pallaviのshanti life

あるがままの自分を受け入れて 宇宙や自然を感じながら shantiな生活を送りたい。

山口県田布施町に住む そんな pallaviの日々の徒然です。


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母の人生を考える。
私が知り得る母の人生。

 

旧制中学を卒業し、電話の交換手(?)(NTTの前身)に勤務。
給料は柳井の実家を建てるために使う。
自分の為にはほとんど使わずにおしゃれもせず我慢したらしい。
一度目の結婚はお商売の家。忙しくて夜も眠らせてもらえなかったらしい。経理の仕事など手伝っていた。子供はできなかった。
離婚し、30代半ばで教員である父と再婚。
父は田布施一の美男子で女生徒からも人気だったと父が言う。

(よく年寄りが言う、若い時はモテたというやつ)
母の母が父のことを気に入ったから嫁いだらしい。
最初の子を流産。ポンコツ車が坂道で止まったので、それを後ろから押して無理をしたので流れたらしい。(占い師にこの水子は女の子で、私を守ってくれていると言われた。歳子ちゃん曰く、古民家に座敷わらしのように住んでいたらしい。私の守護霊でもあるらしい。)
38歳で兄を出産、40歳で私、42歳で弟を出産。
父の田布施の実家で暮らす。父の母と同居、父の弟家族が家の横で暮らす。
兄と私を出産した頃、父の母がアルツハイマーとなり、その面倒をみながら2人の幼子の子育てをする超大変な生活。
今の家とは違い、危険な環境がたくさんある不便な家なので、母の苦労はそれはすごかっただろう。このころのことを何度もグチる。
横に住む弟夫婦と反りが合わず、母はここでの暮らしになじめずにつらい出来事が多かった。今でも田布施の父の実家に寄りつかない。
父は下関に単身赴任。その後、父の転勤に伴い、県内を転々とする。数年ごとに引っ越しをする生活。宇部、新南陽、萩へ。
父の定年後は柳井の母の実家で暮らす。
子供たちが学校へ通うのに通いやすいという点で田布施でなく、柳井に暮らすことになった。(兄は中2、私小6、弟小4)
母の母の老後の面倒をみる。
寝たきりの祖母を柳井病院から一時期家で看たが最期は周東病院へ。
柳井の家を祖母から譲り受け、以後この家で暮らす。
田布施の父の実家はずっと空き屋で、父が時々風を通しに通いながら家の面倒をみる。

 

そんな、子育てと介護が中心の専業主婦の人生だった。
母の思いは、ずっと誰かの犠牲になったような人生。
若いときは、実家のために働き、結婚は親が決めた人、結婚してからは夫と子供の為と、老親の介護。
そして、やったことが評価されにくい家庭の仕事。
仕事をしていたら、社会的評価や金銭の自由があるが、専業主婦は家族がねぎらってくれないと誰も承認をしてくれない。

 

それでも、世の多くの女性、母と同年代の女性は、母と同じようであったはずだと思うが、どうして母はそういう人生を受け入れることができなかったのだろう。

観方によっては、母は一般的よりも幸せな方かもしれません。

それでも母は自分の人生を受け入れていないのか。人に会うといつも今の自分のことは語らず、祖父が陸軍少将だとか、兄弟が医者だということを人にいつも話す。

やはり、気位が異常に高いこと。
 

人も自分と同じように苦労があるという想像力、客観性が乏しい。
誰もが、知らないだけでいろいろな苦労や痛みを抱えているということに気がつかないで、自分だけが大変だったと思っている。

他人の苦労は本当のところ、その人じゃないとわからない。
結局は自分の人生しか、ない。
自分の置かれたところで幸せになるしかない。
自分と関わりのある人を幸せにすることで、幸せが帰ってくる。
それは家族でも、人でも、家庭でも、職場でも、結局同じことだろう。

 

母がよく言う言葉。
「親が言うことは絶対じゃ」
「おまえもわしのようにやってみろ」

母は祖母の言うことを聞いて生きてきたんだろう。
そして母は自分が正当に評価されていないと感じているんだろう。

若い頃は、本人曰く優等生。きっとめちゃくちゃまじめで、親や先生に反抗することがなかったのだろう。自分の考えで人生を決めなかったのか、決めさせてもらえなかったのか。
反抗期はまっとうな成長の過程で起こる自然なこと。
母は親に反抗しなかったから、自分の人生の主役に自分がなれずに、
自分の人生の主役になれている娘に対して異常に許せなく思うのか。
そして溜めまくった不満が、いろんな形で爆発して、きっとわけがわからない怒りの塊になってわめき散らす人格になってしまったのか。

娘への嫉妬心。自分より娘が幸せであることを許せない心理。


離婚して教員をやめてからは、「親に相談もせず勝手なことをする。わがまま。」となじる母。
自分の幸福を願っていない、信頼していない人に相談はできない。
鼻血が8年朝晩止まらず、鬱になっても暴言しかくれない人に相談できるわけがない。

攻撃されるのが分かっているから、逃げることしかできない。


山口に帰ってからはなんとか再び教職へ戻らせようと繰り返し働きかけてくる。
ヨガの仕事がうまくいっていることをアピールしても、全く意味がなかった。

むしろ今思えば逆効果で、母の嫉妬の炎に油を注いでいたのかもしれない。

 

母は教員に対しての異常な執着がある。
弟やひろくんを教員にさせようと働きかけたり。
あんまり教員教員うるさいので、「そんなに教員がいいなら、自分が教員やればいいじゃん」と言うと、「私も勉強ができたからなれたはずなんじゃ。」と、自分がなりたかったことを告白した。
母はきっと来世教員の仕事をするだろう。そして、今度は別の学びをするだろう。
母は父がうらやましかったのだろうか。

 

