さすらい館

俄笑うないつか来た道、老害笑うないずれ往く道。私も「老害」呼ばわりされないよう気をつけなければ(^_^;)

重要なお知らせ
本年度3つ目の連載テーマ、「客車急行・最後の40年」、いよいよ連載開始します!

当ブログの総合案内
1 当ブログに初めてお越しの方は、まずは「当ブログの御案内」及び「管理人から御来訪の皆様へのお願い」にお目通しを願います。
2 当ブログから各方面のリンクはこちら
3 連載記事はこちら

ひとこと>(時々管理人の気まぐれで不定期に改訂されます)
日比谷線用の新車13000系が遂にロールアウトしましたが、今後営業運転はどうするのでしょうか。中目黒や北千住での整列乗車は混乱しそうな…。

NEW !
テーマ:

どこの路線にも、1日数本しかない「レア行先」の列車があるものです。例えば京浜東北線の東神奈川行きとか、中央線快速の高麗川行きとか。

東横線にも勿論あって、それは平日深夜の上りに1本だけある「自由が丘」行き。

同じ自由が丘行きでも、大井町線ではなく東横線。

その列車がどのようなものか、見に行ってみることに。

 

深夜の田園調布駅で、その自由が丘行きを待ちます。

 

 

160924_000315_ed.jpg

確かに「自由が丘」の文字が

 

やってきました。自由が丘行き。

側面表示・同(英語)・車内案内表示の3点をノーキャプションで。

 

 

160924_001613_ed.jpg

 

 

160924_001616_ed.jpg

 

 

160924_001629_ed.jpg

 

確かに自由が丘行きだ…。

 

しかし、大井町線であれば自由が丘行きがあってもおかしくないのですが(現在は自由が丘止まりの列車はない)、留置線や折返し線のない自由が丘駅でどうするのだろうかと思って、自由が丘止まりの電車に田園調布から乗り込むと、自由が丘は副本線の6番線に入線しました。そこでお客を全て降ろします。

 

 

160924_001836.jpg

到着

 

この写真で6番線到着はお分かり頂けるものと思います。

 

そして、ドアを閉めてしばらくすると…。

 

 

160924_002149.jpg

電源が落とされた

 

このまま翌朝まで留置されるのでしょう。自由が丘-田園調布間には渡り線もあるにはありますが、翌朝田園調布始発がないところをみると、朝になったら渋谷へ回送するのでしょう。

 

つまり「自由が丘行き」の電車は、同駅の副本線で夜を明かすことが判明したわけですが、下りの副本線(3番線)にも、翌朝まで留置される編成があることが判明しました。

 

下りホームの案内表示。

 

 

160924_002358_ed.jpg

「当駅止り」とは???

 

下りの自由が丘止まりはなかったはずなのにおかしいな…と管理人が訝しく思っていると、都立大学方から回送電車が。

 

 

160924_002616.jpg

回送電車がやってきた

 

この段階では、室内灯は点灯していました。

 

 

160924_002630.jpg

回送で到着

 

勿論、この編成は程なくして、電源を落としたのか室内灯は全て消されましたが。

こちらは朝を迎えた段階で元住吉の車庫か菊名まで回送されるのでしょうか。

 

蓋を開けてみると、「なーんだ」としか思わないことでも、実際に見てみるまではわからないことって結構あるものですね。

以上、真夜中のネタ列車でした。

 

【取材日 平成28年9月23日】

AD
いいね!した人  |  コメント(2)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:

昨日管理人は、定期検診のため仕事を休みました。

その合間に祐天寺駅に寄り、通過線の設置状況をチェック。

 

すると、渋谷方・横浜方とも、通過線部分の分岐器が挿入されていることを確認しました。

 

まず横浜方。

 

 

160928_102303_ed.jpg

確かに分岐器がある

 

祐天寺駅の通過線は1線だけで上下共用なので、ここと渋谷方の分岐器は必須です。

しかし見たところ、上り線の方がまっすぐになっていますので、やはり通過線としての使用は上り列車がメインということになるんでしょうか。

 

こちらは渋谷方。こちらにも分岐器が入りました。

 

 

160928_102709_ed.jpg

分かりにくい?

