The red line A | Bygones/ 顔に泥がついている育児ブログ+css*

   The red line A

Richard won side c.











あなたは過去に、「先生」という職業の人と付き合ったことがありますか?















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御茶ノ水の駅から5分ほど歩かなくてはいけないけれど、私はそのバーがとても気に入っていました。


あの大きな通りに面してはいるけれど、ビルの特殊なつくりのせいで“半地下”みたいになっており、

入り口も少しひっこんだ場所にあります。そのせいか御茶ノ水界隈で働く友達も知らないひとが多く、

学生でにぎわってしまって入れないということもなかった。


私はそのカウンタ席で彼を待ちながら、ノートパソコンを広げていました。

普段こんなバーで仕事をしたりはしないけれども、またあの無理やりな部長から

「今夜24時までにメールしてね」

と言われて、出さなければならない数字があったのです。


職場(店)で最後までやっても約束の時間・・・彼と、部長と、両方の約束・・・には間に合ったかもしれなかったけれど、

なんとなくそんな気分にもなれなくて、早く職場から出たくて、わたしは書類をろくに整頓もせずにひとまとめにして店を出たのでした。


早く飲みたかっただけ、というのもある。





データ送信後、私は何となくノートパソコンで打ち出した数値をボールペンで自分の手帳にも書き込むことにしました。

毎回やってるわけじゃないけど。

PCの開けないところでふとその数字が必要になったとき、それを参照できることは結構助かるのです。






手帳に数字を書き込んでいると、彼が後から話しかけてきました。


「グラスを倒さないように気をつけて。友達が昨日酒で1台だめにしたばっかりだ」

「真上からグラス逆さにしない分には、完全にだめになるってこともないでしょ」

「わかんないよ。PCなんて、ちょっとのことでだめになるからさ。待たせてごめんね。」




そこに、頼んでおいたピッツァ・トーストがやってきました。


私はボールペンを置いて、すぐにその皿を自分のほうに引き寄せました。

ふんわりとしたパンに、冗談じゃないくらいとろけてるチーズと、辛めのサラミと、大きめのピーマン。大好き。




ネクタイを緩めながら彼が見ていたのは私がトーストにかじりつく様子ではなく、カウンタに置かれた私のボールペンでした。

どうみても店の、会社の備品じゃないそれを、彼は手にとってじっと眺めていました。


赤と金の、見るからに高価なボールペン。




「備品以外にもちゃんとしたやつ持ってるんだ、意外にも? とか思ってる?」

「いや」



普段私は備品として店においてあって落としても平気なようなペンしか持ち歩きません。

だって落とすんだもん。要はケチってるんだけど。


この日はただ単純に手帳を出したついでに、なんとなく自分のかばんのサイドポケットから出して使っていたのでした。

私は冗談で彼をからかったつもりだったのだけれど、彼はそういう顔をしていませんでした。

何故だろう。それは私以外の人から見れば、ただのちょっとだけ高価なペンであったに過ぎないのです。



彼が興味さえ持たなければ、『これは、誰に貰ったの』と訊いて来なければ。

私は彼にその話を永遠にしなかったかもしれません。


そこに、同じ教科の教師、という共通項があったとしても。









久々に「わたし」の話をします。お時間があったら、お付き合いください。







Richard won side c no.17


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「先生」という職業の人と付き合ったことがありますか?


そう訊かれたら、すごくすごく広い意味で“つきあった”とさせてもらって「2人」と答えるんじゃないかと思います。

それはもちろんただ同じ学校であったり担任であったりとかそういうこと以上の関係です。


とはいえ、そんな質問はなかなか私の上には降ってこない。





ひとりめについては、いまここで語る段階にありません。でもこれは、そのためのお話です。もうすこし後で。




ふたりめについて。


彼はすごくさわやかで、一見して体育教師に見えそうな健康的な歯や体もすごく魅力的でした。

実際に彼の胸はきれいな直線を描いていて、つるんと指が滑るようなつややかな肌。

きちんと体を鍛えているひとだけが持てる、しなやかなばねのあるからだ。バスケ部の顧問もやっていました。


本当は高校の社会科の教師。専門は地理だけど、土地について深く知ろうとすれば歴史について知る必要があります。


本当は社会科というのは、「歴史」「地理」とかで分類されるものではないのだ

分類しないと広すぎて教えることも研究する指針も失ってしまうから、便宜上そんなふうに分けられているだけ


彼はそういうふうに言っていました。

私は彼に、教師じゃなくて研究者になったほうがよかったのではないかと言ってみました。



「教えるのも、こどもも、こどもの反応も好きなんだ」


と彼は屈託のない笑顔で言いました。



そのときもいまも、教育現場についてはさまざまな見解がなされています。

それは決してこころ温まるものではない。


けれど、私は私自身も4年間ほど中学生に社会科を教えたことがありました。

それは塾で、とても自由だったからかもしれませんが、さまざまな「学校現場」での事件もキナ臭いやりとりも、

一体どこの世界の話なんだろう、というくらい実際に物事を吸収しようとするこどもたちと過ごす時間は楽しく元気を貰えるものでした。


だから私は彼の言うことの真意が多分わかったと思う。きれいごとや「性格がいい」、それだけじゃなくて。





彼とは御茶ノ水大学の社会人向け講義で会いました。

彼が講義の教科書を忘れて、たまたま横に座った私に一緒に見せて貰って、そのお礼で飲みに行って、

聞いてみれば彼は実は教科書を忘れていなくて。まあよくある話ですね。


特に好みでなければひっかかりもしなかったけれど、そのまま好みだったし、なんと出身県も同じでした。

というか、彼は地元の高校で教師をしていました。高校で仕事を終えてそのまま東京に来て講義を受けて、

その夜のうちにすぐ帰ることもあるけれど、多くの夜を東京の友達の部屋で過ごしていました。


当然ですが、やがて彼は多くの土日を私と過ごし、その夜を国分寺の私の部屋で過ごすようになりました。









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私は、何度もこの話を書き上げようとしてきました。


箱根を舞台にして。

一度だけ彼に連れて行ってもらった場所の話。

それは、“先生”と箱根で過ごした少し不思議な1日をそのまま書けば済む話でした。


だけどそれでは、私と先生がどう過ごして何を話したかは伝えられても、『お話』としか伝わらない。

何が不思議なんだか何を私が捉えきれていないのかを伝えることは絶対にできない。


言ってしまったら本当じゃなくなるようなもののあり方を説明するには、どういう話にしたらいいんだろう。

それを纏め上げるのに8ヶ月かかった。




よく私自身が言うように、たかだかブログで書くストーリーのひとつです。気合を入れすぎるほうも変。





私がここでこれから書く話には、本当のことが含まれています。





わたしにとってはただのひとつのストーリーというだけではなく。












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