ポスターを作成しました。福岡県北九州市八幡東区、西区、戸畑区、若松区にお住まいの方でポスター掲示をお願いできる方を募っています。掲示可能な方はrintaro-poster@hotmail.co.jp までご連絡いただければ幸いです。サイズ、場所、掲示方法、期限等についてはできるだけ柔軟に対応させていただきます。また、可能な限り小生自身が伺って掲示させていただきます。
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2009-11-14 20:00:00

柔道振興

テーマ:柔道関連

 今日は超ローカルネタです。更に言えば、北九州に住んでいる方でも、あまり関心がないかもしれません。いつもアクセスしていただいている方の大半には縁がない話です。


 我が街北九州は、中学校レベルでは「柔道王国」です。私が中学生だった時は、市内大会の決勝は既に全国大会決勝くらいのレベルでした。3年生の時は、市内大会で「準」優勝だった田原中学校が全国大会で優勝しました。市内大会重量級で優勝した方は、全国でも優勝しました。それくらいレベルが高かったのです。一応、ちょこっとだけ自慢すると、そんな中、私の中学校は市内大会4位でした(私はレギュラーで中堅)。


 今もその伝統は残っており、今年の中学生の全国大会では北九州市小倉南区の企救中学校が優勝しました。その他、市内には大蔵中学校というこれまた全国レベルの中学校があります。恐らく、今でも市内大会は全国レベルの試合が繰り広げられているはずです。時折、地元で「ああ、柔道やってるんだろうな」と微笑ましくなる中学生を見て、心の中で応援しています。


 しかし、高校になると、そういった有力選手がすべて市外に出て行ってしまうのです。福岡県内であれば、大牟田、東海大五、福大大濠、嘉穂、福岡舞鶴・・・、上京して国士館等に行く生徒もいるようです。結果として、中学では全国レベルなのに、高校になると県北部大会は若干レベルが下がります(それでも福岡県北部で優勝できれば小さな県なら優勝できるでしょうが)。


 昔から「なんで、こうなるのかな?」と疑問に思っています。人材が流出していることに一抹の寂しさを覚えます。北九州にある高校が全国優勝する姿を見たい、ささやかな私の望みでして、どうすればいいのかな、誰に言えばいいのかなと若干思案しています。

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2009-11-12 20:00:00

外国人参政権と憲法

テーマ:政治

 最近、よく外国人の地方参政権についての見解を求められます。会館事務所にも多くの方からの非常に真摯なご意見が寄せられます。かつて一回、このブログに書いたことがありますが、今回、憲法との関係に限定して少し考えを述べたいと思います。現時点でこういうことを書く国会議員は少ないでしょう。昨今の盛り上がりを踏まえれば、あえて火中の栗を拾う気持ちです。そこはご理解ください。


 まず、合憲か違憲かという論点です。私は「憲法改正したほうが良いのではないか」と元々思っていた人間です。私が住んでいたフランスでは、マーストリヒト条約で「自国民でないEU市民に地方参政権(被選挙権も)を与える」ことが定められた際、この点が問題になりました。改正前のフランス憲法では「フランス国民が選挙人である」という規定があったため、最終的に憲法院でマーストリヒト条約と憲法の間に抵触関係があると判断され、憲法改正をしています。


 ただし、我が国の最高裁判決において概ね「憲法は外国人参政権を設けることを要請してはいない。しかし、憲法で禁じられているわけでもなく、専ら立法政策の問題である」といったことがあります。論者によっては「これは判決理由とは直接関係ない傍論で述べられたものだから効力がない」という方がいます。ただ、判決を読む限り、当該部分が「傍論」かどうかという判断は難しく、かつ、そもそも日本の裁判制度では「判決理由」の中で明示的に「傍論」と位置づけるような判決のスタイルを採っていません。反対の趣旨の最高裁判例がない以上は、現時点では最高裁として上記のような立場を採っているという推定は働かせていいように思います。そう考えると、私の立場は「憲法改正したほうが良いのではないかと思っていたけど、最高裁が専ら立法政策の問題だというのであれば、それはそれで別に異議を唱えるものではなく素直に従う。」くらいのところです。


