さすらい館

俄笑うないつか来た道、老害笑うないずれ往く道。私も「老害」呼ばわりされないよう気をつけなければ(^_^;)

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本年度3つ目の連載テーマ、「客車急行・最後の40年」、いよいよ連載開始します!

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ひとこと>(時々管理人の気まぐれで不定期に改訂されます)
日比谷線用の新車13000系が遂にロールアウトしましたが、今後営業運転はどうするのでしょうか。中目黒や北千住での整列乗車は混乱しそうな…。

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続けて「降りたことがある駅」京急編の「その2」をいきたいと思います。〇△×の記号の意味は前回と同じです。

 

【本線編・横浜以遠】

 

150503_162607_ed.jpg

 

横浜以遠は旧湘南電鉄が建設した区間です。この区間が標準軌だったために、馬車軌(1372mm)で開業した旧京浜電鉄区間は、直通運転のために改軌したわけですが、もし旧湘南電鉄区間の方が1372mmに改軌していたら、京成も改軌しないで済んだわけですし、都営浅草線もこの軌間で建設されたに違いないのですよ。そうなれば、今孤立している京王線・都営新宿線も取り込んで、馬車軌の一大ネットワークを作れたはずなんですが…。

 

…それはさておき。

 

戸部=×

日ノ出町=〇

黄金町=×

南太田=×

井土ヶ谷=×

弘明寺=×

上大岡=〇

屏風浦=×

杉田=×

京急富岡=×

能見台=×

金沢文庫=△

金沢八景=〇

追浜=×

京急田浦=×

安針塚=×

逸見=×

汐入=×

横須賀中央=〇

県立大学=×
堀ノ内=△
京急大津=×

馬堀海岸=×

浦賀=〇

 

やはり横浜以北の旧京浜電鉄区間と比べると少ないですね。

 

【逗子線編】

 

150503_155640_ed.jpg

 

 

金沢八景=△

六浦=×

神武寺=○

新逗子=〇

 

写真は神武寺駅ですが、この駅には米軍関係者の専用改札口があります。米軍関係者ではない利用客がそちらの改札を通ると、米軍施設への不法侵入になってしまうという…。

神武寺駅は金沢八景にある総合車両製作所とJR逗子駅を結ぶ狭軌の線路の分岐駅にもなっています。

 

【久里浜線編】

 

120218_142527.jpg

 

堀ノ内=×
北久里浜=×
京急久里浜=〇
YRP野比=×
京急長沢=×
津久井浜=×
三浦海岸=×
三崎口=〇

 

久里浜線となると、昔ウイング号で久里浜まで行ったのとか、三崎口まで2100形の快特に乗ったのとかしかないんですよねえ…いかに京急がお留守だったかということですが(^_^;)

 

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お盆期間中のネタを全て放出し、ネタ切れ状態に陥っている管理人ですこなさんみんばんは。

ネタが払底してしまったので、そのときの必殺のヒマネタ「降りたことがある駅」をお送りしたいと思います。以前に「気が向いたら京急編をやります」とお伝えしていたのですが、あれから随分経ってしまったので、いい加減このあたりでやっておきませんと(^_^;)

 

なお、今回は泉岳寺~品川~横浜間と空港線・大師線とし、次回を横浜以遠と逗子線・久里浜線とします。

 

というわけでまず本線から。なお、記号の意味はこれまでの「降りたことがある駅」シリーズと同様、

 

〇=下車して駅の構外へ出た

△=下車はしたが駅の構外へは出ていない。運賃精算のためだけに出場した駅も含む。

×=下車したことがない

 

です。

 

【本線泉岳寺~品川~横浜編】

 

 

150607_145615_ed.jpg

 

 

泉岳寺=〇

品川=〇

北品川=×

新馬場=〇

青物横丁=〇
鮫洲=〇

立会川=×

大森海岸=×

平和島=〇

大森町=×

梅屋敷=×
京急蒲田=〇

雑色=×

六郷土手=〇
京急川崎=〇
八丁畷=×
鶴見市場=×

京急鶴見=〇

花月園前=×
生麦=×

京急新子安=×
子安=×
神奈川新町=△

仲木戸=△
神奈川=×
横浜=〇

 

品川~横浜間は旧京浜電鉄の区間ですが、結構降りたことがある駅が多いですね。

 

【空港線編】

 

 

150503_124636_ed.jpg

 

 

京急蒲田=〇

糀谷=〇

大鳥居=〇

穴守稲荷=×
天空橋=×
羽田空港国際線ターミナル=〇
羽田空港国内線ターミナル=〇

 

空港線は飛行機に乗るとき利用するのですが、国際線ターミナル駅糀谷駅は以前の記事で取り上げています。

 

【大師線編】

 

