学生団体S.A.L. Official blog

慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。


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僕は今、アフリカ、ルワンダの、とあるバスの中でこの文を書いている。

バスから見える景色は雄大であり美しい。
バスに乗る陽気なルワンダ人と接するうちに、自分の気持ちをどこかに吐き出さずにはいられなかった。

ルワンダで約20年前、歴史上例を見ないジェノサイドが起きたことは、誰もが知るところであろう。つい昨日まで隣人同士であった人々が、当時で言うところの「フツ」「ツチ」という民族の枠組みによって、少数派のツチがフツによって虐殺された。その数は100日間で80万人とも100万人とも言われる。

なぜ僕がこのような回りくどい言い方をするのかと言うと、いまその民族の枠組みは消されたからだ。いや正確に言えば、「隠されている」のである。

ルワンダはジェノサイド後、「アフリカの奇跡」と言われるまでの国になった。治安はアフリカいち良いとされ、経済成長率も極めて高い。
ルワンダがこれほどの成長を遂げた背景には、国家の圧倒的な力がある。現在の大統領であるカガメの強力な指導力のもと、ルワンダは急速な復興と発展を遂げた。
ルワンダ政府の政策には平和構築に関するものがある。国民が民族やジェノサイドに関する話題を公の場で出せば罰せられるし、それらに関する情報はシャットダウンされている。ある意味で「情報統制」ともとれる政策を実行しているわけだ。
そしてこれがかつて存在した民族の枠組みが「隠されている」所以なのである。

僕はこの状況に少なからずの違和感を覚えた。
確かに今のルワンダは一見して平和だ。ジェノサイドからほんの20年しか経っていないとこを感じさせないほど、ただただ平穏な時間がながれ、人々は日常を生きている。
しかしそれは、もしかすれば表面的なものに過ぎないのではないか。この平和は創られたものであって、今尚憎しみは奥深くに燻っているのではないか。ルワンダの人々は自分の感情を隠しながら生きている。決してお互いを許し合い、理解したわけではないのだ。そしてそれはいつ爆発してもおかしくないかもしれない。それを真の平和と呼べるのだろうか。
これが僕の違和感の正体なのだろう。

ふと周りを見回し、考えてみる。
僕の感じた違和感に関係なく、この国では穏やかな時間が流れている。
町では頭に何かを乗せた女性が当然のように歩き、子供は走り回る。
バスの中では、重い荷物を抱えた老婆に若者がすぐさま手を差し伸べる。僕もつられて手を差し伸べた。
手を振ってみる。笑顔と共に手を振り返してくるルワンダの人々。僕が感じた違和感など、とてもちっぽけでなんの意味も成さないのかもしれない。同時にそうとも思った。
過去に幾度とない争いがあったルワンダで、20年の間、大きな争いが起きていないことは事実なのだ。
もし国家が強制的にでもこの状況を生み出さなければ、憎しみの連鎖が起きていたのかもしれない。その平和をルワンダの人々は享受している。たとえそれが創られたものだとしても。
僕は他者に過ぎない。これはどれほど努力しようともどうにもできないことである。他者である僕が、ルワンダの平和について何かを言う権利などどこにもない。

この名前のない、もやもやとした感情に名前をつけるとするならば、それは「怒り」であろう。
創られた平和への違和感と、一方でその平和への納得という相反する2つの感情が生み出す矛盾に対する怒り。
そしてそれをどうすることも出来ない自分への怒り。
この怒りはそう簡単には解決消すことはできない。いや、消そうと思うこと自体が傲慢な考えなのかもしれない。それぐらい、1人の人間など小さなものだ。
ならば、僕はこの怒りを感じることができたことに、誇りを持とうと思う。怒りを感じたということは、僕は真剣にルワンダについて感じ、知り、考えたということだ。それだけで、この地に足を踏み入れた理由としては充分だ。

バスの中は笑顔で溢れている。ラジオの音楽に合わせて歌い、子供はそれらしく泣き、老婆は眠っている。
バスのリズミカルな揺れのせいで、僕も眠くなってきた。
眠りに落ちる前に、もう一度考えてみよう。


【文責 広報局7期 岡勇之介】
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外国に行って何日かたつと、その国のルールというか、
なんとなく暗黙のうちに共有されている「生きるわざ」のようなものが見えてくる。

