【管理人注】しばらく更新まで間があいてしまったため、とりあえずブログナンバーを振らずに当記事をアップします。
【平成26年9月11日付注記】ブログナンバー2875を振り、併せて投稿日を09/09付とします。

その22(№2867.)から続く

今回は平成15(2003)年10月の、品川駅開業とダイヤ刷新の前夜までのお話です。

平成11(1999)年に100系X編成が定期運用を退いたこと、0系の東海道区間での定期運用が終了したことは、前回取り上げたとおりです。
翌年の平成12(2000)年3月のダイヤ改正は、地味ながら新幹線の歴史に残る改正となりました。その理由は、この改正をもって東海道・山陽新幹線から食堂車・ビュフェの営業が終了したことと、昭和50年の博多開業以来、東京-博多間を通し運転してきた「Wひかり」が広島で打ち切られたことです(ただしこの時点では、広島-博多間は不定期列車として存続)。
食堂車・ビュフェの営業終了は、新幹線の開業以来続いてきた旅客サービスの転換を示す
という歴史的意義がありました。勿論、営業列車は食堂営業が「グランドひかり」こと100系V編成使用の4往復のみ、ビュフェ営業が山陽区間のみ運転の「ウエストひかり」のみと、全盛期に比べれば見る影もない小規模なものになっていたのですが、それでも食堂車・ビュフェの営業の完全終了は、月並みな言い方ですが「ひとつの時代の終わり」を強烈に印象づけるものでした。実際、当時のメディアでは「最後の食堂車営業列車」の中継などが行われ、一般社会にも話題をまいています。

100系V編成は、この改正の時点では食堂営業こそなくなったものの、東京-広島・姫路間の「ひかり」4往復に継続使用されました。これに対し、「ウエストひかり」の0系は、「ひかりレールスター」こと700系7000番代に置き換えられ、0系の中で唯一気を吐いていた「ひかりレールスター」編成が退役しました。これにより、0系は山陽区間のみの「こだま」に残るだけとなり、いよいよ風前の灯火となってしまいます。
「Wひかり」の広島打ち切りは、今にして思えば、来るべき「のぞみ」大増発の時代を迎える胎動でもあったといえますが、この改正では「ひかり」による東京-博多間直通需要に応えようとしたのか、3往復の直通「ひかり」を設定しました。この列車は東海道区間では名古屋-新大阪間が各駅停車という、米原停車・北陸連絡の使命をも併せ持った列車で、往年の長距離普通列車の如く様々な需要に応えようとした列車といえますが、特筆すべきは使用列車とその所要時間。この列車には300系が限定使用され、同系の性能を生かした高速運転により、東京-博多間の所要時間は5時間52~53分となりました。停車駅を多くしながら、300系の高性能により、所要時間はかつての「グランドひかり」使用列車のレコードだった5時間47分と数分しか違わない。このような列車が出現してしまっては、もはや100系には引導が渡されたといっても過言ではない状態といえました。
このころから、100系は、元V編成の車両を中心に短編成を組成し、山陽区間で「こだま」専用で最後の活躍を続けていた、0系の置き換えに供されることになりました。トレードマークである2階建て車両が入らない短編成は、愛好家のみならず利用客に対しても、100系の落魄を強く印象づけるものとなりました。