 

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京急川崎=〇

港町=×
鈴木町=〇
川崎大師=〇
東門前=×
産業道路=×

小島新田=〇

 

大師線は、降りたことのある駅とない駅が半々です。川崎大師駅は、構外に出たのは数10年前の初詣のころですから、あまり偉そうなことは言えません(^_^;)

ところで、川崎大師~京急川崎間での、ルート変更の上での地下化ですが、どうやら休止になってしまったようです。

 

次回は、本線の横浜以遠と逗子線・久里浜線をご紹介します。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

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前回の記事の続きです。

前回は桜新町駅でしたが、今回は用賀駅。降りたのは同じ今年の7月17日でしたけど。

 

冒頭の写真は「世田谷ビジネススクエア」なる高層オフィスビルの威容ですが、用賀駅の入口はこのビルの下にあります。というか、もともと東急が確保していた用地に、オフィスビルを建てたというのが正解なのですが。

ではなぜこの場所に東急が用地を確保していたかといえば、「新玉川線」(※)の車庫用地として。従来の玉川線に代わる「新玉川線」は、当初は現在のような20m4扉の大型車ではなく、銀座線と共通の規格で建設が計画されていました。これは勿論、銀座線との相互直通運転を目論んだからですが、五輪に伴う都市計画の変更などの外的な要因により、この「新玉川線」は着工されることがなく、現在の規格に変更された後の昭和44(1969)年に着工されています。

そして昭和52(1977)年4月、新玉川線の開業と共に「用賀駅」も開業しました。

 

※=当時の新玉川線の計画は現在のそれとは全く異なるため、両者を区別する意味であえてカッコ書きにしている。

 

用賀駅の駅名標↓

 

 

DVC00842.jpg

「世田谷ビジネススクエア前」の副名称がある

 

改札口。

こちらは桜新町駅と同規模です。

 

 

DVC00843.jpg

ここだけ見ると桜新町駅とよく似ている

 

案内地図↓

 

 

DVC00844.jpg

東名の東京インターが近くなのがよくわかる

 

このあたりは東名と首都高の結節点があるのもそうですが、さらにその先には国道246号線と環状8号線が交わる瀬田交差点がありますので、用賀近辺は道路交通の要衝でもあります。鉄道だとこの用賀駅しかないんですけどね。

 

こちらが、世田谷ビジネススクエアにつながる通路。

 

 

DVC00845.jpg

改札と同一平面

 

そして、世田谷ビジネススクエアビルと一体化された駅の出入口。

 

 

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階段がすり鉢状になっている

 

そして近くには、ビル建設・落成に伴って整備されたバスターミナルが。

 

 

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写真の車は新型エルガ

 

新型エルガって瀬田にも入ってきてるんですね(^_^;)

 

前回の桜新町同様、この用賀駅も、かつて大山街道の旧道に沿って敷設されていた旧玉川線の用賀駅と同じ場所につくられており、そのため現在の国道246号線から外れているためか、人と車の往来の割には閑静な雰囲気が残るエリアです。少なくとも、三軒茶屋のような騒がしさはありません。

また、用賀駅はバスが恵比寿・等々力・田園調布・上町・祖師ヶ谷大蔵・成城学園前と広くつながっていて、バスに関する限りは桜新町駅より利便性が高いように思われます。

 

最後に。レトロな電車接近表示。

 

 

DVC00849.jpg

字体が昭和

 

これと同じような表示器、以前は東急のあちこちの駅にあったんですが、今残っているのはここと宮前平くらい?

なお、用賀は急行通過駅なので、急行接近の際は上の「電車がきます」の右側に「この電車はとまりません」という表示が出ます。撮りたかったのですが、うまくいかず断念orz

 

◇関連記事

№091.A Road is born-その5 半直ルート黎明期~「新玉川線」の計画 

№114.A Road is born-その9 半直ルート形成期~新玉川線開業のあとさき

 

 

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当ブログでは、以前の記事で(下記関連記事参照)田園都市線内の降りたことがない駅として、旧新玉川線区間の2駅、桜新町・用賀を挙げていました。

もう1ヶ月前のことになりますが、この両駅に降りてみましたので、そのときのことを記事にいたします。

では、まずは桜新町から。

 

桜新町駅の特徴は、上下線が2層になっている2層構造の駅であることのほかに、壁の向こう側に通過線があり、そこを優等列車が駆け抜けていくこと。そして当然、上下列車とも通過待ちを行うことになります。

 

こちらは上り。壁の向こうを急行が通過していきます。

 

 

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ホームの両端だと通過列車が見える

 

こちらは下り線。こちらも両端で初めて通過列車を見ることができます。

 

 

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こちらも通過列車(写真中央の光の帯がそう)

 