母は幸せなのかどうか、それもわからない。

ただ、私は母のような生き方はしたくないと思わせてくれたことで今の人生がある。
母が宗教へ私を勧誘するから、「お母さんが幸せそうじゃないのに、やらんいね」と言うと「わしはしあわせなんじゃ!」と怒る。

 

暴言、怒り、悪意は、やはり不幸なようにも思えるが、
偉大な聖者ラマナ・マハリシも短気でよく怒っていたらしい。

「暴言が悪い」と決めている一つの価値観があるだけで、本当は良いも悪いもないのかもしれない。一つの質であり、それもイーシュワラの現れの1つ。
すべてがイーシュワラなのだから。

母もイーシュワラ。私にとってはすべての始まりであり、グル。
たくさんの学びを与えてくれる存在。

 

母に、感謝。
母は、私のために、今世、その役を演じてくれている。
感謝です。

 

そうそう、誤解があってはならないので書いておくが、

母の言葉の悪さに驚いた方がいた。

母はいつも自分の事を「わし」と言っているわけではない。

普通に品よく振る舞うこともできるし、言うべきことすら外では言えない気弱さの癖が染みついている。が、般若の仮面を被るみたいに、限られた人や環境の中だけで暴言モードに入ると言葉が変わる。私個別と電話したり話したりするときは、暴言モードのことが多く、(特に後半の人生)私の印象深い記憶の中での母の言葉がたいてい汚いだけです。

 

ただ、子どもを産むだけで、大仕事。それはとても尊いです。

身体がクタクタになって、一気に年をとるくらい、すざまじいことです、出産は。

寝ずにお乳をあげたり、離乳食を作って食べさせたり。おしめを変えたり。

一人前に人が育つまで責任を負う事。それだけで大仕事。

1食分の食事を用意するだけでも大仕事、365日×3食×18年

成長に合わせて用意された衣服。洗濯。

学校での行事、習い事の送り迎え。

散らかしたものの片づけ。数々の家事。

 

親はやって当たり前でやっているけど、それは大変なことです。

子育てをしたことのない私は、やっぱり見えていない事、分かっていない事の方が多いし、未熟者です。

 

だから、してもらえなかったと子供に責められたら、割が合わないことこの上ない。

 

儒教では親を礼拝するのは、そりゃそうです。親は神です。

そのことは、忘れずに居たいと思います。

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新春ヨーガ2017

新しい歳をYOGAで健やかに過ごしましょう。
今年もやります!恒例の新春ヨーガ。
食べて飲んで、ゴロゴロして、というお正月ではなく、...
神社に参拝するように、
心と身体を整えるヨーガから、新年を始めませんか?
会員でない方も自由にご参加頂けるので、帰省中のご家族や友人とご一緒に、あるいはお一人で、
気持ちの良いお正月にしましょう~


● 1月1日(日)陰ヨーガ
   瞑想的ヨーガの中で、心と身体と気を整えましょう。

● 1月2日(月)リラックスヨーガ
   ゆったり丁寧に、心身を整え、力を養いましょう。

● 1月3日(火)シヴァナンダヨーガ
チャクラを整え、エネルギーを動かしていきましょう。

●時 間 10:00~11:30
 
●会 場 シャンティライフ(田布施町宿井698-1)
 
●参加費 1000円/回
 ※フリーパス・チケットも使えます。会員でない方もすべて同額にてご参加いただけます。
 
●申込・問い合わせ(0820)52-8700(かわさき)

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初潮は12歳小学校6年生の夏休み前だった。
午前中で行事が終わり、午後下校だった。
お腹が痛いと思い、トイレに行ったら、血が出ていた。
下着やブルマも血を吸っていた。「あれだ!」と思った。
スカートや椅子が汚れていないか気になったがセーフだった。
とりあえずトイレットペーパーを重ねて当てて、下校する。
その日は母はどこかに泊まりに行っていて家にいなかった。
洗面流しの下の棚を探すと生理用ナプキンが3つあったので、それを当てる。
翌日母が帰ってきて生理が来たことを報告。
母は当時52歳でほとんど生理も終わっていた。
更年期真っ只中だった。
話した時だけナプキンを買ってくれたが、母は自分が使わないからナプキンを買うことはない。
その後は私は自分でナプキンを調達しなければならない。

12歳の私は、家の近くのスーパーで、一人で自転車に乗って、自分のなけなしのお小遣いでナプキンだけを買いに行かないといけなかった。
小中学生の女子にとって、お店でナプキンを買うことがどれだけ恥ずかしいことか。
大人の女子なら、ドラッグストアでいろいろ買う中でナプキンも買う、という大人買いができるから恥ずかしさもそんなにないけど、限られたお小遣いの中で、ナプキンだけを買うということを、見るからに小中学生の女子が成し遂げないといけない。
多感な時期なので死ぬほど恥ずかしい。


母にさえナプキンを買ってと言えない子だった。
母が私が女になっていくことを嫌だと思っていることを察知したのかもしれない。

思春期の私にとってはナプキンは死活問題だった。

最近はナプキンなどは紙の袋に入れて見えないようにしてくれるサービスをしてくれるが、私が子どものころはまだそういうのは普及していなかった。

なので、人に見られてはいけないモノを運ぶように、ドキドキしながら買っていた。

すごく、恥ずかしくて嫌だった。
自分の生まれを恨んだ。
普通の母親なら、そんな多感な思春期の女の子の気持ちを察して、ナプキンをそっと用意してくれるだろう。
そういう普通の母親のことを、本当にうらやましいと思った。
ふんだんに、困ることなくナプキンが使える同級生がうらやましかった。
私にとってナプキンはとても貴重なものだったので、ギリギリまで変えないで使った。
本当に不憫で哀れな子だった。