 

立ち入り禁止エリア外から撮影した写真だと、これが限度です。ごめんなさい。

 

あとは通過線の予定場所に枕木や線路が置かれている様子ですが、渋谷方は枕木だけではなくレールが置かれました。

 

 

160928_102720_ed.jpg

もう敷設作業に入っている

 

いよいよ両端の分岐器も設置され、また写真では分かりにくいですが、通過線部分には頭上に架線も設置されています。

こうなると、通過線の完成は時間の問題ですね。

 

【取材日 平成28年9月28日】

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

一昨日、思わぬ形で大手私鉄各社がメディアを賑わせることになりました。

 

EU、企業名挙げ私鉄の市場開放要求…日本反発

 

日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)交渉を巡り、EUが鉄道事業の協議で日本の私鉄の市場開放を求めていることが分かった。

これまでにJR東日本、東海、西日本の3社が市場開放を約束しており、日本側は更なる要求に反発している。ブリュッセルで26日に始まった交渉会合で打開策を探る。

鉄道協議を含め、政府などが物品を買い入れたり公共事業を発注したりする「政府調達」分野は関税協議に次ぐ難関だ。EUの経済政策を仕切るカタイネン欧州委員会副委員長は「最終段階に入る用意がある」と述べており、年内の大筋合意に向けて双方が妥協点を見いだせるか注目される。

日本の交渉筋によると、EUが企業名を例示し、私鉄事業の規制緩和を迫ってきたという。近鉄や阪急電鉄などが挙がった模様だ。

 

YOMIURI ONLINEより)

 

槍玉に挙がったのがこの2私鉄ですか…。

 

 

120522_172131.jpg

 

 

120410_135228.jpg

 

 

関西私鉄が槍玉に挙がったのも、車両メーカーや電子機器メーカーとの付き合いを大事にしているという、特有の「体質」があるのが理由ではないかと思われます。例えば阪急は系列のアルナ工機が車両製造から撤退した後は日立に車両を発注し、電機品は京都線系と神戸・宝塚線系で異なるメーカーのものを搭載していますし、近鉄は系列の車両メーカーを持っています(近畿車両)し。

 

以前…というかそう古くない時代に、外国製の電機品を用いた車両は登場しています。それが、京急2100形やJR東日本のE501系で、これらは独シーメンス(ジーメンスとも)の電機品を採用していました。

独シーメンス製電機品の採用は、京急の新1000形の一部にもありました。

これらの車両は、発進・停止時に独特な音階を奏で、鉄道趣味界では「ドレミファインバータ」などといわれて親しまれていました。

 

 

120218_142527.jpg

 

 

160814_173642.jpg

 

 

これらの車両が独シーメンスの電機品を採用したものの、現在ではJR東日本のE501系は電機品の換装で国産品に取り換えられており、京急でも2100形・新1000形の電機品の換装が進められ、「ドレミファインバータ」は風前の灯の状態にあります。

なぜそうなったかといえば、これら電機品が国産品とは仕様が異なり、特に保守面において不利な面があったから。聞くところによると、独シーメンスとのライセンス契約の関係で、鉄道事業者が勝手に修理することができなかったそうですが、もしそれが事実なら、日本国内の過酷な車両運用には到底対応しきれません。

実はこの「修理に難渋する」という問題は乗用車(外車)、特に欧州車にもあって、部品が払底しているなどの理由で、国産車よりも修理に時間がかかるということです。それと同じことが、鉄道車両の場合も起きていたわけです。

余談をいえば、欧州車の中でもメルセデスだけは、群を抜いた頑丈さにより故障が発生する確率が低くなっているんだそうです。

 

