日本人は、大昔から人種差別をしませんでした。
 
海を通じて行ったり来たりしていた南方系の人々が混血して縄文人となり、弥生時代に大陸から大勢の渡来人がやってきて混血し、日本人となっていきました。
 
聖徳太子の時代には、「蜂子皇子(はちこのみこ)」という聖徳太子のいとこではないかとされている親戚の皇子の肌が真っ黒に描かれており、肌の黒いインドなどからの渡来人の混血ではなかったかとも言われています。

 

現在の日本人の中にも、ハーフでもない生粋の日本人なのに髪が黒人のようにチリチリの人がいたり、驚くほど色黒な人や色白な人がいるのは、大昔にいろいろな民族が日本に来ていて、私たちも一部その遺伝子を引き継いでいる証拠です。
 
 
織田信長の時代には、「弥助(やすけ)」という名前のコンゴから来たと思われる黒人奴隷を信長が譲り受け、武士の身分を与えて正式な家臣としました。当然、他の武士と同じような扱いをしました。当然、同じ人間として扱っていたわけです。そして、能力が優れていたため、弥助に武士の位を与えて優遇しました。
 

 
これは、当時の世界の常識からは、考えられないことでした。当時の白人にとって、日本人を含む有色人種は、人間とサルの間の動物を見なしたため、奴隷のような扱いをしても西洋人は罪悪感を持つことはなかったのです。遊牧民など動物を飼うことが生きていく上で欠かせない人たちにとって、「少し人間に近い動物を飼っている」というような感覚に近かったのではないでしょうか。
 

江戸時代中期に日本に来たスウェーデンの医学者で植物学者のツュンベリー博士は、

当時の日本人が奴隷売買などを忌み嫌っていた事実について、以下のように述べました。

日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。日本人は、身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られていて…。
 
ツュンベリーの記録――江戸参府随行記(オロモルフ)
 
 
1919年のパリ講和会議で日本の代表は国際会議で初めて「人種差別撤廃」を訴えます。残念ながら、欧米が有色人種の国々と人々に対して人種差別を国家の政策として行っていた当時、日本人の提案は結果的に覆されてしまいました。
 
有色人種が差別され奴隷化されていた時代に、日本人は自主的に文明化を進めて西洋文化からの遅れを取り戻すべく努力したのは、他のアフリカやアジア諸国のような植民地化と奴隷化を防ぐためでした。聖徳太子のもと、「和をもって尊しとなす」を国是としていた日本人こそ、その精神を国際社会に向けて発言していくべきではないでしょうか。