学生団体S.A.L. Official blog

慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。


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ジョードプルはのんびりとした街だ。宿の屋上には心地よい風が吹き、日差しが差し込む。路地では子供が無邪気に遊ぶ一方で、大人はぼーっと外を眺めている。そしてこの街を見下ろすように、崖の上一帯にメヘランガール城塞がそびえている。

 

私たちはこのメヘランガール城塞へ向かうために、宿から続く路地を進んでいた。コンクリートで造られた、中東風の建物によって構成されているこの路地は迷路のように入り組んでいる。写真を撮ってとせがんでくる子供たちの相手をしながら、石畳の坂道を抜けると、城塞のふもとへと辿り着いた。

 

インド人が50ルピーを払うのを横目に、観光客価格の400ルピーを支払って城塞の中へ入ると、レンガ造りの大きな門が待ち構えている。城塞としての重厚感や、そこに施された装飾はとても美しい。それでもここで最も惹きつけられたものは最上階から眺めるジョードプルの景色だった。城塞の置かれている崖の上にはどこまでも続くような城壁が張り巡らされ、崖の下にはジョードプルの街並みが広がっている。高いところから眺めると改めてジョードプルがブルーシティと呼ばれる理由がわかる。密集した建物の多くが青く塗られ、辺り一面が青く染まっているように見える。青という色は心を落ち着かせるらしく、何時間でもここに居座りたいという気持ちにさせる。

 

城塞をでると、もう夕暮れの時間になっていた。夕焼けに照らされた城壁に座りながら日が沈むのをゆっくりと眺める。いつの間にか辺りから私たち以外の人は消えている。ふと、こうして夕焼けをじっくりと見る時間というのも久しぶりだなと思う。思えばジョードプルではゆっくりと時間が流れていた気がした。それがこの街の気候によるものなのか、それとも人々によるものなのかはわからない。それでも、この街が好きだということははっきりと言える。

 

太陽は時間が経つにつれて沈む速度を上げ、青い街のある地平線へと沈んでいった。

 

 

 

【文責:マネジメント局1年 中村陸生】

 

 

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四方八方から鳴り響くクラクション。鼻につく排気ガスとゴミの匂い。物珍しそうにこちらを見て、時には笑いかけてくれる人々。そんな中を歩いていると、圧倒的な高さと存在感を誇る塔が見えてくる。ドラヴィダ文化の結晶、ミナクシ寺院だ。塔は青を基調としつつ、赤、緑、オレンジ、など無数の色が混在している。その形容し難い色合いと周りとのギャップにより、まるで超古代文明の遺跡が突如地表に出現したかのような印象を受けた。私はその姿を間近で見て、しばらくの間目を奪われてしまった。
 
寺院の中は、訪れた多くの人々で溢れていた。男性、女性、子供達、カップル、老人。彼らは、思い思いの神の前に立ち止まる。そして、あるものは拝み、あるものは横たわり、あるものは像を見つめた。そこにいたのは、まさに老若男女、ヒンドゥー教を崇拝するあらゆる人々だった。
 
若い恋人たちは腰掛け、院内の池を眺めながら静かに語っていた。子供たちはガネーシャの像に白い粉をふりかけ、真剣な面持ちで祈っていた。そしてすべての人々は常に神聖な空気に浸り、神と対峙していた。そこは聖域でありながら、デートスポットであり、遊び場代わりの空間であった。
 
私は初めて近くから塔を見たときに思った。
「なぜこれほど荘厳なものが世界遺産でないのか」
それはミナクシが過去の遺産ではなく、昔と変わらずに人々が信仰する場であるからだろう。ミナクシは頻繁に塗り直され、建てられた当初とは異なる様相になっているという。デザインを変えることは、神を祀るのによりふさわしい場にしようという生きた信仰心からくる。人々の思いは17世紀と何も変わらない。子供から老人まで、そこに住む人々の人生にはいつもミナクシ寺院がある
 
そして今日も人々はミナクシへ向かう。
 
 
 
【文責:マネジメント局1年 小川聡仁】
 
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目を閉じて腕を広げる。刺さるように強烈な空からの熱さと砂の混じった風が私を包み込む。レンガと土で作られている崩れかけた家々、まばらな草木と2、3頭の犬。見たところ店もなく電気の通っている気配はない。そこに暮らす人々がいた。

