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2012-02-13 20:00:00

首相公選制

テーマ:政治

 日本の政治史の中で、幾度となく出てくる「首相公選制」についての議論。また、取り上げられておりますので、私の思うところを書いておきます。


 首相公選制と言っても、大きく分けて類型が2つあります。それは「議会の信任の有無」です。首相は公選制で選ばれるのですが、その後の組閣で内閣に対する信認を議会が行うか否かで、制度の結果はある程度変わります。信任を必要とする制度として有名なのは1992-2001までのイスラエルです。信任を必要しないものとしては、日本の地方自治体が近いと思います。勿論、大統領制ではありますがアメリカの政治制度も似ています。


 まあ、この制度は、公選で選ばれた首相と、同じく公選で選ばれた議会とが同じ方向を向いている限りにおいては何の問題もないのですが、首相を選ぶ力学と議会を選ぶ力学が全く異なるために、その間の調和が取れないことが多いということが一番の問題です。それも上記の2類型では、その問題点の発現の仕方が異なります。


 イスラエルで何が起こったかというと、選挙制度が小党分立を許す内容であったため、折角公選制で選ばれた首相が組閣で非常に苦労させられ、なかなか組閣そのものが進まなかったり、個別政策で不満な党が簡単に連立を離脱して、その結果、また多数派工作をやらなくてはならなくなり・・・、ということで首相の権限は強まるどころか、むしろ弱体化しました。当時のネタニヤフ、バラクといった首相は苦労していましたね。廃止する時は労働党、リクード双方が賛成したという事実は、イスラエル政界全体がこの制度に辟易したということだろうと思います。


 一般論として、議会の信任を求める制度とする場合は政党の結束力が高まります。政党として、組閣において高く売りつける必要があるからです。結果として、党議拘束的なものも強まってくるでしょう。そこも力学としてはとても重要なポイントです。


 日本を振り返ってみると、日本の政治風土の中では一定の勢力を持つ政党が5-6は必ず存在するでしょうから、その中で安定的な多数を確保する努力を継続的に求められます。党議拘束が強い政党をベースにすると、結果として議会に振り回される首相の姿が想像できます。


 では、議会の信任を求めないケースはどうかということですが、当然、首相の出身政党と議会多数派が異なることは大いに想定されます。そうなってくると、そもそも予算、法案が通らないということになるでしょう。


 大括りにして解決策は2つ。まずは組閣時にフランスの保革共存(コアビタシォン)に近い制度とすることですね。首相は民主党だけど、閣僚の多数は自民党から出すみたいな感じで首相と閣僚が別の政党から出てくることで何となく折り合いをつけるということです。コアビタシォン時のフランスの大統領の権限は著しく制限されるのと同様に、この時の首相は相当に権限が制限されるでしょう。


 もう一つは党議拘束を弱めてしまうことです。これが一番現実的でして、主要政党が党議拘束を弱めてしまえば、結果として案件毎に一本釣りで議会多数派工作ができるようになります。これはアメリカの制度に近いですね。つまり、アメリカで何故大統領と議会が完全に切り離されていても、それなりに回っているかと言えば、政治のサブカルチャーとして党議拘束が弱いということがあるからです。そのサブカルチャーがなければ、アメリカの制度は全くうまく行きません(党議拘束が弱くても、大統領はやっぱり苦労しているのですから。)。逆にイギリスのような議院内閣制で党議拘束が弱ければ政権運営はできません。 政治制度はどんなものであれ、それを支えるサブカルチャーによって可能になっているということを忘れてはなりません。


 首相公選制を唱える方はたくさんいますが、それは政党のあり方や政党内部のサブカルチャーを大きく揺さぶる効果があります。上記で述べたように「制度設計次第では(所期の目的に反し)首相の指導力が極限まで弱くなる」、「政党の縛りを弱くしないと首相公選制が上手く回らない」とする時、首相公選制を唱える論者は本当にそこまでの覚悟があるのかな、と各種論客の話を聞きながら思います。


 なお、私は首相公選制否定論者ではありません。首相が指導力を発揮しやすい姿を作っていくべきだと思っています。その時に政党のサブカルチャー的なものも変えるべきだと思っています。そんな中、首相公選制のポジティブなところだけを取り上げて、殊更に持て囃す風潮に疑問を持っているだけです。

