群馬県東部は東毛地区とも呼ばれています。要は上野国(こうづけのくに)は古くは上毛野国(かみつけのくに)と書かれていて、ここに「毛」の字が登場するのです。ですから、群馬県の各地区を指す場合、この「毛」という文字が入ってくることがあります。加えて、栃木県は下野国(しもつけのくに)ですが、これまた古くは下毛野国と当て字されたこともあり、こちらも「毛」の字にゆかりがあります。特に、群馬県桐生市以東、栃木県佐野市以西の地区を、群馬県栃木県を跨ぐ形で、「両毛広域都市圏」と呼ぶことがあります。ちょっと能書きが多くなりましたが、足利市から太田市というのは、県境を越えながらもあまり文化的に変わるものがないということはあります。私のようにこの地域に住む住民にとっては、県境というのはあってもなくても大して変わらないものくらいの存在ということですね。
おっと前置きが長くなりました。気が付けば群馬県に再突入していた訳ですが、太田市市街地の北部にそびえる金山のほとりにある第1のさざえ、祥寿山曹源寺のさざえ堂に到着です。こちらは駐車場のみの設置となりますので、駐車の邪魔にならないよう駐車場の隅に皆さん駐輪されました。さあ入場です。
門を入ると、急に周囲が暗くなりました。そう、かなり緑があるんですね。ということでさざえ堂入堂前に1枚。
入場料を支払い、早速中に。かなり暗かったので写真は撮りませんでしたが、とにかく得体のしれない「格言」が半紙にかかれていたるところに貼られていました。その格言の内容が「???」だったので、あまり見る内容が頭に入ってきませんでした。(笑)昔の建物らしく、階段がかなり急でした。確かに回廊になっていましたが、ちょっと無理してる感が否めませんでした。
ということで、こちらでも集合写真。皆さん仲良しです。
第一のさざえ堂を出発し、太田市街を走り抜けます。富士重工工場の脇を通り県道2号線へ。そのまま西進し東武桐生線の高架下をくぐってすぐに県道312号線へ。いわゆる「例幣使街道」を南西に真っ直ぐ向かいます。宝町三叉路でかつはな亭に立ち寄り、そこでお昼ご飯となりました。私はロースカツ定食を注文しましたが、あまりの空腹に写真を撮ることすら忘れて食事に夢中になっていました。ちょっと重めの食事でしたが、おいしくいただきました。ちょっとご飯が食べたかったのでおかわりはしましたが、さすがにせっとめにゅーの豚汁とキャベツはおかわりしませんでした。
かつはな亭を出ると、今度は県道274号線で南西方向に直進します。国道354号線バイパスの角のコンビニでトイレ休憩をして、そのまま国道354号線本線まで直進。合流後右折し西進。旧尾島町の中心を走ります。
あ、今気付いたんですが、潰れたパチンコ屋の看板があって、お店の名前が意味深だったので写真撮っちゃいました。
今さら何が出るのかな、などと考え込みそうになったので、頭を切り替えて走りに専念します。それにしても何が「でるんです」なんでしょうか・・・・・。
国道354号線を世良田交差点まで直進したら左折、南進します。すると間もなく世良田東照宮到着です。世良田小学校裏にあるのでわかりやすいですね。ここは利根川からも近い場所ですので、自転車でのアクセスも抜群です。って、だから何だって言われそうですが・・・。
門をくぐると、そこには拝殿が。東照宮はその奥にあるそうで、そちらは有料。いや、有料だからという訳ではなく、この日はとても気温が上がって、しかもずっと向かい風で走り通しだったので皆さん休みたいとおっしゃってました。結局中に入ったのは3人のみ。他の方は私も含めコミュニケーションタイムとなりました。(笑)
ちなみにですが、ここ世良田の隣は「徳川」という地名が残っています。言わばここは「徳川発祥の地」とも言われていて、徳川という姓はここから生まれたということです。江戸時代は随分と恩恵を受けていたと話を伺いました。将軍家おひざ元の館林。城主の綱吉はたった3日しかいなかったという、まあこちらは疎まれたものです。
さていざ第二さざえ堂へ、といきたいところですが、世良田に来たらここ、縁切り寺です。この満徳寺、女性から離縁できなかった江戸時代において、鎌倉の東慶寺と並び、2つしかない「縁切り寺」として数多くの女性を受け入れてきたそうです。ただここは単に立ち寄るだけ。ちょいと時間に余裕がなさすぎました。皆さんくつろぎモードですし、だからこそ楽しいんですけどね。(笑)
さて出発です。すぐに利根川に合流、上武大橋を渡ります。新上武大橋は幅が広いのですが、こちらはちょっと控えめ。側道をわたり埼玉県側に出ます。
さて利根川CRに出ましたが、ここからが・・・・・・。ということで続きはまた次回に。