身を禊いで、神の前に立つ | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

こんばんは。

さろん楓ふなだまほです。

いつも読んでいただきありがとうございます。



クリスマス。

東京でも一瞬雪が降りましたね。



昨日は、クリスマスのご馳走を頂いたせいでしょう、
今朝はいつもよりも身体が重かった・・・



それだけでなく、3時に起こされたからかな?
「ねぇ、ママ、本当に届いたよ。
キャッチャーマスクだったよ!」って、ネ。



朝、奉納舞に行く前に、
どうしても体をきれいにしたくて
水飲んで、マイクロヨガをして
オイルマッサージして
冷たい(!)シャワーを浴びてからお稲荷さんのところへ。



できるだけ薄着で出掛ける。
朝の霊気を肌で感じられるように。
本当は裸足で舞いたいぐらい。
だけど、草履でね。



そうして、アワ歌と舞を奉納して、
冷たい風に切られながら家に帰ってくるときに
ふとわかったことがありました。



学びで得た知識と現実、体感が繋がる…という
なんとも感動的なあの感覚です。



ヨガも本来は、神に自分を捧げるためのものなんだ
ということに気づいたのです。



私が気づいたというより、
私の身体が気づいたというほうがより正確かな…。



身を禊いで、神の前に立つ。
それは当たり前のこと、もっとも自然なこと、
そして喜びであるということ。



LUANA洋子さんが、カタカムナの舞をするにあたって
自分の子宮を浄化したいと願ってジェムリンガを望んだように。



それゆえに、
アーユルヴェーダの教えの中にある朝の習慣は
やらなければならないこと、
やったほうがいいことではなく、
ただ単にその人にとって実に自然なことなのですね。



そうすると、
食事も身体のケアも生活態度も
芋づる式に繋がって、
新たな意味を帯びてくる。



 ひゃぁぁぁぁぁ
 ~~~~~新しい風が吹き抜けた音(笑)~~~~~


…課題とされると、
どうしてもそれをやることだけが目的になってしまう。



また、私の場合、
ヨガをするにあたって
どうしても「できない」とか「股関節が硬い」とか
余計な概念が押し寄せるので(笑)
ますます自然な行為でなくなる。
修行のニュアンスが強くなる。



でも、アワ歌にも踊りにもそれがないわけで
自分にとって実に自然な行為だと感じられたんですね。



と同時に、師のニーマル先生をはじめ、
諸先生方、先輩方にとっては自然なことなんだろうな。
そもそもヨガってやっぱり男性のものだな、



クリスマスの朝、新月の朝、
素敵な気づき、素晴らしいプレゼント。



そう思って帰宅して玄関を開けたら、変な匂い。
キッチンでミニ爆発が起きていたらしい…!