1998年4月に突然行方がわからなくなった娘(中村三奈子)は韓国に入国したまま行方がわからなくなりました。
拉致の可能性が完全に排除できない失踪者として現在探しています。
平成10年行方がわからなくなって、まったく何の情報も入ってきておりません。
どうぞ心当たりの方はお知らせください。
家を出た当時の服装(帽子とパーカー)
さがしています
中村 三奈子
なかむら みなこ
≪1979年 9月生 30才≫
特徴
身長は165cm。髪は長く当時は三つ編み。目が細く色白。
家を出た当時の服装
◎ 紺のパーカーに同じ紺のジーパン、青いチェックの帽子。
◎ 持ち物は白い財布のみと思われる。
◎ 高校3年生の冬の通学時には、オレンジのオーバーや紺のパーカー姿で通学。
家を出た当時の様子
1998年4月6日予備校へ行く予定の日であったが行かず、その日以来消息が解らない。
疑問に思うこと
1998年3月に本人がパスポートを申請し、4月3日に取得している。
同日、旅行社へ中村三奈子と名乗って、24、5歳のハスキーな声の女の人から韓国への往復航空券の依頼があったという。
◎ 明日でも明後日でも、できるだけ早い便の航空券が欲しい。
→なぜそんなに急いだのか。
◎ 韓国へは行ったことがあるので、ホテルの手配は必要ない。
→外国旅行経験は全くない。
◎ 忙しいので、航空券は出発当日に、新潟空港で受け取る。
→外国旅行経験がないのにこんなことができるのだろうか。
4月7日新潟空港で、派手なブラウスを着た女性(三奈子さんとは思えない)が、
航空券を受け取り人を捜している様子で、キョロキョロしながら搭乗口へ向かったとのこと。
荷物は少なかったという。
2009年9月末現在、韓国からの出国記録はありません。
そこで、特定失踪者問題調査会に連絡をし、7月30日、
第4次の発表で「拉致の可能性を完全には排除できない失踪者」として発表されました。
どんな小さなことでもかまいません、
お気づきの点がございましたら情報をお寄せください。
【連絡先】
新潟県長岡警察署・・・・0258-38-0110
中村 三奈子さんをさがす会・・・・090-4279-4724
ホームページ
会報
チラシ(PDF)
Youtube(さがす会:動画)
メールアドレス
振替 口座番号…郵便局「中村三奈子さんをさがす会」00510-1-80532
三奈子へとどいて 待っているよ
妙高の山道で,ちょうちょがそっと三奈子の指先に止まったよね。
あなたは、とっても嬉しそうに「見て、見て」と言っていたね。
《元気でいるよね》いつかまたこんな時間を過ごそうね。
待っているよ。
拉致の可能性が完全に排除できない失踪者として現在探しています。
平成10年行方がわからなくなって、まったく何の情報も入ってきておりません。
どうぞ心当たりの方はお知らせください。
家を出た当時の服装(帽子とパーカー)
中村 三奈子
なかむら みなこ
≪1979年 9月生 30才≫
特徴
身長は165cm。髪は長く当時は三つ編み。目が細く色白。
家を出た当時の服装
◎ 紺のパーカーに同じ紺のジーパン、青いチェックの帽子。
◎ 持ち物は白い財布のみと思われる。
◎ 高校3年生の冬の通学時には、オレンジのオーバーや紺のパーカー姿で通学。
家を出た当時の様子
1998年4月6日予備校へ行く予定の日であったが行かず、その日以来消息が解らない。
疑問に思うこと
1998年3月に本人がパスポートを申請し、4月3日に取得している。
同日、旅行社へ中村三奈子と名乗って、24、5歳のハスキーな声の女の人から韓国への往復航空券の依頼があったという。
