自閉症と出合うまで・7 ~私の障害受容~
前回の記事では、私自身が自閉症の診断を受けた時のことについて書きました。
普通に生きられなかった自分自身を許したくて、受け入れたくて、自ら望んで診断を受けたわけですが、もしこの時まだ離婚していなかったとしたら・・・?
多分私は自閉症の診断を受けようとはしなかっただろうし、自分が自閉症であることは絶対に認めなかっただろうなと思います。
私は、元旦那さんの家族からは、あまりよく思われていませんでした。
はっきり言われたわけではないけれど、そんな空気がありました。
「自閉症は空気が読めない」とよく言われますが、自分が受け入れられているか、それとも拒否されているか、そういった空気はどちらかというと敏感に感じ取る方が多いような気がします。
自分が受け入れられていない状況、例えば、「いつまでそんな小さなことに、こだわっているの」「そんな考え方じゃダメ。もっと柔軟にならなくちゃ」「もっと頑張りなさい」と、今の自分が否定され、変わることを求められているような環境だったとしたら・・・。
「あなたの性格は厄介だ」「どうにか変わってほしい。変わるべきだ」、周囲の人が私に対してこう思っているような環境だったとしたら・・・。
きっと私は、診断を受けることはなかっただろうなと思います。
こういった環境では、自閉症の診断は、罪が許されるための免罪符ではなく、「ほらやっぱり。どこか変わっていると思った」と、まるで罪の証拠のようになってしまうからです。
もし離婚せず、自分が受け入れられていない環境にいたままだったとしたら、私は自分が診断を受けるどころか、旦那さんに対して、「あなたにも自閉症があるんじゃないの?」と思っていたような気がします。
自閉症の診断を受ける前、「私も自閉症かなぁ」と言うと、周囲の誰もから「ももこが自閉症のわけがない」と言われていたので、周囲の言葉をそのまま受け取って、自分は定型発達だと信じていたかもしれません。
離婚後は、それまでとは打って変わって、自分が受け入れられていることを実感できる環境になりました。
息子の支援を通して、「お母さん、よくやってるね」「頑張ってるね」「それでいいよ」と声をかけられる中で、「あぁ、私はこれでいいんだ」と、失っていた自己肯定感を少しずつ取り戻していきました。
生まれて初めて、「間違うことも失敗することもあるけれど、こんな私でもいいんだ」と実感できるようになったことで、より自分を受け入れたいという欲求が生まれ、診断を求める気持ちが生まれたような気がします。
「変わること」を求められている環境では、私は自閉症の診断はきっと受け入れられませんでした。
でも、「あなたはそれでいいんだよ」と受け入れられている環境では、自ら診断を求めました。
このことを考えると、人は環境次第で、物事の考え方や行動が変わるのだなと感じます。
生活が荒れていた頃は、「そんなことじゃだめ」「もっと変わらなきゃだめ」と、よく言われました。
でも、自分の努力だけで自分の内面を変えるには限界があります。
環境が変われば自然に考え方や行動が変わってしまう、そんな環境の持つ力の大きさを改めて感じています。
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自閉症と出合うまで・6 ~私の診断~
息子が自閉症の診断を受けた後、地域で開かれている学習会に参加して、自閉症スペクトラムについて学ぶ日々が始まりました。
ある日の学習会は本人告知の話でしたが、この時、パニック障害と診断された時の出来事が鮮明に蘇りました。
16歳でパニック障害を発病して、22歳でパニック障害と診断された時、最初は心からホッとしたものの、その後、精神障害の言葉にひどく混乱して、荒れる日々を送りました(関連記事は→コチラ )。
学習会の”告知”というキーワードをきっかけに、それまで出来るだけ思い出さないように、考えないようにしていた当時の辛い記憶が鮮明に蘇って、その日はかなり動揺しました。
この頃、学習会の他にも、NPO法人それいゆ のセミナーにも参加するようになっていました。
服巻先生のお話は、目から鱗の連続で、いつも一つ一つの言葉が自分の心の中に染みこんでいきました。
このセミナーの中で、それいゆでは、本人告知は基本的に就学前に行っていることを知りました。
告知とは自分を知ることであり、自分が主役の人生を支援すること、人間教育そのものなのだという言葉が、とても心に響きました。
学習会で告知の話を聞き、それいゆでは就学前に告知を行っていることを知り、当時保育園の年中だった息子への告知はどうしようかと考えるようになると、自分がパニック障害の診断を受けた時のことを何度も思い出すようになり、それと共に他の辛い記憶まで数珠つなぎのように次から次へと思い出すようになりました。
あの時のことも、この時のことも、あれも、これも、過去の辛い体験や悲しい記憶はどれもみんな、もしかしたら私が自閉症だったから起こった出来事(トラブル)だったんじゃないか、そう思うといてもたってもいられなくなり、だんだん「私も検査を受けたい」、「自閉症かどうか、どうしても知りたい」との思いが抑えられなくなりました。
