今年は、明治40(1907)年の玉川電気鉄道道玄坂-三軒茶屋間開業から1世紀という大きな節目にあたります。加えて、昭和2(1927)年の大井町線の二子玉川-溝の口間の開業からも80年、昭和52(1977)年の旧新玉川線区間(渋谷-二子玉川間)開業から30年という、東急田園都市線とその都心直通ルート開業にとっては節目ともいえる年にあたります。
80年前の二子玉川-溝の口間は、路面電車サイズの電車が1両でゴロゴロと走っていましたが、現在は20m級の大型車10両の大編成が行き来しております。加えて、田園都市線は、平成15(2003)年3月19日から、地下鉄半蔵門線を介して東武伊勢崎・日光線との相互直通運転が開始されました。
そこで、当ブログでは、この相互直通ルート-愛好家たちが親しみを込めて「半直」(はんちょく)と呼びならわすルートの歴史的な歩みをみてゆくことにいたしますので、お付き合いの程、よろしくお願いいたしますm(__)m

なお、タイトルは浜崎あゆみの「A Song is born」からパクりました(何)


そもそも、この「半直ルート」の歴史的起源はどこにあるのでしょうか?
現在の半直ルートの一部を形成する新玉川線(現在の東急田園都市線の渋谷-二子玉川間)及び半蔵門線のルートがある程度形を表したのは、昭和43(1968)年4月10日の都市交通審議会の答申ですから、このときがまさに、半直ルートが明らかな形を持って世に出た時期といえます。
しかし、その答申に至る経緯をみると、その昭和43年4月10日を歴史的起源とするわけにはいかないようです。
新玉川線が計画されるに至った経緯は、当初渋谷-二子玉川間の国道246号線上に路線があった旧玉川線を代替あるいは補完する路線としての新玉川線の計画(現在の渋谷-二子玉川間とはルートも規格も全く異なっていました)と、東急が手がけた「多摩田園都市」構想の一環としての田園都市線(現在の二子玉川-中央林間間)の計画に端を発しています。従って、田園都市線の計画・着工や新玉川線計画の具体化も、半直ルートの歴史を語るにあたって、外すことはできません。この時期は、半直ルートの歴史の中では、黎明期以前の「胎動期」と位置づけることができ、上記の昭和43年4月10日の時点及びそれに前後する田園都市線の開通の時期は、むしろ「黎明期」と位置づけるべきです。

さらにまた、田園都市線は、計画当時既に溝の口まで開業していた大井町線の延長という性格も有しています。そうすると、この区間の開業はまさに、田園都市線・新玉川線はもちろんのこと、それらとつながる半直ルートの「礎」を築いたといえます。従って、この時期については、半直ルートの歴史の中では、胎動期よりもさらに以前の「有史以前」という位置づけができ、やはり半直ルートの歴史を語るにあたって外すことはできません。


以上により、当ブログにおいては、半直ルートの「ルーツ」を、昭和43年4月10日の審議会答申ではなく、昭和2(1927)年の二子玉川~溝ノ口間の開業に求めることとし、さらに、その時点を起点として、それぞれ「有史以前」、「胎動期」、「黎明期」、「形成期」、「完成期」及び「発展期」の6つの時期に区分し、項目としては11の項目に分けて、歴史を概観してゆくことといたします。


1 序章(当記事)

 半直ルート有史以前~玉川電気鉄道による溝の口延長(№072.)
3 半直ルート有史以前~有史以前のメトロ・東武(№079)
4 半直ルート胎動期~多摩田園都市と田園都市線の計画(№085.)

5 半直ルート黎明期~「新玉川線」の計画(№091.)
6 都心乗り入れの野望(東急編)(№097.)
7 都心乗り入れの野望(東武編)(№103)
8 半直ルート黎明期~田園都市線の開業(№107.)
9 半直ルート形成期~新玉川線開業のあとさき(№114.)
10 半直ルート形成期~半蔵門線開業 (№120.)
11 半直ルート完成期~東武と半蔵門線との急接近(№127.)
12 半直ルート発展期~半直ルート完成と発展(№133)


その2(№072.)へ続く