理想のクラブを探して 「ヴァンフォーレ甲府編」 | Jリーグを観に行こう!

理想のクラブを探して 「ヴァンフォーレ甲府編」

Jリーグには百年構想があるということを説明しました。

地域に根差したスポーツクラブを目指して、現在Jリーグのクラブ中である一定の成果を上げているクラブを紹介したいと思います。


今回は「ヴァンフォーレ甲府」です。


ヴァンフォーレ甲府がJリーグに加盟したのはJ2が誕生した1999年。
山梨県初のプロスポーツクラブが誕生したわけですが、その道のりは一寸先は闇というべき厳しいものでした。
まず初年度の成績は10チーム中10位。つまり最下位に終わりました。
そして2000年。ヴァンフォーレ甲府は経営危機問題が勃発します。
この年も最下位に終わったヴァンフォーレ甲府。
入場者数の不振・チーム順位の低迷・クラブ経営の赤字と泥沼の状態に陥りました。
そんな、ヴァンフォーレ甲府に対し自治体やスポンサーが支援打ち切りを検討。
ヴァンフォーレ甲府の破産の危機が現実的になりました。
その後、なんとか一時的なチームの存続は確保されたものの提示された条件は非常に厳しいものでした。
この条件を達成できなければ、ヴァンフォーレ甲府の破産あるいは売却となることになります。


その条件は以下の通り
・平均観客動員数     3000人以上 (前年度実績 1850人)
・クラブサポーター会員数 5000人以上 (前年度実績 2698人)
・スポンサー収入     5000万円以上(前年度実績 2600万円)

どの数字も現実的に考えて達成できるには大変厳しい数字であり、ヴァンフォーレ甲府の破産は既定路線とも言われました。
こんな条件は達成できるわけがない。そう誰もが考えました。


しかし、2001年。ヴァンフォーレ甲府は見事にこの条件をクリアします。
なぜこんなことができたのか?しかもこの2001年も再び最下位。


どう立て直したのか。それは筆頭株主の山梨日日新聞の親会社の山日YBSグループの役員だった
海野一幸さんが出向し社長に就任したことによって大いに変わることとなります。


まず彼がやったのが元マスコミ関係者という人脈を生かしたスポンサーの獲得。
ですが、潰れるクラブにどこもスポンサーになるわけはありません。
かなりの混迷を深めますが、海野社長の積極的な営業もあって
まずメインスポンサーに「はくばく」が名乗りをあげます。
このユニフォームの胸にロゴをつける胸スポンサー契約を結んだことで
内外にやる気をアピールすることができました。


その後、積極的なスポンサー獲得作戦のかいもあって数多くのスポンサーを獲得することに成功しました。
その数はスポンサーが前年度15社だったのが一気にに200社にまで増えました。
工夫として、たとえばピッチ看板スポンサーに関しては
安い値段にして、多くの企業が出せるようにしました。
さらには、担架の裏にスポンサーのロゴをつけることもありました。
中でもユニークなのが、金は出せない会社でもその会社の事業である
清掃やクリーニングや選手の銭湯無料使用など
現物なら支援できる企業に、金銭ではないスポンサー契約を締結したことです。


スポンサー契約に目処はついてもまだ、観客動員数とクラブサポーター会員の獲得という
人気面での課題がありました。
この課題に関しては、選手が積極的にチームの地域のイベントやボランティア・学校訪問に出かけました。
その数なんと年間90回近く。
地域に愛されるために、ふれあいを大事にし愛着を持ってもらう努力をしました。

その他山梨独自の小集団のネットワークを使い、積極的にクラブサポーター会員になってくれるよう
頼んでいきました。「あそこがやったらならうちも・・」と続々と輪が広がり
クラブサポーター会員を増やしていきました。


そして見事にどの条件も目標達成。
地域に根差し活動を行ったヴァンフォーレ甲府、そして必死に支えてくれた甲府市民・山梨県民
地域貢献には素晴らしいものがあると判断され、活動継続が決定しました。


その後胸スポンサーである「はくばく」の工場が火災に見舞われて撤退か?と騒がれた時には
サポーターが「ヴァンフォーレ甲府を助けてくれたはくばくを今度は俺たちが救う番だ」という運動を開始し
近辺ではくばく商品売り切れ続出。
「こんなにも助けてくれるサポーターは裏切れない」と、はくばくは支援継続を決定。


そして成績も万年最下位から徐々に上がっていき
2005年、超攻撃的なサッカーで仙台との入れ替え戦進出圏内となる激しい3位争いの末
見事にJ1・J2入れ替え戦に進出。
そしてで2戦合計8-3(第1戦2-1で甲府勝利)で柏レイソルを下し見事にJ1昇格!


ついこの前までJ2万年最下位で、経営の危機に瀕していたチームが
J1に昇格するということが実現しました。


その後2006年のJ1でもパスワークと走るサッカーでサッカーファンを魅了。
この年最後まで浦和と優勝を争ったガンバよりも面白いサッカーだという人がいたほどです。
成績もダントツの降格候補といわれながら見事に残留をはたしました。


そして現在、甲府の平均観客動員数は1万人を超え、
今年(11月2日現在)1万3570人となっています。
ちなみに山梨県の総人口が約88万人。甲府市の人口が約20万人です。


甲府のように地域に自ら積極的に飛び込んでいき、そして地域が甲府を必死に支えたことで
Jリーグ百年構想の一つの理想とも言われる地元との素晴らしい関係が生まれました。


甲府はJリーグのどのクラブにもない新たな地域に根差すスタイルを示しました。
これはJ2だけでなく、J1のクラブにも大きな衝撃を与えました。
さらには今この甲府を目標にJリーグを目指す多くのクラブがあります。


甲府が残した功績は非常に大きいです。



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