徒然に書いたら,しもちゃんのお料理遍歴・・・みたいな | 金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。

1.

 ゴーストタウンじゃなくなってから,お料理ネタが多い。

 スーパー特製サラダを作った・・・友人医師へのお土産用

 スパイシーで辛くて酸っぱい,しもちゃんの手料理

 

 私は,本当に,何もかも極端で・・・

 

 お料理についていうと,小学生,中学生のころ,よく作ってたの。

 ばぁちゃんがいろいろ教えてくれたんだわ。

 でもって,自分で肉焼いたり,卵焼き作ったり,ラーメン作ったり,揚げ物したり。

 小学生なもんで,料理の本もないし,レシピなんて言葉も知らないし,当時はPCもないし,もー適当に。

 冷蔵庫の中にあるものとインスピレーションでえいやっと作ってたの。

 

 また,ばあちゃんが,私と私の兄を喜ばそうと,がんがん作ってくれてね。

 毎週,給食のない半ドンの土曜日が楽しみだった。

 ばあちゃんが,お昼ご飯を作ってくれるのね。

 ばあちゃんは,3分クッキングを視て,およそ年寄りらしからぬ料理を沢山作ってくれたなぁ。

 

 田舎の方だったので,ばあちゃんは沢庵その他いろんな漬け物つけてた。

 梅干しも,しそ梅干しを漬けてたし。

 梅酒も作ってたなぁ。

 ばあちゃんとじいちゃんが畑をやっていて,自作野菜が家中ごろごろ。

 玉ねぎ,ジャガイモ,さつまいも,大根,スイカ,トマト,キュウリ,カボチャ・・・まぁ,いろいろあったわ。

 

 田舎なもんで,しかも,昭和のころなので,毎朝,魚売りが来るのね。リヤカーに魚をのっけて売り歩くわけ。

 で,じいちゃんは刺身とか作ってたなぁ。焼き魚もじいちゃんが作ってたかなぁ。

 なぜか,刺身はじいちゃんが作ってた。煮付けとか焼き魚とかはばあちゃんが作ってたような気がするけど。

 

 小学生,中学生のころ,魚釣りをしててね。

 父親も釣りが好きだったので,よく二人で行った。

 兄は,釣りはあまりしなかったなぁ。

 実家が,石川県の南端で,福井県との県境だったのね。

 塩屋,橋立,芦原といった海で,キス釣ったり,他にもいろいろ釣れたけど,魚の名前分から~ん。

 福井県に北潟湖という大きな湖があって,そこで鯉や鮒を釣ったり。

 鯉がバカ釣れした時期があって,私と父と二人で尺鯉が20尾近くとか・・・

 寒鮒もバカ釣れした時期があって・・・まぁ,それは,誰も入っていない絶好のポイントにぶち当たったせいなんだけど・・・・

 二人で数十尾釣ったり。

 山中の渓流に行って,イワナを釣ったりもしたなぁ。

 でもって,釣果は,じいちゃんが,刺身にしたり,焼き魚にしたり。

 寒鮒は,どう調理したっけ?大きめのものは刺身だったかなぁ?

 小さいのは,どうしてたろ・・・うーん,忘れた~。

 あ,母親もキスのてんぷら作ったりしてたなぁ。

 でも,魚料理は,基本,じいちゃん,ばあちゃんだったなぁ。

 ばあちゃんは締め鯖も作ってたなぁ。

 鯉や寒鮒がバカ釣れしたときは,家族(当時は叔父も同居してて7人家族だった)で食べ切れないから,親戚を呼んで魚をあげてた。

 多分,じいちゃんが調理したのをあげてたんじゃないかなぁ・・・よく覚えてないや。

 一人でもよく釣りをしてた。

 実家自体は海のそばじゃない。

 でも,近くに大聖寺川,新川という川があった。

 鮒とかウグイとか釣れた。

 それらは,たいてい逃がすの。川の場所によりけりなんだけど,支流とかで綺麗とは言えない川もあってね。

 でも,でっかいウグイを釣ったときは,嬉しくて,じいちゃんに,焼いてくれとせがんで,焼いてもらって食べたなぁ・・・。

 おっちょこちょいなもんで,よく落っこちたなぁ。

 寒鮒釣りしてて北潟湖に落っこちたこともあったし。冷たかったわ~。

 地元の川でも落っこちたし・・・。

 座って釣りしてて,落ち着きがないのか,変なことを考えて実行しちゃうのか,あれ~って感じで落ちちゃう。

 

