『ゼロ・グラビティ』 | やりすぎ限界映画入門

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■『ゼロ・グラビティ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2013年/アメリカ映画/91分
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック/ジョージ・クルーニー

2013年 第29回 やりすぎ限界映画祭
2013年 ベスト10 第4位:『ゼロ・グラビティ』
やりすぎ限界審査員特別賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ゼロ・グラビティ』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:サンドラ・ブロック


やりすぎ限界男優賞:ジョージ・クルーニー


■第3稿 2020年 5月15日 版

[「SF映画」]



世界初のSF映画は1902年『月世界旅行』で、「サイレント映画」の時代からすでにSF映画はあった。宇宙に行ってみたい憧れは日本にも『竹取物語』があるくらい、人間なら誰でも思う普遍性が大昔からあった。SF映画史を書くと大変なので「かなり」省略して、2008年に「キアヌ・リーブス」「ジェニファー・コネリー」でリメイクされた、1951年『地球の静止する日』、2005年に「スティーブン・スピルバーグ監督」「トム・クルーズ」でリメイクされた、1953年『宇宙戦争』などを経て「SF映画」は、宇宙空間を今に近い「SFX」で撮影した、「スタンリー・キューブリック監督」の1968年『2001年宇宙の旅』に到達する。



宇宙空間を極限のくそリアリズムで見せようとした初のSF映画が、『2001年宇宙の旅』のように見える。「今の視点」で『2001年宇宙の旅』を見直すと、恐るべき発見のオンパレード。たくさんのSF映画が『2001年宇宙の旅』の影響を受けてたことを思い知る。

[「現代」を舞台にした「SF映画」]



1968年「アーサー・C・クラーク」と「スタンリー・キューブリック監督」は、「約30年後」を想定し『2001年宇宙の旅』を創作した。それからさらに「約10年」が経過した「現代」、現実の方が、『2001年宇宙の旅』に追いつけなかったことに「震撼」「驚愕」「絶句」した。



『2001年宇宙の旅』の「人工知能」も宇宙船内の「重力」も、「現実」は成し遂げられなかった。「宇宙」での人間の活動がどれほど困難を極めるか? 「現代」を舞台にした「SF映画」を見て、全世界が思い知らされた。約40年前の『2001年宇宙の旅』が、「今」を限りなく近く予測してた想像力にも絶句するが、2013年『ゼロ・グラビティ』への「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」は、今までのSF映画を超えて、「誰も見たことがない」「新しいもの」だったことにある。

[ここまで調べなければ「真実」「嘘」を見極められない]



あまりの「本当にそう見える」極限のくそリアリズムに、僕は初めて『ゼロ・グラビティ』を見た時「実話」に見えた。あまりの「衝撃」「迫力」に、「実際の宇宙がどう見えるか?」など知らないので、「全部」「本当にそう見える」と思ってしまうほど説得されてしまった。

だが「破片衝突」「掴み損なう工具」「酸素残量」「燃料」「宇宙服」「火」「消火器」「無重力空間移動」「大気圏突入」……………………、などの「無重力」の「怖さ」を見終わってから調べると、現実はかなり違った。『ゼロ・グラビティ』の「真実」「嘘」の実際は、「かなり」調べないと見破ることができない。「全部真実」にしか見えない、恐るべき「映像」の「極限の美」に、おしっこ垂れ流ししかなす術がなかった。



だが僕が『ゼロ・グラビティ』に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」し、心から賞賛する「真実」はここにある。ここまで調べなければ「真実」「嘘」を見極められないまで「観客をだましたこと」。全世界が「本当にそう見える」までの、「究極映像」を生み出したこと。極限のくそリアリズムとは「本当にそう見える」説得力を持つことを意味する。

[「限りなく現実に近いフィクション」]



現実に「有人宇宙飛行」を体験した「ユーリイ・ガガーリン」や「ニール・アームストロング」などの人間以外、「実際の宇宙がどう見えるか?」を知る者はいない。

『2001年宇宙の旅』から現代の『スター・ウォーズ』シリーズまで、数多くのSF映画が見せてきた宇宙が「実際どう見えるか」を見せたSF映画は今までなかった。僕は宇宙から地球を見たことがない。『ゼロ・グラビティ』の壮絶さは、殆どの人間が見たことのない宇宙を、「限りなく現実に近い状態」で見せたこと。



「限りなく現実に近いフィクション」が見せた、「有人宇宙飛行」を体験した人間以外見ることができなかった「無重力」の世界、「宇宙から見た地球の美しさ」の「極限の美」を見て「時間が止まった」。あまりの美しさに息を呑まれた。

[「逆境」「人間ドラマ」]



これほど「真実」「嘘」を見極められないまでの「究極映像」を生み出しながら、『ゼロ・グラビティ』はさらに、誰でも共感できる「人間ドラマ」を見せた。「宇宙」「無重力」という「逆境」で、「死」に追い込まれたライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)が、絶対あきらめずに「生き延びる」挑戦に、命の尊さを見せた。

「生きること」の「苦しみ」「辛さ」は人間なら誰にでもある。生きることが場合によって極限の「苦しみ」となる時もある。だが生きてれば、必ず「いいこと」があると僕は信じる。



どんなに科学が発達しても、その技術は人間が生きるために生まれたもの。「99.9999…………%」が恐るべき「CG」、「究極映像」でありながら、『ゼロ・グラビティ』は「究極映像」の壮絶さに負けない「人間」の姿を見せた。ライアンの自殺を止めた、「宇宙」に現れたマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の「幽霊」にも涙が出た。

「人間」は生きてれば絶対また「楽しいこと」を見つけられる。死んだら全て終わり。生きてれば「おいしいもの」も食べられるし「映画」も見れる。「旅行」だってできる。「恋愛」もできる。「自殺」する人間が数多くいる現実の中、「逆境」に立ち向かい、必死に「生き延びる」命の尊さを見せた『ゼロ・グラビティ』が、僕には「奇跡の映画」に見えた。




画像 2016年 2月