実家の断捨離で | アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

施設に入所してしまった母のモノの整理に実家へ通っている。

 

 

数年前に母の整理を一度手伝って以来、全く機会が無かったのだが、同居していた弟のお嫁さんも亡くなり、母はもう家に戻ることは無さそうだ。

 

 

弟からの依頼で二間続きの母の部屋の整理を手伝うことになり、弟の休みの日に合わせて、これまで3回の断捨離を手伝った。

 

 

母との面会の時に、私の判断で取捨選択して処分する許可を得ていた。まるで遺品整理のように捨てればいいようなものの、母が残している意味があるようなものは、ゴミ同様のモノでも捨てられなくて、私の家へ持ち帰っている。

 

 

93歳の母は、51歳で未亡人になって以来、洋服などめったに捨てなかったのではないかと思うほどの数と言うか量!

 

 

5本のハンガーラックに隙間なく吊るしたクリーニング済みの洋服やコート。衣装ケースにはバッグや袋物がぎっしり。帽子類だけでも衣装ケースにぎっしり詰まっている。

 

 

日常的に着る洋服はベッドのそばのハンガーラックと、2段のハンガークロゼットにぎっしり。その他下着類や靴下類はいくつものバスケットに入れて、積んである。

 

 

以前に母の整理を手伝った時に、バスケットを使い始めていたので、種類別に分けてあり、足の踏み場もないような状況ではないのはまだマシだと思いながら、断捨離を進めたものの一向に減らない。

 

 

実家まで1時間のドライブ、整理を2時間半もやれば、二人共疲れ切ってしまう。そしてまた1時間のドライブで帰宅。とにかく疲労困憊だ。

 

 

整理ダンスの中に入っているバッグなど、一つ一つ中を改めてから捨てて行った。古い記念硬貨や、数万円の現金も入っていたりして、弟に渡した。

 

 

そんなタンスで見つけたのが、この時計左下矢印見るなり声が出た。

 

 

 

これは、私が高校入学の祝いに初めて買ってもらった腕時計だ。57年前の時計を母が残していたのに驚いた。買った時のままの本革のベルトは変色こそしているが、とてもしっかりしている。

 

 

調べてみたら、昭和30年代製造のモノで、アンティークの部類に入るような代物だ。リューズを巻くとチクタクと動き出して数時間は正確に時を刻んでいた!

 

≪Seiko Angel 21石 手巻き≫

 

 

この時計を見て思い出すのは父のこと。

 

 

自動車の修理工場を営んでいた父は、よく大津市にある陸運局や部品屋さんに出かけていた。私は大津市にある高校の入試を受け、その日は合格発表の日で父が見に行ってくれた。

 

 

なかなか父からの連絡が来ず、不合格だったのかとやきもきしていた午後に、やっと部品屋さんから電話があって「娘さん合格でした」と伝えられた。

 

 

父は部品屋さんに家へ電話をするように頼んでおいて、自分は京都にいる愛人宅へ出かけていたのだった。そして、翌日に父はこの時計を持って帰って来た。

 

 

父が愛人に貢ぎ、商売は傾いた上に、愛人のお腹には子供が…。スナックのママに連れられてウチに直談判に来た素人っぽい感じで大人しそうな愛人の姿も見た私。

 

 

異母兄弟は生まれることなく、父の借金で修理工場は倒産、私の同級生の父親が債権者としてウチの工場の社長におさまった…という怒涛の高校生時代。

 

 

博打以外、女遊びに加えて、鉄砲、盆栽、石…その時々にブームになったものにハマってあらゆる道楽をしてきた父はわずかのお金を残して55歳で亡くなった。

 

 

51歳で未亡人になった母は、クリーニングの取次店を始めて商才を発揮し、【女やもめに花が咲く】生活をスタートした。

 

 

ハンガーラックに掛かった大量の洋服やコートは年に数回の海外旅行や、国内旅行へ行くために買ったものだろう。それらがすべて捨てられずに残っているのだ。

 

 

温泉旅館が常備している白ソックスなど百足以上残してあって、私は家に持ち帰った。毎日履いて履きつぶしていこうと思う。

 

 

母の部屋以外に置いてあるいくつかの衣装ケースの一部は、弟嫁さんが整理してくれたようだったが、ハンガーラックはもちろん、残る衣装ケース、洋服ダンス、和ダンス、整理ダンスの中はまだ手が付けられていない。

 

 

実家の断捨離はまだ始まったばかり。