初めてブラジャーを買ってもらったのは中学の2年か3年だったか。
母はモデル体型で胸も小さかったようだが、私は凹凸の激しい体型だった。
初めて下着専門のお店でサイズを測ってもらったらそのときすでにEカップ。
お店の人が「それじゃあ大きすぎてかわいそう」と言って、私にあてがってくれたのはDカップのブラだった。
私は自分の胸が大きいことを激しく恥じた。
胸のことはコンプレックスの塊だった。
ここまで胸が大きくなるまで放っておかれるというのも、母の無頓着さの現れだと思う。
ブラを買ってもらえただけありがたかったと思うべきか。
私が更年期を経験するときには、母の無頓着さを許すことができるのか。

 

高校の体育では夏は水泳があった。
女子クラスのクラスメイトも、胸に関心のある年頃。
スクール水着姿でいるとき、クラスメイトの視線が私の胸に集まることが嫌だった。
会話中、顔を見ずに胸を見て話してくる。胸の話題でもないのに。
男子とは違い、女子たちのあからさまな好奇の目。
うらやましいと言われても、本当に嫌だった。
女性らしい体をうらやましいと思える女子は、女性であることを祝福され、女性であることを受け入れ、可愛がられ、女性としての喜びが分かっている女子だ。
泳ぐのも不得意だったので水泳の授業が嫌でしょうがなかった。
それがトラウマになっていて、今でも水着姿になることに抵抗がある。

 

背が高いことも、胸が大きいことも嫌だったので、背中を丸めて猫背で過ごす。

女性になることを祝福される経験が私には乏しかった。
「初潮を喜び赤飯を炊く」これをされる女の子は、嬉しくもなく、こっぱずかしい経験かもしれないが、母や身近な人に祝福されるということは、やっぱりその後の自己受容に大きく影響をすると思う。
母が娘の成長を喜んでくれているかどうか。娘が女性になることを祝福できるかどうか。
我が家は当然そんなことはしてもらっていない。

 

思春期の頃、体の変化を不快に思う女子は多いと思うが、
自分の女性性を受け入れることは、女性としての幸福を得ることに関係していると思う。

 

私の子宮にゴロゴロできている筋腫。30歳の時手術で取っても、またすぐにできた。女性性の否定が関係していると思う。
女性性を認めて、受け入れて、愛すること。

 

私は30歳を過ぎウォーキングのKIMIKO先生との出逢いで、背が高いことも、胸を張ることの美しさも、受け入れることができ、姫であることを磨くことも教えられた。
あのころ無理して、ピンクの服を着ていた。友人から似合っていないと言われたし、私も似合っていないと思っていたけれど。
不妊治療をしていた時で、女性性を追い打ちをかけて否定されている時代だった。
結局女性性を受け入れないと、ホルモンバランスは整わないと自分で分かっていた。
ピンクの服ぐらいでは私のトラウマは太刀打ちできない。

 

こういうことをブログで書くほどおばちゃんになった私。
どうか、小中学生女子の母親たちよ。
彼女たちが、ナプキンで困らないように、ふんだんに準備してあげてください。
彼女たちが女性性を認めて、受け入れて、愛せるように。
初潮の時は、やっぱりお赤飯を炊いたり、炊かなくても何かの形で祝ってあげてほしい。
女性になったことは、素晴らしいことだって思えるように。

そして、やっぱり一番大事なのは、母親が、女性として幸せそうにしているということなのかもしれない。幸せな女性像が母親であることは、娘にとって一番幸せなことだと思う。

 

私はまだまだ、自分の女性性を認めて、受け入れて、愛して、癒していかないといけません。
感情を押し殺した思いの塊が子宮筋腫になるって聞いた。
女は感情を溜めたらいけないそう。
言いたいこと言って、感情を吐き出さないと。
私が我慢してため込んだ感情が、お腹にゴロゴロ塊になっている。
無くなるまで、吐き出さなきゃ。
そして、生理の時にはいっぱい、贅沢をさせてあげる。
しんどかったら何もしないでいい。
もっと内なる姫を解放して喜ばせてあげなきゃ。

このブログを読み返して涙を何度も流す私。

私は、このことに、こんなに傷ついていたんだなぁ。。。

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シャンティライフのPallaviよっしいです。

水曜日夜19:3021:00 大田コミュニティーセンターのヨーガクラスでお世話役をしてくださっている

かえるさんが、ヨーガクラスの体験談を書いてくださいました。

水曜日クラスは、珍しく男性が3名通ってくださっており、落ち着いた雰囲気です。

女性の多いクラスを、誠実さをもって取りまとめして頂いていて、助かっています。

 

 

      ヨッシー先生との出会い

 

 「変わりましたネ!」 ヨガを再開して1年余りたった時のことでした。

 ヨッシー先生がかけてくださった一言、身体の中をここちよい春の風が

吹き抜ける様な嬉しい気持ちになりました。

 

今から5年前私は腰痛に悩んでいました。整形外科・カイロプロテック

・ヨガ教室等へ通いロキソニンを持ち歩きながら、腰痛に効果があると

言われるものにすがりつくような毎日の生活でした。

 そんな日々にも限界が近くなっていました。

 ヨガレッスンで右と左の動きが明らかに違う、自動車運転中でもクラッチ

踏むタイミングとアクセルを離すタイミングがずれて空吹かしの時がありました。

 もうダメかなと感じるようになって来ました。

思い切ってセカンドオピニオンへ、私の腰は思っていた以上に悪い状態でした。

 

「このままの状態では歩行が困難になる恐れがあるから手術が必要です。

私に任せて下さい」主治医の言葉、覚悟を決めてヘルニアの手術をする事にし

ました。

 

2週間の入院生活、ベッドに横たわりながら、思えば生まれて62年身体を

労わることなど思った事など無かった。この先衰えてゆく身体をどうしたもの

かなと----思いを巡らしていました。

その時ヨッシー先生やヨガ教室の仲間の顔を思い出しました。

そうだ!! 腰が良くなったら教室へ行こう!! 