私たちが宿泊していたパブキダニから車で約50分、砂漠にある村を訪れた。車を走らせている間、驚くほどに何もなかった。というのも50分間村らしきものどころかまともな家すら見なかったのだ。車の窓から見える景色は絵にすると簡単に描けそうで、黄色っぽい茶色と少しの緑と透き通った青で出来ていた。

村では実際の生活を見学するために幾つかの家を回った。行く先々で出会う子供。破れて穴が開いた汚い服を着た子供達は東京で見る子供より何倍も輝いて笑っていた。彼らはいつもまっすぐに私を見つめる。目の前にあるものだけを見て、感じて、表現するように。笑いかけると恥ずかしそうにくしゃっと笑い返すのだ。笑顔の会話に言語は必要ない。会話は時に一方通行で、時に工事中だけど。

そんなことを考えていると私の手に誰かが触れた。ヤムナの手だった。ヤムナはパブキダニを運営している方の子供で10歳の女の子だ。パッチリとした目に長いまつげ、少しカールしたショートカットは日に焼けて茶色がかり、肌は黒い。可愛らしい顔立ちだ。英語を少し話すことができるヤムナは私に頻繁に話しかけてくれる。

「調子は大丈夫?」
「見て!あれすごいわ!」

嘘にまみれた暗闇の社会を知る私にとって彼女の言葉は真っ白で眩しくさえ感じた。私はふと、彼女に聞いてみたくなった。

「あなたの夢は何?」

幸せそうな笑みは消え真剣な表情になる。わたしを見つめていた目線は遠くの地平線へと移り変わった。心なしか手を握る力が強くなる。彼女は微笑んだ。喜びでもなく楽しさでもない、どこか悲しげな色をのせて。

「見て。あそこの犬、黒いわ。」

私たちにとって「夢」ってなんだろう。「夢は誰でも平等に持てるものだ」ってどこかの正義をうたった絵本の言葉を思い出す。インドはカースト制の強く残る国。自分の将来は生まれた時から決まってる。もちろん職業も。彼女のあの強い力を持つ目は自分の未来に何を見ているのだろう。
ヤムナが私の手を強く引く。汗と砂が混じり合う居心地の悪さに乾いた風が吹く。後ろから子供達の楽しげな笑い声が聞こえる。日はもうすぐ暮れそうだ。私はまた歩き始めた。


【文責:渉外局1年 岡部真奈】

 



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結婚の話題に触れるたびに、ふと、南インドにあるタミルの村を思い出す。

名前は、パピナーヤッカンパッティ村。570人の人々が暮らす小さな村だ。色とりどりの小さな家、道に出てきて遊ぶたくさんの子供たち、村のみんなで一緒に食べるご飯、そんな温かな光景が蘇ってくる。

我々が訪れた日は、村に住む男女の婚約式があった。村に到着するや否や、巨大ポスターが目に止まる。その晩、婚約する花婿、花嫁がどこかのスーパースターのように貼り出されているのだ。この村では、現在も恋愛結婚は稀で、今回も親が定めた相手同士だった。

鼓膜が割れんばかりの盛大な音楽が鳴り響く中、村全体で準備が進められている。村の子供たちもおめかしをして、なんだか楽しそうだ。

夜になり、式が始まった。お祝いムードに包まれた結婚。その様子は、日本と同じようにも見える。が、このとき私は違和感が拭いきれなかった。なぜだろう。
花嫁がちっとも幸せそうでないのだ。固く引きつった表情を保つ彼女は、ツタンカーメンの仮面のようにも見える。

その後だった。仮面の目から一筋の涙がこぼれ落ちたのは。
ヒンドゥー教の婚約式の一環として、花嫁は自宅の玄関から外へ出る。これは、結婚を境に妻は家族と縁を切り、旦那の家庭に入ることを意味する。ちょうどこの場面で見た涙だった。
家族への感謝なのか。別れることへの悲しみなのか。それとも、本当は別の想い人でもいたのだろうか。
その後も、この花嫁は、壇上で表情を崩すことはなかった。

式が終わった後も、彼女の本心が気になってくる。そもそも、恋愛をして自由に結婚することが幸せ。この概念は私たちの価値観でしかない。
村で生まれ、村で成長し、村で家族を持ち、村で死ぬ。
それが彼ら彼女らにとっての最大の「幸せ」なのかもしれない。

