1日遅れのアップでございます。

今回は、現在の東海道・山陽新幹線の主力、N700系を取り上げます。
N700系は当初「700N」と仮称されていましたが、結局正式な系列名が「N700系」となりました。lこれまで東海道新幹線に投入されてきた車両について、0系から700系までは、新幹線車両の付番原則に従っていましたが、N700系は普通車の十の位を8、グリーン車のそれを7として、700系と区別しています。既に平成15(2003)年には、九州新幹線用として700系ベースの800系が登場しており、3桁の形式名が払底してきた時期だったので、あるいは苦肉の策だったかもしれません。管理人はこの車両が登場したとき、いっそ4桁にしてしまえば、あのモデル線を走った「1000」の再来、「1000系」とならないかな…と期待しておりました。でも1000系だと私鉄みたいですね。
N700系の試作車「Z0」編成が登場したのは平成17(2005)年のことで、様々な試験が繰り返されました。その後量産車が登場、平成19(2007)年から営業運転に投入されています。
N700系で異なるのは、試作車の位置づけです。それまでの東海道新幹線では、100系から300系、700系まで、試作編成が「*0」で登場しその後量産化改造を受けて「*1」編成となり、量産編成が「*2~」となる慣例がありました。しかし、N700系は試作編成は依然として「Z0」のままで、量産編成は「Z1~」から編成番号を付番しています。これは、試作編成を原則として営業運転に投入せず、試験車としての役目に特化させるためですが、営業運転に投入しないのは、喫煙ルームの位置などが量産編成と異なるため、旅客案内上支障を来すためだからとのこと。

前後しますが、N700系のスペックに関しては、既に様々なところで語られていますので、特記すべき点を列挙するにとどめます。
まずメカニックに関しては、新幹線車両では初となる車体傾斜装置の採用と、通勤電車並の高加減速度の採用が注目されました。前者は車体を傾かせてカーブ通過の際にかかる遠心力を相殺し、減速せずにカーブ通過を可能とするもので、構想はあの小田急SE車のころからありました。しかし、SE車のころにはカーブに最適な角度にどう傾けるかについて技術的な裏付けがなく、採用されることはなかったのですが、エレクトロニクス技術の長足の進歩により採用が可能となったものです。後者は言うまでもなく、発進してからトップスピードに達するまでと、トップスピードから停止するまでの時間を短くすることを狙ったものです。いずれも、トップスピードで走ることのできる距離を長くして、全体的なスピードアップを図るという狙いがありました。
そして内装では、喫煙ルームの採用が注目されました。これは社会の分煙・禁煙志向を受けて、客席を全て禁煙とする代わり、編成中に何か所かの喫煙スペースを設けるというものです。
余談ですが、JR東日本では平成19年から新幹線と在来線特急(他社直通や寝台特急を除く)が全面的に禁煙となりました。JR東日本では、N700系のような列車内の喫煙スペースは用意されなかったので、この点は同じ新幹線でも対照的です。

N700系は、満を持して平成19年7月1日から営業運転に投入され、同時に初めて品川始発の下り「のぞみ」が登場しました。これは、品川始発とすることで東京駅始発よりも早く出発できることと、N700系の車体傾斜システムを生かしたダイヤを構築することで東海道区間でのスピードアップを実現し、品川-新大阪間の所要時間は2時間19分となりました。

N700系は順調に増殖し、従来ダイヤのままで500系・700系の「のぞみ」を置き換えていきます。
割を食ったのは500系で、N700系登場の平成19年7月の時点では、東京乗り入れは従前どおりの8往復を維持しているのですが、平成20(2008)年3月の改正時点では5往復に減少します。勿論500系には類い希なる高速性能がありますが、N700系も同等の性能がある。であれば、客室設備が300系や700系と同じN700系の方がいい。このような理由で、500系の東海道乗り入れは減少していきます。なお、これらとは別に、東海道区間で500系が疎んじられた理由は、両先頭車の前部に客用扉がなく、自由席とされた1号車の乗降に時間がかかり、遅延の原因となったこともあります。
その平成20年3月のダイヤ改正では、新横浜始発の「ひかり」がN700系で設定され、こちらは途中小田原・静岡・名古屋・京都停車で、新横浜-新大阪間は2時間15分。勿論N700系の性能を最大限に生かしたダイヤで、「のぞみ」並の隠れた俊足列車として注目されました。ただその一方では、スピードアップよりも利便性向上ということか、「のぞみ」「ひかり」の全ての列車が品川・新横浜の両駅に必ず停車するように改められています。そのため「のぞみ」の東京-新大阪間は2時間36分となりましたが、一部列車はN700系限定ダイヤとして、他の列車よりも3分短い2時間33分とされました。
その一方で、在来線では東京-大阪間で新幹線を補完していた夜行急行「銀河」が廃止され、東海道の夜の移動は原則として高速バスに頼らざるを得なくなりました。

平成20年3月の段階で、新幹線の始祖・0系は、遂に山陽区間限定の6連5編成までに減少、同年11月限りで営業運転から退き、その後の臨時「ひかり」への充当を最後に退役しています。0系が昭和39(1964)年に登場してから44年、遂に営業線上から0系が退きました。この退役の報は、一般メディアでも大々的に取り上げられました。
そしてその後がまに座ったのは、何と500系! 中間車を抜かれて短編成化され、最高速度も285km/hに抑えられ、山陽区間の「こだま」運用に就きます。有り余る能力を持ちながら、その能力を発揮できた期間は非常に短く、佳人薄命を地でいくような車両ともいえました。あるいは、こういう悲劇性が、500系の評価を高めているのかもしれません。

前後しますが、JR東海は平成19年から、怒濤の勢いでN700系を投入していきます。勿論並行してJR西日本も必要数を投入。JR東海でN700系が大量投入された理由は、東海道新幹線のスピードアップを目論んだのもそうですが、最大の理由は300系の置き換えを図りたかったから。既に「のぞみ」として走り始めてから15年。東京-博多間を1日で1往復半する運用を組むことが可能になり、走行キロが激増。そのため、特に初期の車両は、老朽化が顕著になってきていました。このような状況下では、300系の取り替えが急がれるのも、自然なことではありました。それでなくとも、新幹線車両の走行環境や運用は在来線のそれらよりも遙かに過酷ですから、新幹線車両の置き換えのサイクルが早いのも当然の話なのです。

平成21(2009)年のダイヤ改正では、「のぞみ」本数を最大にした「9-2-3ダイヤ」を導入します。その一方で、在来線では遂に「九州ブルトレ」最後の砦だった「富士・はやぶさ」が廃止、東京発着の九州直通列車は全廃されました。
さらにその翌年3月のダイヤ改正では、博多直通「のぞみ」を1時間あたり3本に増やし、あわせて山陽直通「のぞみ」を全てN700系に統一しています。その影で、遂に500系の東海道乗り入れがなくなりました。末期は1往復の「のぞみ」に使用されるだけでしたが、これで500系は西日本区間に封じ込められ、短編成の「こだま」のみに使われる車両となってしまいました。

N700系の増殖する様と連動するかの如く、今度は300系が減少を始めます。同時に、山陽区間に封じ込められた100系も、いよいよ「先が見えた」状態となりました。
次回は、そのあたりのお話を。

-その26に続く-