退院してから主治医の許可が出るまでの長かったこと、満を持して半年ぶり

行った教室。知人も何人か続けておられました。

 

あれから5年、仕事で使った筋肉はヨガで習った伸ばす等のケアをする事など

を続けていくことで腰痛を感じる事が少なくなり、体幹も強くなり以前の生活

が噓のような日々です。

3年前からはヨガ教室のお世話係を任せてもらっています。

仲間も増えその仲間と山登りを楽しんでおります。

身体も精神も変わることが出来たヨガは、私の生活に無くてはならないエクササイズになりました。

ヨッシーのシャンテイヨガは色々な教室が有ります。詳しくはシャンティライフ」のHPを参考にしてください。 

 

                 玖珂太田水曜日クラス

                         河地 正則

 

 

以上です。

かえるさんは、本当に通われ始めたころ、腰が痛そうで、少し暗い雰囲気が、

ヨーガを続けられて、明るく、爽やかな笑顔で、身体も健康そうに変わられたことが印象的です。

お声はかけていないけれど、呼吸が深くなった方、姿勢が良くなった方、表情が明るく自然になった方、

ヨーガを続けられて、ポジティブな変化が目に見える方もたくさんいらっしゃいます。

もしよかったら、皆さんも体験談を書いてみませんか?

 

 

寄稿、お待ちしております。

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母を鬼婆にしたのは父の責任でもある。
父がもっと母を幸せにしていたら、母は自分の満たされなさを娘に当たる必要はなかった。

父は母の家柄やモデルのようにすらりと背が高く美人で品のある雰囲気が好きだったんだと思う。
そして、医者や一流企業の役員である母の兄弟に引けを取らないような地位を得ることにこだわった。
そうやって無理をして頑張って校長まで上り詰めた。
それは結局コンプレックスの裏返しだった。

男女が惹かれあうとき、自分の中の足りていないと思うものを持つ人に惹かれるのは普通のこと。

でも、父は、「何が大切なのか」という価値を、あちこちで見誤っているように私からは見える。

一番身近で大切な人を大切にせず、我慢させて、周りに見栄を張って、結局何を得たのだろう。

 

家庭のことは母に押しつけて、仕事に没頭した父に母は繰り返し毒を吐く。
「あんたはなーんにもしやせん。こっちにみな押しつけてから。」

 

高齢出産で3人のゴソゴソする子供を抱え、神経質な母にとっては手一杯だっただろうし、母なりに精一杯子育てをしてくれたと思う。
望んではないけど、たくさん習い事をさせて、いい子に育てようと必死だった母の思いは、子供たちにもよく伝わった。
だから母の期待に応えようと私も頑張った。

 

昭和の家族の像がそういう時代だったって言えるかもしれない。

 

私の兄は、家族を一番に大事にしている。
奥さんや娘2人と過ごすことが一番の幸せに感じている。
仲がよく、絵に描いたような幸せそうな家族だ。
共働きだし、子育ても、よく協力して、楽しんで率先してやっていた。

 

そんな兄の様子を見て、
母は父を責める。「あんたは何もしてくれんかった。」

 

両親が元気なうちはとにかく激しい喧嘩。私に対しても激しい暴言だった。
母より9歳年上の父は、そのうち元気がなくなって、
一時は母による父へのいじめが始まった。弱肉強食の世界。
父は何も言わなくなり、母の激しい暴言をただ聞き流していた。
父はそれまで父の考えを持って反発して喧嘩になっていたが、
一時期、母に洗脳され、私に対しても同じことを言うようになっていた。
私という共通の敵を作り、それを攻撃することで互いが攻撃しあうことを避ける、という具合。

 

母は父への仕返しをやり尽くしたのか、今はもう、あまり父を責めることはしなくなった。

 

家の隅と隅の部屋にそれぞれ籠もり、食事も別々に食べて、静かに暮らしている。

 

私が古民家を追い出され出ていってから、私の新しい家で家族が集まるようになりはじめたら、父は家族の集まりにも顔を出さなくなった。
私を追い出して家を建てさせた手前バツが悪いという感じなのか。
「よしこは家から出たんじゃから、うちとは関係ない。」と言いつつ、古民家の掃除や、家族の集まりの時やなにやかにやと私に頼ることになっていることにきまりが悪いのか。
父は何も話さないから、どんな想いでいるのかは分からない。

実家の郵便受けには兄弟たちの名前はわざわざ書いているのに、私の名前だけわざわざ消している。

普通、名字だけでいいのに、わざわざ下の名前を書いて、嫁に行った娘はもうこの家の者ではないことをアピールしているのか、よくわからないが、何かの意図だけは感じる。

 

父は兄から、丁寧に招待をしてもらって、ようやく集まりに顔を出せるようになった。
家族の集まりだというのに、いつもスーツを着てくる。
母はその点、羞恥心がないからか、自分がしてきたことへの罪悪感がないのか、いつも平然としている。

 


今日は、嵜山先生の診察だった。
冷えが消えたことで今度はアレルギー反応が出始めていた。
体調が回復に向かっている課程のよう。
ストレスは依然消えずに強いそう。

 

ブログを書き始め、これまで目を背けていた自分の家族やふたをしていた記憶と向き合っているのだから、それはストレスになっているはずである。
「このストレスを越えたら全部よくなる。」と先生に言われる。

 

これがカルマだと、自分でもよくわかる。
仕方ない。
これを解消するために今世がある。
私のこれまでの人生はこのストレスと切り離されたことなどない。
ストレスのない人生が想像できないくらい。
このストレスを味わいつくそう。
このストレスを味わうために生まれてきたのだから。
このストレスの為に死ぬなんて、本望だろう。
こうやって出すことで、触っても痛くない傷、古傷になって、ストレスも薄らいでやがて消えていくのかもしれないと思う。

 

