The red line B
Richard won side c contents
私は自宅マンションつくと、先生にいただいた包みを開きました。
赤いペンが真っ赤な包みの中から現れた時、私は一瞬自分の決断を後悔しました。ほんの一瞬。
そういう人生だってあったかもしれないんだ、と思うには、あまりにも遠くに手放してしまった世界。
それは先生からの就職祝い。
先生は私に大学時代の手紙で、こう言っていました。
君さえよかったら、もし他に魅力的な職業を思いつかないなら、俺のところで働かないか、と。
先生はその近辺では著名な考古学者になっていました。その遺跡の名前を書いてしまえば、調べ上げることも可能です。
自分の生まれる何百年、何千年も前の古い石と向き合って、ゆっくり流れていく時間にいる自分を何度も想像しました。
それはとても魅力的だった。
まわりからみれば、その時間は止まってしまったかのように見えるかもしれない。
のんびり過ぎる、刺激がなさ過ぎる。地道で孤独な作業。
そうだろうか?
私は先生から、「発見」というものの興奮を何度も聞いていました。
私はすっかりとその世界に魅せられてしまっていました。
そして私は見本のないパズルのように出来上がりの時を想像できない地道な作業をとても愛していました。
それから、これから始まる会社員としての生活と比較しました。
特に営業数値などに絡んだ上司・部下関係もない、机の上の数字に苦しめられることもない、世界と時代を動かすかもしれない
歴史的事実に埋もれた、音のない静かなところ。
そういう世界を本当に手放してしまっていいのか、とペンは私に尋ねました。
でもそれは一瞬でした。
なにより、あのひとのそばにずっといることは、とても危険だと思いました。
きっとわたしは彼に、いま以上の気持ちを抱かずには済まなかったと思う。
* * *
私たち(私と、“この話でのふたりめの”先生)は、ただの生徒と教師でした。
社会科準備室でこっそりと温かいココアを入れて貰ったり、先生の仕事をじっと見つめるだけの時間を過ごしたりはしたけれど、
そんなことは幾人かの女子生徒もやって貰い、やっていることでした。
先生は、他の大人気の独身の先生と比べれば地味なファン層しか持っていませんでした。奥さんも子供もいたしね。
それでも、彼の授業はユーモアにあふれていて退屈しなかったし(社会の授業なんて下手したらお昼寝の時間だ)、
決して声を荒げずに静かに叱る時の“冷たさ”は、一瞬で生徒を本来の場所に引き戻した。
卒業式と同時に、私と先生は殆ど会えなくなるはずでした。
私は女子高に進学し、先生は一端教職から離れて大学院へと行くのです。
卒業式の後、私はいろんなものを剥ぎ取られた制服で(全部後輩に取られた)、貰った花束と荷物を自分の靴箱に突っ込むと、
先生を探しました。でも職員室には居なかった。デスクの上はきれいになってしまっていた。
後はいつもの社会科準備室です。あそこには先生のカップがあるもん。
私を見て先生は「ひでえ格好だな」と先生は言いました。「男子の制服と違ってボタンがないからそういうふうに追いはぎされるのか」
私は髪をしばっていたゴムまで取られてしまっていました。まあ、卒業式の儀式みたいなものです。
私は先生に、最後のお礼とさよならを言うつもりだった。
先生はいつものように、ホット用の厚紙紙コップに熱いココアを作ってくれながら言いました。
「そうだ。今度、県立美術館でちょっと面白い展示会があるんだ。一緒に見にいかないか?車で迎えにいくから」
私は先生に、最後のお礼とさよならを言うつもりだったのに。
私は最初、友達や母親に「今度、先生と約束がある」「先生とでかけてくる」と言っていました。
先生はきちんと自宅の前まで車で迎えにきて私の母親に挨拶をし、夕方になれば送り届けてくれました。
そのうち、友達も母親も私たちのことを心配するようになります。私は最初その意味がわかりませんでした。
他の誰かと一緒ではないのか、何故わたしだけを連れて歩くのか、今はもう“せんせい”ではないじゃないし、
逆に“せんせい”であったらそれはおかしなことじゃないか。
当然、私はだんだん先生と会うことを内緒にするようになりました。
ただ、美術館に行って、おいしいコーヒーとケーキをご馳走になるだけなのに。
ただ、ちょっと遠くまでドライブにでかけて、そこの遺跡を見てくるだけなのに。
大学進学のために実家を離れるまで、私と先生は、その関係としては少なくはない時間を共有しました。
いつのまにか、友人や母が私に投げかけていた質問・・・何故わたしだけを連れて歩くのか・・・を、私は私の中だけで
先生に投げかけるようになっていました。
奥さんの話や、こどもの話は一切でてこない。私たちが話すのは、もっと学術的なことばかりです。
遠くを見つめる先生の目は、きっと遠くのものを見つめていただけだったのに
まるで時代とか時間とかを越えて私が見ることができるのとは違う場所を見ているようでした。
箱根に行ったのは、大学進学のために私が地元を離れるその直前の3月半ばです。
まともに会えるのは最後かもしれない。
そう思いながらその相手と会う時、あなただったら何を考えますか?