中国のそれは「つくろわない」ということ。

ニコリともしないタクシー運転手。
ちゃっかり自分も食事をしながら接客する飯屋の店員。
周りの目も気にせず列に横入りしてくる男。
満員電車のなかスマホで音楽を流し、幼い娘に歌わせている母親。

どれも日本で見たら顔をしかめてしまうような光景ばかりだ。
しかし中国にいると不思議となんとも思わない。
周りでそれらの光景を見ている人もまったく気にしていない様子だ。

人ってそんなもんじゃん、気ままが一番!ワガママバンザイ!と、
その寛容とも無関心ともいえる環境に、私も思いっきり甘える。

屋台の先頭に分け入り写真を撮り、しつこい商売人には遠慮なく顔をしかめる。
沈黙をうめるための会話をやめ、気まずさを和らげるためのつくり笑顔をやめる。

無意識に自分をつくろっていた鱗が、ゆっくりと、はがれる。

自由とはかけ離れた印象の国で、私は自分をつくろうことをやめ、
こんなにも自由で、素直だ。

和式ばかりのトイレに、急に冷水が飛び出すシャワー。
空が灰色に霞む日も少なくない。

決して住みやすいとはいえないけれど、中国は、生きやすい国だ。




【文責:広報局一年 小嶋 熙】
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私は地図が好きだ。

私の母親も地図が好きで、我が家のトイレの壁には世界地図が貼ってある。これはもう既に5代目で、ナショナルジオグラフィック日本刊行20周年の付録地図だ。母と私、どこかへ出かけるときは、二人でその周辺の地図を事前に眺める。帰ってきてからは、二人で行った場所の地図をかこんで、ここはこうだった、あそこはああだったなど言い合う。そのおかげか、私は地図を読み取るのは割に得意だし、方向音痴でもない。

メキシコ、グアナファトの空気をすう前も、日本で「地球の歩き方」の地図を熟読したし、Google Mapでお散歩もした。だからなんとなくグアナファトを知ったつもりでいた。

日が傾きかけた午後、私はグアナファトのダウンタウンを見渡せるピピラの広場に立った。その時どれだけ息留め続けていたか分からない。目に飛び込んでくる景色で心がいっぱいで、呼吸も忘れていた。ただただ考えてもみなかった。町全体がこんなにも波打っていて、建物や教会、大学がせり出してくるように見えるなんて。

地図で知ったつもりの町は、こんなにもいきいきとしていなかった。


【文責:広報局1年 高橋渉】
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カザフスタンという国に行った。

今までは、そこに人がいて同じように生活を送っているとは思えなかった。
いや、もちろん国なのだから人がいて生活しているのは当たり前なのだが
ニュースでも世界史でも出てこないその国に対して思いをめぐらせたことはなかったから
自分の中の世界地図には名前だけ載っていて後はまっさらなイメージだった。
そこに人がいて、彼らの生活があることがあまり想像できなかった。

だから行ってみて、普通に人が生活しているどころか、近代的な建物が乱立していて
アジア系とイラン系の中間のような顔した人たちがカザフ語とロシア語を使い分け
なにより中央アジアでもトップレベルで豊かな国と知って驚いた。

思いをめぐらせて、行って体感するのって大事だ。
文化の違いや経済格差はあるかもしれないけれど
向かい合えば対等な、お互い尊重すべき人間が住んでいることを実感するから。
自分の想像力が至らないような場所でも
そんなのおかまいなしに人々が生活しているという現実があることを悟るから。

いつか国際政治の舞台に立つような人達には
同じような実感をもってもらいたいと思った。



文責 8期 古屋沢彌
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その男は、 仰向けになり、横たわっている。

