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冒頭の写真は、今日(21日)発売になった、「鉄道ファン」(RF誌)「鉄道ピクトリアル」(RP誌)の各2017年3月号です。

両者の特集は全く正反対と言えるほど異なっていて、RF誌は「東京圏鉄道未来図」なる、よく言えば夢のある記事と言えますが、悪く言えば妄想の垂れ流しとしか評し得ない記事。こなたRP誌は「東急8000系」で、677両全車の履歴は勿論、編成替えの過程なども克明に記録されています。

資料性が抜群といえるRP誌に対し、RF誌には、「こんなの特集で取り上げるようなネタだったのか?」という疑問が浮かんできます。勿論、読めばそれなりに面白いのは確かですが、特集で取り上げるようなネタではないような。特集なら、特急「あずさ」の半世紀とか、小田急ロマンスカーの60年とか、そっちの方が価値があると思うのですが…。

鉄道趣味誌としてはもう2種類、「鉄道ジャーナル」(RJ誌)「鉄道ダイヤ情報」(DJ誌)がありますが、この2誌に関しては、最新号を管理人が読んでいませんので、これらに対するコメントは述べません。

 

以上は話の本題の「まくら」で、本題はこの先。

これら鉄道趣味誌、「鉄道本」の目指す場所はどこなのか? ということです。

 

既にインターネットの急激な普及によって、新聞・雑誌といった「紙媒体」は、メディアとしてのアドバンテージだった「速報性」を失ったといわれます。しかも、ネット環境も当ブログの発足当初と比べて激変しており、当時は掲示板つきの個人HPが主流だったものが続々とブログサービスに移行した時期だったのですが、最近はより手軽に発信できるTwitterやInstagramが普及し、さらに個人の情報発信の場は広がっています。

このような状況下では、紙媒体はもはや、速報性では到底勝負にならないことを率直に認め、①資料性(後世の記録資料になるという意味で)あるいは②論点の掘り下げその他深い学術的な考察などを重視する方に軸足をシフトさせざるを得なくなるのも道理でしょう。

 

今のところ、その軸足のシフトに成功していると思われるのがRP誌。同誌は昭和25(1950)年創刊という非常に古い歴史を誇る鉄道趣味誌ですが、その内容は趣味誌というよりは、もはや学術研究専門誌のレベルにまで達しています(①)。そしてその学術研究専門誌レベルに達した結果として、一つ一つの記事には抜群の資料性という大きな付加価値が付与され(②)、そこがネットに対する大きなアドバンテージとなっています。

これに対し、必ずしも成功していないと思われるのが、RF誌とRJ誌。RF誌はかつては車両の特集などで大変な資料性の高い号をいくつも発刊してきましたが、最近ではそこまで資料性の高い号とはいえないものも増えています。かつて1970年代に、同誌が20系客車とか地下鉄50周年、はたまた食堂車(ホイシ9180から新幹線36形まで。余談ですが、当ブログの食堂車の連載記事タイトルはこれのパクリです)を取り上げたことがあったのですが、そのころのRF誌の方が資料性の高い号を量産しているのはなぜなんでしょうね?

ただし大急ぎで付け加えれば、RF誌はビジュアルも綺麗ですし、個々の記事も面白く読み応えがあるものが多いので、それは大きな売りになっているのだろうと思います。

 

RJ誌の方は「社会派」を標榜し、国鉄の分割民営化前後までは読者投稿欄でも喧々諤々の議論が交わされ、当時の編集長竹島紀元氏の方針とも相まって、RP誌とは別の意味で非常に硬派な路線を貫いており、それだけにコアな読者を多数つかんでいました。

しかし、国鉄がJRになってしばらくしたころから、「社会派」ならではの鋭い考察も影を潜め、特に鉄道事業者に対する批判的考察が見られなくなったのが、読者の離反を招いてしまいました。また個人情報保護や肖像権保護などの関係で、同誌の大きな売りだった「列車追跡」シリーズの取材・記事作成に大きな支障を来すようになってしまったことも、マイナスの要因に作用してしまいました。これはRJ誌の責任ではない外的要因なのですが。ただ、「社会派」を標榜する割には…ということで、②の点が中途半端になってしまったのは事実です。