そして成人の発達障害の診断実績のある病院に行きましたが、最初に行った病院では、検査をする前から「君が自閉症であるはずがない」と言われました(爆)。
確かに、私は一見自閉症には見えないかもしれませんが、ほんの少し話をしただけで「自閉症であるはずがない」ってそれはあんまりだーと思い、次の病院を探しました。
(今思えば、「アスペルガー」という言い方をすれば、医師の対応も違っていたのかもと思います(^_^;))
次の病院でも、検査担当の心理士の先生からは、「診断は出ないと思います」と言われました。
それでも、「どうしても検査と診察を受けたい」とお願いして、検査を受けることができました。
検査の後も「診断は出ないと思う」と念押しされましたが、結果的には「自閉症スペクトラム」と診断されました。
いざ診断を受ける時は、「自閉症だと言ってほしい。もし自閉症じゃなかったら、立ち直れないかもしれない」というような心境だったので、「自閉症スペクトラム」と言われた時には、体中の力が抜けるほどホッとしました。
今になって、あの時どうしてあんなに自閉症だと言ってほしかったのかなと考えると、あの頃の私は、許されたくてたまらなかったのだと思います。
それまでの日々はずっと、うまく生きていくことができない、生きにくさを感じてばかりの人生でした。
診断の日、医師からは、10代後半~20代前半の約10年間の日々のことを、「よく引きこもりにならなかったね。今こうして日常生活を送れる状態にまで、自分の力だけで(←正確には私の力ではなく息子のお陰ですが(^_^;))、よく回復したね」と言われましたが、確かに当時の私は精神的にズタズタの日々を送っていました。
あの頃の日々のことは普段は思い出さないようにしているけれど、それでもふとした時に思い出すと、「忘れたい、でも忘れられない。どうして私はこんな不器用な生き方しかできなかったのか、どうして周りのみんなと同じように生きられなかったのか。どうして、どうして・・・」と、出口のない状態で苦しんでいました。
一体何がいけなかったのか、一体何が悪かったのか。「あの頃の日々のことは、私の努力不足や性格の問題が原因ではなかったのだと言ってほしい」、そう願う私にとって、「自閉症」の診断は「あなたのせいではない」という罪を許してもらうための免罪符のように感じて、自閉症の診断にすがろうとしていたのかもしれません。
ちなみに、20歳前後の出来事を書いた記事は、以下になります。
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自閉症の診断を受けてからは、自閉症について学ぶことが、より楽しくなりました。
それまで自分でも不可解だった自分の行動について、その行動の理由と対処法が教えてもらえたからです。
自分の感情や行動には理由があったのだと知ることは、まさに自分が許されていく瞬間のように感じて、自閉症について知り、本来自分が持って生まれた特性を知れば知るほど、苦しさから解放されていきました。
自閉症の診断を受けたことで、「どんなに頑張ってもみんなと同じようにはできない時、それは努力不足や性格の問題ではない」と思えるようになったので、少し肩の力を抜いて生きられるようにもなりました。
「みんなと同じじゃなくていい。他の誰かのようになろうとしなくていい。私は私でいい。あなたはあなたでいい。」
自閉症の告知を受けて、自閉症について学ぶ中で、”人には人の生き方がある”、”私には私の生き方がある”と、少しずつ考えられるようになったような気がします。
これまでずっと、ありのままの自分が受け入れられずに、ありのままの自分を拒否して生きてきました。
「自閉症」と言われたあの日、私はようやく”普通に生きられない私”を受け入れられたのだと思います。
「自閉症」の診断は、誰かに許してもらい、誰かに受け入れてもらうための免罪符ではなく、私自身が普通にできなかった自分を許し、普通にできなかった自分を受け入れるために必要な免罪符だったのかもしれません。
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自閉症と出合うまで・5 ~学習会~
息子が診断を受けた後、地域で開かれている、自閉症スペクトラムの子どもの保護者を対象とした学習会に参加するようになりました。
この学習会では、月1回のペースで1年間にわたって自閉症スペクトラムの特性や支援方法などを学びました。
学習会で自閉症について学んでいると、「私は自閉症じゃないなぁ(私とは全く違う。理解できない)」と思うこともあれば、「私も自閉症かも?(その気持ちは私も分かる)」と思うこともありました。
自閉症と出合うまで・2 の記事でご紹介した「アスペルガー症候群の理解と具体的支援法~トニーアトウッド博士初来日講演妙録集 」の本に、アスペルガー症候群の診断についてアトウッド博士の考え方が書かれています。
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アスペルガー症候群の診断というのは、100ピースからなるパズルを完成するようなものであると思います。
すなわち100個のピースがあったら、そのうちの80個以上が揃わなければアスペルガー症候群という診断は成立しないということです。