瞳を閉じ、深く呼吸をしている。


怯えているのだろうか、覚悟を決めたのであろうか。

空疎な時間が過ぎていく。


次の瞬間、仰向けになった男に一点の火が灯る。

彼に着火した者は友人であろうか、親友であろうか、或いは、肉親なのであろうか。

どんな気持ちを抱いて着火したのであろう。

嗚呼、男はみるみる燃えていく。

数秒もすると男はあまりの痛みに耐えられなくなり、発狂しながら走りだす。

そうして、力なく倒れる。


倒れた男を目掛けて一斉に消火が開始された。

鎮火された男の皮膚は焼けただれ、目は潰れ、生命力などそこにはもう微塵も無かった。


彼の周りで人々は悲しい顔をしている。呆然と立ち竦む者、この気持ちをどうして良いのかわからなくて、泣き叫ぶ者。

悲しみと怒りと、そして虚無感で空間は満たされている。

彼は焼身して幸せになれたのだろうか。




あるいは、彼の死は、人々を幸せにすることができたのであろうか。

―――――――――――――――

私は去年に中国を周遊した経験もあり、とても中国にポジティブな感情を抱いている。だがやはりそこには問題があり、民族問題もその一部であると感じる。また、単民族国家である日本人が、多民族国家である中国について理解を深めることは非常に意義があることではないかと感じ、今回はこのような経緯でチベットに訪れた。

西寧という中国の地域から22時間程列車で移動した所にチベットの首都ラサがある。蛇足であるが、この鉄道から見る夜空は文字通り神秘的だ。標高5000mを通過するこの鉄道の周辺にはもはや妨げる建造物や街灯など存在しない。ダイヤモンドみたいにキラキラ輝く満天の星空と、UFOの軌跡のように横走っていく流星。漆黒の空に散りばめられた宝石たちに対する無類の感動に加え、とうとうチベットに行けるのだという喜びとが相まって、私はその夜、高鳴る胸を押さえながらやっとの思いで瞳を閉じた。

だが、到着したチベットは私がイメージしていたチベットとは少し違ったようだ。まず、私がラサに対して抱いた第一印象は「ここは中国だ。」という印象である。街を歩けば赤い国旗がはためき、中国語で溢れていた。近代的な建物も多く建築されていた。神秘的な宗教観もそこには存在していなかった。赤い袈裟を来た僧侶がスマートフォンをいじっている。チベット仏教を代表する寺院では、巡礼するチベット人と、写真をパシャパシャ撮る観光客でいっぱいになっていた。また、ラサの街には悲壮感など微塵も感じられなかった。私が現地人に微笑むと、白い歯を見せて手を振ってきてくれる。外では子供がボール遊びをしている。人々は寺院で好きなだけ祈りを捧げ、暇さえあればビールやタバコを愉しんでいた…。

なぜこのようにのんびりとチベット人が暮らしているのか不思議に感じたが、後の話によると、2008年のラサでの大規模な暴動をきっかけに中国政府はチベットに対して宥和政策をとるようになったそうだ。農村部の人々に対しては教育費の無償化を行ったり、娯楽を享受できるように手配している。チベット語を使用することに対する規制も緩和されてきた。また、チベットの人々の生活水準は確実に上がってきており、穏やかな雰囲気が街を包んでいた。

それだけに今回のチベットの滞在を終えて、私は何が正解なのか分からなくなってしまった。私がイメージしていた、“中国政府がチベットを圧政し、人々はその下で生活を制限されている”といった単純な構図では無かったからだ。

だが、この中国政府の懐柔政策にはある戦略が見え隠れする。単純に言えばチベット人の“アイデンティティー”を風化させる戦略だ。チベットでの教育は中国政府の管轄の下行われる。また、安い酒やタバコを中国からチベットに仕入れ、嗜好品でチベットを満たしていく。そうする事で、チベット人の頭が賢くなりすぎる事を制限しているのだ。また、インフラ整備などの政府の政策により、人々は生きている事に危機感を感じなくなる。当然生きることに危機感を感じなくなれば暴動も起こし辛いであろう。

このように現在のチベットは少しずつ、でも着実に赤色に染ってきている。悲しいかな、チベットを赤い大国から救う事で利益を得る者は少ない。それ故、今後もチベットはどんどん赤くなってゆくであろう。


私たちは、チベットの伝統や文化を消えていくのをこのまま見る事しかできないのだろうか。身を焼いたあの男の、魂の叫びは、無駄であったのだろうか。


【文責:広報局2年 長内椋】
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雰囲気のいい田舎、そんな感じだ。
見渡す限りの田んぼの緑と、点々と生える椰子の木。
日本では見られない、インドの田園地帯特有のコンビネーションだ。
ここでは僕たちが巡って来たインドのどこよりも、ゆったりと時間が流れている――そんな気がする。

