なるフラッシュバックに随分悩まされてきました。

スーパーで誰かの怒鳴り声を聞いた時、道を歩いていて事故が目に入った時、テレビの映像や新聞記事、いつも予想もしない時に突然辛い映像が蘇って、呼吸が苦しくなることが度々ありました。

時には夜眠るときに突然映像が鮮明に蘇って、寝ている子どもの横で声を押し殺して泣くこともありました。

でも、ブログを書くようになってからは、フラッシュバックが少しずつ少しずつ減っていきました。

今では、たまに弱いフラッシュバックは起きますが、映像に心が囚われて苦しくなるほどではありません。


以前ある新聞記事で、こんな言葉がありました。

*******

人間の脳というのは不思議なもので、意識化できたものについてはそれほど支配されずにすむのですが、無意識の中にあるものには思わぬかたちで支配されてしまいます。

*******

私のブログとフラッシュバックの関係は、これと同じような状態なのかもしれないなと思います。

辛かった出来事や納得できなかった出来事を、今まではモヤモヤした状態のまま頭に留めていましたが、時間をかけて一つ一つ言語化していくうちに、気持ちが整理されて、フラッシュバックが減っていったように思うのです。


以下に、以前2人目不妊・2~悲嘆のプロセス~ の記事でご紹介した「子どもが発達障害?と思ったら  」の本の内容も、一部引用させて頂きます。

*******

(悲嘆のプロセスの内容から)

10のあきらめ、受容の時期になると、次第に、「きちんとこの子の障害という現実に向き合わなければ、何も前に進めない」ということに気付き始め、自力で行動を開始するようになります。

しかし、実はこの時期もまだ不安定なままです。

~中略~

多くの保護者がこの時期(悲嘆のプロセス10.あきらめ、受容)で留まっている場合が多いようです。

ホームページを立ち上げたりブログを書いたり、本を出版したり、という取り組みでこの時期を過ごしている人もいます。ただ、ホームページやブログ、本の出版をした人のすべてがこの段階であったというわけではありません。

この時期の心境としてそういう取り組みをしなければいられないタイプの人は、こういう表現活動によって自分を確立していくこともある、ということです。

*******


私がブログを通して自分を表現しようとした理由が、まさにこれだったんじゃないかなぁと思います。

子どものことではなく、自分自身の生い立ちを中心に書いてきたのも、子どもの障害受容云々よりもまず、”不器用にしか生きてこれなかった自分、後悔ばかりの人生”を自分で許し、受け入れたかったのだと思います。

そうして、自分の不器用な人生を納得して受け入れられるようになるにつれて、子どもの障害もありのまま受け止められるようになっていったのかもしれません。

ブログを通して、たくさんの方と交流させて頂いて、励まされたり、勇気づけられたりする中で、少しずつ”こんな不器用な自分でもいいじゃないか”と感じられるようにもなっていったのだと思います。


最近は、以前に比べ随分精神的に安定した日々を過ごすことができるようになってきました。

これは、たくさんの支援者さんに支えて頂いているからではありますが、ブログの効果も大きいような気がします。

大学の勉強はもちろん大切ですが、日常生活での心の安定があって始めて、勉強に集中することができます。

大学、日常の家事・子育て、ブログ、自分の興味関心・・・どれも私にとっては大切なものなので、どれかを削ろうとするのではなく、うまくバランスを取りながら、これからも両立させていきたいなと思います。


いつ記事を読んで頂いている皆さまには、本当に感謝の気持ちで一杯です。

更新頻度は減りますが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

卒業を目指して、2回生も引き続き頑張りまぁ~す(*^▽^*)



≪ブログランキングに参加しています♪ぽちっと応援クリックして頂けると嬉しいです♪≫にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村