佐藤嘉洋オフィシャルブログ「明るく生こまい」Powered by Ameba
↑エキシ第一試合の中島vs脇田。
「一試合目で今日のエキシのみんなのテンションが全て決まる」と試合前に冷やかしにいくと、
稔倫(としみち)氏は「わかってる。任せとけ」とリングをじっと見据えた。
期待に違わず、壮絶な打ち合いで観客から多くの拍手を集めた。
「大和哲也と佐藤嘉洋のようなエキシは、俺には求められていないのはわかってるんだ」と試合後、パンチで赤くなった顔で笑った。
いや稔倫さん、一応エキシビションだからね……。

(キックオタクとして書いていたいので敬称略はそのまま)

第1話「立場のない人間に、一番与えられたいモノ
第2話「今までも、今も、これからも
第3話「苦しみの向こうの境地
第4話「同じ志を見つめたDNA
第5話「妥協と拘りの境界線
最終話「レジェンドたちから受け取ったモノ

そのような思い出がフラッシュバックしてきた東海アマチュアシュートボクシング大会最後の開催。
ラストということでやまとや大将のヨサポンガイヤーンが愛知のレジェンドファイター達に呼びかけた?のか(定かではない)、そうそうたる面子のエキシビジョンマッチがいくつも組まれた。

エキシビション第一試合。
中島稔倫vs脇田誠。
中島稔倫は3兄弟で格闘家として活動していて、
弟の昇とともに兄弟でチャンピオンとなった。
私の先輩の関博司がどうしても勝てなかった楠本勝也相手に、
2度の日本王座防衛を果たしているテクニシャンだ。
私自身も練習で何度か手合わせしてもらったことがある。
中島稔倫の日本王座獲得のときのパーティー会場では、
演舞として私と杉浦磨がスパーリングを行った。
磨との演舞が割と好評だったので、
それ以来こういった祝いの席ではスパーリングをするのが恒例となった。
ファイトマネーももらえたし。
私は中学生のころから「戦い」においてビッグマネーを稼いでいたわけである。
脇田氏の試合も私は何度か見ている。
シュートボクシングの地元興行では必ずといっていいほど出場していた選手だった。

エキシビション第二試合。
ヨサポンガイヤーンvs横地健至
ヨサポンガイヤーンは大和ジム所属ながら小森会長のことを大変慕っており、
出稽古で名古屋JKファクトリー(当時は大和北ジム)にもよく来ていて、
その姿をジムで見かけることがしばしばあった。
練習後、ヨサポンがジムでタオルを巻かずにフルチンで着替えていたことが幼(おさな)心に衝撃だった(名古屋JKファクトリーに更衣室はない)。
だってそのとき女性会員さんもいたんだよ。
この人はひょっとしたら露出狂なのかもしれない、と思った。

あるとき、彼は後のシュートボクシングの大エースとなる緒方健一との試合前だった。
私はチケットを買いたい旨を小森会長に伝えると、
「本人が出稽古来たときに直接言って買いなよ」
と言われたので、
緊張しながらも勇気を出してヨサポンに声をかけた。
プロ選手は私にとって憧れの存在なのだ。
そのような人たちと一緒に練習ができたり、
恐れ多くも直接話せたりすることがとても嬉しかった。
チケットを買ったとき、
ヨサポンはとても嬉しそうに「おお!ありがとう!」と言ってくれた。
なんだか私も嬉しくなった。
だから私もプロのキックボクサーとなった今、
チケットを買ってくれた人への感謝を忘れないようにしている。
ひょっとしたら中学時代の私のように喜んでくれるかもしれないから。
実際、チケットを買ってくれたら嬉しいのは間違いないしね。
そのおかげで私達はファイトマネーがもらえるし、
生活ができることを忘れてはならない。

自分の戦いの哲学は確かに大事だ。
私が(今年のクリスマスイブで)15年間もプロとして活躍できているのは、
もちろん自分の努力もあるだろう。
しかし、それができたのは支えてくれる人がいるからだ。
それは家族だったり、これまでの恋人だったり、友人だったり、知人だったり、痴人だったり、名も知らない影ながらのファンだったり……。
それを忘れたことは、正直な話、片時もない。

今までも、今も、これからも、ありがとうございます。

第3話「苦しみの向こうの境地」に続く

明るく生こまい
佐藤嘉洋