先日ある占い師から、私は両親と同居してはいけないけれど、大事にすることで幸運がくる存在だと言われた。
こんなにひどいと思っていても、結局は兄弟の中で一番近くに住んでいて、何かと頼られる位置にいる。
占い師が言ったことも本当かもしれないと思うし、私は仕返しせずに、できれば流して、自分が傷つかないように距離をはかりながら、できることはやろうと思っている。

お米を運んだり、柿をもいだり・・・

私の姿を見ると狂暴になる母だが、ひろくんだと、他人なので恐縮するようでおとなしくなる。

母は一時期はひろくんのこともさんざん「釣書をだせ!」と騒いで、疑ったり、攻撃をしたが、

ひろくんが忍耐強く冷静にいたことで信頼を得たのと、

弟が大分で結婚して、奥さんの実家の近くに住むようになって、溺愛していた弟をひろくんに重ねるようになったからか、

弟が結婚してからは、ひろくんを攻撃することが止まった。

今のところ実家とのパイプ役をひろくんがやってくれている。

そういう役回りでひろくんはいるのかもしれない。

 


ヨーガをしているとき、ヴェーダーンタの世界の考えが染まっているとき、私はストレスから切り離される。
ヨーガと向き合いながら、ストレスが、どんな風になっていくのか、見ていくことを楽しみたいと思います。

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シャンティライフのPallaviよっしいです。

金曜日10:00~ 北部コミュニティーセンターのクラスでお世話役をしてくださっているれいこちゃんが

ヨーガクラス体験談を書いてくださいました。

素直で優しいれいこちゃんのヨーガとの向き合う姿勢が伝わりますね。

金曜日のクラスはアットホームな雰囲気です。

よかったら遊びにいらしてください。

 

 

我が家の三羽めのヒナが巣立ち、その頃更年期障害が勃発

心も身体もマイナス状態...

その頃、岩国市の広報で「リラクックスヨガの生徒募集」の記事を見つけ、直感で「これだ!」と、友達も誘い即申し込み!

その頃はグリーンオアシスで教室が開催されており、初対面のヨッシー先生の印象は、色白で雛壇に鎮座されたお雛様のよう...✨✨

高貴な雰囲気で、物凄いオーラ

近寄り難い方なのかな...と思いきや、話をしてみると「あはは...」と無邪気に笑う親しみ易い可愛い女性(⌒▽⌒)

 

その後、谷津の北部コミュニティセンターに場所を移し、今に至ってます。

ここに移動してからは、4年半の歳月が経ちます。

このクラスは月4回、毎週金曜日の朝10時から11時半までヨガを行ってます。

先生の方針で、生徒はお互いに「〜ちゃん」と年齢関係なく、ちゃん付けで呼び合い、とてもフレンドリーで温かい雰囲気のクラスです。

体調が悪ければ暫くお休みして再開される方もあれば、都合の良い時だけドロップインで参加される方もあります。

参加される人数分だけ、ヨガの関わり方の形があります。

ヨッシー先生は、いつも「無理をせず、出来る様にやればいい!」と、言って下さいます。

 

最初は、私も「先生と同じ様にポーズをとってみるぞ!」と気負ってみたり、「周りの人達に私のポーズが滑稽に見えてないかな...」なんて、要らない事を思ったり...

今は無理なく、自分なりの心地よいヨガの時間を持てる様になって来たかな、と思ってます。

でも、陰ヨガの時など、ポーズに意識を向けて集中しないといけない時に、

「今晩のおかずは何にしようかな〜」

と、雑念がよぎることしばしば...

そんな私です(笑)

 

時節、そして生徒さんの身体の状態に合わせ、その時に適したヨガのポーズを1時間指導して下さいます。

鼻から吸って鼻から出すヨガの呼吸法も色々あって、自律神経を整えてリラックスさせてくれたり、体に活力を与えてくれたりと、ヨガの魅力の一つでもあります。

後の30分はリラクゼーションと瞑想の時間です。

瞑想の時間は、ヨガの教えを先生が分かり易く説いて下さいます。

心にやんわりと、そして深く染みていきます...

「あるがままの私を受け入れ、全て好きであれ...

その時間と言葉に癒され、心地よい時間が流れます。

その様な時間を共有してみたいと思われる方の参加、大歓迎です。

 

ps.

胃癌の手術を受け、一年が経とうとしてます。

告知された時、精神的にとても弱い私のはずなのに...冷静に受け止め、動揺しない私が居ました。

意外でした...

これもヨガのお陰!と感謝🙏

 

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私の健康問題についてご心配をかけているようなので、改めまして、
私はとっても元気です!

 

11月24日の嵜山先生の診察でも残っていた冷えもとれ、何も問題ないそうです。

 

多発性骨髄腫の宣告を受け、クラスについて相談させてもらった方も、
病気について調べたときはものすごく心配をされましたが、
私があっけらかんと元気にしている様子を見て、みなさん安心されます。

 

ブログを見られたある生徒さんも、
週に2~3回、ここ数年ずっと私を見てきて、
顔色、声の張りと大きさ、表情、気を見たら、全く病人には見えないから
絶対大丈夫だと確信されているそうです。

 

宣告を受けてから、プロポーションを気にして食事など気をつけていたのを、痩せているより標準の方がより健康的だと認識を改めて
以前より少しふっくらしたので、ちょっとおなかはぽっこりしているけれど、以前よりますます元気そうに見えると思います。
ちょっとおなかはぽっこりしていても、体は軽くて、
カッカアーサナ(からすのポーズ)や、ヘッドスタンド、三点倒立も以前より安定して楽にできます。

 

先日久しぶりに逢った大学時代の友人が、
「よしこさん、大学時代のよしこさんにもどったね」と言いました。
自然で、無邪気で、「なんとかなる」「これでいいのだ」を口癖にしていた私の本来の姿。
愛想笑いではなく、屈託なく口を開けて笑う。
天真爛漫な本来の私の姿だと思います。

 

「元気」って目で見えないようで、ちゃんと見えますよね。

顔色、声、伝わる雰囲気、オーラ、手の温もり。
私が元気かどうか、心配な方は私を見てください。
自然体でいるこの私こそが、証明です。

私は、すこぶる元気です。

 

そして、自叙伝を書いて、体も整って、一山超えた感の境地。
私はもう、大丈夫!

