グラーヴ 評 価 その1 | ろくでなしチャンのブログ

グラーヴ 評 価 その1

        Pessac Leognan & Graves 評 価 その1

                           ボルドー第4版より    

 

 

ぶどう ペサック・レオニャン 概 観

 

位 置/ ガロンヌ河の左岸。グラーヴ地区の最北部にある。本質的に

  10の村で構成されている。

 

葡萄の栽培面積/ 1,200.0ha

 

村 名/ カドー・ジャック、カネジャン、グレニャン、レオニャン、

  マルティヤック、メリニヤック、ペサック、サン・メダール・デイラン、

  タランス、ヴィルナーヴ・ドルノン

 

年間生産量/ 56万ケース。そのうち80%が赤、20%は白。

 

格付けされたシャトー/ グラーヴ/ペサック・レオニャン地区全体で

  16だが、全てがペサック・レオニャン下位地区にある。赤と白双

  方で格付けされているがのが6、赤の身の格付けが7、白の格付

  けが3。

 

主な葡萄品種/ 赤はカベルネ・ソーヴィニョンとメルローが主体で、カベルネ・フランがバックアップしている。

 

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ぶどう グラーヴ 概 観

 

位 置/ 相対的に大きな地域で、殆どはボルドー市の南、ガロンヌ河

  の左岸に位置する。

 

葡萄の栽培面積/ 3,100.0ha

 

村 名/ 30近い村に分けられるが、最も目立っているのはセロン、

  イラ、ランディランス、ランゴン、ポタンサック、ポルテ、ソーカ。

 

年間生産量/ 195万ケース。そのうち70%が赤、30%は白。

 

格付けされたシャトー/ グラーヴ/ペサック・レオニャン地区全体で

  16だが、グラーヴ下位地区にあるものはない。

  

主な葡萄品種/ 赤はメルローとカベルネ・ソーヴィニョン。

 

さくらんぼ ボルドーで最初にワインが造られたのはグラーヴであり、初めて輸出されたのもグラーヴのワインである。イギリスがフランスのこの地域を統治していた1152年から1453年にかけて、樽詰のグラーヴのワインはイギリスに向けて出荷されていた。この地域で最も崇め奉られているシャトーであるオー・ブリオンは、メドックの名門シャトーが記録に残るようになるよりもはるかに前の1600年代までその歴史は遡ることが出来る。多才なトーマス・ジェファーソンの1785年の記録を始めとして、アメリカ人の間でもグラーヴのワインは高く評価され、ボルドーで最良のワインと考えられていたようだ。

 しかし、時は移り、ボルドーのワイン産地で、その地位が、事実上、また象徴的な意味でも、グラーヴほど低下した地域はない。

 

 グラーヴには、ペサック・レォニャンというアペラシオン(不規則に広がってきたこの地域の中で最も大切にされてきたテロワールが認定されたのは1987年だった)が含まれている。「グラーヴ」という名称は、氷河期の氷河の名残りで雨砂利の多い土壌に由来している。ここはボルドーの他のワイン産地とは根本的に異なり、観光客ならボルドー市内と勘違いするようなところから始まっている。実際、タランスやペサックと呼ばれる地区は、ボルドー南部にあり、高層建築や現代的な建物が立ち並び、中産階級のボルドーの人々やボルドー大学の学生などの人口が密集している場所なのである。この地区には、偶然にもオー・ブリオン、ラ・ミッション・オーブリオン、パプ・クレマン、そして小さな小さな「お宝シャトー」レ・カルム・オーブリオンといった、この地区でも最上の名だたるシャトーが軒を連ねている。

 

 しかし、前世紀以来、ここは都市の膨張や自然の荒廃と戦い続けなければならなかった。この地域の葡萄畑を訪れると、メドックやポムロール、サン・テミリオン等の静かで田園的な葡萄畑の風景とは対照的な喧騒感を覚えるだろう。グラーヴ北部の全てのシャトーは、現在ペサック・レオニャンのアペラシオンを名乗っている。市街地と郊外の風景が入り混じった中で、葡萄畑を見付けたいと思っても、車にナビゲーション・システムでもついていない限り、初めて訪れた人はかなり苦労するに違いない。

 

 タランスやペサックから南に向かう、周囲20㎞のよい場所にペサック・レオニャンの葡萄畑が広く点在している。この地域は、郊外の商業地区グラデイニャンを通り過ぎてしまえば、葡萄畑、松林、小さな農園が混在する田園的景観を呈する。グラーヴの南部地域で最上のワインを産するのは、レオニャンとマルティヤックである。どちらも牧歌的な小さな町で、ボルドーの喧騒から実際よりも遠く隔たったような錯覚を覚えさせる。ここのワインもまた、ペサック・レオニャンのアペラシオンを冠される。

 

 グラーヴは、地域全体にわたって赤ワインと白ワインの両方が生産されることで有名である。最高の白ワインはこの地区では希少で高価でもあるが、そのいくつかは、フランスで造られる最高の白ワインに匹敵する。これらはソーヴイニョン・ブラン、セミヨン、ミュスカデルの3種類の葡萄から造られる。しかし、グラーヴで最上のワインと言えば赤ワインである。