DJ誌に関しては、所謂「撮り鉄」の愛好家に対する情報提供という意味があるので、当記事の範疇からはやや外れるように思われます。

 

あらゆる情報がインターネット、それもPCではなく掌の上のスマートフォンで瞬時にアクセスできるようになった昨今、「鉄道本」が生き残るためには、インターネットにないものを提供していくしかありません。それができない雑誌は、残念ですが淘汰されていくしかないのでしょう。

「強い者が生き残るのではない、適応できる者が生き残るのだ」とはダーウィンの進化論ですが、「鉄道本」にもその論は当てはまるように思います。

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【一度公開した記事ですが、不具合がありましたのでいったん削除し、再アップいたします】

 

不定期でお送りしております「バス折返所の表情」シリーズ。今回は、川崎市の北端、菅四丁目バス停を取り上げます。川崎市バスの本当の最北端は「中野島多摩川住宅」と思われるのですが、あちらは団地のど真ん中に折返所がありますので、最果て感はこちらの方が強いです。しかも、この菅四丁目バス停、住宅地と畑の境目の道路上にあるバス停なので、そもそも折返所すらないという(^_^;)

 

 

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これが菅四丁目バス停です

 

ではなぜ「折返所」とするかというと、ここで乗客は全て降ろされ、入れ替えさせられるから。ここには「登14」の支線系統が来ますが、循環系統にはなっていません。それでやや無理はあるものの「折返所」と評してもいいかなーと(^_^;)

 

では場所。

菅四丁目バス停は、川崎市多摩区菅(すげ)四丁目12番にあります。

地図はこちら↓

 

 

 

 

地図を縮小してご覧いただくとお分かりのとおり、このバス停は京王稲田堤駅から指呼の間にあり、楽に徒歩で到達できる距離です。しかも、近くにはJR南武線が走っていますが、稲田堤・矢野口両駅にもその気になれば歩いて到達できます。

しかも、ここを出る「登14」は、本線が向かう登戸方面には行かず、西菅団地へ向かってしまうため、ほとんどお客が乗らない路線となっています。

したがって、本数もたかが知れているわけでして↓

 

 

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少ない

 

本数が少ないのもそうですが、登戸方面へ行かないのであれば(乗り継ぎはできるようですが)、そもそも城下バス停(京王稲田堤駅至近)まで歩きますわな。

 

さて、それではなぜこのような場所で折り返すようになっているのかというと、以下のような理由だと推測されます。

以前の、というよりも大昔の「登14」は、府中街道を直進して東京都稲城市まで達していたそうです。それがその後、公営バスであるという理由から、路線が川崎市域内に限られた結果として、その路線がここでカットされたのではないでしょうか。そのカットされた名残として、ここで折り返す…というより循環して再度城下バス停方面へ向かうようにされたのでしょう。

 

ところで、このバス停の近辺にこんな車が停まっていました。

 

 

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ランボルギーニ!

 

今から40年近く前、一世を風靡したスーパーカーブーム。管理人は当然そのど真ん中の世代ですが、当時はランボルギーニ、フェラーリ、マセラティといった日本車にはない風貌の車に憧れを掻き立てられたものです。長じてから、この手の車は運転操作も大変で、維持費も大変という話を知って、現実を知りましたがw

 

で、この車の停まっていた脇にはこんなお店が↓

 

 

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外車販売店

 

まさかこんなところに(失礼)、こんなお店があるとは思いませんでした。

 

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既にJR各社のダイヤ改正は実施日及び概要が発表されていますが、東武もその1か月半後、ダイヤ改正を行うことになりました。

タイトルはド直球の「4.21」と付けましたが、ここは「しがつにじゅういちにち」ではなく「ヨンテンニイイチ」と読んでいただきたいところ。プロレスっぽいでしょ(笑)

 

…それはさておき。

 

2017年4月21日(金)ダイヤ改正を実施! 東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線・東武アーバンパークライン(PDFファイル注意)

 