こちらが下り線にある、発着線と通過線を分かつ壁↓

 

 

DVC00835.jpg

この壁の向こうを通過していく

 

この壁には、駅名にちなんでということか、桜の花が描かれています。

 

改札を出ましょう。

改札口は結構広めとなっています。

 

 

DVC00839.jpg

意外に(失礼)台数が多い

 

こちらが周囲の案内の地図↓

 

 

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国道246号からは外れている

 

実は、桜新町・用賀駅ともども、現在の国道246号線からは外れています。

その理由は、現在の国道246号線が、新町-瀬田間をショートカットする新道としてつくられた方になっていて、こちらの「旧道」はそうではないから。国道246号線になる以前の通称「大山街道」は、本来はこちらの桜新町・用賀経由であり、旧玉川線が敷かれたのもこちらだったのです。新玉川線を建設したときも、当然のことながら旧玉川線に沿ったルートを取ったため、現在の田園都市線はここを通っているという次第。

ちなみに、現在でも渋谷-二子玉川間には東急バス「渋12」が走っていますが、あれは旧道の桜新町・用賀経由ではなく、国道246号の「新道」経由。新玉川線開業後、旧玉川線代行の性格を持つ路線が次々に廃止されていった中、現在まで「渋12」が残っているのは、経由地の違いという理由もあります。

 

ところで。

桜新町といえば、国民的漫画「サザエさん」の作者、長谷川町子さんが居住していたことで有名になっています。そのため、昭和60(1985)年に「長谷川町子美術館」が開設され、桜新町駅からそこに至る道が「サザエさん通り」と呼ばれています。

 

桜新町駅入口の前にはこんなものが。

 

 

DVC00841.jpg

磯野家の家族の銅像

 

左から波平さん・カツオ君・ワカメちゃん・舟さんです。

後ろは「都立01」都立大学駅北口行き、かつての「黒05」(目黒駅-成城学園前駅)のなれの果てです。

 

銅像だけではなく、あちこちにサザエさんの看板や幟があります。あえてノーキャプションで。

 

 

DVC00832.jpg

 

 

DVC00829.jpg

 

 

何かお気づきになりませんか? 1枚目と2枚目で、サザエさんの顔立ちが違いますよね。

実は1枚目は初期のサザエさん、2枚目は後期のサザエさんです。長く描かれていると、初期の描き方とは違ってきてしまうことはよくあることですが、結構違いますね。全く違うのは鼻のあたり。1枚目は団子鼻ですが、2枚目はお団子ではなく垢抜けている感があります。

しかしこの桜新町駅、ここまでサザエさんが沢山あるとはw

 

【取材日 平成28年7月17日】

 

◇関連記事

№3307.The Paradise Lost~今はなき「渋14」のルートをたどる旅 

№3317.降りたことがある駅(田園都市線・こどもの国線編) 

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その1(№3689.)から続く

 

昭和50年3月改正前後の客車急行の状況、今回は上野発着の列車を見て参ります。

こちらは東北・上越新幹線がまだ開業していなかったせいか、客車急行は特急への格上げこそあったものの、それほど本数そのものは減りませんでした。

 

・  常磐線「十和田」上野-青森 5往復→3往復(うち季節1)

・  東北線「八甲田」「新星」上野-青森・仙台 変更無し

・  東北・奥羽線「津軽」上野-青森 2往復 変更無し

・  東北・奥羽線「おが」(季節列車)上野-秋田 変更無し

・  上越・羽越線「鳥海」「天の川」上野-秋田 変更無し

・  上越・北陸線「北陸」上野-金沢 2往復→1往復、愛称を「能登」に変更

・  信越線「越前」「妙高」上野-福井・直江津 変更無し

 

(この他に、電車使用の「佐渡」「信州」「まつしま」「ばんだい」など、気動車使用の「出羽」などがあったが、今回は客車急行に限っているので除外)

 

これらのうち、「十和田」1往復と「津軽」「鳥海」「能登」「越前」が、グリーン車・普通車・A寝台・B寝台を連結した所謂「フルセット」の編成、「新星」「天の川」は寝台専用列車、「十和田」1往復と「八甲田」はグリーン車と普通車の座席車のみの編成となっています(ただし『八甲田』は仙台-青森間だけB寝台車を増結)。「おが」「妙高」は、グリーン車こそないもののA・B寝台を両方連結しています。

それでは残る季節1往復の「十和田」はどうなったのかですが、何と「雲仙」などと同じ14系客車に変更されました。14系客車は特急型ですから、依然として冷房のない一般型を普通座席車に連結していた他の列車よりははるかに快適な車両ですが、毎日運転ではないところが珠に疵ではありました。