そのような次第で、海外産の電機品を採用することは、日本の鉄道事業者が躊躇せざるを得ないのも理解できます。

まして日本の場合、世界的にも例を見ない大混雑と過酷な車両運用など、車両及び電機品には過大な負荷がかかります。果たしてそのような車両を製造することができるのか、できるとしてアフターサービスができるのかには、正直言って疑問を持たざるを得ません。

 

かつて独マイバッハ製のエンジン及び変速機構を搭載して、華々しく登場したDD54形というディーゼル機関車がありましたが、実働10年程度で退役を余儀なくされました。その理由は、当時の国鉄の労使対立などに起因し、精密すぎる変速機構が当時の国鉄検修陣には使いこなせなかったこともありますが、最大の理由はアフターサービスに難があったことです。ライセンス契約の関係上、勝手な修理が罷り成らず、そのために稼働率が低下したことです。

現在のJR各社も含めた日本の鉄道事業者が、外国製の車両や機器を採用することに及び腰なのは、やはりこの時のトラウマがあることは否めない事実でありましょう。勿論、JR各社は一応門戸を開いてはいますが…。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

AD
いいね!した人  |  コメント(3)

テーマ:

その6(№3719.)から続く

 

国鉄が利用者の減少から「減量ダイヤ改正」を余儀なくされ、それが昭和55(1980)年10月のダイヤ改正につながった…ということは、前回言及したとおりです。

その落ち込みが最も激しかったのが関西-九州間で、既に昭和53(1978)年10月のダイヤ改正で「あかつき」「明星」の削減、急行でも「阿蘇」「くにさき」の大阪-門司間併結(実質上の1往復廃止)の措置が取られました。その翌年には、「夜行列車全廃論」が当時の政治家から唱えられるなど、国鉄を取り巻く環境は厳しさを増していきました。流石にこれは暴論に過ぎるということで、程なく撤回されていますが。

「阿蘇」「くにさき」の併結化も虚しく、関西-九州間急行の乗車率は好転せず、遂に昭和55年10月のダイヤ改正で、「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」が軒並み廃止の憂き目に遭うことになりました。これにより、関西-九州間の定期客車急行は全廃されてしまいます。

今にして思えば、同じ14系寝台車を使って、急行列車を寝台・座席の混成にして残した上で特急の方を廃止すればよかったのではないかと思いますが、このころの関西-九州間の旅客流動の落ち込みは、もしかしたら想像を絶するレベルだったのかもしれません。

上記関西-九州間の夜行以外では、函館-札幌という夜行としては短距離であったにもかかわらず「フルセット」編成の威容を誇っていた「すずらん」1往復が廃止され、臨時に格下げされています。この年、北海道ではダイヤ改正と同時に千歳空港駅(当時)を開設し、航空機で北海道に出入りするお客を取り込むという「現実路線」に舵を切っていますが、その理由には東京-札幌間の旅客の鉄道利用シェアが僅か5%まで激減してしまったことがあります。「すずらん」廃止も、そのような中で乗客が減少したことが理由でしょうが、見方を変えればこのような「現実路線」への方針転換を象徴する出来事と言えそうです。

なお、当時は函館-札幌間の夜行は小樽経由の普通列車があり、夜行列車自体は残っていました。ただしこの列車、荷物列車としての2桁の列車番号を名乗り、荷物車・郵便車に座席車が3~4両連結されていただけだったので、純粋な函館-札幌相互間の夜行需要は、観光シーズンなどを除けば、その程度だったのかもしれません。

 

さて、この改正で「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に使用していた14系客車が浮きました。

そこで国鉄当局はこの14系客車をどうしたかというと、耐寒耐雪性能を強化した仕様に改造し、北海道に転用することとしました。

改造内容は暖房機能の強化(これによって、電源車スハフ14の給電能力が6両から4両に減少)と客用扉の変更(折戸から引戸へ、凍結防止にドアレールヒーターも装備)、それと10系客車など一般型客車との混成を可能にしたことなどで、翌年から「ニセコ」に投入されています。