・・・・思いっきり・・・

 

脱線

 

しまくった。

 

もともとは,料理の話で,小学校,中学校のころから料理の真似事みたいにえいやっと作ってたって書きたかったのが,そーいや,ばぁちゃんの影響かな・・・と思ってつらつら書いていったら,なぜか釣りの話に・・・

 

あいかわらず・・・

 

無軌道

 

流離いのしもちゃん

 

迷子のしもちゃん

 

・・・・えっと,来年・・・50歳になるオヤジです・・・ぼそっ

 

2.

 クルリンパして,お料理の話。

 

 高校の頃は,下宿してたので,料理を作ることはなかったなぁ。

 休日は外食。

 浪人中は予備校の寮なもんで,寮の食堂か外食ばっか。

 

 大学生のころは,石川県の学生寮にいて・・・

 当時,この学生寮は,3畳だったの。

 よく3畳で生活できたもんだわ。

 

 だからね,司法修習生のころとか,刑務所見学なんかいくとね,独居房がだいた3畳で・・・・

 

 おぉ,この空間の感覚は,なんか懐かしいぞ~

 

みたいな。

 

で,石川県の3畳の部屋で生活してて,寮の食堂があるんだけど,確か,土日はやってない(日曜だけだったかな?)。

そして,お昼もやってない。

 

だから,外食になるんだが・・・・

 

ふと,思い立って・・・

 

3畳の部屋でお料理を作り始めた!

 

正式な名前は知らんが,丸い浅い鍋のようなホットプレートと

トースターと

炊飯器と

 

で,

 

お料理の本も買いました~

 

『9 スピード料理』(1988年12月20日 7刷)  21歳 大学3年生(1浪したから)

 

ポストイット貼りまくり。

画像では見えないけど,横にも貼っていて・・・

ポストイットとページの汚れ具合から記憶が鮮明に蘇ったわ~。

調理器具が限られてたので(グリル鍋みたいなのとオーブントースター),それに合わせてピックアップしてたんだわ。

 

ところが,その後,カセットコンロを購入して,鍋を作るようになりまして・・・・

 

3畳の部屋で鍋!

カセットコンロ!!

 

あぶね~。

家事にならなくてよかったね・・・ぼそっ

 

でもって,当時,仲の良かった友人の寮生と一緒に食べた。

一度,味付け失敗してね。

口の悪い友人が,さんざん

 

まずい!

 

と言ってたわ。

 

失敗は,1回だけよ。

後は,美味しいと好評でした。

常夜鍋とか白菜鍋と・・・・

 

って,その鍋で味付け失敗不可能やろ・・・・

 

味付け失敗した鍋は,記憶を辿ると,ついつい,チャレンジャーになって,

 

大根おろしをぶち込んだり,直接ポン酢を入れて味付けしてみたりと・・・・

インスピレーションに任せて作ったやつだったんだわ(笑)

ポン酢入れすぎだったの(泣)

 

3.

