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写真は719系5000番代(標準軌区間で運用される車両)です。管理人は719系0番代にも乗ったことがないわけではないのですが、写真は5000番代のものしかありませんでした。よって、この写真でご容赦を。しかも以前の記事からの転載ですし。

何で突然7年前の写真をもってきたかというと、719系が順次退役することがアナウンスされたからです。

東北の719系電車、順次廃車へ 4両固定の新車は今秋以降導入 JR東日本

JR東日本・仙台支社は2016年5月26日(木)、新車両の製造、導入に伴い、719系電車を順次廃車にしていくと発表しました。
719系電車は1989(平成元)年に登場した普通列車用の車両で、現在は仙台周辺の東北本線などで使用されています。基本単位の2両編成を組み合わせて、4両や6両編成などで運転できるのが特徴です。
以上引用終了

乗りものニュースより)

平成も28年になりますから、もう車齢も30年近くになります。当時は211系やJR東海の311系などと同じようなイメージで、国鉄型車両とは一味違う軽快さが売りでしたが、701系やE721系が登場した今となっては、逆に国鉄型譲りの無骨さを色濃く残した系列となってしまうとは、国鉄型の遺伝子恐るべし(汗

719系は、当時のJR東日本の財政状況から、台車その他走り装置に急行型電車の廃車発生品を用いています。ことによると、退役の発表には、車体のダメージは然程なかったとしても走り装置の経年がのっぴきならない所まで来てしまったという理由もあるのかもしれません。
しかし、それだけなら、JR四国の121系→7200系や東京メトロの03系初期車のように、走り装置の換装だけで事足ります。
にもかかわらず退役させて新車を投入するということは、やはり傘下に車両製作工場(総合車両製作所・J-TREC)を抱え込んだことによるものか…とも思わずにはいられません。生産ラインを維持するには、車両を作り続けなければなりません。それならJR東海傘下の日本車輛や近鉄傘下の近畿車輛も同じでは…と思われるでしょうが、J-TRECは横浜だけではなく新潟にも生産ラインがあり(旧新津車両製作所)、実質2社分。他社からの注文があったとしても、回すのは大変でしょうから。

なお、719系0番代の置換えにはE721系1000番代が4連固定編成で投入されるそうです。721系の2連×2と、E721系1000番代4連貫通編成とでは、34名もの定員の差があるそうですから、仙台地区でも混雑が顕著になり、デッドスペースになる運転台付きの車両を減らしたいという考えも、719系退役のトリガーを引く要因となったといえます。

さて、「719系順次退役」という報に接した鉄道趣味界では、その反応は以下のとおり様々なものがありまして…。

① 719系は文字通り全廃
② 磐越西線仕様車は残るのでは
③ フルーティア(観光列車改造車)は残るのでは
④ 阿武隈急行に譲渡するのでは
⑤ 5000番代は残るのでは

②③は同じ719系0番代でもかなり手が加わっていますので、残るのではないかと予想している立場です。④は有り得なくはないですが、あそこの主力車両とそれほど車齢は変わりませんから、それはないと思われます。でも5000番代が完全新造車で、狭軌台車に振り替えれば…とも考えられますが、そこまでやるかな。
管理人は、フルーティアと5000番代は残ると思っています。

それにしても。
719系0番代より古い車両もある、未だ絶賛放置プレイ中の211系、あれどうするんでしょうね?

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この情報は既に一昨日にもたらされていたのですが、遅ればせながら当ブログでも取り上げます。
平成28(2016)年度の鉄道友の会ブルーリボン賞(BR賞)・ローレル賞(LL賞)は以下のとおりとなっています。

BR賞 阪神5700系
LL賞 JR東日本HB-E210系
同 四日市あすなろう鉄道新260形

2016年ブルーリボン賞・ローレル賞決定鉄道友の会公式・PDFファイルです)

詳細は上記リンク先をお読みいただきたいのですが、3年前の東京メトロ1000系に続く、通勤車のBR賞受賞です。
管理人は以前の記事で、BR賞受賞車両には特急車両、そうでなくても大きなインパクトを鉄道趣味界に与えた車両が多い傾向があることを指摘したことがありますが、その指摘は今から8年前のこと。その記事の中で、こんなことを述べています。