東武鉄道(本社:東京都墨田区)では、2017年4月21日(金)に東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線・東武アーバンパークラインなどでダイヤ改正を実施します。このたび、特急列車関係の内容が決まりましたので、お知らせいたします。

(中略)

なお、2017年4月21日(金)に予定している特急列車以外の改正内容につきましては、詳細が決まり次第おしらせします。

(引用ここまで)

 

東武鉄道ポータルサイトより)

 

遂に発表されましたね。

今回は特急列車関係だけだそうですが、かなり盛り沢山な内容となっております。

列挙しますと以下のとおり。

 

1 新型特急リバティ導入、「リバティけごん」「リバティきぬ」「リバティ会津」「リバティりょうもう」に充当

2 日光・鬼怒川特急増発(平日+5本/日、土休日+9本/日)

3 野岩鉄道・会津鉄道へ乗り入れる特急「リバティ会津」の登場(8本/日)

4 「りょうもう」が全列車「久喜」に停車

5 「りょうもう」最終赤城行きの繰り下げ

6 通勤特急新設

(1) 一部列車が「せんげん台」「杉戸高野台」にも新たに停車

(2) 朝夕に「スカイツリーライナー」(浅草-春日部)新設

(3) 平日夕方~夜に「アーバンパークライナー」(浅草-大宮・野田市、浅草-運河、大宮-運河)誕生

(4) (2)の一部と(3)には新型特急リバティを充当

(5) 下り「スカイツリーライナー」のせんげん台以遠、「アーバンパークライナー」の春日部以遠は特急料金不要。

7 宇都宮線直通「しもつけ」は存置

8 板倉東洋大前停車の特急を上り列車にも拡大(上下各1本/日)

9 特急列車の季節による運転区分を廃止

10 全特急列車のとうきょうスカイツリー駅停車

 

いよいよ、満を持して「リバティ」こと500系がデビューすることになります(1)。

 

 

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ここにリバティが割って入る

 

500系は日光・鬼怒川方面の特急に充当されるだけでなく、野岩・会津方面へも直通します(2・3)。

「リバティ」の鬼怒川方面への列車の注目は停車駅。鬼怒川線・野岩・会津線、とくに鬼怒川~野岩線はほぼ各駅停車。しかも片道4本とはいえほぼ2時間間隔。これは明らかに、浅草~会津間の快速・区間快速の代替列車とみていいでしょう。ということは、それだけ6050系の運用が縮小されることになります。

ただ、現時点では鬼怒川・野岩・会津線のみの利用でも特急料金が必要であるように読めること。「アーバンパークライナー」などは特急券なしで利用できる区間を定めているため、それとのバランスを考えると、律儀に徴収するのかとも思ってしまいます。あるいは、浅草方面からの直通客からだけ料金を徴収するのでしょうか。続報を待ちたいところです。

 

なお、注目された「リバティりょうもう」ですが(1)、夜の下り1本のみにとどまっています。これが果たして500系の伊勢崎線系統進出の足掛かりとなるか、注目したいところです。

「りょうもう」は同時に、久喜へ全列車が停車となります(4)。これは、久喜での湘南新宿ラインとの接続を考慮したものといわれますが、館林・太田方面からの乗客が、かなり久喜で吸い出されているのでしょうか。

 

驚くのは通勤特急の充実ぶり(6)。現在も浅草発春日部行きの「けごん」が走っていますが、これを「スカイツリーライナー」として通勤輸送に特化しようというものです。しかもせんげん台への停車もするとは…。

そしてやはり、昨年と一昨年の年末に臨時運行された運河行き「きりふり」は定期化されることになりました。

 

 

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ここで特急車両が平日毎日見られるようになる

 

ただし野田市止まりになってしまい、運河折り返しは大宮発の列車になってしまいましたが。しかし大宮発の特急ってお客がつくんですかね。

 

そしてもっと驚いたのが、この列車が存置されたこと↓

 

 

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「しもつけ」です(写真は回送幕を出している)

 

鉄道趣味界では、500系投入に伴って「しもつけ」は廃止されるのではないか、という観測が流れていました。今回存置が決まり、それ自体は喜ばしいことです。

しかし、いつまでも350系を使って走らせられるとは思えません(宇都宮線はホーム有効長の関係で4連までしか走れない)。だから500系の格好の働き場所だと思ったのですが…。