僕たちは、東インドの町、ブッダガヤを訪れた。この町で、学校へ通うことの出来ない子供たちのために無償の教育施設を営む、一人のインド人を訪ねるためである。名前は、ダルメンダル・クマール・ヤダヴ――通称ダールさん――といった。彼の営む学校を見学し、子供たちに文化交流のための小さな授業を行うことになっていた。

実は、僕はここに来る前に一度ダールさんと直接お会いしていた。彼は日本に日本人の妻がおり、日本とインドを往来している。初めて会ったのは東京駅のカフェスペース、一ヵ月半前のことだった。

「この学校の子らは、日本人が来るのを楽しみにしているんだよ。日本語を少し話せる子だっている」
ダールさんはコーヒーを飲みながら得意気にそう言った。
「あの子たちは、ほんとに家が貧しくってね……。学校の費用を出しているのは日本の会社だから、日本人なら大歓迎なんだ」

ダールさんは、とても陽気な人だ。日本語はとても上手で、関西弁で喋ってみたり駄洒落やジョークを交えてみたり、とにかく明るく、僕らを楽しませようとしてくれる。この人柄で、子供たちに無償の教育を、か。僕はすぐに納得した。

日本にいたときは子供たちの歓迎ぶりなんて想像もつかなかったから、なるほどね、としか思わなかったのだが、いざ学校に到着すると、言葉以上の大歓迎が待っていた。「オハヨウゴザイマス!」と日本語で挨拶する子供たち。歌を大合唱する子供たち。右からも左からも握手を求める手が伸びてくる。花の首飾りももらった。晴天の青空の下、子供たちのパワー全開の大歓迎だった。

しかし学校についた途端に、気づいたことがもう一つあった。なぜだろう、子供たちが異様と言っても過言ではないほど、ダールさんを恐れているのである。彼が子供たちの前に立つと、喋る者はいなくなる。場が、ピリッとする。”Yes, sir.”――子供たちが彼と話すとき、語尾には常に、敬称の”sir”が付いていた。ダールさんの陽気な人柄と、はしゃぐ子供たちの笑顔を何度見比べても、この緊迫した関係性には辿り着かない。確かに肩書きでは、ダールさんは学校の理事長や校長先生といった立場だが、相手は元気いっぱいの小学生で、ましてやここは緩やかな時間が流れるインドの田舎である。赤いレンガと土でできた校舎、周りに広がる緑の草原に、この緊張感はどうしても似合わなかった。

次の日。僕たちは子供たちに、日本とインドの文化を紹介し合う、小さな授業を行っていた。その授業もひと段落して、休憩時間を取ることにした。しばらくすると、何人かの子供たちが水飲み場から帰ってきた。

――そのときだった。

ダールさんが、怖い顔で、数人の年長の子供を呼び集めたのである。静かに、淡白に、彼は子供たちに話を始めた。インドの言葉だったから、何を話しているのかは分からなない。ただそこには、いつも以上の緊張感があって、何人かの子供たちの表情は、今にも泣きだしそうにも思えた。ときどき、子供たちがかすれた声で返事をする。そんなやり取りが、5分は続いた。何がダールさんの口から語られているのか、到底予想もつかなかった。

帰り際、思い切って、僕は彼に尋ねてみた。あのとき子供たちに、どんな話をしていたのか。すると彼の口からは、思いがけない言葉が出てきた。

「あれは、先生たちのチェックなんだよ」

先生たちのチェック?話を聴いていくと、つまりはこういうことらしい。

子供たちは、密かに、この学校の先生たちをチェックしている。一番は、労働時間のチェックだという。先生たちの中には、時間に遅れて学校に来て、時間より早く帰ってしまったり、時間通りに授業をしなかったりする先生が、当然のようにいる。しかしダールさんが常に学校にいて彼らを監視することはできない。労働時間を誤魔化さないよう、そのチェックを、代わりに子供たちが行っているのだ。

なんて残酷な制度なのだろう。先生という大人、子供の模範となるべき大人を、子供がチェックしている。大人と子供が、まるで逆さまだ。そして子供たちは、校長先生に告げ口――そうとも言えるのではないか――をしなければならない。