 

最近は人の相談も受けるようになりました。
私の経験が、誰かの役にたてたらうれしいです。

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自叙伝を書いていたら、母のことの反響が大きくてびっくり。
話は聞いていたけど、ここまでとは!
複数の友人から壮絶すぎる!と言われる。

 

母は軍隊方式と言っていたが、暴力型教育を受けてきて、
たぶん昔の人はそういう人が多かったと思う。
暴力を受けた人は虐待を受けてきた子供にもあるように、
無意識に相手の暴力を引き出そうとする行動にでる。

 

私は大学でも家族社会学を学んだし、
自分の過食や鬱もあったので、そういうことに関する本を読んだりしてきたつもり。

 

暴力的な人は、暴力の中にいないと生きている実感がない。
私が母にどんなに理知的に話をしても、全く響かない。
母は私が一緒に喧嘩をしてくれるのを、求めていた。
でも私は喧嘩するのは疲れるからしたくない。
父と母は日々が喧嘩というコミュニケーションだった。
両親の喧嘩は、子供にとって辛いものだった。
子供たちにはあまり怒らない父だが、母の暴力を引き出す力が強くて
切れると身体的暴力にもなるからすざまじい。
どうして別れないんだろうとよく思ったが、父は父なりに母が好きだったんだと思う。
そして、二人は釣り合いのとれた夫婦だったのだろう。

 

先日実家に帰ったとき、
マッサージの仕事の帰りだったので、
母にそう言うと、「私にもマッサージして」というので、
楽健法という足で踏むマッサージをすることにした。
踏んでいると
「あんたはわがまま」といういつものが始まった。
ガンの告知を受けた後で、母を許せない想いが高まっている時だったのでカチンときて、
「私はわがままじゃない!私はわがままじゃない!私はわがままじゃない!」と言って、母を軽く蹴った。
私のインナーチャイルドが声をあげた感じだった。
今まで母に手をあげたことはなかった。
今までどんなに言葉を尽くして母に話そうとしても、まるで話を聞いてくれないし、手紙を書いても、「私がされたのはそんなもんじゃなかった」と一蹴して終わった。
今まで一度でも詫びてくれたことはなかった。
のれんに腕押しで、まるで響かなかったのに、その時は、母が黙った。
「あんたそんなんするんなら帰り」というのですぐ帰った。
暴力が標準の中にある人は、暴力を持ち出さないと話もできないんだと思った。
暴力を介してしかコミュニケーションがとれない母を、不憫に思う。
私は母の土俵に乗ることは、もうしたくない。
なので、なるべく母と個別に会わないようにする。

 

ヨーガの考えで、ヴァルナというのがある。
社会のグループ分けのこと。
自分と似た人と一緒にいるのが誰にとっても心地よい。
暴力的な人は暴力的な人同士で喧嘩しているのが心地よい。
穏やかさが好きな人は穏やかな人と一緒にいるのが心地よい。
そんな風に、世の中は、質ごとに自然にグループ分けが起こるという話。
よく言われている「鏡の法則」と同じことかな。

 

夫婦は釣り合いがとれていないとうまく行かなくなる。
いちがいに暴力があるから「不幸」と決めつけるのも違う気がする。
母は私に執着するが、私は母と釣り合っていないから距離をとる、ただそれだけ。

 

私は母から暴力と言えるようにな仕打ちを受けてきたのに、
そしてそのことで傷ついてきたのに、
自分で言うのもなんですが、どうしてある程度まともに育ちあがることができたのか。

いろいろ要因はあると思うけど、
その時々にご縁のあった方から、優しさや愛、承認をもらえたこと。
私の持っていた外向的資質が、人に話を聞いてもらったり、可愛がってもらったりできたこと。
真理を求めたり、自分を幸せにすることへのパワーが、あった。
教育を受けることができたこと。人や知識など、よき出逢いがあったこと。
経済的自立。もし経済的に誰かに頼らなければならない状態だったら、誰かからのコントロールを受けやすくなっただろうし、そこから抜け出ることができにくいと思う。

 

時には猛烈な寂しさや不安が襲ってきたり、情緒不安定になる。
そんなの、みんなあることだよね。
私の中に愛情のやりとりにゆがんだところを感じた人がいたら、
それはそういう理由だと理解して許してください。

 

いろんな人にちょっとずつ、背負ってもらうのがいいと思う。
誰かに自分の足りないものを全部解消してもらおうとせずに、
誰か一人に大きい負担をかけすぎないように、
その人が嫌じゃない分だけ、背負ってもらう。
誰かに少しずつ、話を聞いてもらったり、ねぎらってもらったり、誉めてもらったり、認めてもらったり、愛してもらったりして

 

私はだいぶ癒えてきています。

 

私にこれまで関わってくれた皆さん、絶賛かかわり中のみなさん、

本当にありがとうございます!

