「撮影、演出」という仕事に大切なこと VOL.2 | どっこい俺は生きている。

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※ブラジルで出会った少年たち



「他人は自分を映す鏡」という言葉がある。

「他人が自分のことをバカにしている態度をとる。
そういう時は自分も他人をバカにした態度をとっている」という、心理学で用いられる言葉だ。

僕は「写真や映像も、自分を映す鏡」であると思っている。

ポートレート等で、笑顔が素敵な写真があるとする。
プロのモデルなら、素敵な笑顔など朝飯前。
ならば、「誰が撮っても同じじゃん」となるが、ところがどっこい、そうはいかないんだなぁ。


やっぱり、ポートレートの、いや写真の達人ともなると、
モデルさんが持っている能力以上の魅力を引き出す。
モデルさんが、同じポーズ、同じ笑顔をしていても、
撮る人が変われば、写真はまるで別なものになる。当たり前だけど。
言い方は悪いが、一流と二流の間には、見えない厚い壁があると思う。

僕はその秘密が知りたくて、様々な技法を学んだ。
一つには、構図や照明。これは撮影者にとって、基本中の基本だ。

次に、ポージング。自分が良いと思う表情やポーズをとってもらうために、注文をつけるコミュニケーション技術。
僕はわりと恥ずかしがり屋な方なので、これを身につけるには、けっこう時間がかかった。
ただ、この技術が身に付いたところで、写るものが大きく変わったわけではなかった。

転機となったのは、僕の師匠のお言葉。
「人の心を打つ写真が撮れるかどうかは、映す側の『心のレンズ』が磨かれているかどうかだ」


僕は、足りない頭を振り絞って、師匠の言葉を考えつづけた。
「心のレンズを磨くということは、すなわち一流の人間になるということだろう」
「人として一流になることと、一流の技術を身につけるのは、別次元の話しではないのか?」
「いや、師匠の言葉にいままでウソはひとつも無かった。自分が分からないだけだ」


そのありがたい言葉も薄らいできた頃、その言葉の意味がやっと少し分かったような感じがした。(本当にわかっているとは、今でも思ってない。不肖の弟子で申し訳ありません)

そのきっかけとなったのは、俳優や声優、ナレーターといった表現者たちが通うワークショップで講師をつとめたこと。

表現者たちが落ち入りがちな思考というものがある。
僕も、若き日は俳優をやっていた。
その頃の感情を想い出してみた。

「ディレクターやプロデューサーたちは神。
この人たちに気に入ってもらわなければ、この世界でメシを食っていくことはできない」


忘れてはいけないのは、ディレクターやプロデューサーは、表現者よりも優位なポジションにいるということ。

モデル、俳優、声優、ナレーターなどの表現者たちは、基本、フリーの立場。
事務所に所属をしていても、給料をもらっているわけではない。
よほどの大物ではないかぎり、表現者たちは、制作サイドや写真家の言うことを聞く。
それがたとえ、『良くない注文』であっても。

僕は、どうしたら同じ立場、同じ気持ちで表現者たちと仕事ができるかを考えていった。


VOL.3へつづく。





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