◎ 明日でも明後日でも、できるだけ早い便の航空券が欲しい。
→なぜそんなに急いだのか。
◎ 韓国へは行ったことがあるので、ホテルの手配は必要ない。
→外国旅行経験は全くない。
◎ 忙しいので、航空券は出発当日に、新潟空港で受け取る。
→外国旅行経験がないのにこんなことができるのだろうか。
4月7日新潟空港で、派手なブラウスを着た女性(三奈子さんとは思えない)が、
航空券を受け取り人を捜している様子で、キョロキョロしながら搭乗口へ向かったとのこと。
荷物は少なかったという。
2009年9月末現在、韓国からの出国記録はありません。
そこで、特定失踪者問題調査会に連絡をし、7月30日、
第4次の発表で「拉致の可能性を完全には排除できない失踪者」として発表されました。
どんな小さなことでもかまいません、
お気づきの点がございましたら情報をお寄せください。
【連絡先】
新潟県長岡警察署・・・・0258-38-0110
中村 三奈子さんをさがす会・・・・090-4279-4724
ホームページ
会報
チラシ(PDF)
Youtube(さがす会:動画)
メールアドレス
振替 口座番号…郵便局「中村三奈子さんをさがす会」00510-1-80532
三奈子へとどいて 待っているよ
妙高の山道で,ちょうちょがそっと三奈子の指先に止まったよね。
あなたは、とっても嬉しそうに「見て、見て」と言っていたね。
《元気でいるよね》いつかまたこんな時間を過ごそうね。
待っているよ。
同級生から
三奈子 元気でいるよね
三奈子が家からいなくなってもうすぐ26年です。
悲しい出来事です。
どうしたら三奈子に会えるか同級生の皆さんも一生懸命考えてくださっています。
今日ね 長岡高校の同級生の方たちが集まって相談会を開いてくれました。
〇 三奈子が高校3年生の時どんなことがあったのだろうか?
〇 お友達は誰だったのだろうか?
〇 その頃教室ではどんなことがあったのだろうか?
3年4組の皆さん(三奈子がよーく知って(スキーに行ったごうちゃんのお母さんも
一緒よ) 井口さんは4組ではなかったのにいつも一生懸命協力してくださっています。
そのあと、同級生の皆さん・市役所の皆さんと市長さん・さがす会の皆さんと一緒にアオーレ長岡のなか土間という所で拉致問題解決に向けて署名活動をやらせてもらいました。「拉致問題解決に向けてのご署名お願いしまーす」・・・・と
三奈子 もしかしたら三奈子はとても悩んでいたのかも?
テニスクラブの中で 教室の中で 自分の体のことで ・・私が何も聞いてやれなかったことがあったの?
いっぱい伝えたいこともあります。
どうぞ連絡を 三奈子
三奈子が家からいなくなってもうすぐ26年です。
悲しい出来事です。
どうしたら三奈子に会えるか同級生の皆さんも一生懸命考えてくださっています。
今日ね 長岡高校の同級生の方たちが集まって相談会を開いてくれました。
〇 三奈子が高校3年生の時どんなことがあったのだろうか?
〇 お友達は誰だったのだろうか?
〇 その頃教室ではどんなことがあったのだろうか?
3年4組の皆さん(三奈子がよーく知って(スキーに行ったごうちゃんのお母さんも
一緒よ) 井口さんは4組ではなかったのにいつも一生懸命協力してくださっています。
そのあと、同級生の皆さん・市役所の皆さんと市長さん・さがす会の皆さんと一緒にアオーレ長岡のなか土間という所で拉致問題解決に向けて署名活動をやらせてもらいました。「拉致問題解決に向けてのご署名お願いしまーす」・・・・と
三奈子 もしかしたら三奈子はとても悩んでいたのかも?
テニスクラブの中で 教室の中で 自分の体のことで ・・私が何も聞いてやれなかったことがあったの?
