神戸電鉄(神鉄)の神戸市内のターミナル、新開地駅。
実はこの駅は神鉄ではなく、神戸高速鉄道が建設した駅。本来の神鉄の駅は隣の湊川からで、湊川-新開地間は神戸高速鉄道南北線となっていました。
しかし、新開地は神鉄の三田・粟生方面へ向かう列車の始発駅ですし、近年この路線は神鉄が第二種鉄道事業者とされましたので、「神鉄の神戸市内のターミナル」という形容も、許されようかと思います(^_^;)

神鉄がここ新開地へ乗り入れを果たしたのは、昭和43(1968)年の4月。その頃は、新開地の方が栄えていて、ここに乗り入れる価値があったと言われています。しかしその後、神戸の中心は三宮へと移り、三宮へ直行できない神鉄は苦戦を強いられています。当初の計画では、地下ではなく高架で新開地を経由し、三宮方面への延伸も可能なものとされていたのですが、もしこちらの計画が実現していたら、神鉄はどうなっていたか。つくづく、先を見通す事業計画の立案の難しさを思い知らされます。

この新開地駅の神鉄ホーム、昭和の雰囲気が色濃く残る場所なのですが、ここに神鉄オリジナルの1000系列が入ってくると、なおさらその雰囲気は濃くなります。


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三田行きの普通列車

こちらの1300形は3扉なのですが、神鉄には今もなお2扉車が残っています。
もともと2扉車は関西私鉄の伝統ともいえる形態で、他社でも阪神・阪急などに見られましたが、最近では乗客増もあって2扉車は特急用クロスシート車以外はなくなりました。

ところが、神鉄では今なお2扉車が健在です。それがこちら↓


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現在残る2扉車

1100系は現在なお2扉を堅持し、神鉄のほぼ全路線で活躍しています。ただ2扉とはいえ、京阪8000系や阪急6300系のようなクロスシートではなく、ロングシートとなっていますが(^_^;)

ところで、最近の神鉄は粟生線の存廃問題に揺れています。以前の記事でも触れましたが、粟生線の利用が振るわず、存廃問題が数年前から持ち上がっています。最近では小野駅以遠を1時間あたり1~2本(日中)まで減らして合理化を図っていますが、これによって赤字幅は縮小させることができたものの、利便性という点では後退となってしまいました。
今のところ、廃止の恐れはなくなっていますが、それでも地元の利用促進の取り組みは継続されています。


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「乗って残そう未来の粟生線」のステッカー

↑のようなステッカーが神鉄の車両に貼られております。

神鉄が厳しい状況にある理由は、路線が三宮へ達していないからなんですよね。現在は、神鉄沿線から三宮へ直行できるバス路線が複数存在し、それら路線が好評を博しているとのことです。神鉄は急勾配など線形の悪さのためスピードが出せないのも泣き所となっています。
当初の計画どおり、神戸の都心部への乗り入れを地下ではなく高架で行い、なおかつ三宮へ延伸されていたら、あるいはここまでの苦境にはならなかったのか? しかし仮に三宮へ達していたとしても、スピードが出せなければ同じだったのではないかとも思えます。

何とか頑張って欲しいものですが…。

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№2069.神鉄乗り歩き(前編)~ニュータウンの鉄道と新型車両 
№2072.神鉄乗り歩き(後編)~岐路に立つ粟生線