「ニセコ」は14系置き換えに伴い、グリーン車の連結こそ廃止されてしまいましたが、普通車に限っていえば、冷房のないボックス席のスハ45系に比べれば、冷房付き簡易リクライニングシートの14系は飛躍的なサービス向上と言えました。

このころはまだ、郵便・荷物車の継走の必要があり、「ニセコ」を客車のまま残しておいたのもそれが理由だったのですが、流石にスハ45系ではサービスレベルに難があったのでしょう。

なお、この年の10月には石勝線(千歳空港-追分-新得)が開業し、特急「おおぞら」などとともに、夜行急行「狩勝」も石勝線経由に変更され、愛称を「まりも」と変更していますが、使用車両・編成内容とも従来どおりでした。ちなみに、改正前には急行「狩勝」は夜行を含め4往復ありましたが、夜行含め2往復が石勝線経由に変更され「まりも」と改称、従来の滝川経由のルートには2往復が残りました。

 

さて、さらにその翌年、昭和57(1982)年は、定期客車急行列車が全て20系以降の所謂「新系列客車」に統一され、サービスレベルが飛躍的に改善されるのですが、全国的な動きは次回に譲るとして、北海道での置換えの状況を取り上げます。

昭和57年11月のダイヤ改正で、「利尻」「大雪」「まりも(←狩勝)」の3系統の夜行急行は、それまでの一般型客車から、寝台車も含めて14系客車に置き換えられることになりました。しかし、ダイヤ改正実施の時点では寝台車の改造が間に合わず、とりあえず座席車だけを14系に変更することとし、寝台車は当面の間10系寝台車の連結が継続されました。14系座席車は、北海道向け改造の一環として一般型客車との混用を可能にする改造が施されていましたが、その機能がここで役に立ったことになります。

座席車が14系に置き換えられ、居住性が飛躍的に向上したのはいいのですが、やはり他系統の列車と同様、グリーン車の連結は廃止されてしまいました。このころになってくると、グリーン車の存在意義が中途半端になっていたのと(運賃・料金を合計すると、グリーン車利用とB寝台車利用はそれほど変わらないか、前者の方が高額になる)、グリーン車自体が昭和20年代製造のスロ54とか鋼体化改造車のスロ62であり、老朽化・陳腐化が著しくなってしまったため、連結廃止も仕方のないことではありました。しかし、趣味的見地からいえば、編成のバラエティーが失われるということでもあり、その点では残念なことでした。

寝台車の置き換えが実現したのは、座席車を14系に置き換えた翌年の、昭和58(1983)年6月。これによって、全ての定期客車急行列車から、10系寝台車の連結がなくなっています。同系は普通夜行列車の「ながさき」「山陰」に残るのみとなりました(『からまつ』は昭和55年10月のダイヤ改正で廃止、『はやたま(←南紀)』はこの時点では列車としては存続していたものの、前年の昭和57年5月に寝台車の連結がなくなった)。

ただ、14系の北海道転用に際しては、寝台車はB寝台車のみが改造され、A寝台車は対象とされませんでした。そのため、10系寝台車のときはA寝台車を連結していた「まりも」は、寝台車の14系置き換えと同時に、A寝台車を失うことになりました。これによって、北海道からA寝台車が消えますが、その復活は14系寝台車置換え完了の5年後、青函トンネルの開業で寝台特急「北斗星」が運転されるようになってからです。

 

なお、昭和55(1980)年10月に定期としては廃止された函館-札幌間の「すずらん」ですが、その後も年末年始や観光シーズンなどに、14系客車の予備車を活用した臨時列車として運転され、それなりの乗客を掴んでいました。しかし、定期列車時代の「フルセット」の威容からは程遠く、座席車と寝台車を合わせても4~5両編成という、非常にささやかなものでした。それでもこの臨時夜行「すずらん」、青函トンネル開通直前までは、年末年始や観光シーズンには必ず運転されていました。