教育は大人が子供にするものだ。それが当たり前だと思っていた。

でも、ここでは違う。

僕は、尋ねた。

「なんで、子供なんですか」

彼は、答えた。

「子供は、一番素直で、一番信頼できる。ちゃんと学校に来て、先生や周りの大人のことを、とてもよく見ている。先生たちは、時間を守らないインドの習慣で育ってしまった。子供たちには、そうならないでほしい」

そのとき僕は、彼が子供たちに置いている信頼の大きさと、未来への期待を、彼の言葉から確かに感じ取った。マイナスなイメージが、プラスへと変わった瞬間だった。

確かに、インドの時間の概念は、日本よりも遥かに大雑把である。僕たちの寝台列車は、当然だとでもいう様に7時間遅延した。それこそがインドであり、この国の良さだと思う。でも同時に、この国で児童労働が蔓延し、子供たちに教育が行き届いていない事実もある。この事実の一端を、この国における道徳的、教育的なモラルの低さが担っているとしたら、彼が子供たちに置く信頼と、子供たちに託しているチェックの仕事は、大きな意味を持つ。

――あの子供たちは、希望の子供たちなのだ。

逆さま? 確かにそうだ。
ここは、トイレより、携帯電話の普及率のほうが高い国。
服も着ていないスラムの子供が、テレビゲームをしている国。
そして、子供が大人をチェックする国。
全て逆さまだ。
全てはインドが、発展の過渡期だからだと思う。
物質的な発展があるなら、道徳的な発展もあるはずだ。
僕が今見ているのは、道徳的な発展を望む一人のインド人と、その子供たちなのかもしれない。


「だからぼくは、厳しい校長先生じゃないといけないのです」

去り際にダールさんは、微かに寂しそうに、そう言った――。




文責:広報局 1年 松村拓朗
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日本人と中国人
ムスリムとユダヤ教徒
イギリス人とアイルランド人

これらの民族たちは今もなお民族対立を抱えている。
他にも世界ではこうした対立から引き起こされた紛争が起き、そして起こるだろう。

セルビア人とアルバニア人という民族を知っているだろうか?
セルビア人は聞いたことがあるかもしれない。
サッカーもそこそこ強い国で日本とも対戦したことがある。
アルバニア人はどうか。
おそらく聞いたことがある人は少ないのではないか。
ではコソボという「国」を知っているだろか、という問いならどうだろう。
これならば聞いたことがある人が多いのではないか。

コソボ
その「国」は1991年に大きな紛争が起きた地であり、日本人の多くはコソボと聞けば「紛争」という言葉を連想する。それだけ大きな戦いがあり、悲惨な事がたくさんおきた。
コソボはもともとセルビアの一部であり、自治州だった。
しかしながら、そこには多くのアルバニア人が住んでいた。
このアルバニア人達が独立を主張し、セルビアがこれを抑圧したことが紛争の発端である。
現在国連111カ国がコソボの独立を承認しているなか、セルビアは依然として自治州という姿勢を崩していない。
正直なところ、こんな文章ではコソボを巡るセルビア人とアルバニア人の関係を語り尽くすことはできない。それくらい状況は複雑すぎる。

私は今年の春と夏、二度にわたってこのコソボという「国」を訪れた。
はじめの頃の私は未熟で、遠慮なしにこの地に土足で踏み込んでいった。
自分で変えることはできないにせよ、いつかはこの対立は終わるものだと思っていた。
コソボはそのイメージとは違い、一見すると紛争の歴史を微塵も感じさせない場所であった。
首都のプリシュティナには整備された道路があり、立派なビルもある。商店はにぎやかで、いつも人で溢れていた。
しかしなぜだろうか。その場所はどこか暗く、どんよりとした空気を纏っていた。
その原因の一旦を垣間みることが出来る場所がある。
ミトロヴィッツァ。相対する二つの感情が交差する町。
この町には橋がただ昔からずっとそこにあったかのように毅然と存在する。
この町の、橋を挟んだ北側にはセルビア人が住んでいる。つまり、この町にはアルバニア人とセルビア人が橋を隔てて住んでいるわけだ。
セルビア人が橋を渡れば、石を投げられ罵声を浴びせられる。少なくとも彼らはそう信じて疑わない。

