レッドソックスファンの好事家ブログ




クリフ・リー


1998年にドラフト20巡目でボルチモア・オリオールズからの指名されたが契約せず、アーカンソー大学へ進学。2000年のドラフト4巡目でモントリオール・エクスポズに指名され入団。


2002年6月27日にグレイディ・サイズモアブランドン・フィリップスリー・スティーブンスと共にバートロ・コロン の交換要員としてトレードでクリーブランド・インディアンスへ移籍。9月15日にメジャーデビュー。初登板で初先発で負け投手。

2004年は開幕から好調で、5月末では10試合に登板し、5勝0敗。しかし、6月に入ると月間防御率が5点台にまで落ち、7月と8月は月間防御率が7点台で、6月以降の23試合で被本塁打は28本。最終的にはチーム最多タイの14勝でシーズンを終えたが、防御率は5.43。


右打者を苦手としていたが、2005年はカット・ファスト・ボール手裏剣で抑えます。開幕から勝ち星を重ね、最終的にはリーグ2位の18勝と、防御率3点台。勝率は.783をマークし、球団史上、1951年のボブ・フェラー 以来のリーグ1位。王冠1

2006年は5月に6試合で1勝4敗と調子を崩したが、6月は5試合で4勝と持ち直し、チーム2位の14勝をマーク。


球団は2007年から3年総額1400万ドル4年目の2010年は800万ドルの球団オプションで契約延長お金し、スプリングトレーニングで左脇腹を痛め、2007年の開幕を故障者リスト入り。5月3日にメジャー復帰を果たしたが、制球が悪く、マイナーへ降格。


復帰戦となった9月2日以降4試合にリリーフとして登板してレギュラーシーズンを終え、チームはプレーオフ進出を果たしますが、ロースターから外れます。シーズン終了後にはトレードを噂されるようになったが、球団は、見返りが期待できないため放出する意向はなく残留。


2008年、開幕から好調で5先発した時点での被出塁率.163は99年ぶりの低い数字で、4月は防御率0.96・5勝0敗で月間最優秀投手に選出。5月7日にかけて6回の登板すべてで勝ち投手となり、6月9日にリーグで最初に10勝に到達。7月15日に行われたオールスターではアメリカンリーグの先発投手を務め、2回を投無失点。


オールスター後も勝ち星を重ね、8月には5勝0敗をマークし、2回目の月間最優秀投手に選出。9月1日には両リーグ1番にシーズン20勝に到達し、球団史上1974年のゲイロード・ペリー の大台に到達。最終的に22勝3敗・防御率2.54(ともにリーグ1位)を記録し、サイ・ヤング賞王冠1とカムバック賞を受賞。クラッカー速球のスピードは平均145キロ前後。典型的なフライボールピッチャーで、失投が本塁打になりやすいのが欠点であったのが、2008年はゴロで打たせるケースが増え、フライによるアウトをゴロのアウトが上回っています。


2009年7月29日にトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍。移籍後も7勝4敗、防御率3.39と好投。



ワールドシリーズでヤンキースに敗退しますが、ポストシーズン通算では5試合で4勝、2完投、防御率1.56とエースとしての働き。合格


オフにマリナーズに移籍しましたが、マリナーズは開幕から低迷、同じ西地区首位を走るレンジャーズにトレードされました。ポストシーズンで絶好調なリーはレンジャースをワールドシリーズへ導いたものの、ワールドシリーズではサンフランシスコ・ジャイアンツの前に敗退。オフの最大の目玉投手としてレンジャーズは残留に、ヤンキースも先発補強の目玉にと獲得合戦が繰り広げられましたが、リーはこの2チームより条件としては低かったフィリーズを選択。これによりフィリーズリーロイ・ハラデイコール・ハメルズジョー・ブラントン という豪華なローテーションを組むことになります。


2011年は17勝8敗、防御率2,40、232回3分の2を投げて、238奪三振、与四球42と素晴らしい成績。


今後もロイ・ハラデイと二人で左右の両輪で活躍すること間違いなしでしょう。



<最終更新日 2012年7月8日>