その18(№4044.)から続く

 

今回は、JR発足後まもなく、九州と常磐に登場した新型車両について取り上げます。

 

国鉄時代末期から、既に485系は性能・接客設備の両面で陳腐化が顕著になっていました。具体的には、ライバルとして台頭してきた高速バスとの比較ですが、当時の高速バスは、安い運賃でリクライニングシート、便によってはトイレ・オーディオサービスなども用意されているなど、急速に競争力をつけてきていました。

この「JR特急vs高速バス」のバトルの図式は、特に九州地区において熾烈で、車齢的にはそれほど古い車両がなかった九州においても、485系はもはや、性能・接客設備とも陳腐化してしまっていました。また、常磐系統では、JR移行後もなお483系電動車ユニットが現役で活躍するなど、485系の中でも特に古い車両が集められており、性能や接客設備以前の問題として、こちらの置き換えも急務となっていました。

 

そのような状況下、まず登場したのがJR九州の783系「ハイパーサルーン」。

この車両の構想は、既に国鉄時代から練られていたといわれていますが、国鉄~JRの特急型車両で初めてのステンレスボディ(ただし先頭部は普通鋼製)、211系と同じという特急型車両としては大きい車体断面、713系と同じサイリスタ位相制御システムなど、確かに国鉄車両の集大成といえる技術でまとめられていました。そういう意味では、783系は登場こそJR発足後であったものの、実質的には国鉄時代の掉尾を飾る特急型車両といえます。車体のカラーリングも、ステンレス車体(先頭部は白に塗装)にコーポレートカラーの赤に白をあしらった帯を巻くという、シンプルなものでした。このあたりは、国鉄型車両ならではの質実剛健さを受け継いでいる感もあります。

783系の最大の特徴は、客用扉を中央に置き、1両の客室を二分したこと。これによって、普通車/グリーン車、指定席/自由席、喫煙車/禁煙車を分けて設定できるようにし、短編成でもきめ細かく需要に応えることができるようにしています。座席はグリーン車が横3列のゆったりした配置、普通車は横4列ですが新幹線100系と同等のフリーストップ式リクライニングシートと、リクライニングすらしない車も残っていた485系に比べ、居住性は大幅な改善がなされています。

783系は3連と5連の2種が用意され、前者はグリーン・普通合造車クロハ782を先頭とする編成で博多-熊本間の「有明」に、後者は全室グリーン車クロ782を先頭とする編成で、こちらは足の長い博多-西鹿児島間の「有明」に、それぞれ昭和63年3月13日から充当されています。この2種のどちらにも連結されているのが反対側の先頭車クモハ783ですが、こちらは運転台の後ろ側の客室の窓ガラスを特に大きく取り、AV機器を備え付けて団体客の利用にも対応できるようにしていました(その後AV機器等は撤去)。

783系は当然のことながら大好評を博し、水前寺発着の「有明」にも投入されたため、乗客が783系使用列車に殺到し、3連では捌き切れなくなってしまったそうです。しかし、それでは485系使用列車に閑古鳥が鳴いたのかといえば、決してそんなことはなく、783系投入に伴って「有明」の利用客自体が増加したということです。

それでは485系はどうなったかですが、今回の783系投入で活躍の場は少し狭まったものの、翌年からは前代未聞の「気動車との協調運転」を実施するようになります。これは、小倉-鳥栖間で「有明」と「オランダ村特急」を併結し、両者の協調運転を行うということですが、九州の特急はどれも編成が短く、北陸の「ゆぅとぴあ和倉」のように485系に牽引させるわけにもいかないため、協調運転の形態がとられたものです。この協調運転は3年間続いたものの、平成4(1992)年に大村線ハウステンボス新駅開業と、早岐-ハウステンボス間電化により「ハウステンボス」が走り始めたのと引き換えに「オランダ村特急」が廃止されたことで、解消されてしまいました。

 

これに対して常磐系統では、483系ユニットを含む初期型の485系が多数稼動していて、それら車両の老朽化が無視できないレベルになって来ました。そこで、同系の置き換えとスピードアップを図るため、651系が投入されたものです。編成は、基本がグリーン車1両組み込みの7連と、付属4連。この両者を組み合わせて11連を組成しました。

651系の凄いところは、在来線で本格的な130km/h運転を実現させたことです。485系でも北陸の「スーパー雷鳥」の湖西線内や「はつかり」の青函トンネル内で130km/h運転は実施してはいたものの、それは踏切のない区間のため特認を受けていたから可能だったもので、通常の踏切のある路線で130km/h運転を実現させたのは651系が初めてです。同系は、ブレーキ性能を向上させることにより「600mルール」(トップスピードから急ブレーキをかけて止まるまでの距離が600m以内でなければならないというルール)を満たすことで可能になったものでした。

783系がステンレスボディに赤帯というシンプルな外装だったのに対し、651系は普通鋼製でしたが、白を基調とするモノトーンのデザインということと、前面に尾灯を兼ねた大型のLED表示器を搭載したことにより、485系のボンネットスタイルと非貫通型の中間のような、滑らかな曲面で構成された前面となり、スピード感のある流麗な姿にまとめられています。その姿は、あたかもタキシードを身にまとった紳士然としたスタイリッシュなもので、国鉄型車両の無骨さとは一線を画していました。ちなみに、登場当時のキャッチフレーズは「タキシードボディの凄い奴」という、今思うと時代を感じさせるものではありますが。

内装は、グリーン車が横3列の大型リクライニングシート、普通車は横4列のフリーストップリクライニングシートという、やはり新幹線100系と同レベルの快適性を狙ったものになっています。

その「タキシードボディ」651系は、平成元(1989)年3月11日から運用入りし、「スーパーひたち」として走り始めます。「スーパーひたち」は、半ば651系使用列車の愛称という面もあったものの、「スーパー」の名に恥じず、上野-水戸間は原則無停車となり、速達性を重視したダイヤで運用されました。翌年には追加投入され、このときまでに651系が全て出揃っています。

「スーパーひたち」の登場に伴い、遂に485系にも勢力の縮小が始まります。平成2(1990)年3月のダイヤ改正により、列車としての「ひたち」(485系使用列車)は上野-平(現いわき)間のみの運転となり、編成もグリーン車入りの9連から、グリーン車のない7連に縮小されてしまいます。

 

(改正前)←上野 TcM'MTsM'MM'MTc 平・仙台→

(改正後)←上野 TcM'MTM'MTc 平→

 

それに伴い、この時点でも「レジェンド」然とした存在だった、483系の電動車ユニットが全て退役、ボンネットスタイルの先頭車も、九州から来た元481系のクハは淘汰されていきました。

それではその代替の先頭車はどうしたのかというと、余剰となったグリーン車(サロ481-1000)に運転台を取り付ける改造をして賄いました(クハ481-1100)。しかし窓割はグリーン車時代のままだったため、普通車でありながら狭窓が並び、九州のクロ480とよく似た風貌になりました。また、中間サハもサロの改造で(サハ481-300。こちらの種車はサロ481在来型など)窓割も変えなかったため、遠目に見るとグリーン車が7両中2両か3両組み込まれているようにも見える編成も出現しました。

 

このように、国鉄がJRに分立したことで、485系も各社の特色を反映するようになっていきます。

次回以降は3回に分け、各社で行われたリニューアルその他の改造を見ていくことにいたします。

 

その20(№4064.)に続く