        
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 ペサックの北郊にあり、グラーヴで最も名高い、アメリカ人の所有になるシャトー・オー・ブリオンは、初めて国際的な名声を勝ち得たボルドーのワインである。1663年にはイギリス人サミュエル・ピープスがこのワインについて言及しており、1785年から1789年にかけては、アメリカでも有数の親仏家、トーマス・ジェファーソンがうん蓄を傾けている。1855年のジロンド県のワインの格付けに際して、メドック以外で唯一このシャトーが選ばれたのも、こうした海外での称賛が一役買っていることは疑いない。このオー・ブリオンとともにグラーヴ地域で格別な赤ワインを生産するのは、オー・ブリオンの斜め向かいにある兄弟分ラ・ミッション・オーブリオンと、近くにあるパプ・クレマン、レ・カルム・オーブリオンである。

     


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 そのほかにペサック・レオニャンで上質なワインを産するのは、タランスのラ・トゥール・オー・ブリオン、レオニャン近郊のオー・バイイ、ラ・ルーヴィエール、スミス・オー・ラフィット、ドメーヌ・シュヴァリエ、ド・フューザル等のシャトーだ。しかしながら、消費者の視点から見ると、この地域のワイン造りの総合的なレベルは、サン・ジュリアンやポイヤック、サン・テステフといったメドックのコミューンほどは高くない。但し、1990年代後半に著しい向上があったのは明らかだ。

 

 メドック同様、ペサック・レオニャンノワイにも独どの格付けが存在する。これもまた、疑う事を知らないワイン愛好家たちに誤った基準を提供している。最初の格付けは1953年に行われ、細心の格付けは1959年である。この格付けでは、オー・ブリオンを先頭に赤ワインを造る13のシャシーが挙げられているものの、オー・ブリオン以外の12のシャトーはアルファベット順に並べられているだけだ。白ワインの生産者(赤ワインと同じシャトーの場合が多いが)に関しては、9つがアルファベット順に列挙されているが、オー・ブリオンでわずかに造られている白ワインは、シャトーの意向で格付けからはずされている。

 

 グラーヴ北部のワインは個性的で独自の特性を持っており、メドックのものと比較してブラインド・ティスティングした場合でも、はっきりと区別できる。オー・ブリオンやラ・ミッション・オー・ブリオンと言った最高級のワインは確かにそれぞれ全く異なるスタイルを持っているが、それでも豊かな土っぽい、煙草(葉巻の箱)にも似た香り、ローストしたような日に焼けた土のような特性を共有している。 
 ラ・ミッション・オー・ブリオンは例外であるが、これらの赤ワインのほとんどはメドックのものよりも香り豊かで、軽く、しなやかだ。もっとも、この地域で最上のワインはたいていどれも抗しがたい芳香に溢れているのではあるが・・・・。

 私の嗅覚からすると、オー・ブリオンの最高のヴィンテージの挑発的で深遠なブーケに匹敵するものは、ボルドー広しといえども他に見当たらないように思われる。

 

 オー・ブリオン、ラ・ミッション・オー・ブリオン、パプ・クレマン、レ・カルム・オー・ブリオンといったペサックのシャトーのワインは、このような独特な個性が最も顕著であり、そのレベルではないがオー・バイイ、ドメーヌ・ド・シュヴァリエ、スミス・オー・ラフィット、ラ・ルヴィエール等にもその個性は感じられる。

 

        

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赤ワイン ラ・ミッション・オーブリオンとオー・ブリオンは国道250号線をはさんでタイトル・マッチの前ににらみ合っているボクサーのように対峙している。


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 1983年より前は、双方の経営者も醸造職人も、相手についていろいろな事を言いあっていた。ラ・ミッションの醸造チームは、オー・ブリオンのワインは軽すぎる、高すぎる、手を加え過ぎている、と言い、オー・ブリオンの醸造職員達は、ラ・ミッションは過度に大柄でアルコール過多、暴力的で、時にフィネスに欠け、不安定なワインだとこき下ろしていた。この長きにわたる論争は、1983年にオー・ブリオンがラ・ミッション・オーブリオンを買い取ったことで終わりを告げたが、本当のところは両者とも深遠でありながら、それぞれ独自のワインを生み出していたのである。

 ラ・ミッション・オーブリオンのワインは、オー・ブリオンに比べて大柄で、よりリッチで、深い色合いを持つことが多い。また、凡庸あるいは貧弱なヴィンテージでは、ボルドーで最も成功したワインの1つとなる。1957年、1958年、1960年、1967年、1972年、1974年、1987年、1993年、1994年及び1997年は、このことを見事に証明している。

 このワインは熟成すると、煙草、土、ミネラルの香りと言った古典的なグラーヴのブーケを立ち上がらせるようになる。これに比べると、オー・ブリオンはかなり軽いと言えるかもしれない。この傾向は1966年から1976年にかけてのヴィンテージでとりわけ顕著であるが、この期間の前後のオー・ブリオンは、けた外れのワインであり、私にとっては、最も挑発的で心動かされる一級ワインの1つである。なかんずく、1980年代半ば以降のヴィンテージは、壮観であると同時に一貫性もある。アメリカ人が所有しているが、オー・ブリオンは、同じ一族によって管理されてきた。1961年以来、ジャン・ベルナール・デルマが、一連の輝かしいワインを造っている。その前の30年間は、彼の父親が仕切っていた。現在ジャン・ベルナールが注意深く見守る中で学んでいる息子のジャン・フィリップが2004年に家業を受け継ぐ予定である。ボルドーの著名な人々と25年以上親交を温めてきたが、ジャン・ベルナール・デルマほど偉大なワイン生産者はいない。

 

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