レッドソックスファンの好事家ブログ




ジョー・ブラントン


高校を卒業するまでは捕手。ケンタッキー大学進学後に投手。大学でのチームメイトにはブランドン・ウェブ がいます。2002年のドラフト1巡目でオークランド・アスレチックスから指名されプロ入り。マイナーリーグで実績を残して、2004年のシーズン終盤にメジャーデビュー、3試合に登板。


このシーズン終了後、緊縮財政下にあるアスレチックスは年俸総額削減のため、先発ローテーション "ビッグ3" のうちティム・ハドソンマーク・マルダーを他球団へ放出。2005年、ブラントンは実質1年目ながら先発ローテーションに定着。先発登板33試合はオークランド移転後の球団新人記録を更新、12勝は同最多タイ。また、防御率3.53。同じくこの年にローテーションに定着した同い年のダン・ヘイレンブラントンの活躍で、アスレチックスは前年より勝ち星を3つ減らしただけ。


2006年は16勝、被安打が大きく増加し防御率4.82も前年より1.29悪化。2007年は230回を投げ14勝10敗・防御率3.95を記録。


シーズン途中でポストシーズン進出が絶望的となったアスレチックスは、数年後を見据えた動きを始め、主力選手をトレードで放出して見返りに相手球団の将来有望な若手選手を集めることに・・・。チームのエースだったヘイレンダイヤモンドバックスへ移籍。これにより、2008年はブラントンヘイレンに代わってエース。


ブラントンはこの年不調で、前半戦終了時点で5勝12敗・防御率4.96と低迷。一方のアスレチックスはシーズン開幕後も主力放出・若手獲得。7月8日には、3月の日本開幕シリーズでブラントンに続いて第2戦に先発したリッチ・ハーデンカブスへ移籍。そしてブラントンも7月17日、フィラデルフィア・フィリーズへ若手3選手とのトレードで移籍。

フィリーズ移籍後は4勝で計9勝12敗と初の負け越しで4年連続二桁勝利にはならずも、自身初のワールドシリーズでは第4戦で本塁打。この試合では好投し、勝利投手になり、ワールドシリーズ優勝に貢献王冠1


2009年は12勝8敗で、地区優勝に貢献。2010年は珍しくDL入りも経験。不調ながら9勝6敗、防御率4,82、178回3分の2を投げて、134奪三振、与四球43。2011年も肘の神経の損傷で長期離脱病院


球を低目に集めて相手打者を打たせて取るタイプの投手で、2007年の与四球率1.57がリーグ4位。球種は88 - 93マイルのツーシームとフォーシームの2種類の速球と、スライダーのようなカット・ファスト・ボール、大きく曲がるカーブ、そしてチェンジアップ。投球フォームは、かつて捕手をしていたことが影響しているのか、腕を後ろに引く動作が小さくなっていて、まるで捕手が送球するような投げ方。本人はこのフォームについて「僕にはこれが自然な投げ方。きっと、打者はタイミングを取りにくいんだろう」とコメント。


怪我さえなければ200イニング近くをコンスタントに投げれる投手。こういうエースクラスではないものの計算できる投手は貴重です。


<最終更新日 2012年7月9日>