今回は予告編とは順番を変えて、新幹線開業に伴う「あさま」の終幕とその後を取り上げます。

廃止直前の平成9(1997)年初頭の段階では、「あさま」は1日19往復が運転されていて、うち4往復が直江津まで達していました(下り29号は長野-直江津間を快速として運転)。さらに「白山」が1往復ですから、上野-長野間の特急は実質20往復を誇っていました。
翌平成10(1998)年2月の長野冬季五輪開催を見据え、北陸新幹線の高崎-長野間の開業が迫っていましたが、国鉄時代の新幹線開業と異なり、在来線の優等列車が廃止されるだけではなく、横川-軽井沢間を廃止、軽井沢-篠ノ井間を第三セクター「しなの鉄道」としてJRから経営分離されるという、これまでに例のない方式になっています。
平成9(1997)年4月14日、北陸新幹線(長野新幹線)長野開業の日程と列車名が発表されました。開業日は同じ年の10月1日、列車名は「あさま」。これまでの新幹線では速達型・各駅停車型と複数種類の列車名称を導入していましたが、長野までの暫定開業ということもあるのか、あるいは短距離の路線ということもあるのか、速達型・各駅停車型問わず、全て「あさま」1種類に統一されることになりました。これは所謂「ミニ新幹線」である山形・秋田両新幹線を別にすれば、初めての事例です。しかしそのせいで、東京-長野間ノンストップの最速列車と、同区間を全ての駅に停車する列車が同じ名前という結果になってしまいました。もっとも、他の列車も停車駅パターンが複数あって類型化が難しく、列車名を別ける意味すらないような状況でしたので、これなら「あさま」一本でも無問題と、JRの中の人は考えたのでしょう。

このように、新幹線開業の時期と列車名が「あさま」と決定したことで、在来線特急としての「あさま」「白山」の寿命は、平成9年9月末日までということになりました。
新幹線開業と引き換えに「あさま」「白山」と「横軽」がなくなるということで、この年の夏ごろから、鉄道趣味界では一大フィーバーが巻き起こり、碓氷峠や信越線沿線には、これら列車の撮影者が引きも切らない状態となりました。
そして最終日である9月30日には、当時テレビ朝日系列で放送していた「ニュースステーション」(現報道ステーション)の中で、碓氷峠を最後に越える下り「あさま37号」が「横軽」を越えていく様子が生中継され、フィーバーは最高潮に達しました。

翌10月1日、「あさま」が走り始めました。昨日までの189・489系ではなく、新幹線E2系8連が、碓氷峠を行き交い始めています。
新幹線開業により在来線の「あさま」「白山」は廃止されましたが、長野以遠に関しては、接続列車として特急ではなく、快速「信越リレー妙高」が運転されることになりました。この列車は、快速列車でありながら189系のモノクラス6連とし、うち1両を指定席車とするものでした。同列車は1日8往復での運転でしたが、運転開始初日の上り2号では、所定のモノクラス6連ではなく、グリーン車の組み込まれた9連が使用されました。言うまでもなく、この編成は前夜に「あさま」として直江津に到着した編成ですが、「信越リレー妙高」にグリーン車入りの編成が使用された例は、これだけとなっています。グリーン車の扱いはどうしたんでしょうかね?
なお、新幹線開業に伴って、「あさま」用のJR東日本所属の489系は全車廃車となり、夜行急行「能登」は前日の9月30日発車分から上越線経由に変更され、運転を継続しています。

それでは「あさま」用の189系電車はどうなったかというと、上記のとおり一部が「信越リレー妙高」用として長野に残ったほかは、多くが「あずさ」用として松本に転属したほか、状態の悪い車両から廃車になるものが出ています。同系を受け入れた松本でも、幕張からトレードされた183系0番代の中間車が廃車になっています。このころから、両「山の特急」に使われた183・189系の老朽廃車が始まっています。
「あさま」編成の「あずさ」転用として思い出されるのは、この年の10月12日に発生した、大月駅での列車衝突事故による転用です。この事故により、「スーパーあずさ」に使用していたE351系が1編成使えなくなってしまったため、「あさま」用だったグレードアップ車11連を「あさま」カラーのまま「あずさ」に転用しました。勿論、189系とE351系との間には著しい性能差があるため、「スーパーあずさ」は一部列車のダイヤを修正した上、スーパーのつかないただの「あずさ」として、189系で運転しています。
この事故に遭遇したE351系編成は、特にダメージの大きかった5両が解体され、代替の車体が車両メーカーで新造されることになりました。しかし、名義上は廃車→代替新造ではなく復旧。なぜかというと、新造したのは車体だけで、その車体にダメージを受けた元の車両の機器類を移植した上、原番号で落成しているから。このあたりは、同じように衝突事故で大ダメージを受け、新しい車体に機器を全て移植して復旧した東急のデハ3472号とも相通じるものがあります。