 そして、よく言われるのが憲法15条1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」との規定があるため、外国人の地方参政権はあり得ないという論点です。まあ、たしかにそれは正しいようにも見えます。上記で引用した最高裁判決においても、「憲法93条2項にある『地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙する。』と規定しているのは地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当」とあります。ただ、最高裁判決で参政権付与について「専ら立法政策」として許容説を採用していることとの関係で考えると、憲法解釈上、恐らく次の2つの可能性があり得ます。そのあたりは最高裁判決は明確ではありませんし、どういう論理構成なのかも分かりません。


1. 立法政策次第では、憲法93条2項に言う「地方公共団体の住民」の範疇に外国人が含まれ得ることもある(ただ、立法によって憲法解釈が変わるというのは歪ですね)。

2. 憲法上、外国人参政権の話は完全に空白になっていて、そこにどう絵を描くかは(憲法の規定内において)立法者に任されている(これもちょっと強弁っぽいですね)。


 更にちょっと蛇足的なそもそも論になりますが、憲法30条において「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」という規定がある一方、外国人も納税の義務はあるわけです。ここでも上記と同様な解釈論の問題があるのでしょう。


 いずれにせよ、そういう流れで考えていくと、憲法15条1項の規定のみをもって、外国人の地方参政権が違憲であるというのは少し論拠が弱いように思います。個別具体的に「国民」、「地方公共団体の住民」という文言の中身を判断していく余地があるのか、それとも、外国人参政権については憲法は空白なのだということなのかはありますが、最高裁が許容説を採用する背景には紋切り型で切り捨てられない何かがあるのだろうと考えています。


 憲法上、許容され得る余地があるからといって、立法政策上それをやるかどうかというのは全く別の話です。正に国会の意思としての立法政策の対象です。そこについては、自分自身の中で最近論理構成が変遷しており、もう少し考えが纏まったところで書きたいと思います(別に逃げているわけではありません。)。


 本件については、議論が白熱するあまり時折脱線してしまいますが、真摯な議論を望みます。決して自分が常に不可謬と言うつもりはありません。

2009-11-10 20:00:00

チベット受難と希望

テーマ:外政

 最近、国会と地元の間の移動時間に「チベット受難と希望―「雪の国」の民族主義」という本を読んでいます(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%8F%97%E9%9B%A3%E3%81%A8%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E2%80%95%E3%80%8C%E9%9B%AA%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%B0%91%E6%97%8F%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%83%89%E3%83%8D/dp/4006031815 )。もっと、正確には原語(フランス語)で読んでいます。原語版の題は「チベット:生か死か(Tibet, vif ou mort)」という題です。作者はピエール・アントワヌ・ドネという方で、1980年代後半にAFPの北京支局長をやっていたようです。


 日本語訳がどうなっているのかは見ていませんし、そもそも、書いてあることが真実なのかどうかも分かりませんが、1980年代後半の時点で見た、欧州人のチベット観が出ていて、現在からは計り知れない興味深さがあります。中国がどの程度、1950年代から1980年代に至るまでどの程度無茶をやったのかということが、ある一面から非常に鮮明に描かれています。当時は、ダライ・ラマが1959年にインドに亡命してから30年くらいですから、まだ関係者の記憶がはっきりと残っていたようです。これから、この手のクロニクルはどんどん少なくなっていくでしょう。「ああ、こういう記録というのは重要なんだな」ということを感じます。


