以前「かがやき」「きらめき」を取り上げた際、東京から富山・金沢へのアクセスが東海道新幹線経由から上越新幹線経由にシフトし始めたことに言及しましたが、この両列車の運転開始時点である昭和63(1988)年3月の時点では、東京と北陸を結ぶ昼行特急として「白山」2往復が健在でした。

JR西日本は、当時稀少価値が出てきた長距離昼行特急にさらなる魅力を付加しようという試みか、車内の内装のリフレッシュに併せて、平成元(1989)年、編成中の普通車の半室をフリースペースに改造、「ラウンジ&コンビニエンスカー」とします。ここには売店も設置され、飲み物や軽食類を販売していました。食堂車こそないものの、うな丼やカレーなど、安直ながら温かい料理が食べられるサービスは好評を博しました。また、ラウンジスペースからは日本海が望め、これも好評の一因でした。ただ、多客期には無札客が押し寄せてきたという弊害もあったようですが。
しかし、「かがやき」快進撃の陰で、平成4(1992)年3月、「白山」は長距離利用者が減少したためか、それまでの2往復が1往復に削減されてしまいます。
その翌年、「白山」と同じルートを14系客車で運転していた「能登」が「白山」と同じ489系電車に置き換えられ、運用も「白山」と共通化されるという変化もありました。

そして、対東京の北陸特急に大きな変化が起きたのが平成9(1997)年です。この年の3月、北越急行ほくほく線犀潟-六日町間が開業しました。この路線はかつての国鉄が建設中の路線でしたが、採算性が見込めないとして昭和55(1980)年に一旦工事が凍結されたものを、路線の建設・運営を引き受ける第三セクターを設立して引き受けたもので、この第三セクターが工事を引き継いで完成させました。その際、非電化路線から高速対応路線への仕様変更がなされ、狭軌路線でありながら160km/hの高速走行が可能となっています。
このほくほく線の高規格を生かし、それまで長岡発着の新幹線接続特急をほくほく線経由に変更、併せて接続駅も越後湯沢に変更し、越後湯沢発着の特急を新たに設定することになりました。
この列車は、JR西日本が485系と681系、JR東日本が485系を使用して運転することとされ、列車名は昭和57(1982)年以来15年ぶりの復活となる「はくたか」の名が冠せられました。

「はくたか」は、それまで長岡-金沢・福井・和倉温泉間を結んでいた「かがやき」を、長岡発着から越後湯沢発着に建て替えた上で増発したもので(10往復)、車両もJR西日本持ちの485系は運転開始前日まで「かがやき」に使用されていた編成でした。
列車名が決定した後、485系のマークがどうなるのか注目されましたが、国鉄時代の「青地に白い鷹が翼を広げている」デザインではなく、「赤地に白い鷹が翼を広げている」という、しかも国鉄時代よりもずっとなめらかなラインで鷹が描かれているデザインが新たに用意されました。もっとも、これが表示されたのがJR西日本持ちの485系のみ。同じ485系でもJR東日本持ちの車両は、表示器が幕ではなくLEDに変更されていたため、幕と全く同じデザインにはなりませんでしたが。
「はくたか」は距離短縮と高速走行の威力により、東京-金沢間で最速で4時間の壁を破り、東京-富山間でもやはり最速で3時間台前半まで詰めています。
この韋駄天ぶりにより、上越新幹線と「はくたか」との乗り継ぎが東京対北陸のメインルートとなり、「はくたか」は登場と同時に、北陸特急劇場の最重要キャストの地位を占めることとなります。
なお、「はくたか」が運転を開始した約半年後、平成9(1997)年10月に長野新幹線(北陸新幹線)高崎-長野間が開業し、そのあおりで「白山」が廃止され、25年間君臨し続けた北陸特急劇場の舞台から降りていきました。そのため、復活した「はくたか」と「白山」が競演できたのは、僅か半年ちょっとの間でした。

「はくたか」は681系使用列車に限り、ほくほく線内を最速140km/hで駆け抜けていましたが、運転開始の翌年、平成10(1998)年12月には150km/hに向上、平成14(2002)年3月の段階では在来線最速となる160km/hまで達しています。ほくほく線は新幹線以上にトンネル通過による気圧変動の影響が大きいため、「はくたか」用の681系には新幹線と同じ扉を押さえる装置を搭載するなど、気密構造を強化しています。このため、同じ681系でも「サンダーバード」に使用する車が「はくたか」の代走に入っても、最高速度は485系と同じ130km/hに抑えられていました。
そして、485系はほくほく線内でも最高速度が130km/h、北陸線内では120km/hに抑えられていて681系使用列車と運転時間に差があることや、681系に比べて車内の居住性が劣るなどの理由で、681系への統一が図られ、JR西日本持ちの編成は平成14(2002)年3月に、JR東日本持ちの編成は平成17(2005)年にそれぞれ撤退しています。JR東日本持ちの車両が撤退するのと入れ替わりに、北越急行では自社の681系を製造し、「はくたか」に充当しています。この車両はJR西日本所属の車両とは外板塗色が異なっていて、その点でも注目されました。
前後しますが、「はくたか」は平成14年3月に1往復増発され11往復となり、平成17年に「はくたか」は681・683系に統一されると同時にさらに1往復増発、12往復となりました。その後も「はくたか」の快進撃は続き、平成21(2009)年3月には13往復にまで成長、これが「はくたか」の最大運転本数となりました。
「はくたか」の特徴は、乗客の指定席指向が非常に強かったことで、多客期の年末年始やお盆・ゴールデンウイークなどは勿論、通常の週末などでも特定列車が満席になることはざらにありました。その一方で、自由席がそれほど混雑していないということもあり(管理人は、指定席全席売り切れの『はくたか』に乗ったことがあるが、自由席はガラガラだった)、これほどまでに乗客の指定席指向の強い列車を、管理人は他に知りません。

「はくたか」が北陸特急劇場の最重要キャストの一角に登り詰めた一方、それまで「かがやき」に押されていたとはいえ新幹線接続特急としての任務を負っていた「北越」は、平成13(2001)年の「白鳥」・新潟「雷鳥」の系統分割などにより、運転本数こそ5往復にまで盛り返したものの、編成は「はくたか」送り込みのための1往復を除いて485系の6連に変更されました。加えて、以前は全室型(クロ480)を連結していたグリーン車も、「いなほ」同様の半室型(クロハ481)に代わってしまいました。「はくたか」送り込み用の1往復も、「はくたか」の485系運用がなくなった平成17年に6連化されています。
これは、言うまでもなく「北越」の任務の変容、即ち新幹線接続特急から日本海側の都市間輸送の方に軸足を移したことを示すもので、北陸特急劇場の登場キャストとしては、影を薄くしてしまった印象もありました。

次回は、「白鳥」の廃止などについて取り上げます。

-その14(№3091.)に続く-