なお、「白山」なきあと、長野からの新幹線接続特急としては、長野-新潟間の「みのり」2往復(485系)のほか、金沢・福井方面への「信州」(臨時列車・485系)が運転されましたが、両者とも乗車率は芳しくなかったようです。特に「信州」は早い時期に運転されなくなってしまいましたが、やはりこれは、東京-北陸間の旅客が越後湯沢乗り換えの「はくたか」ルートに流れてしまったことが理由でしょう。
「みのり」も安泰というわけではなく、平成12(2000)年12月のダイヤ改正では、長野発着の列車が1往復削減されました。しかしその1往復が、これまでの485系から183・189系使用に変更され、長野-直江津間での同系の特急運用が3年ぶりに復活しました。一見すると喜ばしいニュースですが、それも長くは続かず、翌年のダイヤ改正で「みのり」の長野-高田間を廃止、これに伴って長野-直江津間での183・189系の特急運用が全て消滅しました。同時にこの改正では、「信越リレー妙高」も、これまでの8往復から3往復へと大幅に減便されてしまっています。総じて、長野-直江津間の旅客流動量がかなり落ち込んでしまいましたが、その理由はやはり、東京-高田・直江津だと越後湯沢乗り換えの「はくたか」ルート、長野-長岡・新潟でも高崎での新幹線乗り換えの方が速くなってしまったこと、はたまた安価な高速バスの台頭などです。これらの要因と、さらにはウインタースポーツの競技人口の減少によって、これまで多かったスキー客も激減し、この区間はほとんどローカル輸送のみになってしまいました。

次回は、予告編とは相当順番を違えますが、「あさま」の兄弟列車として存在感を発揮した「そよかぜ」の歴史を回顧してみたいと思います。

-その14に続く-

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改良型の「N700A」を加えれば、JR東海所属分だけで100編成を超える一大勢力となっているN700系。勿論、JR西日本・JR九州所属の車両も主力となっており、東海道・山陽・九州各新幹線の覇権を握った感もあります。特にJR東海では、ほとんどの列車がN700系で運転され、N700系で東京駅のホームが埋め尽くされる様は、国鉄時代の0系黄金時代を見るかのようです。

その国鉄時代は、0系が0系を置き換えるという、今から思うと信じがたい光景が10年程にわたって展開されていましたが、やはり「歴史は繰り返す」のでしょうか。

…前置きが長くなりました。
なぜこんな「まくら」を振ったかというと、こんなニュースが飛び込んできたから。

東海道・山陽新幹線に新型「N700S」、2020年度登場へ JR東海

JR東海は2016年6月24日(金)、東海道・山陽新幹線用の新型車両「N700S」を、2020年度を目途に投入する方向で検討していると発表しました。「S」はN700系シリーズ中、最高の新幹線車両であることを意味する「Supreme(最高の)」を表すといいます(後略)

乗りものニュースより)

「N700S」のスペックは以下のとおり。

・ 炭化ケイ素(SiC)素子の次世代半導体を、モーターを動かす駆動システムに搭載し、大幅な軽量化と小型化、さらなる省エネルギー化を実現。
・ 床下機器の配置を最適化することにより、16両編成の基本設計をそのまま用いて12両、8両などに変更可能な「標準車両」を実現。
・ 先頭車の形状はN700系を踏襲しつつ、三次元形状を考慮したシミュレーション技術を活用して進化させた「デュアルスプリームウィング形」を採用。
・ 客室内では、グリーン車の全席に設置しているモバイル用コンセントを普通車の全席にも設置。車内の異常時には、車内防犯カメラのリアルタイム画像を指令所などで確認できるシステムも導入される予定。

以前の東海道新幹線の歴史回顧の連載記事の中で、管理人は「もはや(技術の進歩・発展が)行き着くところまで行き着いた」と記しましたが、さらにまた「行き着く先」があったのは驚きです。あのN700からさらに7%の電力消費量削減ですか…。

「N700S」は、まず確認試験車(16両)が再来年、平成30(2018)年3月完成に向けて製作され、量産車はさらにその2年後に導入する方向で検討が進められます。「N700S」の投入は、平成19(2007)年のN700系以来、13年ぶりの新型車両導入となります。
ともあれ、これでNのつかない700系の淘汰に弾みがつきますね。