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2012-02-11 20:00:00

行政改革(一番の悩み)

テーマ:政治

 党の行政改革調査会で公益法人WTの事務局長をやっています。座長は白眞勲参議院議員、長年のお付き合いがあるのでとてもやりやすいです。また、柴橋正直、長島一由両議員や他WTの事務局長として議論に加わってもらっている後藤祐一議員も交えつつ、正直、とても良い議論をしていると思います。


 公益法人というのは世に数多あり、国、地方自治体と相当な数があります。本当は民間団体であり、あまりガチャガチャ言うべきものではないのでしょうが、いわゆる政府系公益法人と言われるものが多々あります。国から予算をたくさん貰っている、国から権限を付与されている、そういった公益法人に天下りが法外な給与を貰いながら存在していることに対する世の批判というのはとても強いものがあります。その国民各位のご批判をどう制度的に繋げていくかで侃々諤々やっています。


 実は既に公益法人については2008年に改革が法律化されており、現在、その改革に基づいて(今の)公益法人を「(新)公益法人」と「一般法人」にそれぞれ移行させていくプロセスがどんどん進んでいます。新しい公益法人は、勿論公益性の認定を受けることで税制等での優遇を受けるわけですが、これまでの主務大臣制度を止め、かつ国からの関与は指導ではなく、(法令に基づく)監督のみとなります。国としての関与はかなり下がると言っていいでしょう。ただ、国との関わりはきちんと担保されています。ここに色々なかたちで、国として改革をしていくことはできます。


 ただ、難しいのが一般法人なんです。この一般法人、何とも言えない存在でして、国から直接及ぼすことができる権限は殆どなく、かつ設立も登記のみで出来るとなっています。限りなく株式会社に近い存在だと言っていいでしょう。


 しかしですね、現在の公益法人の中でヒト、カネ、モノで国とズブズブの関係にある法人が、移行を経て、ズブズブの状態を保持したまま一般法人になったとしましょう。その時に「いやぁ、あれは一般法人ですからね。ズブズブかもしれませんけど、もう何も手が出せないんですよ。」なんて言って、天下りから怪しげな資金の流れからすべて放置しようものなら、私は公益法人WTの事務局長としてアホ扱いをされるでしょう。この部分で今、とても悩んでいます。無茶をすると訴訟を起こされ、負けてしまうかもしれませんし、そもそもこれは憲法における種々の自由との関係すら出てくるテーマです。


 そう考えると、2008年の公益法人改革、ズブズブの関係を保持したまま(今の)公益法人が一般法人に移行していく可能性とその帰結にあまり手が着いていなかったことがちょこっとだけ恨めしくなります。どんな議論があったのかは詳しくは知りませんけど。


 ところで、これは今次WTの射程ではありませんが、この一般法人、特に一般財団法人については別の懸念があります。それは「相続や贈与の脱税の温床になるのではないか」ということです。登記だけで設立できる法人で、国からは遠いところに居る存在ですから、悪いことに使えそうなのです。


 私がそろそろ人生の最終局面を迎えようとしている時に巨額の財産を持っていたと仮定します。相続税も贈与税も払いたくない私は、一般財団法人「りんちゃんの会」を作り、設立時にガンっとすべての財産を積むとしましょう。理事会、評議員会はすべて同族で固め、意思決定は基本的に同族で牛耳らせます。そして、私が死亡した後であって、上手くその一般財団法人の活動として色々なことにお金を支弁していけば結局、相続税や贈与税を払わなくてもよくなってしまいます。かつて、政治団体で類似のことをやっていた政治家一族がいましたが、これからはこの一般財団法人を経由しながら、似たようなことが誰でもできるようになるのではないかということです。ちょっと気になっているんですよね、これ。


 まあ、最後の点はともかく、公益法人改革は行政改革の中でも大玉の部類でしょうから、きちんと成果が出せるように頑張ります。

2012-02-09 20:00:00

国民生活センター

テーマ:政治

 独立行政法人国民生活センターという組織があります。消費者問題の中核的実施機関でして、支援相談、研修、商品テスト、情報の収集・分析・提供、広報、裁判外紛争解決手続(ADR)等の機能を担っています。現在の独立行政法人改革や事業仕分けでの結果等を通じて、国(消費者庁)への統合が俎上に上っています。