そして翌編成13(2001)年3月のダイヤ改正では、ダイヤパターンに久しぶりに手が入れられました。具体的には「3-6-3パターン」といわれるもので、「ひかり」1本を「のぞみ」に振り替え、東京駅発毎時00・20・56分(56分のみ博多行き、他は新大阪止まり)が「のぞみ」の発車時間とされました。また、停車駅パターンにも変更が加えられ、20分発の新大阪行きは新横浜に、56分発の博多行きは新横浜と新神戸に、それぞれ停車するように改められています。
これは、この年から航空運賃の自由化が実施されたため、運賃面で航空機が優位に立つケースが出てくることを見越して、競争力の維持・強化のためにとられたものです。確かに停車駅の増加によって所要時間は多少延びますが、それを補って余りある利便性の向上と潜在旅客の発掘が見込めることから、停車駅の増加に踏み切ったものです。
この改正の時点で、定期「のぞみ」は全列車を500系又は700系で運転、増発「のぞみ」と「ひかり」の大半を300系で運転することとなり、100系の「ひかり」運用は、V編成が東京-新大阪間の、G編成が名古屋-博多間の、それぞれ1往復のみとなっています。
そして、V編成は平成14(2002)年5月20日に、G編成は翌平成15(2003)年8月23日に、それぞれ前述の区間での「ひかり」運用を終えました。その後はV編成が短編成化されて山陽区間限定の「こだま」への転用が継続され、G編成は「こだま」運用が残ります。

ちなみに、100系G編成の登場時、鉄道趣味界のみならず一般メディアにも大々的に取り上げられた「カフェテリア」ですが、これも前述の「ひかり」運用を最後に営業を終えています。「こだま」では一足早く平成9(1997)年11月に営業を終了していますので、ここで「カフェテリア」も完全に営業終了となりました。当初は、当時あまり意識されていなかった女性をターゲットにした品揃えや、酒類の充実(当時車内販売にはほとんどなかったワインを揃えていた)などで話題をまき、利用率も高かったのですが、次第に駅の売店やコンビニエンスストアなどにシェアを蚕食されて利用が減り、末期はだだっ広いショーケースに僅かな品物しかない、侘びしい状態でした。東海道新幹線に登場して15年で、「カフェテリア」という巨大な売店車の命運も尽きたことになります。

そして「こだま」のみに残った100系G編成も、平成15年9月に全てなくなり、100系はこの年の9月15日の臨時「ひかり」運転という、実質的な「さよなら運転」を行って、東海道区間から姿を消しています。このときまでに退役したG編成は、全て解体されたわけではなく、先頭車やバリアフリー対応車がJR西日本に移り、元V編成の車両とともに短編成を組成し、山陽区間での0系置き換えに供されるものもありました。100系の短編成化された車両は、平成13年の改造分から元V編成の2階建て車両の1階席の椅子を移植して横4列化され、その後の改造車やそれ以前の改造車も、グリーン車の廃車発生品などを利用して横4列化が図られ、快適性が向上しています。
ちなみに、100系はX編成やG編成は、退役間際のころは東海道区間の「こだま」に充当されていましたが、V編成だけはそのようなことがなく、東海道区間の走行は「ひかり」としてのみで、「こだま」として走ることはありませんでした。これは恐らく、V編成が少数派であったことと、X編成やG編成とは編成構成が異なることで、旅客案内上煩雑であることも理由だったのでしょう。ともあれ、東海道区間には終始「ひかり」でしか乗り入れなかったV編成は、「新幹線史上最も豪華な編成」のプライドを保ったと見るのは、思い入れが過ぎるでしょうか。

こうして、100系が東海道区間から姿を消した平成15年。
この年の秋には、東海道新幹線の新駅「品川駅」の開業が予定されていました。これは、東京駅近辺で大井の車両基地への回送線と競合することから、その分増発余裕が削られるため、回送線と競合しない品川に駅を作ることで将来の増発余裕を確保したいこと、折り返し機能を持つサブターミナルを東京駅の他にも作り、ダイヤ乱れの際など柔軟な対応を可能にするためという目的がありました。
その新駅の開業を控え、また東海道区間から足の遅い100系が淘汰され、高性能な300系以降の車両に統一されることから、JR東海は、開業当初から続いてきた「ひかり」中心のダイヤパターンを「のぞみ」中心に変更するという、歴史的な大転換を図ったダイヤ改正を予定します。

その24(№2882.)に続く

※ 当記事は09/09付の投稿とします。