(上記ページから引用)
なお、現在使用されている700系については、2019年度末までに順次廃車される計画です。その先頭形状から「カモノハシ」とも呼ばれているこの車両は、1999(平成11)年3月に東海道新幹線へ登場。それからおよそ20年で、同新幹線からの引退になります。
以上引用終了

いよいよあと4年ですか…。


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この顔もあと4年(以前の記事から転載

しかし、これで700系が退役すると、東海道新幹線は

N700でN700を置き換える

ということになります。
できれば、管理人は「N700S」は試験車に肖って「1000系」としてほしいのですが…。

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6月19日の練馬駅では、こんなネタ編成も撮影することができました。
それが、30000系による「100年アニバーサリーフォトコンテストトレイン」。


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全貌

外観はヘッドマークを掲出していることと、側面のラッピングだけで、それほど変わったところはありません。というか、側面のラッピングそのものに意味があるわけですが…。

先頭車両のサイドビューはこちら↓


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「100年トレイン」のロゴ その反対側には…。

反対側の戸袋部分には、写真がラッピングされています。

こちらの写真だともっとはっきりしますよね↓


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写真がいっぱい

これはどういうことかというと、西武鉄道で「100年アニバーサリーフォトコンテスト」を開催して、そのときの入賞作品12点を、車両にラッピングしているのです。で、入賞作品をラッピングした編成が「100年アニバーサリーフォトコンテストトレイン」ということです。

「100年記念フォトコンテスト」に関する西武の公式リリースは、こちらをご覧ください。

この「100年アニバーサリーフォトコンテストトレイン」、今月いっぱいまでだそうです。ということは、管理人はギリギリのところで捕獲できたことになります。

なお、当記事のタイトルは嵐の歌で、「100年先も愛を誓う~」という歌詞のあれです。

※ 当記事は06/26付の投稿とします。

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さて。
折角松原団地駅を訪れたからには、駅名改称のきっかけとなった「草加松原」を見ておくのが当然と思い、駅から歩いていってみることにしました。
草加市でもこんなポスターを作って「草加松原推し」。


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出来の良い観光宣伝ポスターだと思う

勿論、ポスターだけではなく、草加市の公式HPでも独立したページをつくっており、「草加松原推し」に余念がありません。
しかし、これを見れば見るほど、最寄駅である「松原団地」という駅の名称、「草加松原」でいいような気がしてなりません。

場所及び周辺の地図は、こちらを参照してください


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こちらから

草加松原へは、こちらの東口から正面大通りを進み、県道足立越谷線とぶつかる交差点まで歩きます。

途中にはこんな垂れ幕が↓


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「パインアベニュー」とは

「パインアベニュー」=「松の木通り」という名称は、草加松原にちなんだものでしょう。

そして交差点まで来ると、こんな碑が立っています。


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国指定名勝らしい

この「草加松原」は、平成26(2014)年に国指定名勝になったようです。

このあたりからの松並木の眺めを、ノーキャプションでどうぞ。1枚目が↑の場所から橋(百代橋)のたもとで橋に背を向けて撮影したもの、2枚目が橋を渡ったところで1枚目と反対側を向いて撮影したものです。


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立派な松並木ですねえ。
今でこそ松並木が綺麗に整備されていますが、昭和57(1982)年まではここに上り車線が通っていたそうです。そのせいかどうか、明治初頭に800本以上あった松の木は、自動車の増加と共に枯死が相次ぎ、60本まで減少したとか。流石にこれはまずいということで、地元が保存に乗り出したようです(Wikiの『草加松原』の項目)。

ところで、草加は松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で最初に立ち寄った宿場だそうで、そのため芭蕉にちなんだ石碑などがあります。
例えばこちら↓


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芭蕉のたどったルートが描かれている

この石碑の横には説明板も。


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石碑の文字の揮毫はドナルド・キーン氏だった

キーン氏も日本文学には造詣が深いですからね。松尾芭蕉も研究対象であり、「奥の細道」の評釈なども行っています。その縁で揮毫を依頼したとか。

最後に。
この「草加松原」に植わっている松の木の本数、634本なんだそうですが、それって「狙った」ものなのでしょうか…?