 これに対して消費者団体の方々からは強い反対の声が上がっています。現在、消費者特の委員を拝命している身として、本件には強い関心を持っています。先日も関係団体の方からご意見を伺いました。


 統合賛成派の方からは「国民生活センターと消費者庁には機能の重複が多く、統合メリットが多い。また、独法改革の中で現在の機能を維持することが難しくなる可能性があるので国で一元的にやった方がむしろいい。」との主張がなされています。それに対して、反対派の方々からは「一見同じ事をやっているように見えるが、機能の重複は極めて限定的。独立した組織でやることの意義を重んじるべき。」との声を伺っています。この手の組織統合をする時によくある対立構造です。


 私の意見は大体、こんな感じです。


● ポイントは「同じ事をやっているかどうか」ではない。仮に消費者庁と国民生活センターが別々のことをやっているとしても、基本的にはそれを一元的にやることのメリットは相当にあるだろうし、別にそれが悪いことでも何でもない。単なる「重複の有無」をベースに議論することは極めて不毛。


● むしろ、重要なのは「国民生活センターと消費者庁との間に方向性を必ずしも共有していないところがあるかどうか」である。私が知る限り、支援相談、斡旋、ADRの部分では、行政とは一線を画した対応が求められるところがある(例えば、消費者関係の問題について、政府の法解釈とは違う法解釈の可能性等も提示しながら相談を行う可能性等)。たしかに、その点についてはきちんとした考慮が必要。


●言い換えれば、今、国民生活センターが担っている業務の内、行政と同じ方向を向いている部分については、現在の体制の重複の有無にかかわらず一元化していくことは可能だろうし、行政と(対峙するとまでは言わないまでも)向き合っている部分については制度設計において何らかの工夫が必要。


●ただ、今でも「独立『行政』法人」なわけだから、その定義にかんがみれば、行政が行っていることと国民生活センターが完全に食い違っていることは想定されないし、あってはならない。そう考えれば、国との一元化については、「内部部局」から「独立の機関」まで色々なバラエティの中で、独立性の担保等の面で色々な工夫がやれると思う。


 消費者行政の中で、最近、大きなテーマになりつつあります。個別のテーマについては、別途色々な思いがありますけども、今日は枠組みの話について思うことを書きました。抽象的なところが多かったので、ちょっと分かりにくかったかもしれません。私の勉強不足と筆力のなさをお詫びいたします。

2012-02-07 20:00:00

産業遺産の世界遺産申請

テーマ:政治

 規制緩和の一環として、産業遺産をユネスコの世界遺産に申請できるようにするというテーマがあります。これについては過去に何回かブログを書いています( )。


 簡単に言うと、世界遺産申請には国内できちんと保護されていることが要件とされており、これまでの世界遺産申請は基本的に文化関係は文化庁所管の文化財保護法、自然関係は環境省関係の法律での保護を担保としてきました。ただ、産業遺産と、特に現在稼働している資産についてはカテゴリー的に何処にも当てはまるところがなくて、結局、どうやって世界遺産申請していいのかで法律の制度の隘路に落ちてしまっているのが現状です。


 一番の問題点は「稼働している資産」をどう捉えるかです。稼働を損なってはいけない、ただ、きちんと保護はかけないといけない、この間をどう捉えるかということです。


 そんな中、我が町北九州の新日鐵八幡を含む九州山口の産業遺産 を纏めて世界遺産申請するための方策を考えようということで内閣官房のほうで知恵を出していただいています。その素案が上がってきているのですが、大体、どんな感じかというと、非稼働資産については文化審議会、稼働資産については専門の審議会でそれぞれ検討をしてもらい、それを内閣官房に設置する(海外専門家を中心とする)産業遺産に関する特別委員会で取り纏めた上で検討して、最終的には閣議決定するというアイデアが上がっています。保護するためのツール(法令)としては景観法、港湾法、各種条例等が検討されています。


 これまでの内閣官房、文部科学省、外務省、国土交通省を中心とするご尽力には感謝するのですが、私は上記のスキームについて3つ引っかかるところがありました。「海外専門家を『中心とする』検討会をやること」、「申請決定の際、閣議決定を経ること」、「あまり、文化庁が口出しすぎて、新日鐵等の営業の稼働に影響が出る可能性」の3点です。


