Evasion type personality again | Ready Steady Go!

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   ~ London Eye ~


本来であれば、神さまにお願いした甲斐があり、ラッキーデーとなった土曜日の余韻で今週も順調なはずだったが、簡単に好転しないのが世の常。

悪運払いをしたはずが、かなりしつこく根が生えているみたいで困ったもんだ。

こういう時は、どのように対応するかも人それぞれだけれども、言いたいことを言うのが後藤田流。

大都会東京で生きていると色んな人を見かけたり、出会ったりするけれど、人間の性格の複雑さを実感している今日この頃です。

それでも我が日本は欧米各国の多国籍人種が入り交じっている環境に比べれば、殆どが日本人で日本文化が主体であるにもかかわらず、一方的な思い込みが激しく、融通がきかない人種かもしれない。

日本人は、村社会の自分の立場や居場所、他人の目をやたら気にする国民性のように感じるが、個人主義の意識が高いヨーロッパ人には、どのようにうつっているのだろうか。

勤勉でおとなしく、親切なイメージが強い日本人は世界的評価もそれなりにあるのでしょうが、パーソナリティも含めた個性という点では、取りたてて際立った存在感があるわけではなく、ルックス面からもどちらかというと地味な存在なように思う。

日本文化の中で人は日常生活上、極力あまり人と違うことを避けて来た習慣から、無難で普通といわれる人が多く、島国で日本語という言葉も関係している可能性は高い。

これは、昨年の11月にお話した内容とかぶるけれど、内向型人間の特徴らしいが、自分の主観の中をきちんとしていることが大切であって、それがどのようにどの程度実行されているかはそれほど大きな意味がない。

自分のこころの中の超自我に忠実であることに一生懸命なのかもしれない。

こういうひとは、人一倍自己愛が強くて、意外に幼く感情的で利己的と書いてあった。

自分も誰にも負けないくらい自己愛人間ではあるが、ここでいうタイプのひととは明らかに異種。

いやなことは避けたい、嫌なことには出来る限り直面しないですませたい、人前に出て緊張したり、不安になるのはいや、発言して人にどう思われるか心配など気の弱い人間は、いやなことを回避する心理から自分に都合のいい、自分の心の中の勘違いもはなはだしい自我に忠実であることに一生懸命である。

そういう人間は、都合の悪いことは覚えていないと開き直り、自分で自分を愛することに忠実で自分についての誇大感、つまり、自分は特別だ、自分の能力はひとより優れていると勝手に思い込んでいる。

心の中でほぼ空想に近い理想的な自己像を大事に抱いている。

そういう人の心の中は、相手がどう思っているかが気になり、自分の弱点を指摘する人を嫌い、不快、苦痛からの回避のみが大事な自分だけよければの利己的なエゴイストタイプで口から出るのはすべて誰かのせい、何かのせいにする言い訳と自分に都合が悪いためのグチです。

自分の主観の中をきちんとしていることがなりより一番大切であって、あくまでも自分の主観の中では筋が通っている、自分の超自我に忠実であることが大事、それがどの程度現実的に実行され、内容濃く、いい結果が出たかということには意識がいかない。

実力がなく、能力がないからごまかす、視野が狭いから心も狭い。

自分のやり方が生み出している欠点に気が付かない。

ただ、やったというレベルの仕事で自己満足。

自分の非を隠そうとするから論理的に話が出来ず、感情のみで精神年齢が幼く、自分勝手で利己的な内向人間。

優柔不断、自制心の欠如、情緒不安定、ひとりよがり、勘違いの強い虚栄心、プライドだけが一人前で実力が伴わない。

でも、こういう事って肝心な本人がまったく気がついていないことが多いみたいです。

有能か、無能かの判断基準は本人が自覚しているかどうかのように思う。

本当は10回間違えているのに本人が1、2回しか間違えていないと勘違いしていれば、口から出る言葉はたまには仕方ない。

結局、人間の能力は学生時のように採点による順位付けではないから、勘違いして気が付かない人は自己評価が錯覚してしまい過大となり、自己採点は得てして高得点になりがちな、能力への自覚が大きく作用しているように思う。

ひととひととのかかわりの中で、生立ち、価値観や生活習慣が違う人たちが、どうすれば好き嫌いの単純な感情に左右されないで個性豊かに社会生活が送れるのか、、、、、、

書くだけ書いたがまったく結論出ず、それでも、普段アンチチキンハートの性分で幾分フラストレーションが緩んだことを確認して、このままベッドに直行でおやすみなさい。