2つのプリーム-ル その3 | ろくでなしチャンのブログ

2つのプリーム-ル その3

             2つのプリーム-ル その3 

 

 

 フランスに於けるプリムールは意外に歴史が浅いようであり、アメリカのワイン普及とともに歩んできたと言っても過言ではないようです。

 

 フランス高級ワインの需要と供給のバランスは歴史的に永らく保たれていたようであり、多くはイギリス、ベルギーを初めとするベネルクス三国、北欧圏の富裕層によって飲まれていたようです。

 ところが、第二次世界大戦の終焉とともに、アメリカの中流階級の台頭があり、ワインは金持ちの飲み物とする意識に変化が訪れます。

 この頃、アメリカの食文化に変化が起こり初め、経済復興などの要因により家庭環境が変わってきたのです。60年代にはテレビが普及し、ヨーロッパの料理が紹介され、料理とともにワインという図式が出来上がります。

 また、ヘルシーブームと共にアルコール度が強くないワインに注目が集まり出します。とはいっても1960年代半ばまでは甘口ワインが主流であったと言われています。

 そんな中、ワイン消費量は1960年代後半から毎年10%の伸びを見せ1973年には消費量は2倍を超えたとされています。

 

 それでは、アメリカに於ける急激なワインの消費を支えたのは何かと言うと、1つはフランスワインであったようです。

 アメリカに於いてもワイン造りは行われており、特にカリフォルニアは歴史もあり優れたワインを生産できる状態にあったようですが、1920年発令の禁酒法により壊滅状態に陥り、1933年の禁酒法が廃止されても簡単にワイン生産が出来る状態ではなかったようです。人材や葡萄樹の確保等20年の年月を経て、ワイン生産が徐々に回復された程度とされています。

 もう1つ、消費拡大を支えたはワイン知識の普及です。ロバート・パーカーに代表されるように、一般消費者は勿論、酒屋においてもワインの知識など全くないという状態に、判りやすい評点がワインに与えられたのです。

 アメリカ人気質というのか、何でもNO1がお好きなお国柄。高い点数が付いたワインはあっという間に売れたと言われています。小売店にとっても単に点数を書いて貼りだせば売れるのですから、本来必要であるべき商品知識がなくとも商いができることとなります。また、ブルゴーニュワインの複雑な知識より単純な格付けされたボルドーワインの存在も大きかったようです。 

 

 そんな中、アメリカのオースティン・ニコルズ社でフランスの高級ワインの買い付けを行なっていたアブドゥラ・サイモンが1971年に独自の商法を編み出します。

 ワインが樽熟成の間に先物で売ると言う手法です。購入者は先に代金を支払い、2年~3年後に瓶詰めされたワインが渡されると言うものです。

 1970年物ワインが収穫後6ケ月で、樽抜きサンプルとしてニューヨークへ空輸されたのです。

 この試飲会は規模も大きく、小売店やワイン収集家が大挙押し掛け大盛況であったと言われています。

 本来、樽抜きサンプルを専門家でない者が試飲して判定できる代物ではない筈なのです。樽塾中のワインは、荒く苦いタンニンは、時の経過で柔らかく滑らかになるのですから。もし、判るとすればワインを造った者が、時とともに何度も何度も試飲して僅かな変化を感じ取り、完成形を予想しうる経験を有するか、同様経験豊かなティスターがいるだけの筈なのです。

 

 それでは、何故この先物取引が成功したのかと言いますと要因は複数考えられます。

 第1は、1970年のワインは天候に恵まれ、熟した果実に支えられており果実味豊かで、魅力的なサンプルであった。つまり、一寸した経験があれば判別できたサンプルであった

 第2に、1966年、1967年のワインが高騰しており、1970年物が高騰する期待感が購入者にあった。

 第3に、参加者にはアメリカ中から選ばれたというエリート意識が芽生えていた。

 第4に、購入した小売店は直ぐに先物として消費者に販売し、代金を受け取れるのですが、ニコルズ社に対する支払いは1年後とする特典が与えられた。

 

