元体育会の悲しい性 | ささのブログ

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久しぶりに豊島園「庭の湯」に行ってきた。多いときには月いち以上のペースで行っていたのに、会員カードの履歴を見ると、昨年の11月ぶりだった。この半年以上、いかに忙しかったかがわかる。


 「庭の湯」。都市型スパの代表的な存在。ここは中学生以上じゃないと入れない。さらに、私が行くのは平日の昼間。と言うことは、大人しかいない。騒ぐガキなど全くいず、ゆったりとした時間が流れている。
 ここは、大きく二つのスペースに分かれる。水着着用で男女が一緒に入れる「バーデゾーン」と、裸で入る、男女別々の「温浴ゾーン」。「温浴ゾーン」は例えば「大江戸温泉物語」と比べて、特色はない。リラックスは出来るが、これといった売りはない。


 やはりここの売りは「バーデゾーン」の強力無比な水流を使った「ボディーマッサージ」にある。この「ボディーマッサージ」、円周上に、肩~腰~お尻~太もも~ひざ~ふくらはぎと、高さを変えたジェット水流が噴出している。患部にそれぞれ1~2分当てることを推奨している。これを肩から始めて、最後のふくらはぎまでを1サイクルとして、3サイクルほどまわると、どんなに凝り固まった身体でもほとんどほぐれる。いままで、いろいろなスパ施設にいったが、凝った身体をほぐす目的で行くのなら、「庭の湯」がダントツにいい。


 なので、きつい舞台が続いた後など、庭の湯でよく身体をリフレッシュしてきた。先週、きつい舞台が終わったので、ようやく庭の湯に行ってきたのだ。

 平日の昼間、ガラガラだ。土日に行ったことがないので、比較は出来ないが、ボディーマッサージをほぼ待つことなく一周出来たので、心的ストレスもない。利用者は50代から上の方がほとんど。若い女性の水着姿を楽しむ環境ではない。こちらも、ここに来るときは、身体が悲鳴を上げているので、ヨコシマな邪念を携帯する余裕はない。たいがい、目をつぶって瞑想するように、患部をジェット水流にあてて、身体をほぐす。ボディーマッサージを一周したら、クロールかバタフライのかき手をしながら、「バーデゾーン」を2周。ホットバスで、開脚ストレッチ、スチームサウナで汗を出し、屋外の露天ゾーンでしばし休憩。また、ボディーマッサージに戻る。これが1サイクルとして、たいてい3サイクルやる。3サイクル終わった頃はへとへとだ。


 疲れた身体を癒しに行っているはずなのだが、気がつくと、行く前以上に疲れきっている。他の利用者は、ゆったりと水に身体をたゆたたせてリラックスしているのに、自分だけがしゃかりきにトレーニングをしている。たとえて言うなら、健康マラソンランナーの中に、記録を出したい中距離ランナーが走っているようなものだ。あるいは、クラゲの群れのワキを、止まると死んでしまうマグロかカツオが泳いでいるようなものだ。


 じっと、水中で身体を休める、という機能がない。小学生の時は水泳の選手だった。夏は毎日1キロくらい泳いでいた。「水の中では休まない」という脅迫観念が、子ども心に植え付けられている。さらに、大学では体育会の王道・「空手道部」に所属。合宿の際は、3時間に及ぶ一回の稽古で2~3kg落ち、食事の調整に失敗した部員は、病院送りで点滴を受ける、という軍隊並み(それ以上か?)の生活を経験してきた。


 その後遺症で、一般人がリラックスする場所でも、知らぬうちにトレーニングをしている。まぁ、プロの管楽器奏者なので、ほとんどアスリートと変わらない身体が必要。その為、日々トレーニングは欠かせないので、どこでもトレーニングというのは、心がけとしては悪くは無い。
 でも、健康市民ランナーの中に全速力のランナーが紛れ込んだような、あるいは、遊びのちゃんばらごっこの中に一人だけ真剣を持っているような、違和感を常に感じる。

 

 筒井康隆氏のデビュー小説に「お助け」というものがある。もともとせっかちな主人公、せっかちがエスカレートして周囲とのスピードがどんどんずれていく。次第に主人公には、回りがスローモーションに見えて行く。しまいにはストップモーションになる。道行く若い女性を裸にしたり、店の商品をいただいたり。スピードがあまりにも違うために出来るいたずら(犯罪と言うべきレベル)をし尽くし、最後はこの上なく悲惨な結末が待っている。


  みんながくつろいでいる温泉施設で一人、トレーニングにしゃかりきになっている自分に気づくと、どうしても筒井氏の「お助け」を連想してしまう。この主人公の末路は悲惨極まりない。自分もそうならないように、もう少し、休むときは休む、という機能を身につけたいのだが、可能なのだろうか?