毎朝、私の最寄りの駅前には、ホームレスのおじいさんがいる。
そばにお金を入れる缶を置いて、座っているおじいさんだ。
その前を電車に乗ろうと急ぐ人々が足早に通り過ぎていく。
おじいさんの前で立ち止まる人はいない。目を合わせようとする人もいない。
私もただ、その前を通り過ぎていく一人だ。
*
ここネパールには、たくさんの物乞いがいる。
足の不自由な子ども。
杖をついている老人。
赤ちゃんを抱えたお母さん。
「5ルピー、5ルピー!」
「この子のミルクが買えないのよ」
こういいながら、すがるような目で近づいてこられたとき、どう対応したらいいのか、
未だに正解は分からない。正解なんてないのかもしれない。
でも、彼らの声が聞こえないふりをすることだけは、してはいけないと思った。
しっかり見ていかなければならないと思った。
私の中で、ネパールの街中の主役は、物乞いの彼らだ。
*
ある物乞いの子どもの目を見たとき、毎朝通り過ぎるおじいさんのことが、ふと頭をよぎった。
「あのおじいさんはどんな目をしてたっけ」。
思い出せない自分にはっとした。
私は、あのおじいさんの顔もまともに見たことがなかったんだ。
私にとって、ホームレスのおじいさんは、日常の背景のようなものだった。
そこにある木とか建物とかと同じように、気にも留めていなかったことに気が付く。
*
私が、物乞いの彼らを主役としてみたのは、その光景が日本では見られないものだからだろうか。
では、毎日物乞いを見ているネパールの人々は、彼らのことをどう思っているんだろう。
フワスの村で出会った子どもたちは、つらいことに物乞いを挙げた。
「見ていて悲しいし、もっと何か渡せればいいのにと思う」。
ああ、ここの子どもたちは、物乞いを背景になんてしないんだと思った。
毎日、道にいる彼らをちゃんと見て、つらさも悲しみも感じながら過ごしている。
*
今日も私の最寄りの駅前には、ホームレスのおじいさんがいるだろう。
その前を駅へと急ぐ人々が足早に通り過ぎていくだろう。
立ち止まる人はいない。
私がネパールで見た光景とは全く違う。
ネパールと日本では貧しさのレベルも全く違う。
それでも、このおじいさんもまた、背景に同化していい存在ではないと思うから、
私はその前でちょっと立ち止まってみようと思う。
おじいさんがどんな顔をして、どんな目をしてそこに座ってるのか、
ちゃんと見てみようと思う。
【文責:広報局2年 幡鎌理美】