いっぱい伝えたいこともあります。
どうぞ連絡を 三奈子
会報30号が出来ました。
いつもお世話になっております。
「中村三奈子さんをさがす会」です。
この度も皆様のご協力により「会報30号」が完成しました。
より多くの方へ活動をご周知いただけると幸いです。
今後とも宜しくお願い致します。
※会報は下記よりダウンロードできます※
https://bit.ly/3VvGY7V
「中村三奈子さんをさがす会」です。
この度も皆様のご協力により「会報30号」が完成しました。
より多くの方へ活動をご周知いただけると幸いです。
今後とも宜しくお願い致します。
※会報は下記よりダウンロードできます※
https://bit.ly/3VvGY7V
三奈子 元気でいるよね
2月というのに家の前には雪がありません。
しかし、寒さはいつになくきついですね。
三奈子 元気でいるよね
いつもなら車庫前は雪の山。車を出すのに車庫前は屋根から落ちる雪で大変だったのに、落ちてくる雪を消すために消雪パイプを引きました。出かける時はとても楽になりました。さらに今年は雪が少なくとても助かります。
しかし、私の体がだんだん思うように頑張ってくれなくて少し残念です。
長岡高校の同級生の皆さんが三奈子のことを心配し、協力の輪を立ち上げて下さいました。
さがす会の集会ではいつも参加してくださっています。また、長岡青年会議所の同級生の皆さんも参加してくださってとても心強いです。
2月には同級生の皆さんと磯田市長さんを訪問したり3月にはアオーレ長岡で署名活動を実施したりします。長岡市の協力にも感謝します。
さがす会の皆さんはもちろん同級生の皆さんと一緒に拉致問題解決に向けて行動しています。
三奈子 いつも幸ちゃんのお父さんや泰ちゃんのお母さんも一緒に行動していただいているんだよ。幸ちゃんは2児も母。泰ちゃんは1児の父。
三奈子 どうぞ元気でいる声を届けて 待っているよ 母
しかし、寒さはいつになくきついですね。
三奈子 元気でいるよね
いつもなら車庫前は雪の山。車を出すのに車庫前は屋根から落ちる雪で大変だったのに、落ちてくる雪を消すために消雪パイプを引きました。出かける時はとても楽になりました。さらに今年は雪が少なくとても助かります。
しかし、私の体がだんだん思うように頑張ってくれなくて少し残念です。
長岡高校の同級生の皆さんが三奈子のことを心配し、協力の輪を立ち上げて下さいました。
さがす会の集会ではいつも参加してくださっています。また、長岡青年会議所の同級生の皆さんも参加してくださってとても心強いです。
2月には同級生の皆さんと磯田市長さんを訪問したり3月にはアオーレ長岡で署名活動を実施したりします。長岡市の協力にも感謝します。
さがす会の皆さんはもちろん同級生の皆さんと一緒に拉致問題解決に向けて行動しています。
三奈子 いつも幸ちゃんのお父さんや泰ちゃんのお母さんも一緒に行動していただいているんだよ。幸ちゃんは2児も母。泰ちゃんは1児の父。
三奈子 どうぞ元気でいる声を届けて 待っているよ 母
三奈子に届いて
三奈子 元気でいるよね。
1月1日 大変な地震がありました。
ビックリしています。長岡は何とか大丈夫ですが石川県をはじめ北陸地方は大変な状態です。亡くなった方もいらっしゃいます。とても残念ですね。
三奈子のところなどうですね。とても心配をしています。
お正月も過ぎました。
1月14日は小正月。
小千谷は小正月でよくお泊りに行きましたね。
積雪1メートル以上もある屋根の下に雪の穴を掘り、中に藁やマットを敷き毛布を敷いてこたつを入れてお餅を焼いて食べたことを思い出していますか?
外は大雪でも鎌倉の中は意外と温かく、かるたやトランプをしました。
もう30年くらいはしていないかもしれませんね。
先日山古志で賽の神という行事があったようです。
藁を山のように積んで、病気を防ぎ、地域の平和を祈るような行事です。わらにはお正月に書いた習字を張ったり新年のお願いを書いたり、お餅やするめをつるして焼いて食べたりしました。
昔はゆき君の家の方でもやりましたが三奈子は経験なかったかな?
夕方になるとあちこちで賽の神の明かりで部落に燃え上がっている様子が見えます。
もうすぐ春の知らせでもあります。
今日は暖かく、ベランダのハナキリンもシクラメンもシンピジュームもきれいに咲いています。
もうすぐ春が来ますね。
三奈子 元気でいるよね。連絡をください。
1月1日 大変な地震がありました。
ビックリしています。長岡は何とか大丈夫ですが石川県をはじめ北陸地方は大変な状態です。亡くなった方もいらっしゃいます。とても残念ですね。
三奈子のところなどうですね。とても心配をしています。
お正月も過ぎました。
1月14日は小正月。
小千谷は小正月でよくお泊りに行きましたね。
積雪1メートル以上もある屋根の下に雪の穴を掘り、中に藁やマットを敷き毛布を敷いてこたつを入れてお餅を焼いて食べたことを思い出していますか?
