どうしてもソーシャル・メディアを利用したいなら、唯一の安全策は常に自分自身を「検閲」し続けることだろう。
皮肉な巡り合わせで、ソーシャル・メディアは表現を奨励するどころか、委縮させる力となる。
実際、ソーシャル・メディアの世界はデジタル版「円形刑務所」になり始めている。
円形刑務所は、18世紀イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが考案したもので、円形の敷地の中央に高い監視塔が立っている。
これだと看守は誰にも気付かれず、いつでも360度を監視できる。
逆に受刑者たちは常に監視されている恐怖から、受刑者同士の姿が見えなくてもおのずと行儀が良くなる。
フェイスブックの新しいタイムライン機能や自動的な情報共有アプリは、まさに円形刑務所だ。
利用者は常に世界中の人から見られていることを想定しなければならない。
ほんのちょっとの操作ミスで大事な秘密が漏れてしまうし、システム全体が秘密の保持よりも情報の公開とシェアを促すようにできているからだ。
ジョージ・オーウェルは名作「1984」で、ビッグブラザーが常に国民を監視している独裁国家の悪夢を描いて見せた。
オルダス・ハクスリーは「すばらしい新世界」で、娯楽や快楽の洪水に溺れた私たちが大事な権利を進んで放棄する危険に言及した。
作家のニール・ポストマンも85年の著書「死ぬほど楽しむ」の前書きで、大量の情報に圧倒された私たちが「受け身で独り善がりな存在」に成り下がる恐れを指摘している。
フェイスブックの台頭は、プライバシーの壁が崩れ落ち、プライバシーの概念が再定義され、そのことを嘆くどころか大歓迎する「すばらしい新世界」のはじまりを意味する。
フェイスブックを、巨費を投じて広大な土地の採掘権を獲得し、その周囲に巨大な囲いを建てた鉱山会社に例えよう。
フェイスブックの最大の資産は、8億4500万もいる会員のデータだ。
個々のデータに大した価値はない。
フェイスブックの仕事は、こうしたデータを分析し、不用なものを捨て、価値ある関連性を探し出せるソフトウェアの開発だ。
これは、金の原石が地下から掘り出され、化学的な処理を経て純粋な金塊に変身する過程に似ている。
ひとたびフェイスブックがデータを獲得し、きちんと整理できれば、あとは広告主に売って稼ぐだけだ。
保有するデータ(原石)から価値を引き出すという点では、フェイスブックはまだ上っ面をなでた程度だろう。
集めたデータをもっと純化する新しい方法を同社のエンジニアが見つけられるか。
そこにフェイスブックの未来が懸かっている。
ソーシャル・ネットワーキングの世界を動かす現在のビジネスモデルでは、サービス提供者は利用者の私生活をひたすら詮索するしかない。
株式を公開すれば利益の最大化を求める投資家の圧力が増すから、この傾向はさらに強まるだろう。
★ザッカーバーグの不信度★
これはフェイスブックに限った話ではない。
グーグルもユーザーを追い掛け回していて、今までは別個に管理していた60余りのサービスの利用者情報をすべてシェアできるように個人情報保護のルールを変更したばかりだ。
ツイッターも、同様な広告中心のビジネスモデルを構築しようとしている。
だが、それでも古典的なプライバシーの概念の最大の敵がフェイスブックであることに変わりはない。
同社ではプライバシーの壁を一貫して崩そうとしているし、利用者のプライバシーを侵害していると非難されるたびに、すべては利用者の利益を考えればこそと強弁してきた。
いい例がある。
10年5月にフェイスブックはプライバシー保護に関するルールを大幅に変更し、利用者により多くの個人情報を開示させるようにした。
それでも同社は、一連の変更は利用者自身が自身の個人情報をより管理しやすくするものだと言い張った。
まさに二枚舌だ。
フェイスブックはいつもこうだ。
長い間、同社はユーザーの個人情報を広告主と共有することはないと主張してきた。
だが実際には、そんなことは最初からやっていたのだ。
筆者は25年にわたってテクノロジー分野の取材を続けてきたが、これほど楽々と、恥ずかしげもなく明らかな嘘をつく会社は初めてだ。
昨年9月、フェイスブックはログインしていない間もユーザーを追跡しているのではないかという疑惑が浮上した。
このとき同社はやっていないと主張したが、その後に一転して事実を認めている。
嘘がばれても、フェイスブックの諸君は笑みを絶やさず、悪いことはしていないふりをする。
これまでフェイスブックは何度もプライバシーの侵害に関して苦情を受け、最初は不正行為を否定し、次に間違いを認め、一部の措置を撤回することで妥協してきた。
それでも欲しかったデータの一部は手に入るわけで、あとは騒動が収まるのを待ってまた新たな個人情報獲得作戦を始めればいい。
社会はもっとオープンなほうがいい、古くて時代遅れなプライバシーの概念など捨ててしまえ、とザッカーバーグは言う。
だが彼自身は、自分の本音をオープンにしたがらない。
記者会見で自由な質疑に応じることもめったにない。
10年にプライバシー保護方針の変更でトラブルが起きた時も、ザッカーバーグは質疑応答ではなくワシントン・ポスト紙への寄稿を通じて、
「よりオープンで、よりよくつながった世界は世界だ」
という持論を展開したものだ。
今のザッカーバーグは、懇意な2人の記者としか話をしないらしい。
記者というより、無給のお抱えPRマンだ。
数年前、筆者は電話でザッカーバーグに取材する機会があったが、ほとんど無意味だった。
彼の側近は事前に質問書を送れと要求し、どの質問に答えるかはザッカーバーグが決めると主張して譲らなかった。
ちなみに彼の答えは、側近が用意したメモの棒読みだった。
フェイスブックは財務情報を非公開にしておくためにあらゆる手を使ってきた。
株式の公開にも抵抗してきた。
上場すれば事業に関する情報を公開しなくてはならないからだ。
昨年、フェイスブックは金融大手ゴールドマン・サックスを介して、財務情報を公開することなく複数の投資家から20億ドルの資金を集めたが、これには規制当局の調査が入った。
アメリカの法律は、出資者が500人以上いる企業すべて財務情報の開示を義務付けているからだ。
これでもフェイスブックは「オープンで透明」と言えるのか。
ザッカーバーグ個人の問題もある。
映画「ソーシャル・ネットワーク」に描かれているように、彼に対してはハーバード大学の別な学生からフェイスブックのアイデアを盗んだのではないかとの疑惑がある。
さらに問題なのは、彼が友人で最初の共同経営者であるエドワルド・サべリンを裏切ってサべリンの持ち株比率を下げ、事実上フェイスブックから追い出したことだ。
フェイスブックの広報・公共政策問題の責任者エリオット・シュレージも同じくらい信用できない人物だ。
例えば昨年、フェイスブックがPR会社を雇ってひそかにグーグルの名誉を傷つける工作をした件について、筆者がスクープ記事を書いたときのことだ。
シュレージは最初、記事を無視しようとした。
その後にフェイスブックの関与は認めたが、責任はPR会社にあると言い張った。
PR会社はフェイスブックの指示に従っただけだと反論したが、フェイスブックはこの件について謝罪していない。
~ダニエル・ライオンズ~