あの日見た花嫁の涙のわけは、私にはわからない。しかし、笑顔が絶えない村人たちの姿を見ていたら、幸せのひとつの形がそこにあるように思えた。

将来愛する人との結婚を考える際、19歳の私が感じたあの気持ちがもう一度思い出されるのだろうか。

 


文責: 渉外局1年 長谷栞里

 

 



 

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「何もない。」

それが僕の第一印象だった。

 

ジャイサルメールの市街から車で約一時間。沙漠の中に点々と存在する、崩れかけた赤茶の煉瓦が目を引く。こんな場所で暮らす人々がいるなんてにわかに信じられないと、心では思ってしまうことに罪悪感を覚える。

 

その壊れかけた煉瓦の村に住まう人々は、ビルと呼ばれる部族集団だ。彼らは上層階級の人々から激しく差別され、沙漠の中のこの屋外にも似た空間で、限られた水や電気を使って生活している。

 

暑さの染みる午後だった。村に着くとたくさんの村人に迎えられ、ある一軒の家に招かれた。その家は周りを土壁で囲まれた一つの部屋で、屋根は一部分しかなく、辛うじて電気は通っているものの、水道は見当たらなかった。水はどこから手に入れるのだろう。この景色の中でペットボトルの水を飲んでいる僕自身に、僕は違和感を覚えた。

 

一人の少年がやってきた。十歳ほどに見える。少年は、

「いい場所を見せてあげるよ」

と、僕の手を握って、家から外へ引っ張っていく。

 

しばらく歩いて小さな土手を越えると、次の瞬間、そこには絶景が待っていた。目の前に、美しい湖が広がった。水は空を映して青く、木々と周りに広がる草原は鮮やかに緑色だった。水面は風を受け、ささやかに揺れていた。沙漠の中でこの場所だけが特別に思えるほどに、美しい眺めだった。

 

でもこのとき僕はまだ、遠くへ広がるその景色を、ただ景色として眺めていたのだと思う。

 

するとそのとき、壊れかけた大きなバケツを携えて、年老いた男がやってきた。湖を前にしてしゃがみ込むと、水を口に少し含み、喉の渇きを丁寧に潤すようにゆっくりと飲み込んだ。

 

ああ、何故だろう、その瞬間に僕は、僕の心が大きく揺れたことに気づいた。遠くに見えていた景色が、一気に"近づいた"ような感覚だ。ただ美しい湖を見ているのではなく、それがどうして美しいのか、はっきりと分かった。目の前に広がる湖が、人間の"生"に確かに結びついた瞬間だった。

 

この景色は決して、誰かが美しく見せようとして美しいのではない。この水が、彼らの生活、そして命の一部であるからこそ、湖の青さは余計に輝いているように思える。

 

「何もない。」

なんて、もう言えない。

 

その年老いた男は、壊れかけのバケツいっぱいに水を汲むと、村の方角へゆっくりと歩いて行った。その後ろ姿は、夕陽を浴びて、少し神々しく見えたーー。

 

 

 

【文責:広報局2年 松村拓朗】

 

 

 

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奇妙な形相をした神様の像が敷き詰められ、蛍光に近いピンクや水色など、奇抜な色をした家々がひしめき合っている。インドは州ごとに人々の嗜好や町の風景が変わると聞いたが、マドゥライの住民はどうやら目を引くほど鮮やかな色で町を彩るのが好きらしい。

 

インドに着いて初めて空港から出たその日、バンの窓から風景を眺めていた。リキシャが

撒き散らす砂埃を浴びながらも大声で談笑する人たちを見ていると、自分が日本でいちいち気にしている細かいことが、ここでならどうでもいいように受け取られるんだろうなと感じた。早く自分の足でそこに飛び込みたくて、もっと道行く人に近づきたくて、私は炎天下の真夏日に早くプールに入りたくて仕方がない子供のようにうずうずしていた。

 