ともあれ、これによって「しもつけ」が最後の300系列による定期特急列車ということになりそうです。

 

以上は特急だけですが、快速その他一般列車の動向も気になります。そちらは続報を待ちましょう。

 

※ 当記事で使用している写真は、全て以前の記事からの転載です。

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今回から全30回にわたり、485系の栄光に満ちた生涯を振り返る連載を開始いたします。長丁場となりますが、よろしくお付き合いのほどお願いいたしますm(__)m

 

485系は、「ヨン・サン・トオ」こと昭和43(1968)年10月1日のダイヤ改正を機に登場しました。同系は、直流1500V・交流20000V50Hz・交流20000V60Hzという、3種類ある国鉄(当時)の在来線電化区間をどこでも走れるオールラウンダーとして登場していますが、それ以前に、直流1500V・交流20000V60Hz用の481系、直流1500V・交流20000V50Hz用の483系が登場しています。

したがって、これら交直流特急型電車は3種類に分けることができ、交流電化区間の電源周波数を問わない車両だけが本来の485系であり、その他は厳密にいうと別系列です。事実、481系と483系では付随車を共通としていますが、両者の付随車が混用されるようになったのは、かなり後年になってからのことで、そういう意味でも全くの別系列と評してよい状態でした。

しかしそこは、あまり目くじらを立てても生産的ではないので、本連載ではこれら3者を包摂して「485系」と称することにします。

 

交直両用の特急型電車自体は、既に国鉄が昭和30年代から検討を重ねていました。交直両用の電車は、昭和35(1960)年に近郊型の401・421系、その2年後に急行型の451・471系が登場していますから、技術的な問題はありませんでした。勿論、直流電車に変圧器と整流器を搭載しただけで、実態は直流電車に他ならないものだったのですが、それはおいといて。この方式を採用したことについて、少なからぬ批判があるのも事実ですが、それは「現在の目で当時を見たもの」でしかないでしょう。これはこれで、当時固まっていた技術の延長線上にあるやり方でしたから、堅実なやり方であることは確かですし、同時に一定の合理性があったことも事実です。

国鉄は、451系が登場した昭和37(1962)年の10月1日から、上野-仙台間の急行「みやぎの」を同系により運転し、初の交直両用電車による優等列車となっていますが、本来であれば、当時不定期列車としてキハ80系気動車を使用して運転していた、上野-仙台間の特急「ひばり」を、新しい交直両用の特急型電車に置き換えて定期化する計画があったということです。もし当初計画どおり事が運んでいれば、「481系」は昭和37年に登場していて、その2年後に登場した「雷鳥」「しらさぎ」用の車両が「483系」となるという、史実とは異なる形式の付与がなされた可能性が高いと思われます。

ところが周知のとおり、この「新しい交直両用の特急型電車」は、このときにはまだ世に出ていません。「雷鳥」「しらさぎ」用として481系が登場したのがその2年後の昭和39(1964)年、「ひばり」用として483系が登場したのがさらにその1年後ですから、こと東北用という点で見ると、「新しい交直両用の特急型電車」の投入は、実に3年もの間「待ちぼうけ」を食わされたことになります。

 

それではなぜ、このころ計画された車両が投入されなかったのか?

当時東海道新幹線の建設が佳境に入っていて、そちらに資金を回せなかったから?

当時の国鉄の投資の順序として、東北は後回しにされ、冷遇されていたから?

 

どれも要因の一つであるとは言えますが、いずれも決定的な要因であるとは言えません。

当時、東海道新幹線開業に伴って151系が宙に浮くことは確実視されており、その151系を交直両用に改造して投入するという計画もありました。しかしこれも、結局151系を改造するのにも、改造のコストが新造車投入とほとんど変わらないこと、また改造のための工期も長くなり、予備車がほとんどなく車両運用にも全く余裕がないため、長期の改造工事に耐えられないことなどから、151系の交直両用への改造は取り止められました。