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長らく病院で検査をすることがなかったので、3月に、大和病院で尿検査と血液検査を受けたことが始まりだった。

血液検査の数値に異常があるということで、紹介状が書かれ、4月にしぶしぶ徳山中央病院へ行き、精密検査をうけることになる。

 

2016年4月27日徳山中央病院,鈴川医師より「多発性骨髄腫」と診断を受ける。
4月11日骨髄検査 4月20日PET検査 と血液検査の結果をうけて。
鈴川先生はでっぷりとした大きい体の方で、高圧的ではなく謙虚な感じの人。

「ゴールデンウィーク空けでも、すぐに入院して治療を」を言われたが、

5月いっぱい予定がみっしりなので、「それは困る」と言うと「とにかく早いうちに治療ができるように」と言われる。

 

その病気がどんな病気かをネットで調べて、すごい難病であることを知り、ただごとではないなぁと思い、ひろくんにメール。

夜、もう死ぬかもしれないと思って泣く。

その頃は、ひろくんは毎日残業していて、2人で過ごす時間があまりとれずにいた。

「余命」という言葉が重くのしかかる。もう長くないかもしれない。

私がやり残したこと。後の準備をやっていこうと思う。

 

4月28日午後、ひろくんと一緒に再び診察をうけ、「ステージ3」であること、今後の治療内容の簡単な説明を受けた。

医者は「入院してから説明しようと思っていたが」と言うが、人が一人入院するのってそんな簡単なことではないのにと思った。
骨髄自家移植。抗ガン剤治療。今は複数の抗ガン剤があるから、薬を代えながら効かなくなったら次、というように一生つきあっていくことになる。若い体力のある時なら治療に耐えられるから、早い方がいいとせかされた。
入院し、抗ガン剤の治療を覚悟し、今やっているすべての仕事をどうしようか真っ先に考えた。人に受け渡せるものは渡そう。

私は復帰できるかどうかもわからない。入院はいつまで続くかわからないらしい。

治療は2~3ヶ月と言われたが、予後次第では治療は一生続く。

とりあえず、仕事を代わってできそうな人にメールし、お世話役の方にメールして、今の状況とこれからについて報告した。

 

4月30日(土)嵜山先生の診察。ひろくんと一緒に。

嵜山先生は元々西洋医療の内科のドクターで、血液が専門だったらしい。

これまで西洋医学での治療が、患者の心身を逆に悪くすることを後悔し、少なくとも今先生がされている治療は患者を悪くはさせず、良くするものだと思い、張り薬と漢方薬での治療をされている先生。

嵜山先生にはかれこれ3~4年かかっている。

いつも冷えていると言われ、冷える食事を禁止される。

コーヒーを飲まなくなった。発芽酵素玄米に代えた。なかなか辞められないパンやお菓子も減らすようにしていた。
嵜山先生は、西洋医学での治療を反対された。

生活を変えて、貼り薬の治療をしたら、ガンも染色体異常も治ると断言された。
抗ガン剤治療は、再発のリスクを持つこと、正常な細胞も傷つけてしまうこと。

副作用のこと(私は不妊治療の薬や鬱の薬の副作用が大きかったから、きっと激しい副作用で苦しむことが予想された)。

私はきっと治療に耐えられないだろうと嵜山先生は言った。
抗ガン剤はいずれ効かなくなるので、一生違う薬に変えながら治療を続けていくことを考えたら、嵜山先生の貼り薬は痛くもかゆくもない。張り薬で治るなら、こちらがいいに決まっている。私はとにかく真剣に嵜山先生の治療を受けることに決めた。

 

血液検査の総蛋白の値はずっと以前から高かった。

手元にある平成16年~平成22年の値はずっと基準値(6~8)を越えて8.6~8.8だった。要経過観察となっていた。今回の値が8.4だから変わらないと考えてもいい。

記憶をたどると、10年前、教員をやっていた頃の健康診断で「多発性骨髄腫」の可能性があるから、一度ちゃんと検査をしてみたほうがいいと医師から言われたことを思い出した。

そのときは、とても向き合える状態でなかったから、忘れることにしていた。
記憶の箱がぱかっと開いて、あのころの辛かった数々の記憶が蘇り、母や前の夫を恨む気持ちが溢れだしてきた。

猛暑の夏で、暑くて眠れないのか、怒りや不安で眠れない日が続く。

体がしんどい日には、死を感じ、過去の記憶と怒りがこみ上げる日が続いた。

 

教員を辞め離婚して、ひろくんと出会い、ヨーガを伝える仕事を始めて、人生は生まれ変わったみたいに変わった。

毎日が、自分を癒す為の日々だったように思う。

「変化」という大きなストレスはあったけれど、どんどん幸せになっていく、想いが実現していくという高揚感があった。

ヨーガという心の支えが私たちの中心にあり、ヨーガとひろくんがいることですべて満たされていると思った。

 

私はずっと子供の頃から朝起きれなかったり、疲れやすかったり、だるかったりするので、人と比べて体が弱いと思っていた。

それは低血圧で貧血気味だからと思っていた。

ストレスに弱く、気疲れもしやすかった。

だからこそ、心と体を整えるヨーガへの取り組みが切実だった。

本当に自分を整えてくれるものにたいして敏感だ。

私の弱い性質が、どうしたら気持ちがいいか、癒せるかを追求する力に変わった。

なので、私はこの体や心や病気や運命は、すべて与えられたものだし、ヨーガの仕事を果たしていくための大事な要素だと思う。

 

病気の宣告を受けてから、ゴールデンウィークに関西方面への旅へ行くことになっていたがキャンセルした。

美容室に予約を入れ、髪を切りに行った。35センチ以上あればヘアードネーションできる。病気で髪がない子どものために作られる医療用カツラの材料にされる。

 

ひろくんと結婚式も挙げておらず、家族の写真がなかったから、プロのカメラマンにお願いして、猫のらんと、ひろくんと私の家族の写真を撮ってもらうことにした。

撮影の日5月1日は、たまたま43歳の誕生日になった。

依頼をしたときには、「死」を意識していたので遺影となる写真、と思っていたが、撮影ころは嵜山先生の「治る」という言葉を信じていたので、楽しくヨガの宣伝用写真なども撮ってもらった。
午後には、ゴールデンウィーク恒例で私の家族が集まった。兄弟には病気のことを話した。両親には、話さないでいる。高齢の両親に気苦労を負わせないでいようと、兄と話して決めた。

 

