こちらの黒のショールも母の作品ですが、
実は祖母から譲りうけたもの。
そう。もともとは母が祖母に贈ったもの。
この祖母、来月御年100になるのですが、
ちょうど10年前、90歳を迎える頃から、
自分の身辺の整理を始めていて
「あなたのお母さんが心を込めて作ってくれた大切なものだから
今からあなたが持っていて」と託されたのでした。
あなたのお母さんは、こういう細かいきれいなものを
一針、一針心を込めて作ることのできる本当に心優しい人なのよ、と。
遺品として一緒くたになるのは忍びないからって。
ずしんときた贈り物でした。
それはそれは、美しくてびっくりするショール。
何年ものになるのでしょう?
今は、実はコレ、半分に折って縫い付けて
ボレロにしてあります。
身頃はほとんどなくて
袖だけあるボレロにして着ています。
冠婚葬祭で大活躍です。
* * *
しかし、うちの母の家系は、感情表現が下手。
かっこつけすぎる。
体裁ばっかり大事にする。
直接伝えればいいものを、、
第3者を使って、
間接的にアピールする。
そこに一種の美学があることはわかる。
でも、それは人を幸せにしない美学。
その他にも「私にじゃなくて直接言ってよ~」とか
「そう思ってるなら、そう言ってくれればよかったのに」
ということだらけ。
喜びにしろ、哀しみにしろ、
心が揺さぶれる感情ほど、表に出さぬように
鎧を着せた言葉に覆い隠してしまう。
鎧をまとったまま発せられた
「ありがとうございます」とか
「ご迷惑かけてすみません」という言葉は
ちっとも人の中に入ってこない。
ただ、最近は、それが精一杯の表現なのだということが
わかってくるようになったきた。
だけどね、子どもの私には
それはまったくわからなかったよ。
* * *
7月は、3日が息子の誕生日。
10日に祖母、19日に夫とバースデー・ラッシュ。
今年ばかりは、祖母の100歳を控えて
なんとなくみんながそわそわ。
無事その日を迎えてくれと願っている。
すごいのは、生かされているのではなく
生きていること。
自分の足で立ち、自分の口で食べ、
自分の言葉でしゃべっていること。
関東大震災も東日本大震災も語れちゃう人。
黒のショール、
10年前の私には荷が重すぎたけれど、
今はその重みをありがたいと思えるように変化してきている。
そして、10年後の私は
このショールに何を想うのだろう?