ミトロヴィッツァでアルバニア人の友達ができた。
彼は強くセルビア人を憎んでいた。
そんな彼に言葉を投げかける。
「アルバニア人のことは大好きだ。みんな親切で陽気で。でもセルビア人も君らと同じように、みんな親切でいい人なんだ。僕は彼らのことも大好きだ。」
すると彼は心底驚いた表情を見せた。
「セルビア人がいい人?それは本当?信じられない。」
彼はそう言った。
私にはあまりにもこの言葉が衝撃だった。
彼は何も知らなかったのだ。
彼は紛争という歴史が生み出した憎しみだけで、セルビア人を見ていたのだった。本当のセルビア人の姿を知らずに。そしてそれは、セルビア人も同じなのだろう。

しかし、私は彼らではない。
紛争を経験したことはないし、友達を、親を、愛する人を殺されたことはない。
そんな私が「過去は水に流して、手を取り合おう。」などと簡単に言っていいのだろうか。

私には言えなかった。

私は絶望している。
民族の対立が消えることは決してなく、私にはどうにもすることはできないと悟ってしまったからだ。
血で血を洗う惨劇が生み出した憎しみは、そう簡単に消えるものではない。
さらに、多くの場合、そこにアイデンティティや民族、国家など、さまざまなモノが絡む。
その極限までに絡まった糸をほどくことは不可能に近い、と私は思う。

ただ、やはり、本当の姿を見なくてはならないと思う。
「仲良しになれ」とは言わない。「水に流せ」とも言わないし、「握手をしよう」とすら言わない。
「本当の姿を知る」。それだけだ。
それを知った結果、憎しみが消えるなど思っていない。対立がなくなるとも期待していない。
「知ること」に目的などいらないと思うのだ。
だからこそ、知ってほしい。
自分の憎しみの矛先にいる相手のことを。
それで何が起こるかが、誰にもわからないとしても。


私は絶望している。
でも、心の本当の奥深くの、本当の隅っこで、いつかセルビア人とアルバニア人が分り合える日がくることを待ち望む自分がいることもまた、真実なのだ。


文責 7期広報局 岡勇之介
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オーストラリア、マレーシア、バングラデシュ、インドネシア、台湾、セルビア、コソボ、マケドニア、アルバニア。
一見すると、無作為に並べられたような国々。
これらの共通項とは一体なんだろう。きっと誰にも分からないはずなので早くも答えを発表しよう。これらはわたしがいままでに訪れた国である。
外国に行きたいと思うとき、わたしが真っ先に懸念するのは金銭問題だ。旅に出るには、お金が必要。航空券も現地での生活費も、すべて自分のお金で払おうとすれば旅行までの何ヶ月間アルバイトを詰め込んで生活しなくてはならない。大学生の長期休みには時間が溢れているから、あとはお金さえあればわたしたちは世界に飛び出せる。これが日本の当たり前。
冒頭でわたしが挙げた国々を覚えているだろうか。思い出してみてほしい。その中にコソボという国がある。わたしがこの夏に赴いた場所だ。先行するイメージは、きっと、紛争だろう。実際に行ってみると、明らかに目に見える紛争の爪痕といえるものはあまりなかったように思える。もちろん、首都を離れて山のほうへ向かえば、紛争で虐殺された人々の墓場があり墓場周辺の一帯は明らかに首都や他のところとは違った雰囲気を帯びていた。しかし、あえてそのようなところに行かない限り、この国で紛争が起こったと感じさせるものには出くわしにくかった。
よく晴れた日のことだった。
"TREAT US FAIRLY"
"WHERE IS MY FREEDOM OF MOVEMENT?"
通りすがりの壁面には、そう落書きされていた。その横にはこう続いていた。
"VISA LIBERALISATION PROCESS FOR KOSOVO"
「コソボにビザの解放を」。コソボがビザに関して何かしらの問題を抱えていることはわかった。この発見の後、コソボの多数派住民であるアルバニア人の大学生との交流会があった。その中の学生の1人が落書きの意味を教えてくれた。
トルコ、アルバニア、モンテネグロ、トルコ。
これらの国に共通することは何か。わかるだろうか。これらの国のみがコソボに住むアルバニア人に許される旅先なのである。この夏、最もショックを受けた瞬間だった。紛争を経て、コソボはコソボ共和国として独立したがその国の存在はまだ国際社会に正式に承認されていない。そのために、このような現状に直面しているのだ。もちろん、虐殺の跡地を訪れたときも、コーディネーターから紛争の歴史を聞いたときも、何度も何度もショッキングな過去や現実を目の当たりにした。でも、わたしはそれらすべてを上回るショックに、その学生の言葉によって直面したのである。それはわたし自身が遠くの日本から来た、まさに「旅する自由」を絶賛満喫中の外国人であったからだろう。お金さえあればどこだって行ける。わたしにとってはそれが当たり前だった。しかしコソボのアルバニア人は、どんなにお金があっても現状では「旅する自由」をあたえられていない。ただ、コソボという国に、アルバニア人として生まれた、というだけで。