今にして思うと「新星」や「妙高」、それと「八甲田」の仙台-青森間は、夜行として走るには余りにも距離が短過ぎ、せっかく寝台車を連結しても意味がないのではないかとも思えますが、当時はそれなりの需要があったのでしょう。ちなみに、「新星」の上り列車と「八甲田」の下りの増結寝台車では、発車時刻の2時間くらい前からホームに据え付けられ、早く乗り込むことが認められており、それで所要時間の短さを埋め合わせていました。後年、ブルートレインの「北陸」が金沢駅の隣の東金沢駅に車両を留置して、乗客に遅くまで寝てもらう「レイトチェックアウトサービス」を行いましたが、これらはそれと逆の「アーリーチェックインサービス」だったわけです。

 

昭和50年3月の改正では、夜行急行の特急格上げも行われました。

まず、「十和田」のうち2往復が特急「ゆうづる」に格上げされ、20系客車に置き換えられています。また「北星」は上野-盛岡間の寝台専用の急行列車で、もともとは「十和田」などの寝台券が盛岡地区では確保するのが困難だったがための救済列車なのですが、今度は特急の「ゆうづる」で同じ問題が起こり、やはり盛岡地区の便宜を図る必要が生じたため、20系客車に置き換えられて特急に格上げされました。

次に北陸方面の列車では、改正前は急行で2往復(寝台専用1・座席車連結1)だった「北陸」が、寝台専用の1往復を特急に格上げした上で使用車両を20系に変更、特急として同じ「北陸」の名を名乗ることになりました。残った座席車連結の1往復は、運転区間などはそのまま、「能登」に改称され運転を継続しています。

 

上野発の夜行は、特に東北方面行きに顕著なのですが、利用者にはある特有な「傾向」があるといわれていました。それは、当該列車が発車する何時間も前、それも昼間から上野駅に来て、そこで同郷の人たちと車座になって酒盛りをしながら列車の乗車を待つ、というものでした。このような行動様式は、昭和の末期ころまで見られたはずですが、管理人が実際に遭遇したことはありません。

また、上野発の夜行は、当時新幹線も高速バスもなかったためか(高速道路網が未整備だった)、お盆や年末年始など帰省シーズンには大混雑を呈するのが常でしたが、その大混雑を緩和させるために、国鉄ではある策をとっていました。今回はそのことを取り上げましょう。

その策とは、品川駅と山手貨物線を使用して、年末に上野駅を発車する夜行列車を、臨時列車も含めて品川駅発着に移し、上野駅の混雑を緩和したこと。

品川駅にはかつて、7~10番線ホームという、普段使っていないホームがありました。現在は「上野東京ライン」の常磐線直通列車が中心に発着するホームですが、このホームは、当時は団体専用・臨時ホームとされていました。そこで、国鉄はその臨時ホームを有効活用し、本来は上野駅から出発する夥しい数の夜行列車を、こちらの臨時ホームで捌きました。この臨時ホームから発車したのは、「津軽」とか臨時の「八甲田」とか、東北方面へ向かう列車が多かったように思います。

このころは、折に触れて述べていますが、国鉄内部の労使関係が最悪と言うのも生易しいほどの状況に陥っていた時期。にもかかわらず、このような始発駅の変更がなされ、案内にも意が払われたということは、それだけ上野発(本来は)の夜行列車に押し寄せる乗客が多かったということなのでしょう。まして当時の列車は全席指定ではなく、自由席があったため、乗車券と急行券さえあれば乗れました。それだけ安価かつ手軽な帰省手段だったということで、そりゃ乗客も集中しますなあ…。

品川発の列車は、品川駅を発車した後、現在の「成田エクスプレス」のルートで大宮まで進みます。当時は湘南新宿ラインなどというものはありませんから、渋谷も新宿も池袋も全て通過。その中を、EF57とかEF58とかの旧型電気機関車に牽かれた一般型客車の急行編成が静々と通過していくわけですよ。見てみたかったですね。この列車が渋谷や新宿の夜の光の中を進む姿を。恐らく、当時の鉄道愛好家でも写真に残した方はいらっしゃるのだろうと思いますが、鉄道趣味誌などで見たことはありません。

ただ、同じ東北方面へ向かう列車でも、常磐線経由の「十和田」系統だけは、品川発とはされず上野駅発のままとされました。これは山手貨物線から常磐線へ入るためには田端操車場でターンする必要があるためで、機関車牽引列車にはできない相談だったからです。後年、JR発足後しばらくの間、この田端操車場ターンを利用して臨時列車(電車)が運転されたことがありますが、電車ですらもターンの手間が嫌われたせいか、運転されなくなってしまいました。

 

次回は、日本海縦貫線などの、東海道・山陽系統以外の大阪発着の系統を見ていきます。

 

-その3に続く-

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