 さて,大学2年の冬に弁護士になろうと思い立ち,大学3年生の春から司法試験の予備校に通いだしていた。

 大学1年生2年生のころは,私は,大学の授業ほとんど出てなかったのね。

 バイトしてたり,やたら真面目なテーマのゼミに出てたり,寮で本を読んで寝て過ごしたりと,ぐーたらな生活をし続けてました。

 まぁ,今思うと,アイデンティティ・クライシスの時期だったんだろうね。

 で,なんでかな,大学2年の冬に,将来どーしようかなって考えて,

 

 自由でありたい

 

 と考えて,弁護士になろうと思ったんだわ。

 

 そして,司法試験の予備校にも,そのうちに,お弁当を持って行ったり,保温ポットにフレーバーティーやら紅茶(アールグレイ)を入れて持って行ったりし出した。

 それは,多分,1989年の冬から春。

 1回目の司法試験の短答試験の勉強で予備校にどっぷりつかる日々になってたころかな。

 葉玉匡美先生のゼミが,たしか1988年の夏ころから始まってて,それに参加するようになって,とても素敵な受験勉強仲間に巡り会い,たしか,1989年の冬ころから,予備校の自習室を利用するようになったのね。

 朝から夜まで予備校にいるわけよ。

 外食になるんだけど,お昼はお弁当がいいかも・・・と思って。

 多分,1989年1月~3月ころじゃなかったかな,その予備校にお弁当を持参するようになった。あと,ハーブティーとか紅茶とかも。

 そのころ,玄米を炊くようになりましてね。

 簡単に炊ける商品が出てたの。水につけたりしないで済むやつ。

 お弁当といっても簡単なもので,

 

 玄米炊いて

 ニラを炒めて,味つけて乗っけて

 目玉焼きを2個作ってのっけて(半熟だよ)

 

 こんだけ。

 

 その予備校に,葉玉先生のゼミで知り合ったひょうきんなおねえさんがいまして,

 

 しもなかぁ~,食べたい~,食わせろ~

 

と言ってね・・・。

 

 美味しい!

 

と言っていただきました。

 

保温の水筒に入れたハーブティー,紅茶(アールグレイが多かった)は,後日,交際するようになった素敵な女性に飲んでもらってたな・・・。

 

ま・・・私は,昔から,とっても,

 

変なやつ!

 

だったわけで・・・・

 

そのころ買ったお料理の本

『野菜料理』1989年3月1日 4刷) 3月だから大学3年の終わりころ

 

 

4.

 大学4年生になって,1回目の司法試験は,論文試験で落っこちた。

 

 そのころに買ったお料理の本

『お料理1年生』(1989年4月30日 14刷)

 

 

 で,1990年の1月~3月と,また,次の司法試験の短答試験に向けて予備校で早朝レッスンとかあるわけよ。

 葉玉先生のゼミは盛況で2年目は大繁盛だったわ。

 だから,1990年の冬ころから,どっぷりと予備校で生活する日々になって。

 しかも,大学卒業しないと・・・(授業出てね~)てわけで,民法とか民訴法とか,まあ,司法試験受験科目と共通するのはまあ,なんとかなるだろって思ってたんだけど,政治学とかなんとら学とか・・・あーどーしよって状態。

で,同じ寮にいた友人に頼んでノートのコピーを手に入れて,なんとか大学の単位を取って,無事卒業した。

 司法試験目指している人は,わざと留年する人,わりと多いのよ。。

 合格しなかったときのためのリスクヘッジかな。

 「身分証明書が必要だから」って言ってた人がいたけど,そんな理由で親に高い授業料払わせるもんかね?

 私は,「絶対にこの年で合格する。」と決意してたし,もし合格しなかったら,プー状態で勉強するつもりだったので,大学は当たり前に4年で卒業した。

 こう書くと自慢げだけど,当時,仲の良かった受験仲間は,大学4年で卒業して,プー状態で司法試験勉強してた人多かったと思う。

 

 で,無事大学を卒業して,そしたら,石川県の学生寮を出ないといけない。

 まあ,留年しても出ないといけないんだけど。

 

 だから,1990年の1月~4月は,司法試験の勉強,大学の試験対策,卒業,石川県学生寮の退寮と引っ越しで,バタバタしてたなぁ。

 

 そして,文京区本郷に6畳1間のアパートを借りた。

 トイレ台所共同。風呂無し。

 木造のボロアパートでしたわ。

 

で,そのアパートで,3畳住まいが一気に6畳住まいになって,

 

お~広い~!

