その3(№2034.)から続く


前回は東急9000系の性能などを中心に見てきましたが、今回は内装を中心に見ていきたいと思います。
9000系の内装で特徴的なのは、


1 ロングシートの形状
2 車端部のクロスシート
3 東急初の平天井の採用


といったところでしょう。


1 ロングシートの形状~インパクト抜群だった配色と「間仕切り」


東急の車両の特徴は、ベージュ色の壁にワインレッドのモケットの腰掛でした。ベージュ色の壁は5200系から、ワインレッドのモケットは先代5000系「青ガエル」から8000・8500系まで連綿と受け継がれてきました。ちなみに、なぜモケットの色がワインレッドなのかについては、先代5000系を設計する際に、高級感を演出するために国鉄の2等車(当時の国鉄は3等級制で、3等車が現在の普通車、2等車がグリーン車に相当した。当時の1等車は現在のグランクラス?)と同じ色を採用したということです。これが、8000・8500系まで受け継がれてきたのですね。さらに余談を言えば、グリーン車におけるワインレッドのモケットは、東海道線などで活躍していたサロ110-1200などがありましたが、平成18(2006)年を最後に見られなくなっています。

ところが、9000系は、それまでの東急のスタンダードだったワインレッドを捨て、目にも鮮やかなオレンジとブラウンの2色となりました。扉間の7人掛けのロングシートの中間には、4人と3人に座席定員を分かつ間仕切りが入り、その間仕切りを境目としてオレンジとブラウンが配色されていました。

これはなぜかというと、ロングシートは定員着席をしてもらうのが難しいためです。この問題は、東急に限らずよその事業体でも同じで、昭和54(1979)年に登場した国鉄(当時)201系が、真ん中の1人分だけをクリーム色とし、その両側をブラウンとして定員着席を促したり、営団地下鉄(同)の8000系が、背もたれの部分に1人分のスペースを暗示させる模様を入れたこともあります。

しかし、いずれも所期の効果を挙げるにはいたっていなかったようです。


東急でも9000系の設計に当たっては、このことが考慮されていました。当初は、座席そのものは従来型とし、車内で定員着席を促す放送を入れてはどうかと言う意見が会社内であったそうですが、この意見に対しては「車内の静謐が保てなくなる」と反対論も根強く、妙案は出ないままでした。


そこで、ロングシートの中間に「間仕切り」を入れ、定員着席を促すことにしたものです。それに伴って視覚的にもインパクトがあるように、コントラストの強いオレンジとブラウンを選んだということでした。

これは大変なインパクトがあり、所期の効果を挙げたようです。後にこのオレンジ+ブラウンのモケットは、8000系のリニューアル車にも採用され、その後非リニューアル車にも拡大されますが、間仕切りがないとオレンジとブラウンとでコントラストが強烈過ぎるため、ブラウンを淡いものに、オレンジも黄色みを抑えたものに変更しています。


その後9000系も8000系列と同じ色のモケットになり、その後一部の編成は間仕切りが撤去され、その代わりにスタンションポールがついて、モケットの色はロゼカラーになっています。


2 車端部のクロスシート


これは、車端部の片方に4人掛けボックス席を設けるもので(車両全体では点対称に配置)、通勤車には珍しい試みとして注目されました。

なぜこのような席を設けたかについて、当時の東急の幹部は、車端部の座席はシルバーシート(優先席)になる場合が多いので、お年寄りの方にゆったりと座っていただくことを考えて採用したと語っています。


もともと東急は純然たる通勤路線ばかりを運営していて、そのため有料特急もクロスシート車も存在しなかったのですが、1両当たり2箇所だけとはいえ、クロスシートに座って景色を眺めることができるようになったことは、かなり衝撃的でした。この衝撃は、愛好家よりも、沿線住民や一般利用者の方が大きかったようで、学生さんが友達同士で腰掛けて談笑するというシーンも日常的に見られるようになりました。

この「車端部クロスシート」、9000系が「都心線」乗り入れを視野に入れていたためなのか、現在東急目黒線に入ってくる東京メトロ南北線や都営地下鉄三田線には、9000系と同じ座席配置を持つ車両が存在します。ただしこれも、その後9000系が乗り入れないことになったためか、あるいはラッシュ時の混雑を危惧したためか、両者とも後の増備車は普通のロングシートのみの配置となっています。


9000系の「車端部クロスシート」の試みは、相鉄や南海などにも影響を与えていて、相鉄は8000系や9000系などの一部の中間車をセミクロスシートにしていますし、南海は1000系の車端部をクロスシートにしています。

ただ、この試みも後の車両には波及せず、9000系のみで終わってしまったのは残念なことでした。


3 平天井


東急では、冷房車は屋根に装置の出っ張りがあり、それが野暮ったく見える嫌いがありました。当時既に、阪急や近鉄など関西大手私鉄や、国鉄でも201系や117系などに平天井が普及していましたから、車内の見付けを向上するために、9000系では東急で初めて本格的な平天井が採用されています。

ただ、初期の平天井には、車内の空気の吸い込み口に中吊り広告が張り付いてしまうという問題が起きていますが、これはアクリル板で広告の紙を押さえることで対応しています。


4 その他


当時はまだ8000系列が新造されていましたが、8500系の編成単位での落成車(8637F以降)では、9000系と同じ内装が採用されました。ただし既存編成に組み込まれる中間車については、従来どおりの内装で落成しています。


このように、内装もこれまでの東急の慣例を破った9000系。

次回は、9000系デビューの顛末を取り上げます。


その5に続く


※ 当記事は09/28付の投稿とします。