特急車(有料特急だけではなく阪急6300系とか西鉄8000系のような、一般車とは運用が分離されている専用車をも含む)が一切存在しない鉄道会社は、どんなに優秀な車両を世に出したとしても、BR賞には全く縁がないということになってしまいます。例えば、大手私鉄の中で上記の意味における特急車を全く保有していないのは東急・京王・東京メトロ・相鉄・阪神ですが、これらの会社からBR賞受賞車両を輩出した実績は全くありません。

実際にはその後、東京メトロからBR賞受賞車両を輩出していますし、今回の阪神5700系の受賞で、阪神は初のBR賞受賞車両を輩出となりました。
BR賞はLL賞と異なり、完全に鉄道友の会会員の人気投票ですから、どうしても特急車両その他の車両が選ばれる傾向が強いのですが、最近は傾向が変わってきたのでしょうか。もっとも、昨年営業運転を開始した特急車が無いという理由もありそうですが。
今回の受賞は、純然たる通勤車、それも阪神ならではの「各駅停車専用車両」が受賞したことに、大きな意味があると思われます。

続いてLL賞ですが、こちらは両形式の技術面が重視された結果と言えそうです。
HB-E210は実用的なハイブリッド車として「今後の地方都市近郊の鉄道輸送に大きく貢献する優れた車両」であるという評価がされましたし、新260形は「762mm軌間の鉄道車両という厳しい条件を克服して、当節の車両として必要にして十分な内容を具えている」ことが評価され、それぞれ受賞の決め手となりました。

今回の受賞は、最近「東高西低」という印象だった電車の技術が、決してそうではなかったこと、関西私鉄の健在ぶりを示すものといえそうです。
これで大手私鉄でBR賞受賞車両を出していないのは東急・京王・相鉄・京阪・西鉄の5社となりましたが、今後はこれらの会社の中から受賞車両が出るのでしょうか。出るとしたら京王の新5000系かもしれませんが、どうなることやら。

◇関連記事
№556.ブルーリボン・インパクト(前編)
№557.ブルーリボン・インパクト(後編)
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国鉄の再建には、巨額の累積赤字と不毛な労使対立を解消しなければならないが、それには経営形態の変更が不可避である。
このような結論が、昭和60(1985)年の時点で、当時の国鉄再建監理委員会から出されていました。
その後、分割・民営化という方向性が本決まりとなり、その翌年、経営形態の転換、具体的には新会社発足を前提とした、国鉄としては最後となる全国規模のダイヤ改正が行われます。そのダイヤ改正こそ、昭和61(1986)年11月のダイヤ改正です。
この改正における「あさま」「あずさ」の動きは以下のとおり。

① 「あさま」は本数に変更はないが、489系9連を長野に受け入れ、一部「あさま」に充当。
② 夜行急行「妙高」を189系に置き換え、「あさま」運用と一体化。
③ 「あずさ」の担当を長野から松本運転所(当時)に変更。
④ 「あずさ」について、新宿-甲府間の列車を増発、全体で22.5往復に。
⑤ 「あずさ」について、東京・千葉発着の列車を初めて設定。
⑥ 急行「アルプス」は昼行便を全て「あずさ」に格上げの上廃止。「こまがね」「かいじ」なども廃止。
⑦ 「アルプス」夜行便を183系に置き換え、「あずさ」運用と一体化。

「あさま」は既に前回のダイヤ改正の時点で、完成された運転体系となっていましたので、この改正の時点ではダイヤそのものの変更はなく、ただ車両だけ変化が見られました。それが一部列車への489系の充当ですが(①)、これは「白山」の間合いではない「あさま」専用として長野に配属されたものです。しかし、189系と489系では客用扉の数や座席定員が異なるため、旅客案内に配慮が必要として、長野の489系には限定運用がかけられ、充当列車は予め決められていました。このような体制は、「あさま」廃止まで変わりませんでした。
変わったところでは、夜行急行「妙高」の運用も189系が引き受けることになりましたが(②)、これも夜行列車の居住性向上と車両運用の効率化という、一石二鳥を狙ったものでした。