では、正解といえるのは「当時の国鉄が151系を改造することで賄おうとしていたから」ということなのでしょうか。

これもよく考えるとおかしな話です。なぜなら、昭和37年の時点では東海道新幹線は開業しておらず、ただでさえ予備車が少なく運用にも余裕がない151系を改造して東北系統の特急に投入するのは、どう考えても無理があるはずですから。

 

それなら、「車体だけ151系の設計を流用し、搭載機器を交直両用にすればよいではないか、なぜそうしなかったのか」と反論されるかもしれません。確かに、そうすれば搭載機器以外は151系のリピートオーダーとなりますから、発注から落成、配属、運用開始までの時間は短くて済みます。

そうしなかった理由は、あくまで管理人の私見ですが、151系よりも搭載機器の点数が格段に多く、そのため大幅な設計変更が不可避だったからではないかと思われます。151系(→181系)よりも485系の方が床面高さは高いのですが、これは言うまでもなく搭載機器が多いから。また、パンタグラフを搭載したM’車(モハ480、モハ482とモハ484・モハ488の初期型)は、そのあまりの搭載機器の点数の多さから、屋根上に冷房機器を搭載するスペースが確保できず、やむなく客室スペースを潰してまで床置型の冷房装置を搭載しているほどですから、151系と比べた場合の設計変更の箇所も、かなり多岐にわたったものと思われます。

したがって、「車体だけ151系の設計を流用し、搭載機器を交直両用に」などという、単純な話ではなかったのでしょう。

それと注意すべきは、当時の列車には冷房が必需品とされていなかったこと。現在では通勤電車ですら冷房は必需品ですが、当時、冷房はまだまだ「贅沢品」。先に挙げた451・471系も、冷房があるのはビュッフェ車の食堂部分だけで、その他の客室部分は、1等車(→グリーン車)ですらも冷房がありませんでした。冷房がなかったからこそ、これら急行型の交直流電車は、153・165系の設計の流用で足りたともいえます。

しかし、当時の国鉄は、特急には冷房が必需品と考えていたようでもあり(というか、特急型車両は固定窓だから空調完備にせざるを得ない、結果として冷房を搭載せざるを得なくなる)、その点で151系の設計の流用とはいかなかったのだろうと思われます。

そのような次第で、「交直両用の特急型電車」は設計が遅れ、その結果、登場が昭和39(1964)年までずれ込んだ。そのように考えられます。

それでも、なぜ東北が後回しにされたのかという疑問は残りますが、これはやはり、東海道新幹線の開業を控えて、在来線への投資がそれほど多くはできない、という事情があったからでしょう。勿論、当時特急に充当されていたキハ80系の所要編成数が充足しており、それで足りていた、だから交直両用の特急型電車を急いで投入する必要がなかった、という要因も勿論あります。

 

結局のところ、昭和37年10月に「新しい交直両用の特急型電車」が登場しなかった理由は、上記の様々な要因が複合した結果であったと考えるのが、一番正解に近いように思われます。

 

次回は、前史その2として、481系・483系が登場したときの話題を取り上げます。

 

-その2に続く-

その3から続きます。

 

今回は、最後に残った反町と新高島。これらは平成16(2004)年に供用が開始された地下駅であり、どちらも8連対応として建設されたという共通点があります。

なお、新高島は厳密にいうと東横線の駅ではありませんが、便宜上ここで取り上げます。

 

【反町駅】

 

地上時代の反町駅は駅前で道路をオーバークロスし、横浜方でトンネルに突っ込んでいましたが、現在の反町駅は地下駅となっています。

まずは同駅の渋谷方から。

 

 

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こちら、つまり反町駅の渋谷方は上下線とも単線のトンネルになっていて、トンネル断面が小さいため、こちらにはホームを伸ばすことはできません。できなくはないのでしょうが、大変な工事になってしまいます。

以下、上下線のトンネルをそれぞれ撮影したものです。なお、ホーム上からの撮影であり、かつフラッシュは使用しておりません。

1枚目が下り線、2枚目が上り線ですが、いずれもノーキャプションで。

 

 

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トンネル断面の関係で、余裕がないことがお分かりいただけると思います。

 

では横浜方はどうか?