そんな町中で一際目立っていたのはヒンドゥー教の神様ガネーシャの像だった。ガネーシャは頭は象、体は人間というこれまた異様な形をした神様である。今日は彼の誕生日ということで、そのために作られた祠が大体数百メートルおきに作られていた。その周りには老若男女様々な人が集まっている。お祈りのためか、井戸端会議をしに来たのか、はたまたその両方なのか。いづれにせよ、普段は何の関係もない人たちが同じ目的を持ってその場に集まっているという状態が素敵に思えた。

 

気づけば私は、大学だったりアルバイトだったり同じ「くくり」の中にいる人間としか関わっていないのかもしれない。同じ授業を受けている友達の中には関西出身の人や東北出身の人がいる。ただ、例え大学の友達が日本全国から来た人たちだとしても、私の家の隣に住む

サラリーマンのおじさんについては下の名前も分からない。

 

インドにだってカーストという立派なくくりがある。そしてもちろん日本と同様に大人には仕事があり、子供には学校がある。けれども ガネーシャの像はそんな無数に存在する「くくり」を大きく包み込んでマドゥライの人々を繋げている。確かにそうしてできた「くくり」だって

ヒンドゥー教の範囲内にしか収まっていないかもしれない。けれども世界中の人を同じ「くくり」に囲いこむ必要があるとは思っていない。近くにいるのに関わったことのないような人たちをつなげてくれさえすればいい。白髪のおじいさんと子犬のような目をした赤ちゃんを同じ場所に引き寄せるように。

 

奇抜な色が思いに思いに散らばるマドゥライの町並みがきれいに見えてしまうように、バラバラの生活を営む人々がこの時ばかりは一つに繋がっていく。

 

【文責:企画局2年 藤岡咲季】

 

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笑ってしまうほど、しつこい人間を久しぶりに見た。南インド、マドゥライの昼下がり、ヒンドゥー教の祭りに賑わう街中を歩いた時のことだ。街角で一杯10ルピーのチャイを飲んでいると、150cmくらいの小さなおっちゃんが近づいてきた。50そこそこのインド人だ。「コニチワ!ヤスイヨヤスイヨ」流暢に日本語を発する彼は、手に謎の手芸品を持っている。金色の針金でできた腕輪みたいなものだ。彼がそれをいじると形が球体に変わり、棒型に変わり、器型に変わり、樽型に変わり・・・。とにかくいろんな形に姿を変える。よくできてるなぁ、と写真を一枚。

 

「ヒトツ、センルピー」

彼は言う。1000ルピーというとさっきのチャイを100杯飲める。

「高いな 笑」

「タカクナイ」

「高い高い」

「トッテモヤスイヨ」

妙に日本語を知っているなと感心しつつ無視して道を歩き始める。彼は、付いてくる。

「スミマセンスミマセン、チョトマッテ」

そんな日本語も知ってるのか。

「ワカッタ。フタツデ、センルピー」

急に半額?思わず笑ってしまう。どれだけぼったくろうとしてたんだ。

「高いよ」

「タカクナイヨ」

「高いって」

「タカクナイヨ!」

道を歩きながら、そんな不毛な会話が続く。

「ワカッタ。チョトマッテ。ミッツデ、センルピー」

彼は必死で頑張るのだが、いくら値下げしようと買う気はない。

「いらないって」

「ワカッタ。ヨッツデ、ニセンルピー」

いや、高くなってるじゃないか!笑 何が「ワカッタ」だよ!

 

彼はどこまでもどこまでも付いてきて1kmは歩いた。値段は下がり、一つ250ルピーにまでなった。そこまで下がるともう何が相場なのかわからなくなってくる。これがお得なのか、まだぼったくられているのか全然わからない。とにかく買う気はない。それでも諦めずどこまでも付いてくる。しつこい人間は嫌いなのだけど、度を超えた彼のしつこさにはもはや笑えてしまう。完全に無視して歩き続けることもできたのだけど、「高い」にせよ「いらない」にせよ何か一言必ず返した。返さずにはいられなかった。

 

インドを歩けば彼のような人によく出会う。しつこくて、怪しげで、めんどくさくて、うっとうしくて、呆れる。けれど、どこか憎めず、愛嬌があって、人懐っこくて、思わず笑いがこぼれてしまう。そんなインド人がいなかったら、インドは何か物足りない気がする。結局のところ、この国には彼らがいてほしいのだ。

 