 

今,振り返ると,小さな小汚い共同台所だったんだけど,

 

台所ある~嬉しい~

 

その木造アパートの私の部屋の隣室に・・・・・

 

女性の管理人さん

 

 

がお住まいになってまして・・・・

 

共同台所で一緒になったりとかしてまして・・・・・

 

その女性の管理人さんは・・・・

 

それは,とても・・・・

 

 

とても・・・・・

 

 

 

年季の入ったお婆ちゃん

 

でした。

 

『めぞん一刻』のようにはいきまへんわ~

 

 

前のヨガの記事

腰痛にヨガ・・リハビリにヨガ・・・そして,股わりできるようになりたい~

 

で書いたとおり,ずっと座っているもんだから,腰をいためてヨガやりだして。

そして,先の記事で紹介した佐保田鶴治氏の本に触発されて,食生活もちと変わった。

ちとベジタリアン的な。

まあ,葉玉先生はよく焼き肉をおごっってくれて,そこでは爆食いしてるので,ベジタリアンってわけじゃない。

外食もしてたし。

だから,ちびっとだけ,自炊分だけ,ベジタリアン的になったのね。

論文試験前のころは,あまり予備校にいかなくて,6畳のアパートで,ヨガやりつつ勉強して,ご飯食べて,答練(論文対策の答案練習)のときとか,受験仲間と勉強するときだけ予備校に行くようになってたかな。

だってさ,休憩にヨガしたかったんだもーん。

 

そしたら,やせ~るやせ~る。

これは,前の記事に書いたとおり。

 

このころは,私は,

 

クマササヘルスとかいう健康飲料を飲んだり

アルファ波にはまったり

フィトンチッドとかf分の1揺らぎとか

ヒーリングミュージックとか

 

やっぱ

 

変なヤツ!

 

ですな。

 

で,その年の司法試験に合格し,1991年4月から司法修習生になった。

最初は,そのまま文京区本郷のアパートにいたんだけど,当時の司法修習は2年間で,前期修習が,4月から7月ころまでだったかな?

うーん,あいまい。

で,実務修習地は,埼玉県の浦和(当時)

 

で,浦和市(当時)の調(つきのみや)というところで,築ン十年みたいなマンションを借りた。

8畳のリビングダイニングと6畳の和室。

トイレと風呂もついてる~。ふるい風呂だったなぁ。ユニットバスじゃなくて,ガス式のやつ。

 

でも,6畳1間からいっきに広くなって嬉しかった。

ここ探すのに,不動産業者を6,7件回ったなぁ。

かなり,気にいっていた。

裁判所近かったし。

目の前に,調神社(つきのみや神社)があって。

 

前期修習中か,実務修習中に買ったお料理の本

 

『15 ひとり分の料理 1991年4月25日 6刷)  数え年24歳 司法修習1年目

 

 

こんなこんなで,若いころは,けっこう自炊したりしてた。

司法修習中もお弁当をつくってって,仲のよかった女性の司法修習生と一緒に食べてた。

男性は外食が多かったのね。

その女性の司法修習生は,のんちゃんと言うんだけど,お料理上手で,とても綺麗で可愛いお弁当を作っていたなぁ。

私のお弁当は,まぁ,男が作る無骨なもんだったけど。

 

司法修習を終えて検事になった後は,自炊しなくなった。

外食ばっか。

 

そして,弁護士になった後は,コンビニ弁当と外食ばっか。

 

たまに思い出したように,自炊する時期が来る。

で,また,コンビニ弁当に戻る。

 

そして,2016年3月から自炊時期がずっと続いている。

その経緯は,

腰痛にヨガ・・リハビリにヨガ・・・そして,股わりできるようになりたい~

人間風船玉のしもちゃんの驚愕ファッション事情

に書いたとおり。

 

で,昨日の夕ご飯

 

 

タイ風具だくさん炒め物

具だくさんお味噌汁

温かいお豆腐汁とねこぶまんま

特製サラダ

特製納豆キムチ

特製生姜くず湯

 

結構,食べる。

スパイシーでオーガニックが最近の傾向かな。