今日はどこに連れて行ってくれてもいいのに
だけど、先生はちゃんと最後まで「先生」でした。私は高校生でしかなかった。
他人がどう見ても、私たちは親子には見えないはずでした。先生は教職を辞めてからはまるで本当の大学生に
若返ってしまったかのようにびしっとしたところがあり、かっこうがよかった。
「理可は、理可の好きなことをするといい」と先生は私を送り届けて最後に言いました。
行き先がいつもよりも遠かったから、いつもより1時間遅い帰宅になりました。
たった、1時間違うだけ。
「くさい台詞を言うようだけどさ。理可の人生は俺にとっても、宝石みたいなものだからね」
大学に進むと、私はときおり先生に手紙を書きました。
実家に帰った時には会いたくもなったけれど、私の帰省はいつもとても短かったし、先生はとても忙しそうでした。
先生は大学院での勉強が終わっても中学教諭には戻らなかった。
“思うところあってね”と、養護学校の教員になりました。
「研究の場から離れることになるの」と私が訊くと(それは手紙であったから、返事は数日後でしたが)、
「いったんはね。でも、俺の居ない間に地下に埋まる骨の成分が変わったりすることはないから」と答えました。
彼の言うとおり、彼が研究と発掘作業に戻った頃、地下の骨たちは待っていたかのようにその姿を見せました。
成分的には何も変わらず。それが、生まれて死んだ年代を正確に刻んだままに。
それは新聞でも取り上げられました。
大学時代にいただいた手紙の最後の内容が、研究所への誘いでした。1998年の夏です。
私はそれにこう返事を書きました。
はっきり言って、もう手にしている内定を捨ててしまいたいくらい魅力的なお誘い
けれど、私はまずは最初に自分のちからで手にしたものをしっかりとものにしたいと思うの
だって、研究所の席は先生がわたしにくれるものであって、わたしが努力して手に入れたものじゃないから
手紙を貰って何日も考えた末に。
翌年のお正月が明けても先生からその手紙の返事は返ってきませんでした。いただいたのは6月、私の就職が決まった頃で、
それから年が変わっても返信がない。それはとても奇妙な期間でした。
先生はとてもマメなひとだったし、手紙が大好きだったから。
もちろん、私は私で、個人的にとても難解な恋愛の中に居ました。いつも先生のことを考えていたわけじゃない。
だけどいつもふと、外から暗い自分の部屋に帰った瞬間に、先生の言葉を(字を)思い出すことになるのです。
1999年3月末、私は大学時代のアパートを引き払って国分寺のマンションに移りました。
会社が家賃を半分出してくれるおかげで、かなりいい部屋に住むことができます。駅まで3分だし、1階はコンビニだし。
入社式の帰りに駅ビルで綺麗な絵葉書を買い、先生に住所変更の旨を伝える葉書を出しました。
それから、決まった勤め先店舗の名前。新宿と新宿御苑の間にある(まだ自分も行ったことのない)店。
その一つ前に出した手紙の内容については一切触れずに。
* * *
先生からの返信はありません。
6月。あの手紙を貰ってから1年。入社してまだ3ヶ月未満。
その日はひどく落ち込んでいて、上司である店長も「そのままで一日過ごす気なのか」と私に声をかけてくるほどでした。
私の計算ミスが元で、店舗在庫に混乱が生じてしまったことが判明したのです。
後から考えればそれは殆ど売り上げにも運営にも支障のないことだったのですが、ただただ私は落ち込んでいました。
まだ自分のミスの大きさも小ささもわからない時です。
先生はひとりのお客さんとして入り口から入ってきました。
私はびっくりしました。先生が現れたことはもちろん、先生がずいぶんとふっくらした体つきになっていたから。
元々細いひとだったからやっと平均的な体格になったといえるのかも知れない。
けれど、なんだか先生には似合わない太り方のような気がしました。他に似合う太り方というのがあるのか、どうか。
先生は私に少しだけ目配せをするとにやりと笑い、奥の席に腰掛けました。
私は店長に、知り合いが来ているのだと、それだけ言ってみました。
「そうか。じゃあ、葉月の休憩先にまわしてあげるよ。ちょうどいいリフレッシュになるだろ」と、期待通りの答えが返ってきました。
ユニフォームを脱いで自分のコーヒーをカウンタから受け取り、私はそそくさと先生の座るテーブルの前に行きました。
「座れば」
先生は笑って言いました。「驚いただろ」
私はうなづいてコーヒーを置き、椅子に座りました。
「正直、生きて会えたことに驚いているのは俺なんだ。太ったのは薬の副作用でね。胃癌だったんだ。約半年生死をさまよったよ。」
「うそ」
「ほんと。奥さんに“俺を殺してくれ”とか言ってたらしい。でも俺はちっとも覚えていないんだ、そんなの。」
初めて先生の口から“奥さん”という言葉を聞いたな、と思いました。不謹慎かもしれなかったけれど。
「もう少し早く連絡しようと思ったんだ。だけど、研究所も結局ばたばたでね。
出すはずだった原稿も落ちてしまったことで迷惑かけたしそういうの全部綺麗にしてから、と思ったんだ。
だから4月に間に合わなかった。」
先生は鞄から細長くて赤い包みを出しました。紺色のリボンがかかっています。
「4月に渡したかったんだけどね。就職祝い。」
「・・・ありがとう・・・」
「元気なのか?さっきは落ち込んでいるように見えた」
「・・・もう、落ち込んでないよ」
私は初めてリラックスして呼吸しました。
私に与えられた休憩時間は30分だったし、先生には戻らなければならない時刻がありました。
私は先生と一緒に店の外に出ました。
それは良く晴れた日で、朝10時で、新宿の街はこれからばたばたそれぞれのパーツを立ち上げ始めている。
まだまだ一日はこれからだと教えてくれているようでした。
少しだけ駅に向かって歩き、先生が「ここでいい」と言いました。
「また俺から手紙を書くよ。どの住所から送ることになるかわからないから・・・違う研究所かもしれないし、また病院かもしれないしな、
俺がが書くまで、待ってて。なんだかんだまだあわただしいからな、しばらく後になるかもしれないけど・・・」
「わかった。」
私は手を出しました。握手を求めたつもりでした。
先生は握手とは違う方向から私の指を掴むと、自分の口元に持っていって小さくキスをしました。
そして小さな声で言いました。
「また、会えたらいいな」