 私は、中国側チベットに一回、インド側チベットに一回と、それなりに現地を見たことがあります。外務省のチャイナ・スクールでもそこまで趣味のある人は珍しいはずです。中国側チベットでとても印象的だったのは、2003年時点で非常に中国化が進んでいたこと、チベット僧の中にも完全に取り込まれて、ランクルをブンブン乗り回す不良僧が結構いたこと、けど、地方に行けばこっそりと(禁じられている)ダライ・ラマの写真が飾ってあること、「China, no good」の言葉を何度か聞かされたこと、まあ、他にも色々あったのですが、チベット問題ということに関してはそんな感じです。まあ、私が2003年に現地で得た感じと、このドネの本にある内容はほぼ符合します。


 ちなみに、チベットで最も感動したのは、ラサの街でカフェの親父がギターを弾きながら芹洋子の「四季の歌」の中国語バージョンを情熱的に熱唱してくれたことです。あの曲は昭和56年に中国でも大ヒットしたので、かの地でもかなり有名な曲です。他人の歌を聞いて、あんなにホロリと感動したのは先にも後にもあの時だけです。


 しかし、残念ながら、中国側チベットが独立することは難しいでしょう。最近の感じを聞いてみると、私が行った時に比しても、相当に中国化が進んでいるようです。1980年代後半に激しく起こった抵抗活動も、今となっては望むべくもないでしょう。今は精神的支柱のダライ・ラマ14世が生きているから、まだ良いですが、ダライ・ラマにも寿命はあります。次の15世を探すプロセス自体をどうするか、既に中国国内でこっそりと始めているとか、中国チベットの地でないところで探すとか、現在の苦境を前提とした解決策が探られていますが、これとて今のダライ・ラマ14世と同じような精神的支柱になれるかと言えば疑問です。


 そもそも、チベット民族はパンチェン・ラマ11世で中国に痛い目に遭わされています。パンチェン・ラマは簡単に言うと、チベット仏教のナンバー2で、チベット第二の町シガツェにあるタシルンポ寺にいます。パンチェン・ラマ10世は中国とも協調路線でした。その逝去後、転生者たるパンチェン・ラマ11世を選出する際、ダライ・ラマ14世の承認を得て選ばれたニマ少年は、1995年にパンチェン・ラマ11世即位後すぐに中国政府に逮捕され、もう15年くらい何処にいるかが不明です。当時、6歳で世界最年少の政治犯と言われていましたが、今では20歳くらいです。生きているかどうかも分かりません。中国政府は別のノルブという少年を傀儡としてパンチェン・ラマ11世として抱えています。


 実はダライ・ラマ14世が亡くなった時、転生者を探すのに重要な役割を果たすのがパンチェン・ラマなのです。そのパンチェン・ラマが傀儡だとした時、チベット社会はどうやってダライ・ラマ15世を探すのか、段々事は隘路に入っていくのです。


 しかも、最近気になっているのが、中印接近です。かつてはチベット地域の領土問題を3つ抱えていました。アルナチャル・プラデシュ州、シッキム地方(インド支配)、アクサイチン(中国支配)の3つです。シッキム地方は中国が領有権を主張したというより、独立勢力だったシッキム王国を1975年に併合したことに中国が激しく抵抗したということなのですが、2003年くらいに中国はシッキムのインド併合を承認しました。残すところ、あと2つ。今は大きな動きになっていませんが、まあ、はっきり言ってアルナチャル・プラデシュ州、アクサイチンともそれぞれの実効支配がほぼ確立しています。近々、ダライ・ラマ14世がアルナチャル・プラデシュ州を訪問することに(同州の領有を主張している)中国が抗議しています。しかし、直感的に、遠からず相互に支配を承認しちゃって、国境紛争に一気にケリを付けるような気がしてならないのです。


 今のチベット民族の苦境、苦難を思う時、何とかしてあげたいという気持ちになります。誤解のないように言いますが、私はとてもチベットの方々に同情的です。決して、現状維持でいいとは思っていません。だからこそ、出来ることが限られる中、自治権拡大への声くらいは上げたいといつも思っています。