外は大雪でも鎌倉の中は意外と温かく、かるたやトランプをしました。
もう30年くらいはしていないかもしれませんね。
先日山古志で賽の神という行事があったようです。
藁を山のように積んで、病気を防ぎ、地域の平和を祈るような行事です。わらにはお正月に書いた習字を張ったり新年のお願いを書いたり、お餅やするめをつるして焼いて食べたりしました。
昔はゆき君の家の方でもやりましたが三奈子は経験なかったかな?
夕方になるとあちこちで賽の神の明かりで部落に燃え上がっている様子が見えます。
もうすぐ春の知らせでもあります。
今日は暖かく、ベランダのハナキリンもシクラメンもシンピジュームもきれいに咲いています。
もうすぐ春が来ますね。
三奈子 元気でいるよね。連絡をください。
FNNプライムニュースさんにてご掲載「特定失踪者・中村三奈子さんの母・クニさんが小学校で授業」
特定失踪者・中村三奈子さんの母・クニさんが小学校で授業 “当たり前の生活”の大切さ伝える【新潟】
北朝鮮に拉致された疑いのある特定失踪者・中村三奈子さんの母・クニさんが新潟県長岡市の小学校で授業をし、子どもたちに当たり前の生活の大切さを伝えました。
中村三奈子さんの母校・新潟大学附属長岡小学校で行われた母・クニさんの授業。
12月16日までの北朝鮮人権侵害問題啓発週間にあわせて企画され、4年生約70人が参加しました。
【中村クニさん】
「朝、おうちを出るときに『行ってまいります』と声をかけた人、手をあげてください。でも、三奈子からは『ただいま』も『おやすみなさい』もこの25年間、声を聞くことができません」
特定失踪者の中村三奈子さんは高校卒業後の1998年4月、新潟空港から韓国の金浦空港に向かった記録を最後に行方が分からなくなっています。
クニさんは「当たり前の生活とは何か」児童に問いかけました。
【児童】
「友達と笑ったり話したりすること」
【児童】
「家族や友達、先生などと挨拶を交わす」
【中村クニさん】
「(当たり前の生活は)幸せ。北朝鮮に拉致された方の中には、こういう当たり前の生活がまだまだ戻ってきていない。(拉致問題の解決に向け)自分でできること、やれることはぜひ頑張って参加してほしい」
児童たちは家族の絆や拉致問題の深刻さについて理解を深めていました。
【児童】
「関わりのある人がいるおかけで、今この生活ができているんだなと改めて思った。日常の会話をもっと大切にしていこうねと、家族でまた改めて話したい」
https://www.fnn.jp/articles/-/628325
北朝鮮に拉致された疑いのある特定失踪者・中村三奈子さんの母・クニさんが新潟県長岡市の小学校で授業をし、子どもたちに当たり前の生活の大切さを伝えました。
中村三奈子さんの母校・新潟大学附属長岡小学校で行われた母・クニさんの授業。
12月16日までの北朝鮮人権侵害問題啓発週間にあわせて企画され、4年生約70人が参加しました。
【中村クニさん】
「朝、おうちを出るときに『行ってまいります』と声をかけた人、手をあげてください。でも、三奈子からは『ただいま』も『おやすみなさい』もこの25年間、声を聞くことができません」
特定失踪者の中村三奈子さんは高校卒業後の1998年4月、新潟空港から韓国の金浦空港に向かった記録を最後に行方が分からなくなっています。
クニさんは「当たり前の生活とは何か」児童に問いかけました。
【児童】
「友達と笑ったり話したりすること」
【児童】
「家族や友達、先生などと挨拶を交わす」
【中村クニさん】
「(当たり前の生活は)幸せ。北朝鮮に拉致された方の中には、こういう当たり前の生活がまだまだ戻ってきていない。(拉致問題の解決に向け)自分でできること、やれることはぜひ頑張って参加してほしい」
児童たちは家族の絆や拉致問題の深刻さについて理解を深めていました。
【児童】
「関わりのある人がいるおかけで、今この生活ができているんだなと改めて思った。日常の会話をもっと大切にしていこうねと、家族でまた改めて話したい」
https://www.fnn.jp/articles/-/628325