 世界遺産については日本にも既に立派な専門家が育っています。ユネスコの事務局長を輩出した国が、世界遺産への申請を検討するのに「海外専門家を中心とする」検討会に頼らなくてはならないというのは、たとえそれが産業遺産であろうとも疑問が残ります。日本のユネスコ大使経験者クラスや日本の専門家を中心にしつつ、付属的に海外専門家の意見を聞けば十分でしょう。直感的に海外専門家よりも国内の専門家の方が厳しい意見を言うでしょうから、そこで十分に案件を揉んでいくことが今必要なプロセスです。申請がスタートして世界遺産委員会に行けば、それはそれは厳しくやられますから、国内でしっかりと鍛えられた案件で臨むのが適当です。


 次に「閣議決定」ですが、法律の隘路に落ちている案件ですから、申請に際しては全省庁で意思を統一してという趣旨は理解しますが、政治的にリスクが高すぎます。「出発点」であるはずの閣議決定が、世論的には「ゴール直前」だと受け止められる可能性が高いです。「閣議決定までしたからには当然、登録されるはず」という圧力が文科、外務両省に掛かるでしょう。通常の世界遺産申請プロセスであればやらない閣議決定を経ることで、追加的に交渉現場にそういう圧力が掛かるのはあまり得策だと思えません。


 本来であれば、地元選出議員として文科、外務に「閣議決定までしたのだから、死ぬ気でやれ」と言うのが私の責務なのかもしれませんが、ユネスコの相場観をある程度知るだけになかなか言えません。世界遺産は国内政治と常に絡みます。その政治的リスクのマネージメントを意識する時、閣議決定まですることにはネガティブということです。もう少し手前の意思決定で十分でしょう。


 最後に文科省が、文化庁オンリーの視点から稼働がどうだこうだとケチを付け始めると、このスキームは完全に崩れます。折角、港湾法や景観法といった国土交通省所管の法律で保護を掛ける方向で動いているわけですから、そこに文化庁が「文化たるものは・・・」とご託宣を垂れ始めると、稼働資産を持っている企業はすべてそっぽを向いてしまいます。設置法上、ユネスコの国内関係は文化庁が主管しているというグリップはきちんと持っているわけですから、大きな心で文化庁には対応してほしいと思います。


 といった内容を内閣官房、文化庁、外務省に伝えました。変に口うるさいやつだと思われたことでしょう。後の結果は乞うご期待です。

2012-02-05 20:00:00

アメリカ大統領選挙

テーマ:アメリカ訪問(2012年)

 アメリカでは共和党の予備選挙が真っ盛りでした。アイオワではサントラム、ニューハンプシャーではロムニー、サウスカロライナではギングリッチ、フロリダではロムニーという感じで、特にサウスカロライナでギングリッチが勝った時は混沌とした感じがありました。


 直感的には「まあ、共和党はロムニーだろうな。そして、本選はオバマ再選じゃないかな。」と私は感じました。根拠を示せと言われると難しいのですが、共和党では消去法的に行くとロムニーなんでしょう。ギングリッチは保守層への受けは良いですが、やっぱりその言動、過去の振る舞い等に対する拒否度が高いです。そして、本選ですが、ロムニーは「超金持ち」の匂いがどうしても付き纏います。正に「Occupy the Wall Street」が標的にしているのがロムニーのようなお金持ちです。邪推ですけども、オバマにとっては今の「Occupy」ムーブメントはそれ程悪い話ではないのではないかとすら感じるくらいです。


 それにしても、アメリカの大統領選挙でも「お金持ち批判」って結構強いんだなと思いました。毎朝、新聞を読むと「ロムニーは給与所得が殆どなくて、大半が投資家らの所得だから、収入全体への税率が(一般の人の30%とは異なり)15%しかない。」とか「ロムニーは所得の一部をケイマン諸島に移している」みたいな話が新聞の一面をどんどん飾り、予備選挙でもギングリッチが「自分は所得明細を公開する。ロムニーもやるべきだ。」といった感じでアジったりしていました(ギングリッチは過去1-2年くらいの明細公開だけなのに自慢げに語っていたのが、逆に「それ以前は出さないのだな」ということを示唆していて胡散臭くも見えましたけど。)。まあ、それはそれは「お金持ち」→「何処かで上手いことやってるに違いない」→「けしからん」といった論調を強く感じました。何処の国にも似たような現象はあるものだということなのでしょう。