ずっと付いてくる彼との戦いがまだ続く中、大通りに差し掛かった。インドの道にはほとんど信号がない。だから車やバイクが行き交う中、隙をついて渡る。渡りきって後ろを振り返ると、そこには車とバイクと牛が行き交っているだけだった。彼は反対側に取り残され、もう見えない。長かった戦いが終わり、ふと一息つく。もう一度後ろを振り返ってみる。やっぱり彼はいない。町は祭りに沸いていて、バイクのクラクションと街中のスピーカーから流れる大音量の音楽が自分を無視して鳴り続けていた。

 

前を向きなおすと、見知らぬ人がこっちにやってくる。

「コニチワ!」

怪しげな日本語が、また近づいてくる。

 

 

【文責:広報局2年 有元優喜】

 

 

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長いフライトを終えてようやくインドの地に降り立った。

青空のもとで奇妙な生ぬるい風が身を包み込む。そう、私はいまタミルナードゥ州のマドゥライにいる。この地には観光客はほとんどいない。そのためか現地の人々の生活が広がっている。活発に街を行き交う中年の男性達、汚れた服を身につけならがら弱々しく歩く老人、狭い道を猛スピードですれ違う車、当たり前のように路上にいる牛、至る所で鳴り響くクラクション音、放置されたゴミから放たれる独特な臭い。

こうした街並みに対して私は嫌悪感を覚えた。日本に帰りたい…。これがインドという国を訪れた際の正直な感想である。あまりにも日本と異なる光景に怖気付いてしまった。そんなことを思いながらも市街地から1時間ほど離れた村を訪れる。広大な土地にポツリポツリと家々が建つ小さな村だ。

 

 

そこにはたくさんの子供がいた。彼らは異国の地からやって来た、カメラをぶら下げている私を恐る恐る見つめる。興味はあるが恥ずかしいようだ。

そのうち写真を撮って、と近づいて来る。私はタミル語は分からないので、彼らはジェスチャーを使って必死に伝えようと試みる。私は彼らの元気で嬉しそうな姿に対して夢中でシャッターを切る。ここで面白いのは、カメラを向けると決まって真顔をすることである。真顔で写ることが最も良い写真になると思っているのだろうか。不思議である。そんなこんなで撮った写真を見せるとお互いに笑顔が溢れた。カメラを通して遊んでいると時計の針はあっという間に進んだ。気がつくと19時であった。

夕食の時間になり彼らと共に食事をした。バナナの葉をお皿にし、その上にご飯とスパイスの効いた数種類のカレーをよそう。彼らがするようにスプーンを使わず右手だけを使って食べると、とても嬉しそうである。私は子供達の元気で無邪気な姿に惹きつけられていた。仲を深めるのには言葉なんて必要ないのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

 

 

私はこれまでインドという大きな国を何も知らずに一括りにして考えていた。汚い、臭い、治安が悪い…。これがインドだと思っていた。

しかし、それは完全に間違いであった。壮大な自然と共存する居心地の良い村と、何よりも笑顔が素敵な可愛い子供達がいる。インドの新しい一面を見ることができた。

そこまで生活するのに悪くない場所もあるではないか。本当はもっともっと魅力の詰まった国なのではないか。そう思えるようになると心が軽くなった。この国に来てから見ず知らずのうちに感じていた緊張から解放された。

 

 

こうして楽しい時間を過ごしていると、次なる目的地へ向かうためにこの村を後にしなければならない日がきた。最初の頃に見た光景は最早当たり前のものになっていた。

インドの生活に一歩近づくことが出来たのかもしれない。空港に到着すると吹いている風は心地よいものになっていた。

 

 

【文責:広報局1年 柳沼祐亮】

 

 

 

 

 

 

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午後6時、ホテルの前の通りに出る。歩き出すとスピードを出したオートリキシャがクラクションを鳴らしながら私を追い抜いてゆく。この町の人はまっすぐな目で見つめてくる。色が白く服装も違う私たちは目立つようだ。

通り沿いには色褪せ汚れた布をまとう老婆が座りこんで花を編んでいる。ふと目が合った。不審そうな目。私は微笑んだ。すると彼女は口にしわを寄せ口角を上げた。彼女の微笑みから、この街へ歓迎されている そう自然と思えた。