2009-11-08 20:00:00

核兵器廃絶条約

テーマ:外交

 政権与党の議員が、あまりこういう場で提言めいたものをやるのは良くないのかもしれませんが、ちょっと最近、「実はこれは良いのではないか」と勝手に信じているアイデアがあります。


 オバマ大統領がノーベル賞を取りましたね。核廃絶への取組み等が評価されたのだと思います。そこで、我が日本はここで大きなイニシァティブを打ち出してはどうかと思いました。その名も「核兵器廃絶条約」。これだけだと、「こいつはアホか」と思うでしょう。私の真意は、「具体的な期限は難しいだろうが、世界全体で将来的な核廃絶に向けて条約というかたちでコミットさせる」ということです。非常に短い、簡単な条約を作って、世界のすべての国に約束させるようなことができないかなと考えます。


 あまり深く考えずにワーディングをやってみました。この程度の内容の条約であれば、交渉はそれ程難しくはないはずです。日本はここ15年程、国連総会に核廃絶の決議 案を出して採択され続けていますが、国際的な縛りという観点に置きなおすと、そうそう簡単ではありません。複雑になればなるほど、こういうのは纏まらないのです。


【私の考える核兵器廃絶条約(案)】

1. All States shall take measures not to increase any forms of nuclear weapons.
2. All States shall reduce, with a view to phasing out, all forms of nuclear weapons.
3. Modalities to reach the above-mentioned purposes are to be negotiated on the basis of equality, transparency and fairness.


 国際約束としては少し細目を付け加える必要がありますが、基本的にはこれだけです。ポイントは2.の「reduce, with a view to phasing out」というところです。実はこのフレーズ、核兵器とは全く関係ない、とある国際交渉の中で生み出されたものです。当時から「上手い表現だなあ」と感心し、将来何処かで使えるだろうと思っていました。つまり、「いつ廃絶するか」は明らかにしないけど、将来的な廃絶の方向性についてはコミットしてもらうということです。そこは「超長期」を想定するのか、「中期」を想定するのか、同床異夢になるでしょうが、大きな方向性のサインとしては十分な意味があるはずです。


 日本が旗を振ってこれをやれば、オバマ大統領は断りにくいような気がします。核廃絶と言っても、すぐに具体的な成果に結びつけることは難しい中、分かりやすくて、実のある(かどうかは微妙ですが)成果と言えばこういう類のものかなとも思うわけです。また、実はオバマの核廃絶イニシァティブの主眼点は「核不拡散」の方にあるという事実は、あのプラハでの演説 をよく読んでみれば分かることです。そういうところにも目配りしてみると、こういう内容になるわけです。


 日本のイニシァティブとして打ち出し、アメリカを乗せて、まずは安保理常任理事国の了解を取っていけば、後は大半の国が付いてくるでしょう。難関であるイラン、イスラエルは何となく乗るんじゃないかな、という気がします。残る最難関国はインド、パキスタン、北朝鮮くらいでしょうかね。ここはどういう反応が返ってくるか分かりません。


 比較的コストが少なくてやれそうな、このイニシァティブ。完全に私個人から出たアイデアですが、著作権等は全く主張しませんので、誰か使ってやってください。

2009-11-06 20:00:00

show me the way

テーマ:政治

 衆議院議員緒方林太郎は、右派でも左派でもない政治スタイルを貫きたいと思っているのですが、一つだけ肝に銘じていることがあります。それは「この国のために命をかけている方を尊重する」ということです。具体的に、一番典型的なのが自衛官です。


 私が好きな曲があります。アメリカのStyxというバンドの「Show me the way 」という曲です。1991年に湾岸戦争があった際、アメリカ国内で大ヒットした曲です。湾岸戦争に赴く兵士の親のメッセージをリミックスしたバージョンが、当時の高校三年生だった緒方青年の心に響きました。美しい曲ですので、是非上記のリンクを開いてください。


