その19(№4055.)から続く

 

今回から3回に分けて、JR各社に承継された485系に施された、カラーリングの変更やリニューアルなどの改造車について取り上げていきます。

まずは北陸・北近畿の特急に485系を多数運用していたJR西日本から。

 

JR西日本では、多種多様な改造車が出現しました。その嚆矢となったのが、同社発足の年の年末に現れた「北越」用のクロ480-1000です。これは、「北越」短編成化のため、サロ489-1000に運転台を取り付ける改造を施したもので、先頭部の形状は300番代非貫通車と同じものでした。

クロ480-1000登場後、「北越」はこの編成に改められました(一部を除く)。

 

←福井・金沢 T'scM'MM'MTc 長岡・新潟→

 

翌昭和63(1988)年3月のダイヤ改正では、前々回触れたように「かがやき」「きらめき」用改造車が登場し、4連を組んで北陸を疾走することになります。

 

←米原・金沢 TcM'MTc 金沢・長岡→

 

「かがやき」「きらめき」用の車両には座席の取り換えやカラーリング変更などが施されましたが、番代区分はされませんでした。その後、この両列車は速達性から人気を集め、グリーン車連結の要望が多く寄せられるようになると、平成4(1992)年にクハ481を横3列配置のグリーン車に改造した、クロ481-2300が登場しています。

クロ481-2300連結後の「かがやき」「きらめき」の編成は以下のとおり。

 

←米原・金沢 TscM'MM'MTc 金沢・長岡→

 

そして平成元(1989)年には、「雷鳥」のスピードアップを図った「スーパー雷鳥」が登場、同列車用にリニューアルされた485系が用意されます。

まずは、パノラマグリーン車クロ481-2000・2100。前者はサロ481に、後者はサハ481にそれぞれ先頭車化改造を施したものですが、先頭部の形状はクロ480-1000のような非貫通型に合わせたものとは全く異なり、運転台を低くした、前面展望を重視した形状となりました。椅子も後部席からの眺望に配慮し、ヘッドレスト部分を小さくした仕様としています。

「スーパー雷鳥」では、利用が低迷していた和風車「だんらん」ことサロ481-500を再改造し、グリーン車兼ラウンジカーとしました(サロ481-2000)。改造内容は、元の客室スペース(食堂車時代の食堂スペース)に横3列の座席を置き、元ビュフェカウンター(食堂車時代の調理室スペース)はラウンジスペースとしています。その他普通車では、「かがやき」「きらめき」用と同様、シートピッチの拡大などの改造を施しました。

「スーパー雷鳥」編成は、国鉄特急カラーを捨て、白を基調とした専用のカラーリングに変更しました。しかし「かがやき」「きらめき」用とは異なり、窓下に青帯とピンクの帯を通すという、シンプルかつスピード感あふれるものでした。

「スーパー雷鳥」登場時の編成は以下のとおり。

 

←大阪 TcM'MM'MTsTsc 金沢・富山→

 

「スーパー雷鳥」は好評を博し、すぐに電動車ユニット1組が増結され9連となりました。

平成3(1991)年の七尾線電化開業を機に、分割併合が可能な10連(7+3)に編成を変更することになりました。このとき、3連となる一方の先頭車は、モハ485に運転台を取り付ける改造を施しています(クモハ485-200)。同車は他の485系の先頭車化改造車とは風貌が全く異なる、切妻貫通型の前面形状とされ、異彩を放っていました。ただ、これによって「くろしお」以来の、クハ481-200の定期営業列車での貫通扉の使用が復活しています。

 

←大阪 TcM'McTcM'MM'MTsTsc 金沢・富山→ (10連化直後の編成)

 

その後、パノラマグリーン車を大阪方にするよう、編成ごと反転されています。

反転後の編成

 

←大阪 TscTsMM'MM'TcMcM'Tc 金沢・富山・和倉温泉→ (10連化直後の編成)

 

「スーパー雷鳥」が分割併合可能な編成になったことにより、金沢で編成を分割して和倉温泉と富山に向かう列車や、付属の3連を富山地方鉄道に直通させる運用も見られるようになりました。

「スーパー雷鳥」の和倉温泉到達と引き換えに、「ゆぅとぴあ和倉」が廃止され、電車に気動車が牽引される特異な運転形態が解消されました。

 

同じ平成元(1989)年には、JR西日本は、長距離昼行特急に新たな魅力を付与しようと、「白山」用編成のモハ489の4両を、半室売店スペースつきのラウンジに改造した車両を登場させました。この車両は「ラウンジ&コンビニエンスカー」と名付けられましたが、車号の変更はありません。売店スペースでは、うな丼やカレーなどの温かい軽食を提供し、その他弁当や飲み物などを販売していました。同時に、489系編成も、それまでの国鉄特急カラーから、白をベースに青の濃淡とピンクの帯を配したカラーリングに改められています。

 

平成3(1991)年といえば七尾線が電化された年ですが、七尾線電化は交流電化ではなく、直流電化とされ、津幡-中津幡間にデッドセクションを設けています。これは、交流電化だと絶縁距離を確保する必要があり、トンネルの再掘削や跨線橋の嵩上げなどのコストが大きかったことが理由です。そのため、ローカル列車用に交直両用の電車が必要になりました。

しかし、この時点では、JR西日本は交直両用電車を新造せず、現有車両の改造で賄う方針を立て、交直切替に必要な機器を、福知山にいて交流電化区間を一切走らない485系から調達することになりました。

そこで、113系800番代に485系の交流用機器を移植する改造が行われ(こちらは415系800番代となった)、交流用機器を提供した485系は直流電車となり、183系に形式を改めています。ただし183系とはいえ、JR東日本の車両との連結は不可で、実質的には別形式でした。この車両については700・800番代を中心に、非常に多岐にわたる番代区分がなされていますが、全て取り上げる余裕はありません。

電動車ユニットだけ取り上げると、

 

① モハ485/484(初期型・キノコクーラー搭載)→モハ183/182-850

② 同(モハ484が200番代のユニット)→モハ183/182-700

③ 同(モハ484が600番代のユニット)→モハ183/182-800

④ 同(1000番代のユニット)→モハ183/182-1800

 

の4種類。基本編成には②ないし④のいずれかが組み込まれ、車齢も高くM'車の定員も少ない①は増結用とされました。また、183系化に伴い、485系と混用しないよう、オリジナルの国鉄カラーを維持しながら、窓下にワインレッドの細帯を入れ、識別できるようになっています。

 

次回は、鉄道愛好家も沿線住民も一般利用者も度肝を抜かれた、JR九州の改造車について取り上げます。

 

その21(№4070.)に続く