そのピースの中には、アスペルガー症候群と診断するうえで必須のものもあります。
この世の中に生活している私たちすべて、誰をとっても、100個のピースのうち10個は持っています。
中には、アスペルガー症候群と診断するには十分ではないけれど、60個、70個のピースを持っている『アスペルガー症候群の断片を持っている人』もいます。(一部要約)
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同じ診断名であっても、時には「本当に同じ障害!?」と思うぐらい、特性が違っていることがあります。
私と息子も、同じ特性もあれば、全く違う特性もあります。
アトウッド博士の考え方で言うならば、同じ診断名でも、同じピースを持っていることもあれば、持っているピースが異なることもある、ということなのだろうなと思います。
ストレスの高い環境では持っているピースの特徴が強くなったり、逆に安定した環境では、ピースが無くなることはなくても、持っていることを忘れるぐらい目立たなくなることもあるのかもしれません。
学習会で自閉症について学んでいる時に、「私にはその特性はさっぱり理解できない」と思うこともあれば、「あぁ私もそんなところがあるなぁ」と思うこともあったのは、自分が持っているピースと同じか、同じではないか、という持っているピース(特性)の違いだったのだと思います。
この1カ月に1回の学習会と、2カ月に1回の診察は、私にとって楽しい時間でした。
まず学習会で自閉症の特性や支援について学んだ後は、実際に生活の中で支援をやってみました。
でも、最初は思うようにいきませんでした。
子どもは一人一人持っているパズルのピースが異なるので、ただ学んだ通りに支援に取り組んでもうまくいかないことが多く、その子の持っているピースに合わせて支援方法をカスタマイズしなければなりません。
支援がうまくいかない時は、作った支援グッズを診察に持って行き、主治医のアドバイスをもらいました。
そしてアドバイス通りに改良を加えると、今度はうまくいきました。
こうして、着替え、歯磨き、トイレなど、子どものできることが少しずつ増えていく度に、私の心は「やった!」「できた!」「うまくいった!」という達成感と喜びで一杯になりました。
少し話はそれますが、「脳を活かす勉強法 (PHP文庫) 」の本に書かれている、”ドーパミンによる強化学習のサイクル”が、まさに当時の自分にぴったり当てはまる内容なので、以下に引用させて頂きます。
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ドーパミンは神経伝達物質のひとつで、「快感」を生み出す脳内物質として知られています。
この分泌量が多ければ多いほど、人間は大きな快感・喜びを感じることが分かっています。
人間の脳はドーパミンが分泌された時、どんな行動をとったか克明に記憶し、その快感を再現しようとします。
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ドーパミンによる強化学習のサイクルとは、以下になります。
①ある行動をとる(私の場合、支援グッズを作る)
↓
②思考錯誤の末うまくいく
↓
③「褒められる」、「達成感を得る」など、報酬を受け取る
↓
④この時、脳内でドーパミンが放出され快感を得る
↓
⑤行動(支援グッズ作り)と快感(ドーパミン)が結びつく
↓
⑥再び同じ行動をとりたくなる
↓
以下、①に戻る
このドーパミンによる強化学習のサイクルが回り始めると、行動することがとても楽しくなります。
(テレビゲームなんかは、この典型なんじゃないかと思います(^_^;))
しかし、行動してもドーパミンが分泌されないと、やっても楽しくない→楽しくないのでうまくいく方法をポジティブに考えられない→どんなに頑張っても結果がついてこない→苦手意識が芽生える、となるようです。
私の場合は、学習会・日々思考錯誤する支援・診察、の3つがたまたま上手く組み合わさって、ドーパミンによる強化学習のサイクルが回り出し、支援グッズを作ることが楽しくなったのかもしれないなと思います。
ただ当の息子自身は、当時「身辺自立がしたい!」「トイレの手順を身につけたい!」と望んでいたわけではなく、支援グッズを通してできることが増えていっても、本人はできるようになったからといってそこに達成感や喜びを感じているわけではなかったので、このサイクルに喜びを感じて楽しんでいたのは私だけでした(^^;)
(私はよく「支援グッズ作りは自分のためです」と言いますが、その理由はこのあたりにあります(^^;))
支援というのは、手応えや実感が感じられないと、なかなか取り組みにくいものなのではないかと思います。
子育てにおいては、失敗体験よりも成功体験を積み上げて自信をつけさせてあげることが大切ですが、成功体験が日々の意欲を育てるというのは、親にとっても同じことなのかもしれません。
親(支援者)にも、支援をすることによって、褒められたり、手応えや実感を感じられたりといった、自己評価が高まるような体験が必要不可欠なのかもしれないなと感じています。
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