2011.03.12
地震の日の午前中は、上目黒と中央町の障害者支援施設を統合した目黒区立目黒本町福祉工房の落成式へ出席。
午後、会議の後、知人の築50年の木造住宅1階で歓談していたところ地震が。
1度目はいつもの地震かな。
2度目は危険を感じ、知人の震える手を引いて外へ出ると「怖かった」「どこに避難したらよいか」の周囲の声に対応を。
3度目は歯の治療を受けている最中。
治療を一時中断し再開。
3度とも1階か地上にいたので大きな揺れは感じませんでした。
その後、中目黒駅周辺を歩くと、さした混乱はありませんでした。
父の安否を電話でようやく確認。
自宅に戻り、被害が無かったことを確認。
母の位牌も花瓶も転倒していなかたのでホッ。
中目黒GTの帰宅困難者状況を確認した後、目黒区役所へ。
テレビで目黒区の帰宅困難者用受入れ施設が報道されながらも、目黒区ホームページにアップされていないことを指摘。
多数の区職員が待機し、特に教育委員会は児童の安否に追われていました。
中目黒GTに戻ると、200名近い方が避難し、配布された毛布にくるまる方が多数。
駅に向かう人、沿道を歩く人はかなりの数で、皆さん、動揺することなく、もくもくと帰路を目指す姿に日本人は秩序と判断力があると、ヒシと感じました。
中目黒スクエアでは、毛布を掛けて畳に休息している方々、帰宅の道順を尋ねる方々。
母子が複数避難していたので尋ねると、皆さん遠方から来ているので帰宅出来ず、宿泊になると。
また、飲食店は待機所として混雑していたようでした。
再び中目黒GTへ。
災害対策会議では状況と対応がビシッと報告されていました。
東横線が再開したので、GTの帰宅困難者は1/4ぐらいでした。
11時過ぎに自宅の戻り、テレビで災害状況を把握しました。
海外から地震被害の安否メールがきていました。
目黒区のサンマ祭りに毎年、秋刀魚を提供下さる、友好都市の気仙沼市が大火災に見舞われ、また、主産業の漁業も大被害となります。
サンマ祭りは気仙沼市長はじめ、市職員や漁師の協力あってこその目黒の秋刀魚。
皆さんの笑顔を思い起こすと、大災害の状況下で、どうされているのかと心配でなりません。