 この予備選挙、意外に少ない票でムーブメントが出来上がっていくものなんだなということも感じました。アイオワでは3万票ちょっとのラインでロムニーとサントラムが激戦を繰り広げていました。アメリカ全体からすると僅かな票です。しかし、それで全米に「ロムニー負ける」みたいな論調が広がり、社会の流れが形作られていくのを見ると、「順序というのは大事だ」という政治の世界のセオリーを痛感しました。


 あとは「思想色が強いなあ」というのが印象的でした。「保守的価値」をどう打ち出すかの競争をしているような感がありました。「私は彼よりももっと保守思想を持っています」ということをどう売り込むかに汲々としている姿を見る時、普段我々が見ないアメリカの深層のちょこっとだけ垣間見た気がします。ある意味、二大政党制になると政党がCatch All Party化すると言われ、日本では特にその傾向が強いだけに、アメリカの共和党の思想色の強さが際立って見えました。


 フロリダのペンサコーラにいた時が面白かったですね。フロリダの中でも保守的な地域でして、何故か街中にはロン・ポールのパネルしか見ませんでした。ロン・ポールと言えば「米軍の海外からの撤退」みたいな非常に孤立主義的思想を訴えていて、価値観的にも最右派です。「ああ、こういう地域があるから、(おそらく民主党が強いマイアミ等を含む)フロリダがswing stateになるのだな。」と感じました。我々が普段見ることのないアメリカの実相でしょう。


 一年かけてやるこの大イベント。何となく、最近は国際情勢の中で「アメリカが大統領選挙やっている間はなかなか動きが出にくい」ということが織り込まれてきています。主権国家同士として、日本側から見ているとそういうエクスキューズは釈然としません。ただ、「たしかにこれやっている間は外に目を向ける余裕なんかないよな」ということも事実として感じました。

2012-02-03 20:00:00

親孝行

テーマ:その他雑感

 人の親になって、自分の親のことを考えます。


 私の両親は極めて普通でして、両方とも熊本県の出身です。その出自は少なくとも裕福な家庭では全くありません。父はお金がなかったため大学に進むことができず、北九州市でサラリーマンをやっていました。そんな両親から「勉強しろ」と言われることは一度たりともありませんでした。中高時代、三者面談での母の役割と言えば、ひたすら先生に「うちの息子が迷惑掛けてすいません」と謝ることばかり。成績はともかくとして、ちょっとした素行の悪さがあったのでしょう。


 そんな私が両親に感謝すること。それは「心おきなく大学に出してくれたこと」です。当時、子どもが1人、東京の大学に出ると年間200万円くらい掛かりました。私と弟で8年間、1600万円です。その負担は既に年収が減り始めて、およそ400万円前後の家庭には決して軽いものではありませんでした。結局、周囲の社宅の方々が40歳前後で一戸建てに引っ越していく中、一戸建てを買うための頭金が出せなかった両親の住まいは今でも持ち家ではありません。


 私は高校3年生の頃、両親に「貸与じゃなくて給付の奨学金取ろうか?福岡県で1名であっても取ってくる自信があるぞ。重複してもいいものもあるから、ちょっと頑張れば合わせて月10万くらいの奨学金は取ってくるぞ。」と話したことがあります。当時は模試でそこそこの成績でしたから、余程の強豪が来ない限りは「福岡県で1名」でも勝ち取れる自信がありました。しかし、父は「そんな余計なことはしなくていい。そういうものはもっともっと必要な人がいるのだから、そのチャンスを奪ってはいけない。」と静かに答えました。今でも忘れられない一言です。


 そんな愚直に生きてきた両親。私も不惑が近くなってくると、両親の恩を切々と感じます。そろそろ親孝行する歳になってきたのかなと思います。


 ブログに書くような話ではないかもしれませんが、気持ちの整理も含めて書き残しておきます。

2012-02-01 20:00:00

Military Survey

テーマ:アメリカ訪問(2012年)

 在米中に同僚の橘議員がある会合で、国連海洋法条約関係でとても良い指摘をしておられました。私が理解したのは「アメリカ海軍は他国の排他的経済水域で軍事調査(military survey)ということで調査をしているが、これは日本にとって様々な問題を惹起する。」ということです。海洋法条約に長らく携わっている私も「ああ、そうか。たしかにそうだな。」と思いたくなる通なテーマでした。