変化の少なかった「あさま」に比べ、大きく変わったのが「あずさ」。
一番の変化は、車両の基地を長野から松本に移したこと(③)。これによって、車両の配属も完全に「あさま」と袂を分かつことになりました。これは勿論、松本-長野間の回送の手間を省くという、合理化の意味合いもあったことでしょう。
また「あずさ」は攻勢を強める高速バス対策として、昼行急行「アルプス」を全て呑み込んだ上で、さらに新宿-甲府間の区間運転の列車を増発、同区間では特急が松本以遠への列車とあわせて30分間隔とされました(④)。新宿-甲府間の列車はこれまでにも早朝の上り・深夜の下りにありましたが、いずれもイレギュラーなもので、ダイヤパターンに組み込まれ終日運転されるようになったのは、この改正以降です。新宿-甲府間の列車は、多客期には小淵沢や松本への延長運転もされています。このような列車の設定は、言うまでもなく東京(新宿)-甲府間の高速バスへの対抗策ですが、同時に甲府までの乗客と諏訪・松本方面への乗客との「遠近分離」の意味合いもあったものと思われます。
「あずさ」にはさらに、この改正を機に、従来にはなかった東京・千葉発着の列車も出現しました(⑤)。東京発着列車は新幹線との乗り継ぎを意識したものでしたし、千葉発着列車は、秋葉原・錦糸町に停車し、東京東部や千葉県からの集客を意識したものとなっています。このような始発駅の多様化は、やはり発着地が細かく設定されている高速バスの利便性を意識したものといわれていました。
ただ、昼行「アルプス」を全て「あずさ」に取り込んだ結果として、支線区へ直通する「こまがね」「みのぶ」は廃止を余儀なくされています(⑥)。これによって、飯田・身延の両線は東京直通列車を失い、これら両線の直通客の利便性は損なわれました。しかし、当時既に新宿(東京)-駒ヶ根・飯田間では、高速バスが圧倒的なシェアを占めるに至っていましたので、列車の廃止もやむを得ない結果ではありました。またこのころには、新会社の区分けも決定しており、それによると「こまがね」「みのぶ」が直通していた飯田・身延の両線は、中央東線の東日本会社ではなく東海会社に所属するものとされたため、民営化後は両線への直通が「他社への乗り入れ」となってしまうことになり、そのことも高いハードルとなってしまいました。
夜行で残った「アルプス」に183系を充当するようになったのは、「妙高」同様、夜行列車の居住性向上と車両運用の効率化を狙ったものでした(⑦)。

ところで、「あずさ」という列車名の由来は、以前にも申し上げましたが上高地を流れる梓川です。松本や大糸線方面に行く列車であれば、梓川には行かないまでも上高地の玄関口まで達する列車ですから、この名前でも全く無問題。
しかし、甲府止まりの列車の場合、上高地の玄関口である松本にすらたどり着きません。上高地の玄関口まで行くことがない列車が「あずさ」でいいのか、という問題を生じさせることにもなりました。
さらにこの問題を複雑なものにしていたのが、多客期の延長運転。
延長運転されれば、一応は松本に達するため、その間だけは「期間限定」ではあるものの、一応は上高地の玄関口まで到達できることになるからです。この問題は、あとで詳しく取り上げますが、甲府発着の「あずさ」を「かいじ」と改称した後も、依然として残ってしまっています。

そして昭和62(1987)年4月1日、国鉄は分割・民営化がなされ、「あさま」「あずさ」が走る路線は、全てJR東日本の管内となりました。

分割・民営化がなされると、それまでは「全国一律」が錦の御旗だったJR各社の車両にも、多様な変化が現れ始めました。これは勿論、国鉄時代の車体色などを定めた規程が失効したことが理由ですが、同時に「民営化された新会社」をアピールするものとして、各地で車体色を変更する事例が多々見られるようになります。
高速バスとの熾烈な競争に晒されていた「あずさ」も、その対抗策として、国鉄時代の伝統的なカラーリングだったワインレッド+クリームのツートンカラーを徐々に捨てていくのですが、同時に内装に大きく手を加えた編成が登場するようになります。