こちらも、下り線→上り線の順で写真をご覧いただきます。あえてノーキャプションで。

なお、先ほどの渋谷方の写真と同様、フラッシュの使用はしていないことを申し添えておきます。

 

 

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反町駅は元住吉駅と同様、横浜方に非常用ホームが伸びているのですが、ではその幅はというと、やはり通常のホームに比べてかなり狭いものと言わざるを得ません。これ以上の拡幅も、地下駅である以上は困難でしょう。

 

よって、反町駅は「△」判定とします。

 

以上で東横線は終わりですが、横浜高速鉄道の新高島駅についても、ここで取り上げておきます。

 

【新高島駅】

 

この駅はもともとのみなとみらい線の計画にはなかった駅で、後になって(一説には工事着手後とも)追加された駅ということです。各停しか停車しないと想定されたためか、みなとみらい線の他の駅(10連対応)とは異なり、ホームは8連対応となっています。しかも、他の駅が全て島式ホームなのに対し、新高島だけは相対式ホームということも異なっています。

この駅の非常用ホームですが、新丸子駅のように両側に1両分ずつ伸びているようです。

 

まずは渋谷方から。

 

 

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細いホーム(?)が伸びている

 

ホームというにはあまりにも細い乗降台のようなものが、渋谷方に伸びているのがお分かりいただけるかと思います。

この幅では、恒常的なホームにするのは到底無理でしょう。

 

そして横浜方ですが、こちらも渋谷方と似たり寄ったりの幅です。

 

 

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かなり狭い(写真は上り線ホーム)

 

こちら側も、恒常的なホームにするのは無理だと思われます。

 

以上により、新高島駅は「×」判定です。

 

さて、これで東横線・みなとみらい線の各停しか停車しない駅の現地調査・検証を終了しました。

各駅の判定は以下のとおりです。

 

◎=都立大学、新丸子、元住吉

○=祐天寺、妙蓮寺、東白楽

△=代官山、大倉山、反町

×=白楽、新高島

 

全11駅のうち、△と×の駅が半数近くあるのには驚きました。

 

9年前に副都心線が開業したとき、メトロが自社車両で8連を用意したことについて、将来の東横線への直通の布石ということはいわれていましたが、同時に副都心線そのものの需要予測により、全列車10連では輸送力過剰になることが考慮されたといわれています。

しかし、全列車10連にした方が、車両運用も異常時のリカバリーも楽なはず。にもかかわらず、あえて全列車10連にしなかった理由は、東急東横線内の駅で、10連に対応させることがどうしても無理な駅があるためだといわれました。管理人が思うに、そのどうしても無理な駅とは、白楽と新高島ではないかと思うのです。その他の駅でも、勿論その気になれば10連対応が可能な駅もありますが、そこまでやらないということは、企業としての東急がそこまでの設備投資はしないと判断した、ということでもあります。

それなら10連に2両分の扉非扱い装置をつければいいのでは、という人も出てくるでしょうが、東急だけならまだしも、東武・西武・メトロの乗り入れ可能な全編成に対する対応の費用、誰が出すんでしょう? 扉非扱いのある駅が生じるのは東急の都合だとすれば、東急(と横浜高速)がこれらの会社の編成について改造費用を支出すべきことになるはずです。果たして東急がそこまでやるでしょうか? あるいは、やるべきなんでしょうか? そこまでするくらいなら、東急としても、10連と8連の混在もやむなし、と考える方が自然でしょう。

また、横浜高速は、神奈川県や横浜市など地方自治体が出資している第3セクターですから、そのような会社が他の企業のために費用を支出することが許されるのかという問題も、当然出てくることになります。

そのような次第で、副都心線を中心とする相互乗り入れは、10連と8連が混在する結果になったのだと思います。その結果は会社としての東急(と横浜高速)の経営判断ですから、仕方ありません。

 

そして全4回にわたる現地視察に基づく検証の結果、10連対応ができなくはないが困難な駅、そもそも無理な駅が半数近くに上るという現実を見れば、東横線各停の10連化などあり得ない、という結論しか出てきません。

 

検証は以上で終了です。お付き合いいただきありがとうございましたm(__)m