 排他的経済水域では、海の資源を採取したり、科学的調査をすることについては沿岸国の同意が必要です。ただ、たしかに軍事目的での調査をすることについては何も書いていません。そして、アメリカは何も書いていないことを理由に他国の排他的経済水域で軍事調査をやっています。


 たしかに、国連海洋法条約をよく読んでみればここは完全にぽっかりと穴が開いています。そもそも、アメリカは国連海洋法条約を締結していませんが、米海軍と話をしてみると論拠は「そもそも、国連海洋法条約で禁じられる行為ではない。」という論立てでした(締結していないけども、深海底等の幾つかの争いのある規定を除けば実質的には従っているということなのだろうと思います。)。


 日本との関係で言えば、日米安保条約もありますし、軍事調査をやっているとしても、それが日本の安全保障にとって脅威になるということはないでしょう。問題はそこではないのです。仮に他国が「アメリカが排他的経済水域で軍事調査をやっているが、うちもやる」と言い始めた時が厄介なのです。日本の排他的経済水域に他国の軍艦が入ってきて、軍事調査をやり始めたらどうなるでしょうか。それはそれは厄介です。資源等に影響が出そうな時は、国連海洋法条約を根拠にあれこれと停止を求めることができますが、純粋に軍事目的である時にはなかなか辛いところがあります。


 ただし、アメリカ海軍と話していると「うちの国は海洋の自由な航行にコミットしている。仮に他国の軍艦がカリフォルニア沖の排他的経済水域で軍事調査をやるのであれば、それは甘んじて受ける。それが海洋の自由な航行というものだ。」といった感じでした。今回、アメリカの海軍関係者と話していて、この海洋の自由な航行に対する強いコミットメントというのはある意味驚きでありました。昔から国際海峡レジームや軍艦の無害通航等については、冷戦時代も米ソが意見が一致するテーマでありましたが、やはり世界に海軍を展開するとそうなるものなんだなと改めて認識しました。


 日本にとってはなかなか頭が痛い話です。法的に詰めていくと、最後は「まあ、たしかに何も書いてないわな」ということになります。ただし、某国がやり始めた時のことを考えると不気味なものを感じます。単なる法的論点を超えて、日本の安全保障の観点からよく考えていきたいと思います。

2012-01-26 20:00:10

アメリカ(日系人へのイリュージョン)

テーマ:アメリカ訪問(2012年)

 今回、アメリカに行って、改めて自分を戒めたのが「日系人に過剰なイリュージョンをいただいてはいけない」ということです。頭では分かっていたことですが再確認しました。


 日本人はともすれば日系人で、名前も日系であることをうかがわせる方だと、こちらに幾許かのシンパシーを持ってもらえるという思い込みみたいなものがあります。私にそういう傾向がなかったかというと、かすかな期待感みたいなものがありました。


 ただ、それは根本的に間違っていますね。目の前にいる人はアメリカ人である、それ以上でもそれ以下でもない。思想、考え方、文化、身振り素振り、すべてがアメリカ人である、当たり前のことなんですけどね。というか、目の前にいる日系人で、日系人であるということを前提にこちらに接する方がとても少なかったのです。


 彼我の間に無理をして線を引くことは適当ではないのかもしれませんが、日本人はともすれば変な期待感もちがちなので、これからは意識して線を引いて接するようにしようと思いました。


 単純なエントリーですが、結構な思いを持ったのであえて書いておきます。

2012-01-26 20:00:09

アメリカ(住みやすさと住みにくさ)

テーマ:アメリカ訪問(2012年)

 アメリカに行って思ったのは、「経済が悪い、悪いと言っても、なんだかんだで活気がある」ということです。日本との違いは、社会にカオスがあることです。社会全体に何とも言えないゴチャゴチャっとした感じがあって、その中に常にエネルギーが生み出されているということです。