 とするもののようです。もっとも2年後には不況の影響で先物取引は中止されることとなりますが、後にフランスで現在のプリムールとして誕生したようです。

 

 アメリカ国内に於けるワイン消費量は、1990年代前半に減少はあったものの増加曲線を描き続け、2010年にはフランスを抜き、世界最大のワイン消費国となったようです。消費金額でもイギリスを超え、世界最大の国になっているようです。

 もっとも、輸入ワインの消費量はイタリア・ワインが最も多く、続いてオーストラリア・ワイン、そして3位にフランス・ワインがその座を確保しているようです。

 日本については、1970年のワイン輸入量が783kl、1990年58,620kl、1998年184,985klとなっており、フランスワインは概ね40%といいますから1990年後半辺りから急激なワイン・ブームが訪れたようです。参照 ワイン・ブーム

 日本に於けるワインの国別輸入量を見ると、チリやスペインのワインが増加しているようです。

 

2000年               2010年 

 (仏) 52,068Kl  48%      (仏)   47,160Kl  40%  

 (伊) 25,127KL 22%      (伊)   24,871KL  22%

 (米) 12,468KL 11%      (智利)  21,335KL  19% 

 (独) 11,467KL 10%       (西)   13,687kl  12% 

 (智利) 8,571KL  8%       (米)   8,703KL   7% 

 

 いずれにしても、アメリカや日本がフランスワイン(特に高級ワイン)のお得意さんであるようでが、ワイン消費量世界10位の中国は、フランスワインの輸入量が増加しており、既に日本を追い抜いたようです。 

 

 さて、お話をプリムールに戻して、プリムール終了後の概ね4月終盤にパーカー・ポイントが発表されます。パーカーちゃんはかつてプリムールに参加したことがあるようですが、注目度が高過ぎて落ち着いて試飲出来ないので昨今はプリムールに参加していないようです。

 アメリカで絶対的な評価を得ているパーカー・ポイントは、プリムール価格に絶対的な影響を与えているようです。

 パーカー・ポイントを目途に、シャトーではプリムール・ファースト価格を発表するのですが、虚々実々の駆け引きがあると言われており、プリムール・ファースト価格は少しづつ、或いは何十のシャトーが同時に発表されるようです。

 かつてはネゴシアンはクルティエを介してシャトーとの価格交渉により決定されていたワイン価格が今やシャトーが主体的に決めているようです。

 

 1960年代末まではワイン購入者であるネゴシアンが絶対的優位なポジションを占めていたようですが、1970年代のワインゲート事件、石油危機、世界不況の大嵐を経験し、1980年代に入った頃にはネゴシアンの地位は大きく後退したようです。

 勿論、ネゴシアン達がワインを買う買わないは自由の筈ですが、特定のシャトーワインを購入しなかった場合は翌年の「割り当て」が無くなってしまうため一定量は買わざるを得ないというのが実情のようです。

 一般に、生産量の50%から80%がプリムールで販売されると言われ、夏頃にプリムールのセカンドが発表され、さらにサードと順次販売されていくのですが、概ね後になるほど高額になることが多いようです。

 

 ネットで見付けたボルドープリムールワインの試飲会、ならびにプリムールセミナー。

 「下記のような判断の基準があります。
白ワインの場合、品種固有の果実味と酸味の有無、ミネラルの存在が大事な要素です。
 赤ワインの場合、果実味の総合的な調和、タンニンと酸味のバランスなどが基本になり、繊細なミネラルからくる味わいや、完熟したブドウから由来するほのかな甘さは良い兆候となります。」

 

 となっていましたが、そりゃー、無理でしょう!

 

 

2つのプリーム-ル その1 こちらへ

2つのプリーム-ル その2 こちらへ

 

                           溜め息  改・ブログ総索引-1 こちらへ

                          溜め息 改・ブログ総索引-2 こちらへ

                          溜め息 改・ブログ総索引-3 こちらへ  

                          溜め息 改・ブログ総索引-4 こちらへ