通りを抜け、ミナクシ寺院周辺を散策してみる。日本の服を着た私たちはやはり浮いてしまうようだ。現地の服が欲しいなあ、そう思っていた時、ある1つの服屋に目が止まった。
「It's low price come on come on!」
店の前にいた男性の手招きに誘われ、店内に入ってみることにした。

今日は、ヒンドゥー教の神ガネーシャの誕生日。それを祝うためなのか、店では強いお香を焚いている。目に見えるほどにたちこめた煙は今まで嗅いだことのないもので、 私の身体はそれを拒んでいるようだった。店内の棚に並べられた数百種類の洋服たち。しばらく迷ってやっと決めた。
[インドでの買い物は安くまけてもらうことが基本]
本でそう読んだ私は値切り交渉を始めた。
「It's 300rupees.」300ルピーを要求してきた。
「No,250rupees.」対抗してこう言った時、彼女はある言葉を私にかけた。

「You make me happy, l make you happy」

この洋服は低賃金で働いて作っているの。だから安くはできないわ。お願い。この値段で買ってほしいの。"あなたが私を幸せにしてくれたら私もあなたを幸せにできるわ"
インドでの裏側の問題を突きつけられた気がした。

この言葉は本当なのだろうか。単により多くのお金を取るためだけの言葉だったとしても、この一言に私は深く考え込んだ。出会った店員よりも裕福な私は着ている服の裏側を知っているだろうか。どれほど過酷な状況下で大量の服をつくり低賃金で生活しているか知っているだろうか。

財布から100ルピーを3枚出す。抱えたもやつきをしまいこみ私はその店を出た。ちょっと歩いた先では250ルピーという看板の服屋が見える。店主が私に話しかけてくる。歩く速度をすこし上げた。街は相変わらずガネーシャへの祝いで賑わっていた。
 

 

【文責: 渉外局1年 岡部真奈】

 

 


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ブルーシティと呼ばれる街「ジョードプル」。小さな家々が敷き詰められた細い路地を上っていくと、青色の屋根が広がる景色を一望できる。私がこの街で思い出したもの、それはどこか忘れかけていた「真心」だった。

朝、路上のオムレツ屋さんでお腹を満たした私たち。その店主に連れられ、こじんまりしたお店に行き着いた。名前は、マハーラーナー・スパイス。彼のいとこ兄弟が、ティーやスパイスを販売している。おじいさんの代から50年以上続く名店だ。
店に入るや否や、ティーの香りのテイスティングが始まった。ダージリン、ジンジャー、ジャスミン、カシミール、シナモン...。日頃飲んでいる茶、初めて聞いた茶、慣れた手つきで次々とビンが差し出される。心がほっとするような香りが店内を漂い始めた。インドで飲み続けてきた「チャイ」はマサラティーだ。実は、風邪、頭痛、喉の痛みにも効くらしい。
程なくして、今度はカレースパイスのテイスティングが始まった。インドに来てから1週間、毎日食べ続けてきたカレーの多種多様な香りがする。

数分前に出会ったばかりの私たちを「マイフレンド」と呼ぶ4代目店主は、流暢な英語で堂々と商品を紹介していく。まるで演説をする政治家のよう。いや、丁寧にわかりやすく説明してくれる点は、少し異なるだろうか。
それにしても、話し方、立ち振る舞い、表情、彼という存在すべてから商品たちへの愛が伝わってくる。どうしてだろう。目の前のモノを手に入れるということが、愛おしく感じてくる。こんな気持ちは久しぶりだった。
モノの売買は、確かにお金のやり取りだ。しかし、店主の態度からはそれを超える「真心」が溢れ出ていた。店内で過ごした1時間で、店主と私たちの間には、販売員と客の関係以上の繋がりが生まれていた。商品を買ったときに私が抱いた晴れやかな幸福感は、そこから生まれたのだ。幼い頃、母親からもらったわずかな小銭で、大好きなチョコレートを買ったときの気持ちに似ている。

購入したばかりのチャイは、役目を終えたサリーをリメイクした買い物袋に収まった。そして、今度はこの店の店主の兄弟が運営する洋服屋さんへと繰り出すのだった。
淡いコバルトブルー色のサリー袋を見るたびに、ジョードプルで触れた人間の美しい「真心」を思い出すだろう。

【文責: 渉外局1年 長谷栞里】

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