 そのカオス感というのは、多分、私は多様なエスニシティから来ていると思います。どんな国の人間であろうともそれを包含して、また新たなアメリカの価値観を作っていく再生産のプロセスが最低限回っているように思いました。日本に帰ってくると、非常に「きちんとした感じ」がします。社会全体がとても纏まっているのです。その纏まり感はある意味心地がいいのですけども、逆にアメリカの得体のしれないエネルギーが羨ましいところがあります。勿論、闇の部分はありますし、今の「Occupy(占拠せよ)」の人達を見ていると貧富の差が広がっているなあと感じることは多かったですから、すべてを正当化するわけではありません。それでも、私は「日本はこれからもっと外に出て、逆に国内に多様なエスニシティを取り込んでいくべき。そこに日本の活路がある。」と感じました。


 今の日本はご都合主義的なところがあって、「有能な外国人には入ってきてほしい。だけど、自分達がどんどん外国でチャレンジするのは嫌。」みたいなところがあります。この手の外との出入というのは、大体帳尻があるようになっていて、こちらからの出がないのに、外国からの入もないということです。その観点からとても気になったのが、「海外に出ていく日本人の数が減った」ということです。ニューヨークでビックリしたのが、かつてであれば観光用ガイドにはちょっと間違いが多い日本語表記が当然見られたものですが、日本語での表記はなくなり、ハングルと中国語が代わりに入ってきていたことです。これは何を意味するかというと、「日本人の旅行客が減った」ということだと思います。ニューヨークだけではありません。あちこちで中国、韓国からの旅行者の数に驚くことがありました。旅行者がすべてではないかと思いますけれども、「出がないと入もない」という私のテーゼから行くと、このままだと日本は世界に取り残されていくのではないかと不安が増幅されました。


 「日本人が外に出ていき、外からどんどん入ってきてもらう」というのはとても争いのあるテーマで反対の方が多いことも知っています。珍しくここは私は楽観的です。「日本は歴史のある強い国。人の出入りくらいでその価値は損なわれない。だから、自信を持って外に開こう。」くらいの超楽観論でいます。


 ただ、アメリカという国の住みにくさも感じました。まずは医療。今回のオリエンテーションで一番笑ったのが、「病気が少々辛くても、生死にかかわる重篤な状態でない限りは集中治療室には絶対にいかないでください。1日放ったらかしにされますから。」ということでした。とてもではないですが、アメリカで病院に行こうとは思いませんでした(実際にご縁はありませんでしたけど)。この国の医療体制はひどいなあというのが非常に率直な感想です。私の議員会館の事務所にはよくアメリカの製薬会社の人が来ます。今回の経験を踏まえた私の感想は「よくあんな医療体制の国が、うちにあれこれと示唆しにくるものだ。」ということです。「こういうシステムがいい」、「日本のワクチン体制は発展途上だ」、大きなお世話だという感想になりました。無論、日本にも薬や医療機器の治験を早めるとかいった課題はありますが、それはうちの国内の話であって、外様からあれこれ言われる筋合いの話ではありません。ともかく、アメリカの医療体制は(断片的な経験でしかありませんけど)「関わらずに済むのならできるだけ関わりたくない」と思わせるに十分でした。


 あとはセキュリティの煩わしさですね。一言でいうと「ああ、この国は9.11以降、全く変わってしまったのだ」ということです。かつてのアメリカは国内線の飛行機なんてのは「バスに乗る感覚」でしたけど、今や国内線ですら搭乗前に1時間半近くのゆとりを見ないとダメになってしまいました。搭乗3時間前を要求していたイスラエルのベングリオン空港を思い出します。アメリカにせよ、イスラエルにせよ、テロを経験してセキュリティを強化せざるを得なくなってしまったら、もうセキュリティの水準を下げることはできません。何十年たっても、アメリカは超セキュリティ国家として歩まなくてはなりません。これから、この窮屈なセキュリティ社会で生きていかなくてはならないのかと、その背負った運命には強い思いをいたしました。


 基本的には「できれば飛行機には乗りたくない」と思わせるに十分な経験を何度かしました。棒で突かれ、荒い口調で「ほら、ベルト取って」と言われ、チェック後にベルト付けていたら「(邪魔だから)あっちでやれ」と追い払われと、まあ、空港、政府系建物等、一日に幾度となく愉快でない思いをしました。多分、私がワシントン在住でニューヨークに用事があるとしたら、私は飛行機に乗らないと思います。ただし、興味深かったのは、ある方が「(この制度を作った時の運輸長官である)ノーマン・ミネタ氏がサンフランシスコの空港で他の人と同様にセキュリティ・チェックを受けていた。」という話を聞いた時です。制度を作った人物だからこそ率先してセキュリティ・チェックを厭わない同氏の高潔な姿を聞いて、「自分もわがままを行ってはいかんな。」と、セキュリティについてブツブツ言っている自分をちょこっとだけ窘めました。