次回はそのお話…の前に、国鉄時代末期に計画された、碓氷峠を自力で登坂できる電車について取り上げようと思います。

-その9へ続く-
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前編から続く

並木橋交差点はこちら↓(ガラケーの方ごめんなさい)




川に沿った点線が、ほぼ東横線の旧高架線ですが(現東横線の地下線自体、渋谷駅へのアプローチ部分を除き旧高架線をトレースしている)、ピンを打った高架線部分の左側の、点線と道路が交差する部分には、今もご覧のとおりの高架橋の柱が残っています。


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まだ残っている

しかしこれ、以前はなかった緑色のカバーが掛けられていますから、ことによるとこれから取り壊しに着手するのかもしれません。

「酒の家」という昔の宣伝も残っていました。


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保存…は無理か

道路の反対側の柱はこのとおり↓


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こちらはカバーは掛かっていないが、柵で囲われている

こちらの柱も、取り壊し準備というところでしょうか?

この先、高架線時代は大きく右へ急カーブを切ってJR山手・埼京線(山手貨物線)をオーバークロスしていたのですが、その高架橋の跡は完全に更地化されたようです。


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更地になったのがわかる

JR山手・埼京線との交差地点まで歩いてみました。
ここで一発。
なお、ここは最後まで高架橋が残っていた場所です。


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最後まで残っていた高架橋も今はない

↑の写真を撮影した立ち位置から、回れ右して撮影。


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こちらも綺麗になっているようだ

渋谷駅~並木橋付近までは、直線だったため跡地も長方形なので、建物を建てるなど活用しやすいのですが、問題は並木橋からこのあたりまでの、カーブで曲がっていく箇所。このあたりはどうするのでしょうね? 建物を建てるといっても建てにくいような気もしますが。あるいは遊歩道としての整備でしょうか。

東横線が地下に潜り、地上の渋谷駅がなくなって3年の月日が経過しますが、それだけの月日が経過すると、地上の痕跡が殆どなくなってしまったようです。これも仕方のないことではあるのですが、できれば旧並木橋駅の跡であることを示す石碑などあれば…と望むのは、鉄ヲタの我儘でしょうか。

長津田と恩田を視察した帰り、渋谷駅へ向かいました。狙いは、東横線旧渋谷駅跡がどうなっているかを見に行くこと。

渋谷駅東口の歩道橋から、東横線旧渋谷駅跡を望んだもの。1枚目が国道246号の架道橋部分、2枚目が正面改札口のあった方向、3枚目が代官山(並木橋)方を望んだものですが、あえて3点をノーキャプションでご覧いただきましょう。


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↑の3枚の写真は、いずれも同じ場所に立って撮影しています。

それにしても、跡形なく撤去が進んでいますね。残っているのは国道246号の架道橋だけ。ここは将来的に生かすために残してあるそうですが、それ以外はどうなるのでしょうか。
ただ、2枚目の写真、写真から見える真ん中部分を横切るように渋谷川が流れていて、これが建物の形状を事実上決定することになってしまうようです。理由は、現在の建築基準法では、川を跨ぐ形態での建物の建築には認可が下りないから。以前の東急百貨店の建物がそうなっていたのは、あれを建築した当時の建築基準法では適法だったということで、現在は違法になっていますから、建て替えの際にはあのような建て方はできなくなっています。

そしてこちらが、完全に高架橋の面影がなくなった並木橋方。


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完全に消えた

かつて高架橋があった部分には、早くもビルが姿を現しています。それも2棟。

このあたりには、さらなる建築計画があるようです。


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建築計画のお知らせ

しかしそのような中でも、なぜかここだけ、高架橋の柱が2本残っていました。


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何故残っているのだろう?

何かのモニュメントとして利用するんでしょうかね?

こちらは、渋谷川沿いに並木橋方面を望んだものですが、このあたりでは完全に、高架橋が跡形もなくなってしまいました。


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並木橋駅跡も跡形もなく…。

かつて並木橋駅があったあたりは、高架橋が完全に取り払われ、その面影は全くなくなってしまいました。
では、あの並木橋交差点近くの柱と、JR山手線との交差部分はどうなっているのか?
写真の点数が多くなりましたので、以下は後編に譲ることにします。

というわけで → 後編に続く