5月9日 徳山中央病院。鈴川先生。
ステージは2であると訂正される。
PET検査では何も異常がなかった。
骨髄検査で染色体の型が多発性骨髄腫の型と一致したことで無症候でもステージ2となる。(嵜山先生に言わせると、この基準もおかしい)
自分で自覚できる症状は何もなかった。
6月から入院して治療を、と繰り返し言う先生。
骨が弱くなり骨折の可能性が高くなる病気なので、体に圧力がかかるヨーガも禁止と言われる。
私は、その言葉は信じられない。私はヨーガで命が救われていると思っているし、ヨーガと出会ったことで10年前に比べてどんどん元気になっていると感じている。
ヨーガをやめるなんてあり得ないし、たとえ骨が折れても、私の生きる目的はヨーガを学び伝えることだから、ヨーガをしないで治療をする人生より、ヨーガをしながら、ガンで死んでいく方がいい。
私は、ヨーガを辞めることを拒み、治療も拒んだ。先生は困った顔で、了承してくれた。

 

それからはガンによい生活を今まで以上に取り組む。
そもそもヨーガの生活はガンによい生活だった。
これまでも玄米菜食が中心だった。
ヨモギを食べる。
ノニ
プロポリス
ラジウム温泉(玉川温泉の石をお風呂にいれる、呼鶴温泉通い)
朝のウォーキング ひろくんと
週2で嵜山先生の治療を受ける
梅干し、納豆、フノリたっぷり味噌汁
梅肉エキス
など

 

ひろくんは残業はなるべくせず早く帰ってきてくれて、家の仕事をやってくれるようになった。

 

6月2日 嵜山先生。ガンへの免疫がすごく高いので、全く心配はいらないと言われる。

通うのも週1回になった。冷えはある。氷を溶かすように、時間をかけて治療していこうと言われる。


6月4日 「近藤先生 ガンは治療するなって本当ですか?」という本を図書館で見つける。ガン治療をしないでいくことに確証を持つ。


6月8日 嵜山先生。 ガンの免疫は高いから今のところ心配はない。染色体異常も改善。

体の冷えはある。以後、この状態がずっと続く。

 

6月9日 徳山中央病院 鈴川医師 今後は嵜山先生の治療を受けると言うことを報告。

検査も、年に1回にすることを宣言。もっと頻繁に、と言われるが、嵜山先生の診察にゆだねることに決める。

 

11月現在、その後週1回の嵜山先生の診察は続けるが、ガンの値は全く心配ないけれど、繰り返し「冷え」が抜けないことを指摘される。

この「冷え」は過去のストレスからきていることを言われる。
今目の前にないストレス。私が傷ついてきた過去が、私を冷やしている。
身に覚えはありまくる。
私は残りの人生をかけて、自分を癒すことに取り組もうと改めて思う。
凍り付いた心を温め、体を温めよう。

 

自分を癒すことは、人を癒すスキルを高めることにもなる。
癒しの技術。癒しの想い。
命を懸けた、人生のテーマにブレはない。
今世、やろうと思ったことに、やり残しのないように、やりたいことは正直になんでもやろうと思う。

 

今はもう、おまけの人生だと思う。
34歳で仕事を辞めず、離婚せずにいたら、余命告知の通り、もう数年で死んでいただろう。
あの人生の転換でヨーガの人生になったから、今も命があり、人生が続いている。
生まれ変わったみたいな後半生。
あのとき、あのまま死んでいたら、きっとたくさんの業が精算されて、生まれ変わってヨーガと出会っていたのかもしれないとも思う。

 

「あと1ヶ月後、死ぬとしたら何をしますか?」
10年前に出会ったあの問い。
私は、今やっている通り、日々ヨーガのクラスをして、友と語り、みんなと笑いあい、人と自分を癒す。
どこにも行かない。
今ここで叶っていることが、命続くまでやれたら、それでいい。
あのときの望みは、全部叶っている。
この先、命続くまで、今の暮らしをただ、やっていくだろう。

 

「モークシャ」私こそが全体宇宙だと知る。
体や考えや役割が私でなく、それを支える意識、存在が本当の私。
死の瞬間までに、その知識に留まり続けられる私に近づきたい。
私にモークシャがありますように。
最後の望み。ヨーガのゴール。人のゴール。
どうか、私こそモークシャであると、いつも知っていられますように。

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2013年父から古民家を出て行くように言われる。
家はどうせ空き屋になるのだから、ずっと住み続けようという甘えがあったが、両親からの「出て行け」コールが激しくなり
家を探し始める。

 

自宅でヨガクラスができるのは、夢だった。

古民家でも、木曜日と日曜日にヨガクラスをしていたが、
駐車場がなく、家から離れた駐車場でない場所に車を停めてもらうことが気兼ねだったので、
車を停める場所が十分にあり、ヨーガクラスをするのに十分な空間の部屋が条件だった。
親からはヨーガに反対されていたので、自宅でのクラスも遠慮がちだった。

 

一軒家の中古物件、これというのが見つかっても、他の人にとられたりした。
家を建てることも視野に、自分たちの経済力でできること。
土地とのご縁、ハウスメーカーとの出逢い。
増税前のタイミングで、あれよあれよといろいろなことが決まっていって、自宅兼スタジオができた。

2013年10月オープン
家を建てるのは、大変だった。
ストレスで体調も崩した。
スタジオができたら、もう、逃げも隠れもできない。
もう、どこにも行けない。
看板を出してやることのプレッシャー。
イーシュワラに与えられた仕事、導きだと覚悟を決める。
淡々と、ご縁の仕事を、やる。

 

ヴェーダーンタの先生cetna先生をお招きしてのヴェーダンタキャンプを実現することも、スタジオがあってできたことだった。
この地にヴェーダーンタが育っている。

 

自宅ができてから、両親からの攻撃はなくなった。
両親と距離を置くことができた。
お盆やお正月の家族が集まる場所が、我が家になって、
母が私を個別に攻撃してくることは少なくなった。
スタジオは、私にとってアシュラム(避難所)にもなった。

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