今回は、半蔵門線直通用30000系を取り上げます。
この車両については、既に当ブログでも何度か取り上げていますので、それらの記事との重複もあり得ますが、何とぞご容赦くださいませ。

毎朝多数の通勤客で大混雑する北千住駅。
その混雑は、バブルと言われる未曾有の好景気のころには、既にピークに達していました。東武の本線系統の都心直通ルートは、日比谷線と北千住乗り換えの千代田線がありますが、どちらも筆舌に尽しがたい混雑。そこで東武は、このような北千住駅の殺人的な混雑を緩和すべく、同駅の大改造に着手しますが、同時に新たな都心直通ルートの構築を模索し始めます。
その「新たな都心直通ルート」こそ、現在の半蔵門線直通ルートなのですが、このルートの工事は平成5(1993)年に着手され、7年後の開業を目指していました。
そしてこの半蔵門線直通ルートでの使用を目論んだ車両こそ、今回取り上げる30000系です。ちなみに東武は、半蔵門線への乗り入れに際し、10030系を改造して投入することを考えていたそうですが、諸事情で断念し、新造車両を投入することにしたそうです。
30000系のスペックは以下のとおり。

・編成形態は6連と4連の2種類とし、乗り入れの際は両者を併結して10連を組む。
・車体構造は10030系に準じるが、扉間はサッシのない連窓とし、さらにスマートな外観に。
・側面の行先案内は特大のLED表示。
・内装は白系の化粧板に青色の椅子。
・LEDスクロール式の車内案内表示装置をドア上に搭載。
・東武で初めて、ワンハンドルマスコンを搭載。
・メカニックはIGBT-VVVFとするが、10000系列との併結も可能とする。
・半蔵門線・東急田園都市線に直通可能な仕様。

この車両は平成8(1996)年から順次投入されましたが、すぐには通常運用に充当されず、平成9(1997)年3月の北千住駅大改造完成に伴うダイヤ改正まで、乗務員の訓練・習熟に供されています。その理由は、東武初採用のワンハンドルマスコンに乗務員が慣れる時間が必要だったためです。もちろん、ワンハンドルマスコンの採用は、半蔵門線や東急田園都市線に合わせたものでした。
そして最初は地上線の準急(当時)運用などに充当され、8000系を置き換えています。浮いた8000系は野田線などにトレードされ、吊り掛け車の5000系列の置き換えに供されました。
東武と半蔵門線・東急田園都市線との直通は、当初予定より遅れて平成15(2003)年3月19日から始まりました。30000系はこの日までに6連・4連それぞれ15編成が用意され、両者を併結した10連を組んで乗り入れ運用に就き、長駆神奈川県大和市の中央林間まで走ることになります。余談ですが、東武の車両で多摩川を初めて越え、かつ初めて神奈川県を走ったのは30000系です。

しかし30000系の栄華も長続きせず、東武は乗り入れ開始から僅か3年後の平成18(2006)年から、10両貫通編成の50050系を新造投入して乗入れ運用の大半を置き換えてしまいました。50050系は平成21(2009)年までに10連×18本が投入され、その結果、現在も乗り入れ運用に就いている30000系は、6+4の2組のみとなっています。
かくも早期の置き換えとなった理由は、30000系は2編成を併結した形態で乗り入れるため、中間に運転台のある車両が入りますが、これが朝のラッシュの激しい東急田園都市線で嫌われたことや、6+4の併結部分が、ちょうど渋谷駅のハチ公前方面出口への階段にぶつかることでも嫌われてしまいました。東急田園都市線の朝ラッシュ時の混雑は尋常ではなく、しかも渋谷駅の降車客の利用が一番多いのが、このハチ公前出口への階段でしたから、運転台というデッドスペースの存在が、混雑を募らせてしまったという面もあります。
そのようなわけで、10両貫通編成である50050系への置換えが進められたわけですが、ではなぜ30000系は6+4の分割編成で投入されたのでしょうか。
その理由は、同系投入当時は10両貫通編成の検修設備が東武になく(当時は東武本線系車両の検修は西新井または杉戸で行っていた)分割編成にせざるを得なかったことと、地上線運用との予備車の共通化を狙ったためだといわれています。30000系は150両製造されましたが、計画ではその倍、300両(10連30本)製造される予定だったとか。製造されなかった残りの150両は、ひょっとすると10連貫通編成だったかもしれませんね。そうなっていたら、東急田園都市線利用者の30000系の評価も、今とは変わっていたかもしれません。

このようにして、乗り入れ運用を解かれた30000系は、半蔵門線乗り入れ前に戻ったように、本線系の地上運用に就きます。変わったところでは、宇都宮線の運用にも4連で登場し、ちょっとした話題を撒きました。宇都宮線の運用は、同線がワンマン化された平成19(2007)年3月限りで消滅しています。

そして一昨年、車号末尾1の6+4の10連が、何と東上線に転属し、6月から通常運用に入っています。その後も東上線への30000系の転入は続き、今のところ末尾3~5・8・10・11の6組が転属しています。これは、東上線にATCを導入するため車両の改修が必要になるところ、その改修工事を効率化するためと、8000系の置き換えのためという目的がありました。
なお、東上線に移籍した編成は、中間に入る先頭車の運転台を撤去してしまいましたので(ただし乗務員室区画などは残っている)、完全な10連固定編成になっています。30000系の転属当時、東上線が副都心線・東急東横線と相互直通運転を行う計画があったことから、鉄道趣味界では、同系が副都心線や東急東横線に乗り入れるのではないかという噂が立ちましたが、結局そのようなことはありませんでした。

本来は地下鉄直通用として生を受けながら、伊勢崎・東上線とも地上線での運用が主になった30000系。
その本来の任務は、直通開始後6年以内に大半の編成が解かれてしまいました。彼らが揃って本来の任務に就いていたのは、僅か3年間だけだったということになります。
その後は東武全体で便利屋然とした使われ方をしていて、どことなく悲劇的な香りも漂いますが、車両のグレードは高いのですから、活躍の場が伊勢崎・日光・東上線と広がったのは、むしろ喜ばしいことかもしれません。

次回から「オレンジ色の憎いやつ」50000系列を取り上げます。

-その14(№2601.)へ続く-