 

さて、このように北海道の客車急行は14系に置き換えられました。

次回は、その他の系統における新系列客車への置換えの過程を取り上げます。

 

-その8に続く-

いいね!した人  |  コメント(2)

テーマ:

前編から続きます

 

管理人はかつての「東急東横線-東急文化会館への連絡通路」から、かつての東横線渋谷駅の正面にあった入口から銀座線渋谷駅に上がろうとしたのですが、閉鎖されていたようで、已む無く山手線を乗り越え、井の頭線側から回り込みました。

そこの入口は、案内表記類こそ東京メトロのモードですが、随所に「昭和」を感じさせる雰囲気が残っています。

 

改札口はこんな感じ。

 

 

160925_125120_ed.jpg

階段がいかにもという感じ

 

現在のバリアフリーの発想からすると、考えられない構造ですね。

ただ、こういう構造は私鉄の駅などには多かったものです。

 

こちらが切符売り場。

 

 

160925_125127_ed.jpg

券売機は最新型だが

 

床の模様・色といい、低く張り出した梁といい、いかにも「昭和の建造物」という感じです。こういうのも見られなくなりますから、写真に収めるのは今のうちです。

 

こちらは発車待ち中の1000系。

 

 

160925_125303_ed.jpg

何となく周囲が明るい

 

この写真では分かりにくいですが、やけに周囲が明るかったのですよ。

それで、↑の電車が発車した後、改めて見回すとこのとおり!

 

 

160925_125446_ed.jpg

何と吹きさらし!

 

完全にホームを覆っていた建物(東急百貨店東館)は取り壊され、ホームが残されたため、このように太陽の光を浴びるようになってしまいました。

 

昨年8月は、まだ建物の中にありました。

 

 

150819_132727_ed.jpg

このときは取り壊しの真っ最中だった(昨年8月に撮影・以前の記事から転載)

 

さて、管理人が利用しようとした「東横線渋谷駅の正面にあった入口」ですが…。

ご覧のとおり、閉鎖されておりました。

 

 

160925_125324_ed.jpg

閉鎖から間がないように見える

 

床には自動改札機の撤去跡が。

 

 

160925_125337_ed.jpg

これは自動改札機の撤去跡

 

それでは、こちら側の入口はなくなってしまったのかというと、ありました。

この入口のさらに表参道寄りに、小ぶりな改札口が作られていました。

 

 

160925_125400_ed.jpg

これが新たな改札口

 

こちらからの乗車は少なかったようです。

 

遂に銀座線渋谷駅を覆っていた東急百貨店東館の建物がなくなり、再来月には2度にわたって渋谷-表参道間で列車の運転を止めて工事をすることになりました。列車を止めてまで工事を行うこと自体、渋谷駅の移設工事が佳境に入ったことを示すものですが、工事完成までにはあと5年あります。その5年を長いと見るか短いと見るかは人それぞれでしょうが、また姿を変える渋谷駅。その変わりゆく姿も記録していきたいものです。

 

追記

今日、銀座線で1000系の現時点での最新編成となる第37編成に遭遇、合わせて01系第30編成に乗車することができました。

37編成まで運用入りしたということは、残りもいよいよあと3本。最後の2本は特別仕様車となるので、通常仕様車はあと1本だけとなります。

同時に01系も退役間近となりましたが、最後まで残る01系は第何編成でしょうか。

 

◇関連記事

№3218.【移設間近】2014年7月の地下鉄銀座線渋谷駅【1年前の記録】

(一昨年の銀座線渋谷駅の状況です)

№3244.【移設完了までには】仮設状態の銀座線渋谷駅【01系退役】

(昨年の銀座線渋谷駅の状況です)

 

いいね!した人  |  コメント(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。