以前から駅名改称の話は噂のレベルであったのですが、このたび、東武から正式に発表されました。

東武スカイツリーライン 松原団地駅の駅名を「獨協大学前<草加松原>」に改称します!
(PDFファイル注意)

以下引用開始
東武鉄道(本社:東京都墨田区)では、2017年春に東武スカイツリーライン松原団地駅(所在地:埼玉県草加市)の駅名を「獨協大学前<草加松原>」に改称します。
(中略)
埼玉県草加市では、現在、独立行政法人都市再生機構(UR)による「松原団地」の建て替えおよび市街地の整備が進展していること、2014年3月に旧日光街道の「草加松原」が国指定の名勝地“おくのほそ道の風景地”となったこと等から、草加商工会議所を中心に、「松原団地駅名変更協議会」が設立され、今般、草加市及び同協議会の連名で当社に対し、「松原団地」の駅名を「獨協大学前<草加松原>」に変更して欲しい旨の要望が提出されました。
当社としても、開学以降、地域と歴史を重ねてきた「獨協大学」を駅名とすることで、「大学のあるまち」を想起させ、地域のイメージアップを図れるとともに、副駅名として国指定の名勝地「草加松原」を採用することで、観光地としてのPRにもつながることから、駅名を改称することといたしました。今後も当社では、地域とともに沿線価値向上を目指してまいります。
以上引用終了(赤字は管理人)

東武鉄道ポータルサイトより)

この駅名の改称に関しては、管理人も言いたいことが山のようにあるのですが、今日土曜日、現地を見て参りました。

電車を降りると驚くのが、ホームの両端にこんな看板が立っていること。


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目立つ

これは浅草方ですが、伊勢崎方にも立っています。


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こちらは伊勢崎方

そして駅の柱の駅名表示板もこのとおり↓


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「まつばらだんち 獨協大学」

そしてこちらが駅名標。


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こちらには「獨協大学前」とは入っていない

以前ご紹介した、サンリオキャラクターに制圧される前の京王多摩センター駅だと、駅名標の下に「サンリオピューロランド最寄駅」という案内表示が出ていたものですが、こちらはそういう案内はありません。だから現時点では「獨協大学前」という副名称をつけているわけでもなければ、「獨協大学最寄駅」と電車内などで案内しているわけではないんです。

以前の京王多摩センター駅はこうなっていました↓


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このくらいで足りたのでは(以前の記事から転載)
※サンリオキャラクター制圧前

で、改札を出ると、案内看板が。


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大学は西口から徒歩5分

西口はこうなっています↓


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いずれこの文字も「獨協大学前駅」に

「TOBU」の手裏剣ロゴと、「松原団地駅」という名称の組み合わせは、案外短命に終わることになりました。

以下は管理人の個人的意見です
管理人は、噂の段階でこのような駅名変更には懐疑的でした。
それは、大学その他公共施設などには移転の可能性があり、万一駅名の元になった施設が移転してしまうと、駅名の「名が体を表さない」ことになってしまうことから、再度の駅名変更が必要になってしまうからです。
「名が体を表さない」駅名として最も著名なのは、東急東横線の学芸大学・都立大学、西武新宿線の都立家政、小田急線の向ヶ丘遊園ですが(都立家政は『作られるはずだった施設が作られなかった』という理由でこうなったので以下では除外)、いくら半分地名になってしまったとはいえ、やはり「名が体を表さない」駅名は邪道だと思われます。これは管理人が十数年前に実際に遭遇したのですが、中国人留学生が学芸大学駅の前で「(大学の)学芸大学はどこにあるんだ?」と、管理人に大真面目に尋ねてきたという体験があったからです。そのとき、管理人は「JRの中央線の武蔵小金井というところに行って、そこからバスで…」というと、泣きそうな顔になっておりました。今でも受験シーズンになると、数人の受験生が間違えて東横線の学芸大学駅に降り立つそうです。

「松原団地」の駅名を変えるとしても、「獨協大学前」にする必要まではなかったのでは、と思うのは、ひとり管理人だけでしょうか。どうしても大学名を冠したければ、「草加松原(獨協大学前)」で事足りたのでは?
というか、東武は以前歴史的な意味のあった地名(墨田区業平)にちなんだ「業平橋」を、いともあっさりと「とうきょうスカイツリー」に変更してしまいましたから、こういうのの変更には何らの躊躇を感じないのかもしれません。大昔は自社のレジャー施設の開業に伴い、歴史ある駅名の「杉戸」をあっさり「東武動物公園」に改称してしまいましたし。これらも今思えば「杉戸(東武動物公園)」「業平橋(東京スカイツリー)」でよかったような気がします。

この後、管理人は「草加松原」を見て参りました。それは次の記事で。