昔、日米FTAについて何度かブログを書いたことがあります( )。その時の思いは思いとしてあるのですが、韓米FTAが成立をしたこと、そしてその中身を踏まえれば、少し修正が必要になっていることも事実です。


 そういった中、最近、党内会合で「TPPはダメだが日米FTAであれば良い」みたいな議論が出てきています。何となくそうなのかな、と思われる方も多いと思います。しかし、これが全く違うのです。先日の党内のプロジェクト・チームで、私は強くこの点を力説しました。発言した時は参加した議員から特段の反応もなかったので「うーん、通じなかったかな」と反省したのですが、その後、数名の方からお電話で「なるほど、たしかにその通りだと思った」という反応があり、「ああ、通じてよかった。」と思いました。


 今、TPPのルール部分で懸念が表明されているものがあります。混合診療、郵政民営化、共済、遺伝子組換え作物・・・、色々とあります。私が言いたいのは「日米FTAだったら、これらが取り上げられないなんてことはない。」ということです。むしろ、日米FTAだと間違いなく、これらのものは取り上げられるでしょう。


 アメリカはこういうふうに言ってくるでしょう。「韓国はうちとのFTAでこれとこれとこれ(例:自動車の関税)を取りましたよ。おたく(日本)も韓国と同じものが欲しいでしょ?ならば、韓米FTA並みの血の流し方をしてはどうですか?」と一対一で言われます。そこに逃げ道はありません。相当にリアルなかたちで、日本の国内制度をピンポイントで突いてきて、それらの分野での対価を求められるでしょう。詳細は説明しませんが、韓国はアメリカとの関係ではルールの分野で相当に無理筋なものを呑まされています。それと同等のものを確実に求められます。


 多数国間で交渉する時は、少し景色が違います。多数国間でやる時、どうやって纏まるかということをザクッと言えば「最大公約数」です。今のTPPはルールで途上国扱いはしないという方針の下にやっており、あくまでもすべての国に適用できるルールを作ることを前提にすれば、誰もが受け入れることのできる最大公約数的なところに落ちるというのが相場観です。韓米FTAのように、リアルに一対一で対価を求められる交渉とはかなり異なります。


(注:ただし、その時はアメリカもタマを出したがらないでしょうから、結果として韓米FTAで韓国が取ったもの程の成果が得られないという可能性は否定しません。)


 では、「TPPでは上記のような日本の懸念事項について提起がないのか。」と聞かれれば、答えは簡単でして、「理屈の上ではあり得ます。」ということになります。というのも、今の貿易交渉では「サービス貿易」、「競争」といった分野横断的に幅広いものを扱う交渉項目では相当に広い物を引っかけることができます。私はそれを否定しません。ただ、それはアメリカと経済連携を考える時には、これらの分野は何をやろうとも提起される可能性があるということです。しかし、二国間でやれば、韓米FTAを例示に出されて逃げ道のないかたちで相当に露骨に提起され、多数国間でやる方が雨風をしのぐ方法がそれなりにある、という時にどちらがやりやすいかということを考えるべきです。


 多分、日米で経済連携を深める必要性について否定する人はそんなに多くはないでしょう。その時のツールとしては、日米FTA、TPPを始めとして幾つか可能性があると思います。しかし、上記のような論理から行けば、少なくとも「TPPはダメだけど、日米FTAならOK。」という発想は全く理解できません。むしろ、韓米FTAの結果を見ると「TPPよりも、日米FTAの方が遥かに危険。」という結論になるでしょう。


 なお、最後に一言。私は一番の理想はWTOドーハラウンド交渉の推進と妥結だと思っています。世界全体の均衡ある発展という観点からは、TPPを含むFTA網が世界中に跋扈することは邪道だと思います。TPPを含むFTA網がどんどん出来上がっていく時、一番弾き出されるのはどの網にも引っ掛からない後発開発途上国です。私はアフリカに住んでいたので、そのあたりが非常によく分かります。そうやって考えると、本当は一番の理想は世界全体の自由貿易ルールを作るWTOドーハラウンド交渉を推進することです。私はこの視座は絶対に失わないようにしています。したがって、ハワイAPECで野田総理はオバマ大統領に対して一番強調すべきメッセージは「何はともあれ、WTOドーハラウンド交渉を強く進めよう」ということだと信じて疑いません。


 ただ、今、日米経済連携のテーマが出てきていること、韓米FTAが成立していること等の種々の情勢にかんがみれば、日本はTPPについて何らかの選択をしなくてはならないでしょう。その時に「TPPはダメだけど、日米FTAなら大いに検討しうる」というのは全く論拠のない話であるということです。