今回は、品川駅開業と東海道新幹線の列車体系の大転換について取り上げます。
東海道新幹線は、昭和39(1964)年の開業以来、超特急「ひかり」、特急「こだま」の2本建てで列車体系を作ってきました。それが平成4(1992)年に「のぞみ」が加わっていますが、「のぞみ」はあくまで別格の列車であり、列車体系の中心にいたのはあくまで「ひかり」でした。
それが、平成15(2003)年10月に行われたダイヤ改正では、これまでの「ひかり」中心の体系を「のぞみ」中心の体系に切り換え、ダイヤパターンも「7-2-3パターン」を採用し、「のぞみ」を1時間あたり最大7本運転するものになりました。これはいうまでもなく、列車体系の中心が「ひかり」から「のぞみ」に転換されたことを意味しますが、このような転換が、東海道新幹線開業40年目に行われることは、歴史的な節目ともなりました。

「のぞみ」中心の体系への転換を可能にしたのは、勿論車両の性能の統一と向上。100系以前の足の遅い車両が淘汰され、300系・500系・700系といった高性能な車両に統一されたことにより、最高速度を全列車270km/hに引き上げることが可能となったからです。
最高速度の向上によって、「のぞみ」と「ひかり」の所要時間の差が小さくなったため、「のぞみ」の特急料金を値下げし、「ひかり」「こだま」との料金差が縮小されています。また、これも大転換なのですが、運転開始以来全車指定席を貫いてきた「のぞみ」に、この改正で初めて自由席が設けられました。自由席を設けたのは、東京-博多間を直通する「ひかり」がなくなったことの埋め合わせの意味と、ビジネス客への対応もありました。ビジネス客は、「のぞみ」の指定席特急券を持っていても、早い時間に乗車できるときは、指定された列車より早い時間の「のぞみ」に飛び乗ってしまう例が後を絶たず、乗務員も対応に苦慮していたため、自由席設定のニーズはもともと高いものがありました。今回の改正で、「のぞみ」の本数が激増したことに対応し、自由席を設けたものです。なお、自由席利用の場合の特急料金は、「ひかり」「こだま」利用の場合と同額に抑えられています。
これによって、東海道区間を走る「ひかり」は、東京-名古屋間途中駅停車の列車と、東京-名古屋間を新横浜と小田原又は豊橋停車・名古屋以遠各駅停車の列車が毎時1本ずつのみとなり、1時間あたり2本となっています。勿論、東京-広島・博多間を直通する「ひかり」も殆ど廃止されましたから、昭和50(1975)年の博多開業以来、東海道・山陽新幹線のフラッグシップとして君臨してきた「Wひかり」の系譜は、このときに完全に潰え、「のぞみ」に引き継がれたことになります。

ところで、鳴り物入りで開業した品川駅ですが、この駅には、前回の最後に述べたサブターミナルとしての役割の他に、東京西部から新幹線へのアクセス向上という役割もありました。特に東京都の中でも、渋谷・品川・目黒・大田・世田谷の5区は、品川駅開業で最も恩恵を受けたエリアではないかと思われます。
しかし、当初は品川駅を始発・終着とする列車は設定されず、「のぞみ」「ひかり」も全列車停車とはいかず、お隣の新横浜と停車を分け合う列車が多くなりました。これは言うまでもなく、JR東海が停車駅の増加による所要時間の増加を嫌ったからからですが、この改正で、東京駅発の下り「のぞみ」「ひかり」は全て、新横浜又は品川に必ず停車するようになり、開業以来の伝統だった、東京-名古屋間のノンストップ運転は見られなくなってしまいました。

なお、この改正では、300系・500系にあったサービスコーナーの営業も終了しました。ここには両系列とも飲み物などを収納・陳列するショーケースなどがあり、車内販売の拠点としては勿論、売店スペースとしても機能していたのですが、このショーケースが何と、板を張られて塞がれてしまい、完全な車内販売の準備スペースに転換されてしまいます。
これによって、東海道・山陽新幹線の車内での供食サービスは車内販売(700系は自動販売機)のみとなり、3年前の食堂車・ビュフェ消滅に続く、寂しいニュースとなっています。

この改正の2年後、平成17(2005)年3月1日実施のダイヤ改正では、同年に開催される愛知万博の観客輸送をにらみ、「のぞみ」に増発余裕を持たせるため、1時間あたりさらに「のぞみ」1本の増発を可能とした「8-2-3ダイヤ」を採用しました。しかしこれは、根底からの大転換ではなく、改正前の7-2-3ダイヤに「のぞみ」を1本挿入しただけのものです。
この改正ではさらに山陽直通「のぞみ」の充実が図られ、岡山行・広島行・博多行が毎時各1本ずつと、毎時3本が確保されました。
この改正で注目されたのは、東海道・山陽筋でも新幹線より在来線。というのも、この改正で東京-長崎間の「さくら」が廃止され、さらに残った東京-熊本間「はやぶさ」と東京-大分間「富士」が東京-門司間併結に変更されたから。つまり、これによって東京発着の九州行きの列車は僅か1本となってしまい、いよいよ風前の灯火となりました。

翌平成18(2006)年3月18日実施のダイヤ改正では、広島行の「のぞみ」を博多まで延伸、東京-博多直通「のぞみ」が毎時2本となります。このころになると、航空運賃自由化も伴って、東京-福岡間の旅客輸送のシェアは新幹線が1割あるかないかのレベルでしたが、名古屋・京都・大阪から北九州への需要に応えようというものでした。特に対名古屋は、前年2月に中部国際空港が開業し、名古屋市内からのアクセスが以前の名古屋空港(小牧空港)に比べて悪化したため、航空機との競争力強化の目的でテコ入れを図ったものです。
山陽区間では、昭和63(1988)年以来毎時2本を死守していた「こだま」が、新大阪-博多の全区間で列車本数の削減が行われました。これは、平成9(1997)年に山陽自動車道が全通したことや、「のぞみ」「ひかり」の待避が多く所要時間のかかる「こだま」の利用が敬遠されたことなどで利用が減少していたことによるものです。
また、この改正では東京発着のブルトレ「出雲」が廃止され、あれだけの栄耀栄華を謳歌し「ブルトレブーム」の主役だった東京発着のブルトレは遂に「富士・はやぶさ」の1往復だけに、急行の「銀河」を含めても2本だけになってしまいます。

ところで、平成16年の段階で、JR東海・西日本とも700系の製造を終了し、700系の総両数はJR東海所属のC編成61本(試作編成1本を含む)、JR西日本所属のB編成(C編成と共通の16連)15本、「ひかりレールスター」用8連E編成16本、合計1344両となり、300系の70編成1120両を凌駕しています。これで名実ともに、700系が東海道・山陽新幹線の覇権を握ったことになりました。
このころ、700系の使いやすさと500系の走行性能を併せ持つ車両の研究が進められていました。この車両の研究は既に平成12(2000)年前後から始まっていたようですが、平成17年に試作編成が1本登場しました。
この編成こそ、現在の東海道・山陽新幹線の主力であるN700系なのですが、次回は同系の登場のころを取り上げようと思います。

-その25(№2890.)に続く-