 最近、海賊対策でジブチに派遣された部隊の司令はかつての同僚でした。「ジブチに向け、銀翼連ね出発します」と誓うその姿を見ながら、心の中で、この曲の歌詞 を心に思い浮かべました。恐らく、自衛官の方々の思いを一番よく表現している歌詞ではないかと思います。


 政策論ではないのですが、これまでも、これからも自衛官の方が外国に出ていかれることが増えていくでしょう。その方々、そして、その家族の皆様を思う時、頭の中で「Show me the way」とリフレインします。

2009-11-04 20:00:00

おもちゃの兵隊

テーマ:政治

 最近、麻薬に関する事件が世間の関心を集めています。


 私は「麻薬」について思う時、いつも思い出す曲があります。それは今から20年前に全米ビルボード・チャートで1位になったマルティカの「Toy Soldier 」です。これは麻薬の怖さを歌った曲なんですね。リンクを張ってあるので聞いてください。美しい曲です。


 歌詞のサビの部分は以下のとおりです。


Step by step
Heart to heart
Left, right, left
We all fall down
Like toy soldiers
Bit by bit
Torn apart
We never win
But the battle wages on
For Toy soldiers


 単純なフレーズですが、私はこのマルティカの曲に全てが尽きているんじゃないかなと思うのです。壊れるのです、朽ち果てていくのです。


 この曲は、近年エミネムがサンプリングしています。こちらは更に麻薬の怖さが前面に出ています。こちらもとても示唆的なものがあります。リンク を張っておきますので是非見てください。なお、全然どうでもいいことですが、私はエミネムのファンです。妻からは「やめてくれ」と言われますけど。


 麻薬との戦い、これに負けてはならない、情緒的なメッセージですが、衆議院議員緒方林太郎の強い信念としてご理解ください。

2009-11-02 20:00:00

歴史認識

テーマ:政治

 日本国との平和条約、いわゆる「サンフランシスコ平和条約」というものがあります。ちょっと考察をめぐらせたいと思います。


 同条約の第十一条において、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。 」との規定があります。


 ここで受諾した「裁判」については、単なる判決の効果を受諾したのか、裁判そのものを受け入れたのかについて、これまで色々な議論があるのです。判決の効果というのは、ウェッブ裁判長が「death by hanging(絞首刑)」といったその事実を単に日本政府として受け入れたのか、それとも東京裁判全体を受け入れたのかということです。


 これは実は正文の違いがあるのですね。サンフランシスコ平和条約は英語、フランス語、スペイン語が正文です。日本語は単に作成対象になっているだけです。ちょっとフランス語と見比べてみましょう。


【英文】

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.(以下略)


【フランス語】

Le Japon accepte les jugements prononcés par le Tribunal Militaire International pour l'Extrême-Orient et par les autres tribunaux alliés pour la répression des crimes de guerre,au Japon et hors du Japon, et il appliquera aux ressortissants japonais incrarcérés au Japon les condamnations prononcées par lesdits tribunaux.(以下略)


 二つの正文にはちょっとした違いがあります。それは「prononcés」という言葉が入っていることです。これは英語の「pronounced」に当たります。直訳すると「発せられた」ということになります。ここが問題になるのですね。発せられたというと、正にウェッブ裁判長から言われた「death by hanging」だけが該当するのではないかということです。ここは歴史観の観点から、とても大きなところです。


 ただですね、実は平成十年四月七日参議院総務委員会において、政府説明員が次のとおり答弁しているのです。当時は橋本内閣で、外相は小渕恵三さんでした。


「この極東国際軍事裁判に係る平和条約第十一条におきましては、英語正文でジャッジメントという言葉が当てられておりますが、このジャッジメントにつきましては、極東軍事裁判所の裁判を例にとりますと、この裁判の内容すなわちジャッジメントは三部から構成されております。この中に裁判所の設立及び審理、法、侵略、太平洋戦争、起訴状の訴因についての認定、それから判定、これはバーディクトという言葉が当てられておりますが、及び刑の宣言、これはセンテンスという言葉が当てられておりますが、このすべてを包含しておりまして、平和条約第十一条の受諾が単に刑の宣言、センテンスだけであるとの主張は根拠を有さないものと解しております。」