2012-01-26 20:00:08

ワシントン(北朝鮮・中国)

テーマ:アメリカ訪問(2012年)

 金正恩体制については様子見以上のものを言う人はいませんでしたけど、その将来については比較的悲観的な見方が強かったかなというところです。


 北朝鮮の核保有については(1)安全保障、(2)国内引き締め、(3)国の威信といった要素があるため放棄することはないものの、現時点での核兵器の能力は低く、抑止力たるまでは開発が進んでいないというご意見を伺いました。私も似たような意見で意を得たりというところです。しかし、ある関係者は高濃縮ウラン核兵器について、今年か来年に何か動きがあるかも、と何の根拠も言わずに示唆だけしていました。あえて深追いしませんでしたけど気持ちが悪かったです。


 拉致問題については、勿論、一般的な同情と関心を示してはくれますが、あくまでも「日本の問題」だという姿勢です。そこは過剰な期待感を抱いてはいけないのだということを再認識しました。であるが故に、私からは何人かの方に「国際社会は核開発について関心があるだろうし、核問題が解決したらそこでディールをしようとするだろう。しかし、日本は違う。核問題と拉致問題を天秤にかけて、どちらかが解決すれば、それで良しということにはならない。仮に核問題の前進で何らかの合意に至ろうとする時、日本の拉致問題の前進がないのであれば、日本は六者協議でも拒否権を投じるだろう。仮に1対5になっても合意に拒否権を投じると思う。そこは理解しておいてもらいたい。」と強めの姿勢を強調しました。これくらい言っておかないと、また、ズルズル行ってしまうのです。ポイントは「1対5になっても」です。核問題で合意ができそうになると、中国あたりは日本に「いい加減に合意に加われ。」と強い圧力をかけてくるでしょう。アメリカもそういう方向に動くかもしれませんし、韓国からは「うちにも拉致被害者がいるのに我慢しているのだ。」くらいのことは言いかねません。その時でも「ダメ」と突っぱねる胆力は常に日本の指導者には求められます。


 核問題について、私から(若干の挑発も込めて)何人かの人に「北朝鮮は中国、ロシアに核兵器を使うことはないだろう。同胞に撃つ可能性も相対的には低い。アメリカには届かない。そうすると、一番具体的に脅威を感じるのは日本である。逆にアメリカにとっては不拡散の視点のほうが大きいのではないかと思えることがある。その違いについてどう思うか。」と聞いてみました。まあ、答えは「そんなことはない。在韓米軍、在日米軍、これまでの同盟関係等、北朝鮮がどこに核兵器を使おうとも、アメリカはそれを自国への具体的な脅威、攻撃とみなす。そもそも、技術革新でテポドンがアメリカ西海岸まで来る可能性を否定した想定には立たない。」ということでした。


 中国との関係はとても気を使っているようで、「潜在的敵対関係にあるとは思わないか」とどんなに聞いても、「いや、実は・・・」と語る人は皆無でした。どう形容するか、とても慎重な印象を受けました。むしろ、私が「ステークホルダー」という表現を使ったら「そうそう、その通りだ」と言ってきたくらいです。「containmentでも、naïve appeasementでもなく・・・」という間を狙うと、ステークホルダーくらいの表現が良いのだと思います。中国との関係ではコミュニケーションを重視しているところがあり、中央政府が制御できない小規模紛争がout of controlになることへの懸念とか、中国が今何を目指しているのかについての研究とか、アメリカが軍事予算を削減することが中国側にどう映っているかとか、いわゆるゲームの理論的なところからのアプローチを現実に当てはめながら話を聞かされると、「うーん、こういうアプローチって日本にも必要だよな」と思いました。ただ、ある研究者の方が「中国は基本的にはリスク回避型の国。だけど、新興国は既存の国際関係にチャレンジしたくなるもの。アメリカの軍事予算削減がその誘因を作るのではないかと懸念している。」と話しているのを聞いた時は、ちょっと違うんじゃないかなと思いましたが。

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