世界地図を広げてみる。
アメリカ、インド、メキシコ、モロッコ、ラオス、 ー。
まだまだわたしには行きたい国がたくさんある。きっとわたしはこれからもたくさん旅をする。行ったことのある国が増えれば増えるほど、なんだか世界は小さく感じられる。この感覚は「旅する自由」を与えられた者だけが持てるものなのだろうか。コソボにいるわたしの友達には共感できないものなのか。それはどちらとも言い切れない。ひとつ言えるのは、このコソボ人が「旅する自由」をもたないという現実は、「改善されるべき」問題ではなく「解決されなければならない」問題なのである。

"FREEDOM OF MOVEMENT FOR KOSOVO!"

【文責:企画局2年 榊汐里】
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セルビアとマケドニアではほとんど感じなかったが、コソボで自分に強い印象を与えたのは、人々の好奇心に満ち溢れた視線だった。
コソボの街の道をアジア系の人々が歩くことは珍しいもんだろうか、地元の人々は自分たちに声をかけたが、それは時には友好的であり、ときには挑発的であった。

こうした挑発的な行為として自分たちが道を歩いていたら、見た瞬間即座に自分たちを見た目がアジア人だから中国人と判断して、
「チャイニーズ!チャイニーズ!」
と呼びかけたり、挙句の果てには目を細めたりする子供もいた。

自分たちは当然それに怒りを覚えるが、そのような扱いを人々からうけることにフラストレーションが溜るのも当たり前だ。
なぜなら日常的に日本に暮らしていて、周りが全員見た目同じであれば、外見で扱われることは全くないからだ。 

しかしコソボでは自分たちは外見的にコソボの人々とは全く異なり、コソボで日常的に暮らしている人からしたら日常的にアジアの人々と接する機会はほとんどない。
このような状況を考慮したら我々日本人は、コソボに住む人々からしてみたら、まるで宇宙人であるかのような目で見られているのかもしれない。




文責 7期 シルバーマン剛
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コソボのミトロヴィッツァ。
この町には多数派のアルバニア人地域に加えて、セルビア人地域が存在する。その二つを隔てるものは何か。1本の川だ。そしてこの二つの対立した民族の居住地域をつなぐ橋がある。ただ、この橋は歩行者は通行できるものの、真ん中の道は封鎖されており車が通行することはできない。


僕たちは町の南側、アルバニア人地域から橋を見ていた。でも渡れない。橋の向こうには何があるのだろう。向こう側から見た風景はどんなだろう。そんなもどかしさがずっと心の中を渦巻く。

そんな中、橋の近くを通りかかった、小学生ぐらいの女の子を連れた男性に話を聞くことができた。彼はその女の子に聞こえないようにこっそりとこう語ってくれた。
「実は私の弟はセルビア人に殺されたんだ。そして殺された彼の娘があの子なんだよ。」
突然の出来事に僕たちは言葉を失った。でも勇気を振り絞って聞いてみることにした。
「セルビア人のことをどう思う?」
彼はこう答えた。
「嫌いとかは言いたくないけど、、、家族を殺されているから、、、」

彼が堂々と嫌いだと言えない複雑な気持ちは、紛争を経験していない僕たちには到底理解し得ないのだろう。でも僕たちにも分かることがある。彼らは憎みたくてお互いを憎んでいる訳ではないのだ。彼らだってきっと平和な世の中を望んでいるはずだ。


最近はセルビア人とアルバニア人の交流なども進んできているそうだ。この町も二つの民族の融和に向けて一歩を踏み出そうとしている。

橋の向こう側に見えるPEACEの文字。この橋が二つの民族の平和の架け橋になる日はいつ訪れるのだろうか

                               文責:広報局 8期 笠 智貴
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