 つまり、ここで言っていることは、サンフランシスコ平和条約第11条で受諾したのは刑の宣告だけではなくて、もっと広いものなのだ、ということです(訴因の細かな事実認定まで含むのかどうかまでは不明な点が残りますが)。お役所の政府説明員の答弁としては、相当に踏み込んでいるなという印象があります。これはいわゆる「東京裁判史観」に一定の終止符を打つ効果があるものです。ここまで踏み込むからには、恐らく外相くらいまでは決裁を取っているはずです。


 まあ、こういう問題意識を持つ一年生議員がいてもいいでしょう。このあたりは、私に質問の機会が回ってきたらチラっと聞いてみたいと思っています。今日はそんな気分です。

2009-10-30 20:00:00

衆議院予算委員会

テーマ:政治

 衆議院予算委員会が、11月2日から本格的にスタートします。国会論戦の花として、おそらくテレビ中継が入るでしょう。


 どうでもいいことですけど、私の席は質問者の真後ろです。ありがたいことなのですが、挙動不審に見えるようなことをしていると、全国に流れてしまいますので気を引き締める必要があります。


 国会中継を見る時間がおありの方は、「ウォーリーを探せ」くらいの気分で探してみてください。

2009-10-28 20:00:01

本会議場で感じたこと(2)

テーマ:日々感じたこと

 今日の代表質問で「これはやってはいけないんじゃないか?」と思ったことが一つだけありました。


 それは自民党の西村議員の質問の最中のことでした。厚生労働大臣を揶揄、批判したわけです。勿論、論戦ですから揶揄、批判するのは自由です。別にそれ自体を非難するつもりはありません(内容については私も反駁したいところが多々ありましたが)。しかし、西村議員の代表質問の答弁要求大臣に厚生労働大臣は含まれていなかったのです。ということは、厚生労働大臣からすれば、一方的に揶揄、批判されるだけされて、答弁で反論する機会がなかったわけです。


 これでは討論になりません。誰かを批判するのであれば、その批判に対する反論の機会がきちんと提供されなくてはなりません。でなければ、無責任な言論の垂れ流しになってしまいます。まあ、そういうのを鷹揚に聞き流すことも大事なことかもしれませんが、聞いていて非常に気分が悪くなりました。


 論戦、大いに結構です。しかし、それは「論戦」になっていることが前提です。その大前提を欠いていた質問だったように思えましたし、自民党総裁選に名乗りを上げた方でもあるが故に、その手法に残念なものを感じました。

2009-10-28 20:00:00

本会議場で感じたこと(1)

テーマ:日々感じたこと

 今日、衆議院での代表質問が行われました。中身について思うことはたくさんあったのですが、本会議場に座っていて感じたことを簡単に書き連ねたいと思います。


 まず、やっぱり「ヤジ」は多いです。本来はやってはいけないらしいのです。ただ、国会の花とでも言うべきものなんでしょう。その中でも「おっ、なかなか鋭いヤジだ」と思えるものが幾つかある一方で、中身のない罵詈雑言に近いものも結構あります。これは個人の性格や資質が如実に出るものだと感じました。


 あと、「普段、テレビ等では穏当かつ聡明な印象で売っている方が、実は国会ではヤジ将軍だ。」ということにも気づきました。個人名を出すと誹謗中傷になるのでやりませんけども、「ああ、あの人はテレビで見る印象と全然違うな。」という方が数名おられました。


 勿論、そんなことは主眼たることではありません。しかし、そんなことも思いつつ、本会議場の中を観察しています。

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