沖縄斎場御嶽2 | 親身な霊視でお悩みを必ず解決します

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「スピリチュアル・ガイダンス(霊魂指南)」。
あなたの言葉の霊視して、本当の悩みをあぶり出し、問題を整理し解決に向けたメッセージをお伝えます。
魂からのお導きに基づくアドバイスを行なっています。 

みなさま こんばんは。

今日は七夕です。亡くなってしまった会いたい人へ「●●ちゃ~ん 会いたいです」とお空に向かって お願いしてみてください。
きっと織り姫&ひこぼしさんは あなたに代わって 願いを届けてくれると思いますよ。


さて 沖縄本島出張(6月27日~29日)でお届けする場所は【斎場御嶽(せーふぁうたき)】のつづきです。
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このお話について はじめからご覧になりたいかたは【斎場御嶽1】をご覧になってください。

斎場御嶽は今でも「聖地」で祈りの場所となっています。
ですので 私とTさまがガイドさんの案内で回っている間も 祈りの場所で お祈りをしている人たち(白いお洋服を着ている)を見ることができました。
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祈りを捧げる場所「拝所」は 一般見学者は 「立ち入り禁止」になっています。小さな立て看板が立っているので 見学の際にはわかると思います。

「拝所」は 全部で六ヶ所あります。琉球王朝のころは 「聞得大君(きこえおおきみ)」と呼ばれる 琉球の信仰における神女の最高位が神事を執り行いました。

では「今祈りを捧げている人たちが どのような人であるのか?」後日 沖縄県南城市 文化課の担当者のかたへ 連絡をして確認してみました。

・今でも東御廻り(あがりうまーい)と呼ばれる 沖縄で生まれた人びとが行う「聖地を巡礼する習わし」があり お祈りを捧げるために 一般見学者が入れない場所で拝んでいるそうです。

・琉球王朝時代に 王国から任命されて 宗教祭事を執り行っていた「ノロ」と呼ばれた人たちの末裔(家系)のかたも 拝まれているそうです。この最高位に「聞得大君」がいました。
ちなみに「ノロ」は当時 王国から正式に認められた「公務員」でした(驚きです)。それくらい 神様の声を聞くことは 国家安泰を左右する重要な任務だったのではないでしょうか。

・ユタ(イタコのような感じのかた)に関しては 特に資格などがないため 「私はユタです」と申し出たら 拝むことができるそうです。

ここで ガイドさんに教えていただいた「回るときのマナー」を二つお伝えします。

・御門口(ウジョウグチ)と呼ばれる 御嶽内へ入る参道の入り口で「心のなかで 自分の名前と住所をいってお礼を述べる」といいそうです。帰りにも「ありがとうございました」とお礼を伝えるといいそうです。

・ガイドブックなどに掲載をされている「三庫理(サングーイ)」の場所ですが 突き当りの場所から海の向かいにある「久高島(くだかじま)」を眺めることができます。
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この場所が 斎場御嶽の中で「最強のパワースポット」だそうです。ですので 久高島の画像や写真を撮ろうとする見学者のかたが たまに壁に立てかけている「石の香炉」の上に乗ってしまうことがあるそうです。
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この香炉はとても神聖なものなので 「絶対に乗ったり 子供を座らせたりしないでください」とのことです。

ちなみに 最強のパワースポットは 久高島の見える海側ではなく 「香炉の置いてある壁側」だそうです。
お願いごとをするのであれば 壁側を向いて そこから「空を仰ぐといい」そうです。
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私はこの場所で 沖縄戦で犠牲になられた「白梅学徒隊の御霊」へ祈りを捧げました。その時に犠牲になった人たちの思いの上に「今の平和がある」ということ。「当たり前の毎日」を送ることへの幸せを 頭と心で感じていました。

もっとも感動したのは 御嶽内に覆い繁る植物や木々です。

この場所は 戦争でアメリカ軍に焼き尽くされて 破壊されました。理由は日本軍に関連するものが設置されたりしていたからです。 どちらに責任があるとしたら 「その両方に責任がある」と思います。「それが戦争だからです」。「殺さなければ 殺される」。それが戦争の現実だと思います。

破壊されてしまった場所に一本一本木々を植えたのは 当時生き残った小学生だったそうです。
大人が始めた戦争のあと始末を丁寧に純粋な気持ちで片づけていったのは子供たちでした。

白梅の塔でであった遺留品の収集を 50年以上続けている国吉 勇さんも始めるきっかけとなった出来事は 小学生の時でした。負傷した兵士を最後まで看護したのも 女学生でした。

覆い繁る木々や植物を眺めていると 「のびのびと育っていくことで恩返しをしています」と声が聞こえてきました。
斎場御嶽は聖地であり 神様はいると感じた瞬間でした。

沖縄へ旅行へ訪れることがあれば ぜひ「見学してみてください」。あなたが抱えている問題に 「立ち向かう勇気」を授けてくださると思いますよ。
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めんそーれ沖縄



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